2019年12月07日
広布御供養
久しぶりの更新となってしまいました。
ツイッターではちょくちょく、つぶやいていましたが、ブログ記事だと長くなるし文章も自分なりにまとめないといけないというのもあって手つかずにおりました。
ツイッター
https://twitter.com/9388plhzer7hv45
今回は12月という事で、広布御供養について書いてみたく思います。
私は顕正会時代にいくら払ったかはさだかではありませんが、恐らく100万は余裕で超えます。20歳で学校出て働いてからは32歳まで上限+5名ほどの立て替えをしていましたから。もちろん学生時代もアルバイトで汗水流して働いた金で広布御供養を精一杯やりました。
じゃあ結果的に大きな財の功徳でウハウハなのでは?と思う顕正会員もいるかもしれません。
とんでもないです、結論から先に言うとマイナスです。普通に会社員として働いているのにですよ。
不思議ですよね、一定の収入があるのにどんどんと金が消えていくんですから。
これは特に私に限った事ではなく、組織の人は全体的に貧乏な人が多かった気がします。頑張ってみんな広布御供養にお金を費やしているのに
一時は功徳のような現証が出るんですよ。ただそれは所詮、魔の通力であって、5年10年と長い目で見ていくと何故か貧乏になってしまう事が多々見受けられました。
そして何よりも怖いのは広布御供養が「謗法への供養」となる事なのです。
御存知の通り広布御供養の浄財で会館は建てられます、そしてそこに祀られる本尊こそ顕正会で作成したニセ本尊です。 ニセ本尊を作成するのも広布御供養から出るのです。つまり、広布御供養に参加する事はニセ本尊を増やす謗法行為に加担する事になります。
先日、新仙台会館ができ、そこの本尊も「日布上人大幅御形木御本尊」という日蓮正宗には存在しないもののようです。私は出来たばかりの時の筑波会館に行ってあまりにも真新しいその本尊に驚いた事がありました。今回の本尊はどうでしょうか。
顕正会が本尊を作成しているのは何度も書いていますがもう宗門公式見解です、ていうかそもそも存在してないもんが何であるんだって話なんですから小学生でも分かる理屈です。
そんなものを増やす行為に加担して、タダで済むはずは無いんです、組織を見渡してお金に充実してる人はどれくらいいますか?
そもそも上限が決まっているから有り難いとか、6万に下がって有り難いとか。そんなもん誰が決めたんでしょうか?浅井会長ですよね。何で相承も受けていない浅井会長がそんな事を決める権限があるんでしょうか?
下限が1万というのも、本来の日蓮正宗の供養というのは半紙1枚でも供養になると言われています。もちろん金銭だけでなく果物や野菜などを供養する方もいます。下限が決まってなどというバカげた話は無いのです。
「昔の得勝童子は、沙の餅を仏に供養し奉りて、阿育大王と生まれて一閻浮提の主たりき」(御書1545)
という御金言があります。
これは
昔、得勝という名の男の子が、道を歩く釈尊の尊い姿に感動し、仏法の尊さを瞬時に悟って、真心からの供養を捧げたいと思った。 しかし、得勝童子は子供だったので金銭を持ち合わせていなかった。
そこで、「こんなものしか、御供養することはできません」と、泥でつくった餅を、はずかしそうに釈尊に捧げた。
釈尊は、泥の餅はともかく、得勝の真心の尊さに感激し、得勝のために説法した。
得勝は、真心から仏に供養した功徳によって、生まれ変わると阿育大王となり、世界中でもっとも富める者、さらに大人格者となって、多くの人々から尊敬された。
という故事にある通りで、供養というのは本来は志であり、在家はおろか御僧侶ですら決めるものではないのです。なので基本的には特定の塔婆供養や御開扉御供養のような例を除けば御供養の金額は志で一切決められていないのです。
これは葬儀などについても同じで、世間ではお坊さんに対するお礼のようなものですが、日蓮正宗では御本尊様に対する御供養であり、御僧侶がお礼を受け取るような事など無いのです。
そもそも、顕正会では未入信の人物の名前で広布御供養を立て替えるような例もありますが、日蓮正宗では信徒以外の御供養は一切受け付けません。そういった所も勝手に浅井会長は化儀を変えてるんです、知っていながら。
どうか顕正会員の皆さんは広布御供養について考え直して下さい。ちなみに謗法に供養した罪業は正法に帰依したら罪障消滅として溢れ出ますので、一刻も早く御授戒を受け、ちゃんと血脈の繋がった御本尊様に御供養申し上げる事をオススメします。
