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2024年10月18日

人類は数百年前まで現代人のような、人間はおかしな慣習から逃れられないという特徴は無かった

人類は数百年前まで現代人のような、人間はおかしな慣習から逃れられないという特徴は無かった。
日本でいえば江戸時代から昭和初期までの時代だ。
江戸時代は武士や公家以外は、基本的に結婚という制度は無かった。
明治維新というユダヤ資本のクーデターで徳川幕府は大政奉還をして明治政府というクーデター政権に変わった。
学校の歴史では教わらないが、この時に都市と言われた江戸庶民の多くが餓死した様である。
勝海舟という裏切り者が無血開城などと言われているが、庶民の年金を西郷軍に差し出した結果が無血開城である。
結果、庶民は今で言う年金を奪われ、多くの庶民が貧困による死者が出たようだ。
明治以降、日本人は極貧の状態になった。
不思議なのは、西郷軍は勝海舟から受け取った莫大な資金を何処にやったのだろうと言うことだ。
明治政府には渡っていないと私は勝手に思っている。
恐らく、ユダヤマネーに吸い上げられたと思われる。



しかし、極貧生活に鉈にも関わらず、現代社会よりも秩序が守られ、人間らしい生き方が出来ていたのか?
何故、我我は江戸時代や明治、大正、昭和初期よりも、生活に於ける利便性が高まったにも関わらず、社会的に問題を感じるのか?
私は、1947年の世界大戦後に出来上がった統一国家(国連)という組織が大きく影響していると考えている。
1948年の人権宣言以降、世界中の地域の秩序が壊されていった。
一番の問題は、人間から産まれた生き物は人間とする事。
更に人間は生きる権利を持っていると、勝手に決めつけた事だ。
人間は人間から産まれたから人間になれるわけではない。
産まれた地域の秩序に従って成長して始めて人間として認められるのだ。
だから、世界中に成人と認められる儀式が存在していた。
統一国家(国連)は先の大戦の戦勝国である。
この戦勝国のサロンは、思考感染の実験として、人権思想を世界中の人類で実験を始めたのだ。



1948年から20年も経たぬうちに、世界中で人権宣言の影響で今までなかった事が起き始めた。
恋愛結婚である。
恋愛結婚の問題は、地球上の各地域で育んできた地域の風習や秩序を破壊した。
結婚は本人同士の好みの問題では無い。
産まれた場所の生活水準、民度の釣り合う相手と結婚させると言う事が本来の在り方なのだ。
これは不思議と世界のどの地域でも同じような仕組みで婚姻が行われていた。
現代はどうか?
自由恋愛が始まって直ぐに離婚の増加という問題が顕在化された。
理由は正に生活水準と民度の差が価値観という言葉に変わって合わないという理由になった。
価値観が違う即ち育ちの違いなのだ。
また、人権宣言で、人間から産まれた生き物は総て人間で在り、生きる権利があるというおかしな理屈を標準的な思想と思想感染をさせた。
結果、心身障害の生き物まで、健康な人間と交わり、劣勢の人間ももどきが跋扈する世界になってしまった。
人権思想は統一国家(国連)の思想感染の実験だと私は感じている。



そして1980年代には超長期世界人口推移等という2150年までの計画を作成している。
世界の人々は気付いていないようだが、1700年代の産業革命以降、人口爆発は起こっている。
1940年代から1980年代までの40年間で、世界の総人口は倍増以上に増加していた。
しかし、1980年代から2024年までの現在まで、世界の総人口は倍増していない。
特に1990年代以降は世界中でワクチンなどの接種が強制されるなどが起こっている。
戦争は先の大戦ほどの規模の戦争は現在の処、起きていない。
だが、それ以上の死者が明らかに出ているはずなのだ。
医療機関による高齢者の棚卸し。
ワクチン接種による避妊者の増加。
食品の薬物・遺伝子操作による人体への影響による癌の発症。
1990年代まで癌の発症率は現在のような50%になどなっていなかった。
私は、人権宣言という思想感染の実験で人類が無節操に繁殖し殖えすぎたと、1980年代に統一国家(国連)は判断したのだ。
そして、人口抑制政策をWHOという組織に実行させたのだ。
その一つがワクチンだ。
ワクチンは国阿を実証することが出来ない医薬品である。
接種して対象の感染症が発症しなければ降下が出たと言い、発症すれば感染症が変異したと勝手な理屈を付ける。
製薬会社の降下を示す割合も、出鱈目な数値である。
何より、降下の有無を検証できない医療薬品なんだから、製薬会社のやりたい放題なのだ。1980年代から40年で本当なら、現在は100億人以上の人口爆発が起こっている筈である。
単純に20億人の人間が棚卸しされてきたという事になる。
若しかしたら、私が女性を忌み嫌う理由も、本能的に現代の人間種に正常な人間が居ないと感じたからなのかも知れない。
まあ、人間種は滅びることは間違いなさそうだ。
私は勝手にそう思っている。


