1月25日は「お詫びの日」。
カノッサの屈辱
時は1077年頃。ローマ教皇グレゴリウス7世とローマ王ハインリヒ4世が聖職叙任権を巡り対立。
ハインリヒ4世はイタリア支配を目指して、教皇を無視して、ミラノ大司教などを任命。
ローマ教皇はハインリヒ4世の行為を非難。
ハインリヒ4世は教皇の廃位を宣言するも、教皇グレゴリウス7世はハインリヒの破門と王位の剥奪を宣言した。
これを聞いたドイツの諸侯たちはハインリヒ4世に反旗を翻し、彼が教皇に謝罪しないなら、後継が決まらなくても王位を空位にすると決議。
ハインリヒ4世は手詰まりになり、教皇に謝罪のための使節送るも拒絶されたため、自らが謝罪することになった。
1077年1月25日から3日間、ハインリヒ4世は雪が降る中、カノッサ城門にて裸足のまま祈りと断食を行った。
結果、教皇はハインリヒ4世の破門を解いた。
このことから1月25日はお詫びの日とされている。
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