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2015年05月18日
★聖なる数字、不吉な数字を知る!5★
奇数の中で大吉なのが、7です。
よく「ラッキーセブン」といいますが
これは1930年代に、米大リーグのサンフランシスコ
ジャイアンツが何度となく、7回に奇跡的な逆転劇を
展開したことからくるもので、そんなに古いことでは
ありません。
にもかかわらず、「ラッキーセブン」が世界中に広まった
背景には、世界の多くの文化で「7」が吉数であることに
よります。
メソポタミア、エジプト、インド、ペルシア、ギリシア、
ケルト、スラブ、チュートン(ゲルマン民族のひとつ。
ドイツ、オランダ、スカンジナビアなどの諸民族)、
イスラムなど、枚挙にいとまがありません。
古代エジプトでは、7惑星(永遠の生命の象徴)
メソポタミアでは、7日ごとに変化する月相を表す数で
吉数として尊重されました。
医学の父、ヒポクラテスは
「7は隠れた効力で万物に生命を与え活動させる」
といったと伝えられています。
つづく・・
★聖なる数字、不吉な数字を知る!4★
現在、バレーボールや野球などのスポーツで
9人制が多く見られるのも、この伝統を受けついだ
と言われています。
一方、ユダヤでも腹痛の際、
腹に、「ヘブライの伝統で真実を表す」
9の字を書いて鎮めるという
民間療法がありました。
奇数重視は、西洋だけでなく
東洋でも見られます。
陰陽思想では
奇数を陽数として尊重し
偶数を陰数として嫌いました。
現在、日本で祝儀の際に
奇数枚のお札を渡すのは
そのためなのです。
イラン人とインド人に分化する前の
アーリア人の吉数も
3と7でした。
この伝統はペルシアや仏教にも受け継がれ
大聖釈尊ご降誕の際
四方に7歩ずつ歩かれ
「天上天下唯我独尊」
と言われたなどの説話に生きています。
つづく・・
2015年05月17日
★聖なる数字、不吉な数字を知る!3★
★聖なる数字、不吉な数字を知る!2★
古代ギリシアや、ローマでは、
3・9・12(ギリシアでは7も重視した)
が聖数とされました。
12は、バビロニアの素数の意味をかえて
伝統を受けついだものです。
生命をつかさどる神、アポロンや
ディオニュソスの祭礼は、
7と9の日に行ったといい、
広く地中海世界では、
7ヶ月か9ヶ月で生まれた子は成長し
8ヶ月で生まれた子は死ぬと信じられてきました。
古代ギリシア数学の祖、自然哲学者のピタゴラスが
唱えた
「万物は数量的に規定できるものの調和で成り立つ」
という思想は、その後のヨーロッパ諸国の
「数の吉凶」説に大きな影響を与えました。
ピタゴラス学派は特に奇数を尊重したので
現在の欧米諸国では、その伝統を受け継ぐことに
なったのです。
例をあげてみますと・・
つづく・・
3・9・12(ギリシアでは7も重視した)
が聖数とされました。
12は、バビロニアの素数の意味をかえて
伝統を受けついだものです。
生命をつかさどる神、アポロンや
ディオニュソスの祭礼は、
7と9の日に行ったといい、
広く地中海世界では、
7ヶ月か9ヶ月で生まれた子は成長し
8ヶ月で生まれた子は死ぬと信じられてきました。
古代ギリシア数学の祖、自然哲学者のピタゴラスが
唱えた
「万物は数量的に規定できるものの調和で成り立つ」
という思想は、その後のヨーロッパ諸国の
「数の吉凶」説に大きな影響を与えました。
ピタゴラス学派は特に奇数を尊重したので
現在の欧米諸国では、その伝統を受け継ぐことに
なったのです。
例をあげてみますと・・
つづく・・
★聖なる数字、不吉な数字をしる!1★
現代人の私たちが日常生活で使っている数字は
普通10進法です。
が、時間や角度に関しては、例外的に60を
基本とする60進法を使っています。
実はこれは、今から5000年前のメソポタミア
のシュメール人が使っていた数字を受け継いだ
ものなのです。
基本になる「60」は、多神教のシュメール人が
最高神としてあがめたアヌ神(天空の神)を
表していました。
おそらく、現存する最古の宗教でしょう。
そのシュメール文化を受けついだバビロニア人が
最も神聖としていた数字が、
60の4乗
つまり、 12960000です。
当時、吉数と言われていたのは
3・4・5・7・15
であり
忌数は
1・2・6・10・11・12・13
でした。
ちなみに、「60の4乗」を日数とした場合
一年を360日と考えると
3600年となります。
これは、後の天文学と占星学の基礎となりました。
つづく・・
★思念コントロールでパワーアップ!その2★
人生には「運」という、
われわれの努力や才能以外の要素が
非常に多く作用しています。
しかし、こうして考えてみると
幸運を招くにしても、不運に落ちるにしても、
自分の精神力をどれだけコントロールし
集中させていけるかどうか
が、成功、不成功の分かれ目になるのです!
