2021年05月02日
嘘ばっかり
久しぶりの投稿となりました。
実は子供を授かり、7月に男の子が誕生する予定となりました。
その為かなかなか色々忙しくブログ記事を書くタイミングが見つからずでした。
決して「キッコーマンは法華講の罰で苦しんでいるからおかしくなったのだ」というわけではございませんので(笑)
顕正会時代「死にたい」とすら思っていた自分が日蓮正宗に縁をさせていただき5年目、気づけばジワジワと境涯が変わってゆき、荒っぽかった命は穏やかになり、36歳と少し遅くなりましたが結婚し、待望の子供を授かる事となり、このまま顕正会だったらどうなっていたんだろう、とふと振り返る事もあります。
大聖人様は「子に過ぎたる財なし」と仰せですから、しっかりと法統相続に務め幸せな家庭を作っていきたいと思っています。
この信心は松野殿御返事に
「魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此くの如し。
菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。
都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧を著たる兵者は多けれども、戦に恐れをなさゞるは少なきが如し。
(御書1048~1049頁)
よ仰せの如く、せっかく縁をしてもすぐに信心を見失ってしまう方がどうしても多いのです、特に私のような邪教出身の者は積んできた罪障を消滅するのが非常に大変です。
私もまだ何があるか分かりませんが、それを乗り越える事ができずに見失っていってしまいます。
大聖人様は新池御書に
「皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよは(弱)く、僧をも恭敬せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。始めより終はりまで弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠(なが)め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし(御書・1457頁)
もっともこの御金言は浅井会長にも当てはまる御金言ではありますが・・
自分自身も常に信心を見失わまいようにしっかりと引き締めていかねばならないな、と気をつけていきたいと思っています。
とある御僧侶がこんな例えをされていました。
「桶に入った泥水があります、この桶の泥水をキレイな水にする為にはどれだけのキレイな水を注ぎ込まねばならないでしょうか。そして注ぎ込んでいくと泥水はどうなるでしょう。当然泥水は溢れて桶から出てきます、これが罪障消滅です」と
またお世話になった御僧侶も罪業が吹き出て大変だった時に
「業ではなく、功徳だと思いましょう」
と仰せになりました。
つまり、業が出ているから、ではなく功徳を積んで罪障消滅しているから嬉しい事なんだ、と捉えましょう、という事だったんですね。確かに功徳を積まないと罪障消滅はしません。
頑張れば頑張るほど罪障が出てくるのでそれで信心を見失う人もやはり多いのです。
それを顕正会では「罰だろう」と言ってくる事もあるでしょう。
しかし長くやってくるとジワジワと境涯は変わってきます、短い髪が次の日にいきなりロングヘアーになる事もありません、短い爪が突然伸びる事もありません、小さい子供が次の日にいきなりおっさんになる事もありません。それが道理です。
私もジワジワと境涯が変わってきたのは振り返って分かりました。
顕正会でのパッと出る功徳めいた「魔の通力」とは違うのです、本来の功徳とは除々に六根が清浄になっていくのです。
仏法と申すは道理なり、ですから。
「でも宗門は御遺命を破壊してるから・・」と言われそうですが本当に顕正会では嘘ばっかりなんです。
「僧侶は折伏しない。」
嘘ばっかり。法華講員の方は折伏相手にはまずお寺にお連れします、そして御僧侶が折伏をされます、私の通ってるお寺ではまだ20歳前後の所化さん(お寺に在勤しながら日蓮正宗の学校に通う御僧侶)が折伏をされます。
御僧侶の折伏というのは熱く、そして暖かく礼節を保った慈悲のある折伏です。私はそのような御僧侶を幾度か見てきました、何故見た事もないのにアレコレ言えるんでしょうか、それが嘘ばっかり、という事なんです。
「御開扉中はみんな寝てたり雑談している、奉安堂では芸能人用の席があり何百万も供養している、金儲けだ」
嘘ばっかり。
朝早い上に食後ですから多少ウトウトする方もいますが、みんな真剣に読経・唱題しています。大体読経しながらどうやって雑談するんでしょうか?釈尊の時代でしたらそんな事ができる人もいたかもしれませんが普通の人間には無理でしょう。
芸能人用の席ってどこなんでしょう?私が教えてほしいくらいです、御開扉御供養は一律2000円です、それ以上もそれ以下もありません。
なんで嘘つくんでしょうか?