今度の衆議院選挙は、自民党、公明党がかなり議席を減らすと予想する報道が多い

今度の衆議院選挙は、自民党、公明党がかなり議席を減らすと予想する報道が多い。
私は、人間はおかしな慣習から逃れられないという特徴が有ると思うので、自公政権は続くと考えている。
正直、自民党、公明党、立憲民主党、国民民主党、参政党、共産党などは自民党の二軍だと考えている。
特に問題と考えるのは、これ等の政党は総て、支援団体に統一教会が絡んでいるという噂が有ることだ。



れいわ新撰組くらいしかまともな見識を持っている政党は皆無だ。
そのれいわ新撰組も公認候補をそんなに出せない。
政権交代はまだまだ先の話しになりそうだ。


日本では国連と呼んでいる組織、正式名称は統一国家という

日本では国連と呼んでいる組織、正式名称は統一国家という。
統一教会に統一国家(国連)、実に似ている名称だ。
統一教会が日本で勢力を付け始めたのは、戦後である。
統一国家(国連)が出来た時とほぼ同じだ。
統一国家(国連)が日本で統一教会という宗教団体での思想感染の実験、及び日本国の改造の実験を行った事は間違いない。
こうした地域の文化や秩序を破壊する統一国家(国連)の実験は世界中で行われている。



最近はウクライナやパレスチナへのテロ行為で、イスラエルと言うテロ組織とユダヤ人に注目がされている。
パレスチナ人を虐殺するイスラエルの目的は、ガザ沖にあるガス田だと言われている。
パレスチナはこのガス田やアメリカが盗んだ油田などを取り返せば、豊かな国家になれる。だが、アメリカがイスラエルを国家として認めない。
アメリカはイスラエルの飼い犬だ。
最近ではUE、NATO加盟国もイスラエルの犬に成り下がっている。
ウクライナはロシアに侵攻されたと西側諸国では伝えている。
NATO拡大の犠牲になっているというのが、本当だろう。
ウクライナの独裁者になっているゼレンスキー大統領はユダヤ人だそうだ。
ウクライナの殆どの男は最前線に送られ、生還できない戦争に参加させられた。
こうして人の居なくなったウクライナでは、何が起こっているのか?
ユダヤ人が大量に入り込んでいるのだ。
ロシアとの戦争も2014年にユダヤ人系のウクライナ国民が内戦の様な事を仕掛けてロシア系のウクライナ人を虐殺するにまで至ったのだ。
これを阻止する為に、ロシアは軍事介入をした。
それが事実である様だ。



今年、フランスで行われたオリンピックの開会式の世界宗教への冒涜は目に余る行為だった。
そしてフランス、イギリス等の西側諸国の大半は、イスラエルのパレスチナ人への虐殺を指示している。
その証拠に、SNSでパレスチナ人の虐殺を批判すると、日本も含め西側諸国では問題視される。
イギリスやアメリカなどでは逮捕もされる。
2020年以のコロナ禍以降、統一国家(国連)は本性を現した。
世界中の人間をワクチンで支配しようとしている。
具体的には、2020年以降に新型コロナウィルスワクチンと言われるモノを接種した人間は、3年か5年で死亡させると言う計画だ。
ここ数年で著名人の死亡報告が顕在化している。
不思議に病名などを伏せる報道も目立つ。
統一国家(国連)の超長期世界人口推移では、2020年から2025年までが人口増加率が減少する予定になっている。
その事を知らない統一国家(国連)常任理事国はない。
特にロシア、中国は反発しているはずだ。



