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2013年09月17日

友人の子どもから他人の子どもに変わるとき。

先日の一件、いまだに引きずっております。



あの後も考えてみましたが、自分が腹を立てている部分は
“スマホを見ているのに挨拶をしない”
この部分なんですね。



照れて挨拶が出来ない、人見知りで挨拶が出来ないならまだ分かります。
しかし、何か他のことをしながら人の相手をする。
昔の仕事で、こういうクソガキどもの相手をしたことを思いだしました。



そいつらは何かトラブルがあったというので、対応に向かってみると
携帯を片手にして、こっちを見ない。
自分が「あの、何かございましたか?」
と聞いても、携帯を見たままでロクに答えもしない。
まず、こっちも見て話せや!



その後、周りに聞いても
「いや、呼んだのはそいつだから、おれらしらねー」
なんだよ、それ・・・・・・。
お客様とはいえ、こういう人を小馬鹿にした行動をされるとぶん殴りたくなるし、
数年経った今でも、この出来事は忘れません(笑



今回、同じようなことをしたのは5歳の子ども。
まだ、小さいからそんなに気にすることではないのかも知れません。
でも、自分は友人の子どもが成長した姿と、
クソガキどもの姿が重なって見えてしょうがない。

大きくなったら、スマホを見ながら人に対して受け答えをする。
そんなクソ可愛くもないし、周りから嫌われる人間になるのではないかと。



挨拶を返してもらえなかった他の友人たちも、不満はあるみたいですが
自分ほどは怒ってないようです。
むしろ、自分のキレっぷりを見て、若干引いていました(笑
でも、自分がここまで怒るのは1歳ぐらいから見ていて、
健やかに育っていくことに感動していたからなんです。




子どもは可愛いし、友人も父として
「何か危険なことや良くないことをしていたら、
そこはビシッと注意するようにしている。
子どもだからといって許すようなことはしない」

このようなことを言っていて、自分が見ている前では、
その場の空気が険悪になったとしても、注意をしていたんです。



しかし、それが5年も経てば、子どもにスマホを与えて、
挨拶をしなくてもたいして怒らない・・・。

周りの空気も読んだのかも知れないし、
子どもに対しての接し方や教育方針もあるのだろうけど、
こんなに緩い感じになったのが残念でなりません。



でも、今回の件を突き詰めて考えると
友人以上に情けないのは自分ということも分かりました。
怒るのは無理でも、スマホを見ながら無視されたら
「おいおい〇〇くん、人が挨拶したらお返事しようよ〜」
これぐらいは言うべきですよね・・・。



結局、これが言えなかったのは、
自分がイメージしていた姿と今の姿のギャップでショックを受けたのもあるし、
今の立場が“人の子どもに注意できるような大人ではない”
と心の奥底で分かっているからだと思います。




仮に仕事をしていても、結婚をしていても、
他人の子どもにならそう簡単に注意なんて出来ませんが、
“友人の子ども”になら話は別で、
度を超えてなければ悪いことをしたら注意するのがスジだと思っていました。
でも、今の自分はそういうことも出来ない存在として、この世にいきているんだなぁ・・・・・・。



今回の一件で、頭の中のドリームランドの一つが完全に崩壊しました。
これにより、今まで溺愛していた友人の子どもは、他人の子ども扱いになり、
他の友人たちと同じような感覚に修正されたと思います。
無視されたことは良くないけど、ずれていた感覚が修正されたのは、
非常に大きなプラスです。



だから今後は成長した写真をスマホで見せられても、何も思わない。
冷たいようですが、自分の中で全ては終わったのです。
無償の愛を知らない自分ゆえの感覚なのかも知れませんが、
他人の子どもなんだから、そんなもんだと思います。



まあ、何にせよ、楽に生きている自分に、
人生における発言権はないと改めて思い知りました。
身近な人と接したからこそ、どれだけ無力か分かる・・・。
今すぐに生活を変えることは無理だけど(ここがクズですいません)
今後の糧にして、生きていく所存です。
何かを言うなら力が必要というのは、忘れてはいけませんね・・・・・・。
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