どうか、顕正会だけの言葉を信じないで、もっと多角的に物事を見てほしいと思います。
実は子供を授かり、7月に男の子が誕生する予定となりました。
その為かなかなか色々忙しくブログ記事を書くタイミングが見つからずでした。
決して「キッコーマンは法華講の罰で苦しんでいるからおかしくなったのだ」というわけではございませんので(笑)
顕正会時代「死にたい」とすら思っていた自分が日蓮正宗に縁をさせていただき5年目、気づけばジワジワと境涯が変わってゆき、荒っぽかった命は穏やかになり、36歳と少し遅くなりましたが結婚し、待望の子供を授かる事となり、このまま顕正会だったらどうなっていたんだろう、とふと振り返る事もあります。
大聖人様は「子に過ぎたる財なし」と仰せですから、しっかりと法統相続に務め幸せな家庭を作っていきたいと思っています。
この信心は松野殿御返事に
「魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此くの如し。
菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。
都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧を著たる兵者は多けれども、戦に恐れをなさゞるは少なきが如し。
(御書1048~1049頁)
よ仰せの如く、せっかく縁をしてもすぐに信心を見失ってしまう方がどうしても多いのです、特に私のような邪教出身の者は積んできた罪障を消滅するのが非常に大変です。
私もまだ何があるか分かりませんが、それを乗り越える事ができずに見失っていってしまいます。
大聖人様は新池御書に
「皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよは(弱)く、僧をも恭敬せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。始めより終はりまで弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠(なが)め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし(御書・1457頁)
もっともこの御金言は浅井会長にも当てはまる御金言ではありますが・・
自分自身も常に信心を見失わまいようにしっかりと引き締めていかねばならないな、と気をつけていきたいと思っています。
とある御僧侶がこんな例えをされていました。
「桶に入った泥水があります、この桶の泥水をキレイな水にする為にはどれだけのキレイな水を注ぎ込まねばならないでしょうか。そして注ぎ込んでいくと泥水はどうなるでしょう。当然泥水は溢れて桶から出てきます、これが罪障消滅です」と
またお世話になった御僧侶も罪業が吹き出て大変だった時に
「業ではなく、功徳だと思いましょう」
と仰せになりました。
つまり、業が出ているから、ではなく功徳を積んで罪障消滅しているから嬉しい事なんだ、と捉えましょう、という事だったんですね。確かに功徳を積まないと罪障消滅はしません。
頑張れば頑張るほど罪障が出てくるのでそれで信心を見失う人もやはり多いのです。
それを顕正会では「罰だろう」と言ってくる事もあるでしょう。
しかし長くやってくるとジワジワと境涯は変わってきます、短い髪が次の日にいきなりロングヘアーになる事もありません、短い爪が突然伸びる事もありません、小さい子供が次の日にいきなりおっさんになる事もありません。それが道理です。
私もジワジワと境涯が変わってきたのは振り返って分かりました。
顕正会でのパッと出る功徳めいた「魔の通力」とは違うのです、本来の功徳とは除々に六根が清浄になっていくのです。
仏法と申すは道理なり、ですから。
「でも宗門は御遺命を破壊してるから・・」と言われそうですが本当に顕正会では嘘ばっかりなんです。
「僧侶は折伏しない。」
嘘ばっかり。法華講員の方は折伏相手にはまずお寺にお連れします、そして御僧侶が折伏をされます、私の通ってるお寺ではまだ20歳前後の所化さん(お寺に在勤しながら日蓮正宗の学校に通う御僧侶)が折伏をされます。
御僧侶の折伏というのは熱く、そして暖かく礼節を保った慈悲のある折伏です。私はそのような御僧侶を幾度か見てきました、何故見た事もないのにアレコレ言えるんでしょうか、それが嘘ばっかり、という事なんです。
「御開扉中はみんな寝てたり雑談している、奉安堂では芸能人用の席があり何百万も供養している、金儲けだ」
嘘ばっかり。
朝早い上に食後ですから多少ウトウトする方もいますが、みんな真剣に読経・唱題しています。大体読経しながらどうやって雑談するんでしょうか?釈尊の時代でしたらそんな事ができる人もいたかもしれませんが普通の人間には無理でしょう。
芸能人用の席ってどこなんでしょう?私が教えてほしいくらいです、御開扉御供養は一律2000円です、それ以上もそれ以下もありません。
なんで嘘つくんでしょうか?