BRICSという新たな国家組織が経済・安全保障で勢力を拡大している。
地政学的に日本、韓国はNATO(北大西洋条約機構)などではなく、BRICSに加盟するべきなのだろう。
日本の明治維新は、ユダヤマネーで薩長の愚連隊政権が徳川幕府を倒したという話しがある。
アメリカはペリー来航時に、日本を100年掛けて属国化する事を決めていたようだ。
その影にはユダヤ人の悪魔の計画が合ったのかも知れない。
イギリスやフランスの医療界はジェンナーという狂人が牛痘という悪魔の儀式を医療と言い張り、フランスのパスツールがワクチンと命名したが、パスツール自身晩年にワクチンの効果を疑問視していたようだ。
ユダヤ人の悪魔の計画を阻止するには、アメリカというイスラエルの犬との決別しかない。


私は子孫を残す事は大変な罪だと考えている

私は子孫を残す事は大変な罪だと考えている。
この考えは、子供の頃から少しづつ、理論立ててきた。
子供の頃は語彙が無かったので、感覚的に女という存在に疑問と不満を持っていた。
何故、女は子供の頃から優遇されるのか?
不思議で相方が無かった。
理由は、子供を産むというだけの理由だ。
我我男は、理屈抜きで女と性交する事を宿命付けられている。
快楽もあるが、本能の働きで興奮させられるのだ。
抗えない誘惑というより、排泄行為だ。
子供の遺伝子の割合は、男性が多くて30%程度、女性は70%から80%の割合で引き継がれるらしい。
自分の遺伝子が含まれて居るとしても、二割程度で自分の子供と言えるのだろうか?



托卵という言葉がある。
全く種族の違う鳥の巣に自分の卵を産み付け、産み付けた鳥の種族よりも早く羽化して、他の卵を巣の外に押し出し、親鳥に世話をさせる。
正に人間の父親は、托卵をされた親鳥のようにしか思えないのだ。
つまり、男性は自分の子供の要素の少ない子供を、汗水垂らして育てていることになる。
こうした社会の生き物は、私は滅ぶのだろうと考える。
そもそも、人間はおかしな慣習から逃れられないという特徴が有る。
其れは社会性なのか、人間社会という中での秩序維持の刷り込みなのか、とにかくおかしな事だと、私は最近、言葉として表現できるようになった。


2024年10月17日

真偽の程は定かではないが

落下傘整備中隊の中隊長ドライバーの仕事は特にない。
演習時に中隊長の移動をお手伝いし、身辺のお世話をする係のようなモノだ。
冬なのだが、もの凄く雨の降っている時に富士の演習場で検閲があった。
その時はドライバーという係は有り難いと思った。
ジープに乗っているので、雨風に晒されることはない。
但し面倒なのは、宿舎に到着すると、中隊長の身辺のお世話をしなければならない。
特に小姑のような専任陸曹が、私の行動を細かく指摘する。
指摘というのは、小言であったり体罰であったりだ。
検閲後に私は中隊長のドライバーは免除された。
向いていないと思われたのだろう。





それでも、大型免許持ちの私は、毎月上番する駐屯地警備の車両担当として勤務することになった。
駐屯地警備とは、駐屯地の門の脇にある隊舎に、各部隊から毎日交替で駐屯地の警備にあたる隊員を指す。
朝8時だったか、他の中隊の隊員から引き継ぎを受けて、24時間の警備に当たる。
駐屯地の警備は駐屯地の縄線と言われる警備用の線に沿って歩哨が歩いて警備する。
門を通過する人を掌握し、訪問者があれば、それに対応する。
一番の任務は、駐屯地司令である陸将補が門を通過するときに、隊舎の全員が捧筒をする時だ。
駐屯地司令付の人から警備隊に連絡が入り、成田街道に歩哨が立つ。
駐屯地司令の自動車が見えたら、警備隊長に報告し、整列。
これが上手く行かないと、下番した後に警備隊長以下が厳しく原隊の中隊長に指導を受けるのだ。





