こんにちは。
桑原通夫です。
財政再建元年・・という言葉があるそうです。
1978年12月に大平内閣が
誕生しましたが
大平首相は1980 年度の予算案で
公債発行を減額し,
歳出の伸びを大きく抑制しました。
そこで 1980年度を「財政再建元年」
と呼ばれるようになった・・
ということです。
又、日本は1964年まで
国債を発行していませんでした。
国債発行が始まったのは
1965年以降のことでした。
そして1973年のオイルショックに伴う
不況を打破するために
大幅に国債が発行されるように
なりました。
国債の償還期間は10年ですから
1973年の10年後・・
1980年の前半頃から
大量の国債償還がはじまります・・
その償還財源を確保するためには
歳出カットと増税が必要・・
と大蔵省が言い出しました。
これが 財政再建元年
と呼ばれることになったそうです。
しかしこのときの大蔵省の判断は
間違いだった・・ということです。
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大蔵省は、償還期限がきたら
その元本を返済しなければならない・・
と思い込んだのですが、
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実際には借り換えをしたり・・
日銀に国債を買わせることで
十分に対処できたことだそうです。
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日銀は国際を購入することで
資金を供給していることにもなります。
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日銀が国債やETF(上場投資信託)
などの金融資産を買い入れることで、
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市場に資金を供給して金融緩和を
行っています。
日銀の資金供給の効果としては
次のようなものがあります。
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市中に出回るお金が増えること・・
国債の利回りも低く抑えられること・・
等です。
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つまり、国際の発行こそが
日本経済への資金供給には
不可欠なものだったのです。
ところがそれを大蔵省の
官僚たちには理解できなかった・・
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なぜなら・・彼らの多くは法学部出身です。
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当時の大蔵省には東大法学部卒が数多く
入省していました。
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ということであまり経済の勉強は
していませんでした。
入省してから学ぶ・・ということで
経済には疎かったのです。
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そのために、財政均衡 という
経済学的にはあり得な無い前提を
素直に正しいこと・・と信じて
しまったのです。
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その結果、税収の範囲内で歳出を収める
ことが正しいことだ・・
と思い込んでしまった。
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経済学と一般常識を、混同してしまった・・
ということです。
経済学では、例えば・・
銀行は最初に集めた預金額の
何倍ものお金を融資することができます。
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銀行が預金をもとに貸し出しを
繰り返し行うことで、
預金通貨を増やす仕組みのことを
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信用創造 と呼びますが、
そのあたりが良く理解できなかった・・
というのです。
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同様に、自国通貨を持つ国は
財政均衡に関係なく柔軟に
財政政策を打ち出すことが可能である‥
ということもわからなかった。
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だから 財政均衡 を目指すことが
正しいことだ・・
と思い込んでしまったのです。
若い人の中には財政均衡に
疑問を持つ人もいたようですが
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省内ではそれを口にすることは
できませんでした。
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そんなことを言えば出世コースから
外されますし、最悪・・
地方に飛ばされてしまいます。
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結果的に長年大蔵省や財務省で
働くうちに
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財政均衡や緊縮財政こそが
国家安定には必要なもの・・
と洗脳去れていくようです。
そしていつのまにか・・
日本を背負って立っているのは
財務省で働く者たちだ・・
という考え方になっていった。
だから政治家に対しても
財政均衡 を吹聴しつづけて
きたのです。
やがて2001年の省庁再編によって、
大蔵省は、財務省と金融庁に再編
されましたが
その財務省が今では実質、国を動かしている・・
ということです。
財務省には2つの大きな権限があります。
一つは国の予算分配決定権です。
もう一つは税務調査権です。
国家予算の配分権を持っている・・
ということは、財務省に楯突けば
予算を減らされる・・ということです。
税務調査権を持っている・・
ということは、財務省に不利な発言をすれば
国税庁を動かして、徹底調査をする・・
ということです。
これでは誰も逆らえませんん。
これに対して戦後の総理大臣で
唯一楯突いたのが 故安倍晋三総理
だけでした。
結局・・財務省の巧妙な罠・・
モリ・カケ問題をでっち上げられ
抹殺されてしまった・・という話です。
財務省はそこまでやるのか・・と
思いたくはないのですが
簡単に否定できない証拠も数多く
出回っているのが現実です。
政治資金問題よりも
財務省の闇部に手を入れて
健全な一省庁としての立て直しを
図ることのほうが急務だと思うのですが・・
財務省=アンタッチャブルの世界・・
ということのようです。
誰も死にたくないですからね・・
最後までご覧いただきありがとうございます。