1948年11月30日に、歌人の川田順が、弟子で元京都帝大教授・中川与之助夫人の鈴鹿俊子と家出をすることになった。
川田順氏 (1882-1966)
川田氏が「新古今集」研究を俊子氏に手伝ってもらううちに、恋仲に発展。
鈴鹿俊子氏は人妻でしたから、不倫ですかね。
最終的に川田氏は中川氏に別れることを約束しますが、それができず中川夫妻は1948年8月に離婚。
いたたまれなくなった川田氏は11月30日に家出して、翌日に自殺を図りますが一命をとりとめました。
ですが、この時に友人たちに遺書を送ったり、新聞社にも告白録を送っており、新聞報道され2人の関係が“老いらくの恋”として騒がれることになったのです。
1949年に川田氏と鈴鹿俊子氏は再婚します。
年の差27歳、親子ほどの年が離れた2人。
再婚時は川田氏67歳、鈴鹿俊子氏は40歳。
川田氏が俊子氏に贈った「恋の重荷」という歌の序文。
「若き日の恋は、はにかみて
おもて赤らめ、壮子時の
四十歳の恋は、世の中に
かれこれ心配れども、
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし。」
この一節から「老いらくの恋」と言われるようになりました。
言っちゃえば略奪婚ですし、現代でも相当スキャンダラスなこと。
当時でも相当騒がれたに違いないと思います。
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