ドライバーの私は食事の受け取りなどで整列しないことが多かった。
ドライバーになる前は、私も歩哨に立って駐屯地の周りを歩かされた。
日中も退屈なのだが、陽が落ちて真っ暗になると、先輩隊員のお遊びTimeが始まる。
トイレットペーパーを投げて脅かしたりするのだ。
最初は驚くが、慣れてしまうと、今度は驚く演技が面倒になる。
歩哨も一日3,4回就くので、景色を覚えてしまう。
先輩隊員の隠れている場所など、直ぐに検討が就いてしまう。
警備隊は二カ所に別れて詰め所がある。
陸士長以上の先輩隊員は、武器庫警備の詰め所に気淫夢する事が多くなる。
武器庫は土手のように土が盛ってあり、その中に詰め所がある。
こちらでも2時間周期に交替で歩哨に立つ。
男ばかりの世界である。
歩哨に立った隊員がトイレに入ってなかなか出てこない。
何をしているのか?
そう、自慰行為をしていることも珍しくはないのだ。
私はドライバーとして警備隊に勤務すると、最初の仕事は飯あげだ。
つまり、量飾版から昼食、夕食、朝食を小型の牽引車で運搬するのだ。
正門前の詰め所と武器庫の詰め所にジープで回って届ける。
飯上げ以外の時間は、演習場の巡回だ。
真夜中に演習場に入り込んでくる民間人が居ないかを警備しているのだ。
当時、成田街道には千葉の田舎の暴走族が幾つか存在していた。
こんな話を聞いたことがある。
暴走族が数十台のバイクで駐屯地内に入り込んで駐屯地内で暴走したそうだ。
警備隊から非常呼集のラッパが鳴り、蜂の巣を突いた様に木銃を持った隊員が集まってくる。
正門は警備隊が鎖と門で族を逃がさない。
暴走族なんて空挺団の隊員から見ると正に子供。
流石に殴る蹴るは加減をしたが、数人の愚か者を引っ捕らえた。
真偽の程は定かではないが、警備にその族の処遇が任されたそうで、3トン半にバイクと族数名を乗せて、演習場まで連れて行ったそうだ。
そして素っ裸にして逆さづりにして暫く眺めていたそうだ。
族の陰部はチジミ上がり、しかも包茎だったらしい。
私もその現場に立ち会いたかったと、当時は思ったモノだ。
8時に別の中隊の警備の隊員が来て、引き継ぎを行う。
下番した私はジープを洗車して営内でゆっくりと睡眠だ。
11時頃に起床して、食堂で昼食を摂って午後は補給整備の御仕事に戻った。



2024年10月16日

今月から郵便料金が値上げされた

今月から郵便料金が値上げされた。
また、自宅から一番近い郵便局の営業時間が来月5日から変更になるそうだ。
郵便事業は既に経費節減の為に土日の配達業務を行っていない。
郵便局には郵便事業と貯金・保険事業がある。
郵便事業は平日9時から17時まで。
貯金・保険事業は9じから16時までらしい。
しかし、11月5日からは12時から13時までの一時間は休止時間となるようだ。
昼休みの時間帯に休止時間とするのはいかがな物かと思う。
一般の企業も12時から13時までがお昼休みだ。
普通、その時間帯に私的な郵便などを行うのだが、その時間帯に業務を休止するらしい。
正直、そんなサービス業は淘汰されて当然に思った。





11月に年賀葉書が発売されるが、今年で年賀終いにする人が殖えるのは当然の流れだ。
私も今年で年賀葉書は終いにする予定だ。
年賀葉書にシールでメールアドレスや自分のサイト、SNSなどのQRコードを印刷しようかと考えている。
今のExcelなどでは住所やサイトのアドレスをQRコードに変換する事が出来るみたいだ。
年賀状も値上がりして企業も慣行廃止する状況で、ますます郵便事業は衰退するだろう。
今でもスマートホンのアプリでは話すだけでテキストが出来てしまう。
もう、紙媒体での通信は不要な時代なのかも知れない。



自訓は朝が早い

自訓は朝が早い。
8時には演習場内の自動車訓練場に入っていなければならない。
駐屯地から演習場までは専用のトラックで移動する。
季節は1月だ。
習志野の冬は東京よりも寒い。
自訓には習志野駐屯地の隊員だけが訓練に参加するわけではない。
松戸の補給隊の陸曹も参加している。
初日に班分けがされ、松戸の陸曹も私と同じ班になった。
習志野の駐屯地では、階級意識が異常に強く、序列も一日入隊日が速ければ先輩である。
しかし、他所の部隊の場合はかなり緩いらしい。
直ぐに打ち解けて、仲良くなれた。





