教育隊は34普通科連隊の板妻駐屯地だ。
板妻とは、御殿場市にある。
東京生まれの東京育ちの私には、正に陸の孤島という感じだった。
高校生の頃、部活動で体躯会計だったので、体力には多少の自身が有ったが、走るのが得意では無かった。
富士山の近くの御殿場という土地は、私には富士山からの傾斜が続いているように思えた。つまり、傾いている様に感じるのだ。
毎朝6時に起床ラッパで目を覚まし、直ぐに点呼を行う。
板妻は新隊員の前期教育隊として配属されたのだ。
走ることに慣れていなかった私は、入隊後直ぐに怪我をした。
足首を捻って捻挫してしまったのだ。
新隊員は基本教練と戦闘訓練。
具体的には、基本教練では行進すること、戦闘訓練では偽装と突撃の野外訓練が主な訓練だった。
座学では、自衛官の心構えは64式の小銃の分解・結合を目隠しをして規定時間内に行う試験を受けさせられた。
体力の等級もあり、指定の等級に合格しなければならなかった。
腕立て伏せや腹筋、鉄棒の懸垂、屈み跳躍等は問題なく基準以上だった。
ただ、1500メートルを5分以内に走りきるのは苦手だった。
自衛隊では、武道の必修もある。
銃剣道と徒手格闘(日本憲法)だ。
新隊員の前期教育では、徒手格闘は型のみ、銃剣道もパンヤを木銃で刺突するだけだった。新隊員の前期教育の期間は約三ヶ月行われる。
前期教育隊では、本当に基本的な事しかやらなかった気がする。
教育隊で二ヶ月もすると、このまま板妻駐屯地で後期教育を受けるか、別の部隊に転属するかの希望を聞かれる。
私は特にこの駐屯地でも良いと思っていたが、教育隊長の推薦で別の部隊に転属する為の適性試験を受けることになった。
丸い円盤の矢印を自動車のハンドルのような物で避ける試験や、色盲の検査、身体検査のような事も行った。
前期教育が終わる5月の下旬に、試験の結果を教育対象から告げられた。
私は習志野駐屯地に転属になった。
6月に転属だ。
前期の教育中に、自衛隊では、北富士の演習場で総合火力演習というのを見学に行った。
3t半という幌付のトラックの荷台に数十人の新兵が乗って、北富士演習場まで行き、総合火力演習を見学に行った。
総合火力演習は一般の人は予約抽選でしか観ることが出来ない。
自衛官の親族は特別に翔太曰くがあった。
私は母と姉をその招待枠で呼んでいた。
新兵と言えど、自衛官の教育で見学できるのは良かった。
総合火力演習とは、自衛隊の保持する武器の実弾を使って行う模擬演習だ。
戦車や機関銃、無反動砲などの武器の実弾射撃は凄い。
川崎C-1と言う輸送機が上空を飛んで行った。
それから直ぐにヘリコプターが降りてきて、そこから自衛官が降りてきて小銃やロケットランチャーなどを打ちまくる。
暫くすると、先ほど上空を通過した川崎C-1から降下した落下傘を付けた自衛官が降ってきた。
陸自最精鋭の空挺団の登場だ。
ナント、空挺団は習志野駐屯地に居るそうだ。
そう、私は6月から落下傘で飛び降りる部隊に転属になったのだ。
高所恐怖症の私には、最も似合わない部隊だと、その時思い、後悔もした。
1980年6月21日、私は御殿場から習志野に向かって電車で移動をした。
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