2016年06月15日
吉良上野介の「すけ」の謎
殿中でござる!
殿中でござる!
忠臣蔵で有名な、松の廊下のワンシーン。
(画像引用 www.aojc.co.jp)
襲撃されたのは、
吉良上野介義央
(きらこうずけのすけよしひさ)。
吉良家は名家。
義央自身の官位も従四位下というハイランク。
ですので本来は
「上野守(こうずけのかみ)」
に任じられるべき人物です。
ちなみに
「守」はその国の国守ランク、
「介」はその一つ下のランクです。
実際、義央の父親は
吉良若狭守義冬
(きらわかさのかみよしふゆ)。
同じ家格の父親は「守」なのになぜ、吉良義央は
吉良上野守
(きらこうずけのかみ)
ではなく
吉良上野介
(きらこうずけのすけ)
なのでしょうか?
これにはちゃんと理由があります。
実は、66ある旧国名(令制国)のうち
「守の存在しない国」が三つ存在する
のです。
具体的には
上総(かずさ)
上野(こうずけ)
常陸(ひたち)。
これらの国々には
上総守、上野守、常陸守が任じられません。
かわりに
上総太守、上野太守、常陸太守
が任じられることになっていました。
これらの国々を
新王任国(しんのうにんごく)
と呼びます。
太守に任じられるのは天皇の皇子で、
このシステムは西暦826年に始まり、
平安時代を通じて維持されます。
ちなみに、
「皇子が太守に任じられる」といっても形式上のことで、
実際に任地に赴くことはありません。
任地に行くのは親王以外の実力者。
彼らが「上総介」・「上野介」・「常陸介」となって
現地で実務を担当するわけです。
つまり、この三カ国に関しては
「介」が「守」と同等の職務を担っていた、
という事になります。
平安時代以降もこの慣例は続きます。
官位としての「〜守」だけが存続する時代になっても
基本的に「上総守」・「上野守」・「常陸守」が
任じられることはありませんでした。
ちなみにもう一人、
「守」ではなく「介」を称した有名な武将がいます。
この人です。
(画像引用 Wikipedia)
織田信長さんです。
もともとの名乗りは
織田上総介信長
(おだかずさのすけのぶなが)。
まあ伝統や風習を好まないこの人に関しては、
官位などあまり意味がないような気もしますが・・・・。
ともかく、この三つの国は
語呂合わせで覚えておきましょう。
「上総」「上野」「常陸」なので
「上!上!」「ひ〜、太刀!」
ひ〜!斬らないで!
殿中でござる!殿中でござる!
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