自訓の訓練は座学と自動車教習になる。
特に体力を使う事は無いはずだが、やはり自衛隊である。
何か教官の気に入らないことがあると、鉄拳が飛んでくるし鞭で打たれる。
自衛隊で大型のトラックを運転するために、教習車を使うのだが、ギアチェンジの練習やダブルクラッチの練習は、最初は教習車では無くゴーカートのような座席とハンドルとギアチェンジレバー、ブレーキとアクセル、クラッチの付いた練習機で訓練をする。
自訓のトラックはかなり新しい自動車なので、クラッチの操作でダブルクラッチなど必要ない。
しかし、自衛隊の中にはかなりの年代物があり、ダブルクラッチをしないとギアが入らない物もあるらしい。
私の場合、自動車の運転自体が初めてなので、とにかく覚えることばかりだ。
最初の一ヶ月近くは教習所内のコースの中を走る。
一般の教習所と全く変わりはないと思うのだ。
S字カーブやクランク、坂道発進などが出来るようになるまで繰り返す。
ただ繰り返すだけでは無く、失敗すると鉄建や鞭が飛んでくるのだ。
ある程度慣れてくると、訓練生のみで教習所のコースを走り、自己練習を繰り返す。
路上に出る前に、試験がある。
私は何とか一発でこの試験に合格できた。
しかし、私は大型の車の車幅に慣れるにはもう少し時間が必要だったと思う。
路上訓練はどこの班も訓練生は鼻に詰め物をして帰ってくる。
中には路上から演習場の教習コースまで走って帰ってくる隊員もいた。
私も教官の裏拳で何度も鼻に詰め物をして帰ってきた口だ。
路上の訓練ももうすぐ終わりになる時期、狭い成田街道を走っている時に私は宴席にタイヤを擦ってしまった。
脱輪だ。
すかさず教官はハンドルを奪い、正常な進路に戻すと裏拳が飛んできた。
見極めの試験で無かったが、かなり厳しく叱られた。
そんなこんなで路上の見極めにも一度で合格できた。
後は筆記試験だけだった。





座学は毎日行われていた。
自動車教習の教範は一般と同じだ。
毎日読み込んで、ほぼ暗記状態だった。
筆記試験は千葉の警察署に行って受けるのだが、私はかなり余裕で満点合格だった。
大型免許は18歳で普通免許を取得してから3年後に受験資格が出来る。
最短21歳で大型免許を取得できるのだが、自衛隊は18歳でも取得可能なのだ。
そして、私は19歳で大型免許を手にした。
しかし、隊員の中には合格できない隊員もいた。
最初に仲良くなれた松戸の陸曹もその一人で、結局三回も筆記試験を受けていた。
早い物で、三ヶ月にわたる自動車教習訓練も終わった。
最終日には津田沼の飲み屋でで教官も含めて宴会を行った。
原隊に戻った私は、補給整備士の教育を受けながら、先輩隊員から部隊のトラックの運転の教育を受けた。
そして、6月に中隊長のドライバーに上番する事になった。
中隊長社はジープだ。



2024年10月15日

私は原隊に戻った

私は原隊に戻った。
私は落下傘整備中隊に配属されていた。
当時、落下傘整備中隊には、包装小隊、補給整備小隊、重物降下小隊の三つがあった。
新隊員は最初は包装小隊で落下傘のパッキング、包装を習得する。
こうした部隊毎の特殊な技術をMOSと言い、MOS訓練を約一ヶ月で習得する。
包装小隊でのMOS教育は、60式落下傘と60式改落下傘の放送技術を学ぶ。
どちらの落下傘も大きさは同じだ。
張索の数も一緒、ただ違うのは、傘体の一部にスリット(風が抜ける穴)が空いていることと、傘体の縁にネットが付けられていることだ。
空挺団の落下傘は、演習などで使用された後に、補給整備招待が演習場から落下傘を改修する。
改修された落下傘は、乾燥塔という場所に吊されて濡れている落下傘を乾燥させる。
そして傘体に入り込んだゴミ(演習場に生えている草木など)を取り除き、破れなどの損傷を確認する。
これは補給整備招待の仕事だ。
そして問題が無い落下傘を包装小隊の作業場所に置く。
包装小隊は、落下傘を手中通りに包装(パッキング)するのだ。
包装された落下傘は倉庫の棚に格納され、訓練校かで配布するまで保管される。
包装された期日と誰が包装したかを落下傘に付帯している履歴簿に記載される。
落下傘は包装されてから三ヶ月か半年で使用期限を迎え、使われなかった落下傘は再点検、再包装される。
落下傘の材質は総てナイロンだが、湿気は厳禁で火気も厳禁である。