どうか、顕正会だけの言葉を信じないで、もっと多角的に物事を見てほしいと思います。
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遠いからと、私の家の近くにしてもらいました。向こうからはかなり遠いけど。
結果よかったです。。
コロナだから、と数回言っても、しつこく、でも気晴らしに会い話そう、と。かなりの違和感を持ちつつ、行ってしまいました。😢
不要不急な外出でコロナになったら…とか、みじんも思わない、無神経さ、勝手さ、に驚きでした。
人なんか、どうでもいい、自分の立場、ノルマが上がればと。
私の友人は、一人は、車で送るとうまく言われながら、乗ったら、悩みがなくなると
会館まで連れて行かされ
もう一人は、途中で気づき、うまく車から降りて
家族に迎えにきてもらい帰ってきた、
と。
何処にでも、いる…。。怖いです。。
あの非常識さは、本当に、おかしいです。。
例え警察を呼んでも、宗教の名のもと、と開き直り
頭のいかれたふりを通すんだろうと、思います…。。
当人達は、ボロボロなんでしょうね…。
今まで勧誘してきた人は、生活も、もう普通では、なかった。。
洗脳、もあるかもだけど、
抜けるには、怖い仕打ちとかも、あるのかな…?。。
地獄に落ちる、と言われたり、上から怒られたり…
可愛いそうだけど、
それを立ちきるのは、本人しかない、のですがね。。
それの出来ない人達、なのでしょう。
無限地獄です。
幸せなら、入らない。そうゆう所と、思います。。
…顕正会をやめられた方のブログなのですね。。
今はご結婚され、お子さんも。本当に。お幸せです。。おめでとうございます。(涙)
本当に、会に入っている時の方は、
正直、言うと悪いけど、見ていると不幸です。職場でもすぐに話が広まり一線を置かれ、居づらくなり辞める、の繰り返し、他者、親戚からも非難され、人へ迷惑をかける
などなど
ご自分が悲惨だから、
何の関係のない人様を時間、精神的に拘束し、
無理に苦しめても何とも思わないのでしょうね
こちらは普通に友人、話せる人ができ嬉しいと思っていたら、違った。
本当に、騙されたような、みじめな、嫌な気持ちにおちいり、泣きながらの帰り道、悲惨でいました。不気味な話の内容と重なり、異様な気分と…この時代、今時も、変な人がいるものだ、と。
でも、私の周りでも、同じく、会館まで行ってしまった、車に乗せられ、二人組で、
とか、数人の方から、かなり前から、気をつけなよと、話は聞いていたので(まさか自分が、と)
…きっと誰もが。大勢の人が経験している。
私だけじゃない、
と、気に止めないように。と。これからも、心を強く持てます。。
私が傷ついたのは、私へ批判的な否定的なことを言い
入会させるだけに必死だったこと。なんてひどい人、集団。とても、まともでは、なかったです。。
これからも、気をつけます。 キッコーマンさんも、これからもどんどん沢山、お幸せに
なってください。今までを挽回するように、沢山、幸せを、感じ生きて行ってほしいです。 こう、心を打ち明けるこの場をもうけて戴いていたこと、感謝です。本当に、ありがとうございました。
電話があり、こコロナ渦の中、ファミレスでランチしましょう、と
もしや、と思ったら、やはり、そうでした。
実はこの人で、三人目です。
一人目の時はただただ驚きと、会った後悔、
二人目の時は、寒気がして恐くなり、
三人目の時は、やっぱりね、
と。
わかる前から、その人達は、独特なオーラがあります。。
皆、職場の人へ声かけをするので、居づらくなり、
転職が多いです。
で、皆、全く同じ話を、します。。
その話が始まった途端、顔が変わり、目がとりつかれたように、
変わります。
断り、すごく、悲惨で暗い気持ちで帰ってきました。こんな思い、他の人にもしてほしくない、です。。