まじないについてもまったく同じ事がいえます。
願望の持ち方と、その焦点の絞り方
そして、願望実現のための努力
を怠っては、
まじないの効果プラスアルファの超自然的な神秘の
エネルギーを得ることはできないのです。
逆にいうと
自分の精神的なパワーをフルに引き出したうえで
まじないを行うならば
そのまじないのエネルギーは増幅されて
強力に作用するのです!
「思念コントロール法」と「まじない」を
うまくドッキングさせて、あなたの人生に
運を引き入れ、積極的に生きていこうでは
ないですか!
われわれの努力や才能以外の要素が
非常に多く作用しています。
しかし、こうして考えてみると
幸運を招くにしても、不運に落ちるにしても、
自分の精神力をどれだけコントロールし
集中させていけるかどうか
が、成功、不成功の分かれ目になるのです!
まじないについてもまったく同じ事がいえます。
願望の持ち方と、その焦点の絞り方
そして、願望実現のための努力
を怠っては、
まじないの効果プラスアルファの超自然的な神秘の
エネルギーを得ることはできないのです。
逆にいうと
自分の精神的なパワーをフルに引き出したうえで
まじないを行うならば
そのまじないのエネルギーは増幅されて
強力に作用するのです!
「思念コントロール法」と「まじない」を
うまくドッキングさせて、あなたの人生に
運を引き入れ、積極的に生きていこうでは
ないですか!
★思念コントロール法でパワーアップ!★
「出世したい!」
という願望を持つとしましょう。
そうすると、あなたの精神力がその願望に
向けて、集中されていく過程で
あなたは
係長や課長の考え方や行動が
どのような判断から生み出されるものか、
推し量ろうとするでしょう。
そして、
自分がその係長や課長だったら
どう判断し、どう決断するのか、
想定してみるでしょう。
そうした思考が習慣化されれば、
あなたは人の上に立つ者の判断力や決断力を
無意識のうちに養成していることになるのです!
7つものポストを飛び越えて
一躍、社長のポストに大抜擢された
世界的家電メーカーM電機のS社長は
まったくこれと同じことを
出世のテクニックとして
話しています。
すなわち、
「サラリーマンたる者、自分のすぐ上の
ポストにいる者が、今何を考えているか
わからないようでは、出世はおぼつかない」
ということなのですね。
という願望を持つとしましょう。
そうすると、あなたの精神力がその願望に
向けて、集中されていく過程で
あなたは
係長や課長の考え方や行動が
どのような判断から生み出されるものか、
推し量ろうとするでしょう。
そして、
自分がその係長や課長だったら
どう判断し、どう決断するのか、
想定してみるでしょう。
そうした思考が習慣化されれば、
あなたは人の上に立つ者の判断力や決断力を
無意識のうちに養成していることになるのです!
7つものポストを飛び越えて
一躍、社長のポストに大抜擢された
世界的家電メーカーM電機のS社長は
まったくこれと同じことを
出世のテクニックとして
話しています。
すなわち、
「サラリーマンたる者、自分のすぐ上の
ポストにいる者が、今何を考えているか
わからないようでは、出世はおぼつかない」
ということなのですね。
2015年05月16日
★知性と理性をみがく!!★
人間には、どうしても・・
欲
うらみ
にくしみ
などがわいてきて、特に、他の人は
考えず、自己中心的な行動をしている
人には、
必要以上に、その心の中に「ほこり」が
たまっていくものです。
この「ほこり」は、霊界を上へ、上へと
昇っていくためには、大変邪魔なもの
なのです。
重すぎる船が、水中に沈没するように
重すぎる気球が砂袋を捨てないと
大空へと昇っていけないように、
魂が重いといつまでも上に昇っていけません。
「ほこり」を捨て去り、自らを浄化し、
軽くなってこそ、上へ上へと昇ることが
できるのです。
「ほこり」やゴミのついていない素直なもの、
自分の欲を忘れてしまうような軽やかな心
を持ち、
自分の心根にしばりつけたうらみが消え、
にくしみが薄れて
おたがいのふれあう心に感謝を覚えてくると・・
次第に、人は「無」に近づいてきます。
「ほこり」やゴミのつかない無になってこそ
軽い、波長の速い霊体となって、いわゆる
浄土へいくことができるのです。
ですから、私たちは、生きているうちから
綺麗な心を持って、毎日を送る必要が
あるのです。
肉体から生じる欲望というものは、大変に
強いものがあります。
私たちの心を左右するものに、
感情、理性、知性
とありますが、
知性と理性が感情に負けてしまうことが多々
あるのです。
ですから、そうならないように、知性と理性を
みがいていく必要があります。
欲
うらみ
にくしみ
などがわいてきて、特に、他の人は
考えず、自己中心的な行動をしている
人には、
必要以上に、その心の中に「ほこり」が
たまっていくものです。
この「ほこり」は、霊界を上へ、上へと
昇っていくためには、大変邪魔なもの
なのです。
重すぎる船が、水中に沈没するように
重すぎる気球が砂袋を捨てないと
大空へと昇っていけないように、
魂が重いといつまでも上に昇っていけません。
「ほこり」を捨て去り、自らを浄化し、
軽くなってこそ、上へ上へと昇ることが
できるのです。
「ほこり」やゴミのついていない素直なもの、
自分の欲を忘れてしまうような軽やかな心
を持ち、
自分の心根にしばりつけたうらみが消え、
にくしみが薄れて
おたがいのふれあう心に感謝を覚えてくると・・
次第に、人は「無」に近づいてきます。
「ほこり」やゴミのつかない無になってこそ
軽い、波長の速い霊体となって、いわゆる
浄土へいくことができるのです。
ですから、私たちは、生きているうちから
綺麗な心を持って、毎日を送る必要が
あるのです。
肉体から生じる欲望というものは、大変に
強いものがあります。
私たちの心を左右するものに、
感情、理性、知性
とありますが、
知性と理性が感情に負けてしまうことが多々
あるのです。
ですから、そうならないように、知性と理性を
みがいていく必要があります。
★理性こそ人間の証明★
しかし、どうしてもそれだけでは
解決できないものが、私たちの
心にあります。
それは・・・・
ラクをしたい!!