落下傘の包装は、梱包台と呼ばれる長い台の上で行われた。
落下傘を縦に伸ばせる長さの台だ。
伸びきった落下傘を張索を一本一本落下傘に空気を入れるようにして畳む。
そして畳まれた落下傘を蛇腹状に装着帯に押し込んで行く。
特定の力が加わると切れる紐で落下傘結びで梱包部分を閉じる。
装着帯の肩部離脱器などの動作確認を行い、履歴簿に日付と名前を記入して、検査係の陸曹に報告する。
このパッキングが疎かになると、重大な事故に繫がるので、包装工場内の空気はいつもピリピリしている。
私はMOS教育の最中に何度も教育係の陸曹に殴られた。
緊張が足りないとのことだった。
包装小隊で三ヶ月ほどして、私は自動車訓練教育隊に教育訓練に行かされた。
包装小隊から補給整備小隊に転属するためだ。





補給整備小隊では、落下傘の配布・回収でトラックの運転をしなければならないので、運転免許を必要とするのだ。
習志野駐屯地の自動車訓練教育隊は習志野の演習場内に
ある。
通称自訓だ。
そこでは、三ヶ月で大型免許を取得する事が求められる。
私は原付免許すら持っていない。
それがいきなり大型免許を、それも三ヶ月で取得しなければならない。
陸上自衛隊の一任期は2年だ。
免許取得目的で入隊する人も居るらしいが、一任期目で自訓に通えるひつは少ないそうだ。私は勤務先が落下傘整備工場から演習場内の自動車訓練場に変わった。



2024年10月14日

胸には銀の空挺記章を付けていた

空挺教育隊は、通称馬小屋と呼ばれる隊舎にある。
空挺教育隊の科目は私が知っているのは、基本降下訓練、自由降下訓練、レンジャー訓練の三つだ。
基本降下訓練は、落下傘を自動開傘させる為の自動索の付いた落下傘で、輸送機やヘリコプターなどから降下する為の訓練を行う。
自由降下訓練は、フリーフォールと呼ばれるモノで、高高度の飛行機やヘリコプター等から降下して、高度計を見て自己判断で開傘して地上に降りる訓練だ。
レンジャー訓練は、各種想定の任務を完遂する訓練だ。





基本降下訓練は、地上訓練と効果等訓練、飛び出し塔訓練、実機からの降下訓練などがある。
また、空挺団特有の体力検定に合格しなければならない。
屈み跳躍(教官が屈んだ姿勢と跳躍した時の姿勢を見て、納得しないとカウントにはならない)75回だったか、1分以内に終了させるとか、鉄棒での懸垂(胸まで身体を持ち上げるのだが、教官が見て納得しないとカウントにならない)を20回以上行うとか、腕立て伏せ(教官が地面と隊員の間に手を入れて、教官が認めた回数だけをカウント)を50回だったかを行うとか、かなりキツい項目に合格しなければならない。
体力検定は基本降下訓練の間に何回か行われるが、基本的に一回目の検定では合格しない。地上訓練の基本は体力の増強だ。
また、地上訓練で着地方法を徹底的に行う。
降下して地上に接地したときの受け身の練習だ。
両足を揃えてつま先、体側部を接地させる様に脛、大腿部、臀部、体側部、最後に両足が浮き上がるようにして倒れ込む。
とにかく、この受け身を徹底的に行う。
次に落下傘の制御動作の訓練。
落下傘の装着帯を付けて、訓練用の器具に吊される。
そして腕力のみで、空中姿勢を想定して操縦索を引く。
教官がどの操縦索を引っ張るのかを指示する。
この訓練は腕力が無いと全く出来ない。
空挺降下は、当時は川崎C-1と言う輸送機で行われていた。
その輸送機から飛び出す事を想定した訓練が飛び出し塔訓練だ。
人間が一番恐怖を感じる11メートルの高さに飛び出しの設備が作られている。
高さを感じさせる為か、直ぐ側に杉の木が植えてある。
飛び出し塔の訓練は、飛び出す時の姿勢を見られる。
飛び出した後は、滑車で滑りながら着地点まで行く。
私は高所恐怖症だったので、飛び出し姿勢が悪く、お化けなどと言われて、他の隊員より多く、訓練が出来た。





