桑原通夫です。
小学校も中学もs・・職業も同じという
親友を肺がんで亡くしました。
最初は胆管がん、次にリューマチ、そして
股関節の手術、そして肺がんが骨まで
転移して・・帰らぬ人となりました。
知らせを受けてから・・仕事がなかなか
手につかない・・
三脚の足が一個取れてしまったような
不安定な心の状態です。
覚悟はしていたものの・・いざ逝ってしまうと
胸に大きな穴が空いたような、
虚ろな状態がつづいています。
無くなる2週間前までは
現役としてお店に立っていました。
痛みを堪えながら、
最後まで諦めずに美容師の仕事を
していた姿が目に焼き付いています。
いずれは誰もが泉下の客となる身とはいえ・・
70歳で逝ってしまうのは、残念でなりません。
友人は私の跡を追って美容師になりました。
今から52年前・・
私は熱海市で美容師の見習いをしていました。
そこに突然やってきて・・
桑原・・おれも美容師になる・・と
言い出したのです。
当時の私は、夢に向かって頑張っている・・
というよりも、お金も時間もなく一番つらい
時期でしたので、
美容師よりも今の会社にいたほうがいいぞ・・
と忠告しましたが、
決意は固く美容師になりました。お
30代の頃、私は日本創造教育研究所という
人材育成会社と縁があり
本気で経営の勉強をしよう・・ということで
友人も誘いました。
東京や大阪まで一緒に勉強に行きました。
美容室経営者としては友人のほうが
上手だったと思います。
その後もお互いに励まし会いながら
今日まで生涯現役で行こう・・
といってきましたが、
本当に友人は言葉通りの人生でした。
抗がん剤とリューマチの治療をしながら
痛みと闘いながらも最後まで
ハサミを置くことはありませんでした。
本当によく頑張った・・と思います。
どうぞ安らかに・・
弔事を読みながら・・次々と思い出が
蘇り・・なんとか最後のお別れを
済ましました。
夜、ふと外に出ても・・まだその辺にいるような
気がしています。
最後まで御覧いただきましてありがとうございます。
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