お金が欲しい!!
おいしいものを食べたい!!
きれいな服を着たい!!
などという欲や
人をうらみ
ねたむ心が、大なり小なりあるからです。
たとえば、ある時
大金をもったベロベロの酔っ払いが
あなたの前を通ったとしましょう。
それをいいことに、その大金を奪い取ったり
するようなことは、普通の人ならしない
ものです。
ところが、
「魔がさす」
ということも、時としてあります。
また、たとえ実行しないにしても、
頭の中を悪い考えがチラッと横切る場合も
あります。
しかし、そうした悪い考えや行動を
理性でおさえていくのが、人間です。
個人的な欲、うらみのせいで
「悪い考え」は後から後からわいてくる
ものですが、
それを理性で打ち消すことができるからこそ
人間であるといえるのです。
人間は、はたして、本当に子孫のためを思って
戦争をしたり、「豊かな暮らし」を願って、
自然界の生態のバランスを乱獲によって
くずしたりしているのでしょうか?
「ああ!これが人間か!」
というようなむごいこと、みにくいことを
毎日、新聞やテレビの画面で見ながら
わたしたちの感性はそれに慣れてしまい
どうしたわけか
よりショッキングな場面ばかりがマスコミに
もてはやされる始末です。
★大切にしたい心★
簡単なこと、わかりきっているよ!
と思われるかもしれませんが・・・
いつも胸の中に置いておきたいことです。
わたしたちが、この世の中で
人をねたんだり・・・
そしったり・・・
うらんだり・・・・
また差別することなく、赤ん坊のような
無邪気な心のままで、生きていくこと。
これは大変難しいことなのです。
人間は、どうしても自己中心的に
物事を考え、行動するものです。
それは、ある意味、仕方のないこと
なのかもしれません。
しかし、
生きていくためには、多くの人の手助けが
どうしても必要であることを、知っておく
ことが、大切です。
たとえば・・・
目が悪くて、めがねを作ってくれる人の
手助けが必要
反対にめがねを作っている人は
それを買ってくれる人がいないと
生計が立てられませんよね。
世の中というのは、そういうふうに
もちつもたれつ
でできています。
ですから、自分を生かし、助けてくれる人
たちと一緒に、感謝の念を持って生きていける
ようなあり方をしていく必要があります。
そのためには
何もイデオロギーのような難しいものは
必要とされません。
人の嫌がることをしてはいけない
とか
困っている人を見かけたら手助けしてあげよう
とか
顔を合わせたら、お互いにあいさつしよう
など、
よく言われる義理、人情、礼儀のようなもの
があれば、十分なはずです。
と思われるかもしれませんが・・・
いつも胸の中に置いておきたいことです。
わたしたちが、この世の中で
人をねたんだり・・・
そしったり・・・
うらんだり・・・・
また差別することなく、赤ん坊のような
無邪気な心のままで、生きていくこと。
これは大変難しいことなのです。
人間は、どうしても自己中心的に
物事を考え、行動するものです。
それは、ある意味、仕方のないこと
なのかもしれません。
しかし、
生きていくためには、多くの人の手助けが
どうしても必要であることを、知っておく
ことが、大切です。
たとえば・・・
目が悪くて、めがねを作ってくれる人の
手助けが必要
反対にめがねを作っている人は
それを買ってくれる人がいないと
生計が立てられませんよね。
世の中というのは、そういうふうに
もちつもたれつ
でできています。
ですから、自分を生かし、助けてくれる人
たちと一緒に、感謝の念を持って生きていける
ようなあり方をしていく必要があります。
そのためには
何もイデオロギーのような難しいものは
必要とされません。
人の嫌がることをしてはいけない
とか
困っている人を見かけたら手助けしてあげよう
とか
顔を合わせたら、お互いにあいさつしよう
など、
よく言われる義理、人情、礼儀のようなもの
があれば、十分なはずです。