実降下の前に、降下塔訓練がある。
80メートルの高さまで落下傘を開いた状態でつり上げられて、落下傘で降下する訓練だ。
飛び出し塔も怖かったが、降下塔の訓練も怖かった。
私は二階くらいしか体験しなかったが、吊り上げられて落下傘で降りる途中、下から教官が指示を出して来るので、それに従って落下傘を操作する。
そして、着地するときの受け身がキチンと出来ていないと、やり直しだ。
降下塔の訓練が終わると、最後は実降下訓練だ。
実降下は最初は何も持たずに降下をする。
合計3回か5回の降下をする。
だんだん装備を増やして行き、最後は重武装で実降下訓練を行う。
降下した後は、演習場で突撃演習を行い、部隊に帰る。
空挺団では、最後の基本降下訓練が終わると、駐屯地の部隊全体で祝福する。
駐屯地司令に敬礼して訓練は終了する。
実降下訓練の前日、教官は我我に8o映像を見せてくれる。
其れは、米軍の空挺部隊が降下に失敗して死んでしまうような映像だった。
落下傘が開かずに地面にめり込んでしまった米兵を、スコップを担いで掘り出しに行く。
落ちた米兵は、足が胴体にめり込んで瀕死の状態だ。
明日、初降下の新隊員には恐怖を倍増させる映像だ。
私は基本降下訓練を終えて、晴れて空挺隊員になった。
胸には銀の空挺記章を付けていた。



2024年10月13日

AccessでデータをImportする方法

AccessでデータをImportする方法は、Access事態の機能で行うことが可能である。
EUC(エンド・ユーザー・コンピューティング)でシステム化を行う場合、いきなり総てを作り上げるような計画は立てない方が良い。
先ずは、必要な事で、簡単に作成できる事から始めると良い。
例えば、ExcelやCSVファイルなどのデータの取込は、最初はマニュアルで行って居るかも知れない。
其れを少しでも自動化するならば、Macroの作成から始めると良い。
Macroとは、Accessのオブジェクトの一つで、処理を自動化する方法の一つだ。
VBAの様なコードを書かずに大抵の処理を行うことが出来る。
私も最初はMacroから始めた。
Importするファイルが決められたフォルダに格納され、データ事態のフォーマットも固定の場合は、Macroで自動的にImportすることが可能だ。
Macroには、データの抽出をするQueryの操作も出来る。
Importしたデータをデータ処理することも可能なのだ。



Macroは処理手中に沿って、処理を記載して行く。
実は、この形式のMacroはExcelにも存在する。
マッキントッシュ時代のExcelには、VBAでは無くMacroで処理を自動化していた。
Versionで言えば、Excel4.0である。
WindowsにExcelが入ってきたのは、Lotus1-2-3に対抗するためである。
VersionではExcel5.0である。
WindowsにExcelが入ってきて、Excelの自動処理はMacroはVBAに移行した。
しかし、Macroの作成機能は残っており、Excel97辺りまでマクロの作成が出来たのでは?
と記憶している。
Excel5.0からピボットテーブルという回転計算機能も新たに搭載された。
このピボットテーブルは、集計作業が簡単にできる優れものとして、重宝された。
因みに、Accessは日本に入ってきたのは1990年辺りからで、Versionは2.0からだ。
16ビットのAT互換機でデスクトップ型のデータベースは、正直、かなり力不足のソフトウェアだった。
Accessが一般業務で使える様になったのは、Access2000からだろう。
32ビットOSに対応したデスクトップデータベースは、ファイル共有型のデータベースとして可能性を広げていた。
私が本格的にAccessを使い始めたのも、Access2000からである。



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サダー・パリブータ
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