藤村操という当時16歳の旧制一高学生が1903年5月22日に自殺。
現場は栃木県日光にある華厳滝。
これが彼の残した遺書。
ミズナラの木に彫られている。
後に警察によって削り取られたが、写真は残っていた。
巖頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。
哉・・・・・感嘆を表す終助詞「なんとーーだろう」
小軀・・・・小柄
藤村操(1886-1903)
悲観主義によってエリート学生が自殺したことには社会に衝撃を与え、後追い自殺を試みた者が後を絶たなかったよう。
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