ツイッターではちょくちょく、つぶやいていましたが、ブログ記事だと長くなるし文章も自分なりにまとめないといけないというのもあって手つかずにおりました。
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今回は12月という事で、広布御供養について書いてみたく思います。
私は顕正会時代にいくら払ったかはさだかではありませんが、恐らく100万は余裕で超えます。20歳で学校出て働いてからは32歳まで上限+5名ほどの立て替えをしていましたから。もちろん学生時代もアルバイトで汗水流して働いた金で広布御供養を精一杯やりました。
じゃあ結果的に大きな財の功徳でウハウハなのでは?と思う顕正会員もいるかもしれません。
とんでもないです、結論から先に言うとマイナスです。普通に会社員として働いているのにですよ。
不思議ですよね、一定の収入があるのにどんどんと金が消えていくんですから。
これは特に私に限った事ではなく、組織の人は全体的に貧乏な人が多かった気がします。頑張ってみんな広布御供養にお金を費やしているのに
一時は功徳のような現証が出るんですよ。ただそれは所詮、魔の通力であって、5年10年と長い目で見ていくと何故か貧乏になってしまう事が多々見受けられました。
そして何よりも怖いのは広布御供養が「謗法への供養」となる事なのです。
御存知の通り広布御供養の浄財で会館は建てられます、そしてそこに祀られる本尊こそ顕正会で作成したニセ本尊です。 ニセ本尊を作成するのも広布御供養から出るのです。つまり、広布御供養に参加する事はニセ本尊を増やす謗法行為に加担する事になります。
先日、新仙台会館ができ、そこの本尊も「日布上人大幅御形木御本尊」という日蓮正宗には存在しないもののようです。私は出来たばかりの時の筑波会館に行ってあまりにも真新しいその本尊に驚いた事がありました。今回の本尊はどうでしょうか。
顕正会が本尊を作成しているのは何度も書いていますがもう宗門公式見解です、ていうかそもそも存在してないもんが何であるんだって話なんですから小学生でも分かる理屈です。
そんなものを増やす行為に加担して、タダで済むはずは無いんです、組織を見渡してお金に充実してる人はどれくらいいますか?
そもそも上限が決まっているから有り難いとか、6万に下がって有り難いとか。そんなもん誰が決めたんでしょうか?浅井会長ですよね。何で相承も受けていない浅井会長がそんな事を決める権限があるんでしょうか?
下限が1万というのも、本来の日蓮正宗の供養というのは半紙1枚でも供養になると言われています。もちろん金銭だけでなく果物や野菜などを供養する方もいます。下限が決まってなどというバカげた話は無いのです。
「昔の得勝童子は、沙の餅を仏に供養し奉りて、阿育大王と生まれて一閻浮提の主たりき」(御書1545)
という御金言があります。
これは
昔、得勝という名の男の子が、道を歩く釈尊の尊い姿に感動し、仏法の尊さを瞬時に悟って、真心からの供養を捧げたいと思った。 しかし、得勝童子は子供だったので金銭を持ち合わせていなかった。
そこで、「こんなものしか、御供養することはできません」と、泥でつくった餅を、はずかしそうに釈尊に捧げた。
釈尊は、泥の餅はともかく、得勝の真心の尊さに感激し、得勝のために説法した。
得勝は、真心から仏に供養した功徳によって、生まれ変わると阿育大王となり、世界中でもっとも富める者、さらに大人格者となって、多くの人々から尊敬された。
という故事にある通りで、供養というのは本来は志であり、在家はおろか御僧侶ですら決めるものではないのです。なので基本的には特定の塔婆供養や御開扉御供養のような例を除けば御供養の金額は志で一切決められていないのです。
これは葬儀などについても同じで、世間ではお坊さんに対するお礼のようなものですが、日蓮正宗では御本尊様に対する御供養であり、御僧侶がお礼を受け取るような事など無いのです。
そもそも、顕正会では未入信の人物の名前で広布御供養を立て替えるような例もありますが、日蓮正宗では信徒以外の御供養は一切受け付けません。そういった所も勝手に浅井会長は化儀を変えてるんです、知っていながら。
どうか顕正会員の皆さんは広布御供養について考え直して下さい。ちなみに謗法に供養した罪業は正法に帰依したら罪障消滅として溢れ出ますので、一刻も早く御授戒を受け、ちゃんと血脈の繋がった御本尊様に御供養申し上げる事をオススメします。
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