2018年12月10日
貴乃花親方辞職事件の真実B
大相撲は記録で測るものではないと思います。平成の大横綱貴乃花の全身全霊の相撲道は美しく強かったです。静かに立ち上がる、自分から仕掛けない、一旦全部受け止める、恐れいりました、第65代横綱貴乃花は、永遠に色あせることなく、永遠にヒーローです
貴乃花親方の言動による『不注意』が、高野利雄危機管理委員長による『忠実義務違反』との見解で『情報操作』され、いつのまにか被害者の貴ノ岩や貴乃花親方が悪者になってしまった横綱日馬富士暴行事件から1年…
日本の宝『第65代横綱貴乃花』が公益財団法人日本相撲協会を去りました
相撲協会や記者クラブやマスメディアのような『ムラ社会』は盲目的に『病』に侵されてしまっています『ムラ社会という病』を治療しなければパワーハラスメントやイジメはなくなりませんが自由民主主義国家であるはずの日本には『ムラ社会という病』を根治する薬はないようです…
法治国家に暮らす国民として、優先されるローカルルールが腑に落ちない『横綱日馬富士暴行事件』でしたが、腹落ちする文献です
【2018年10月11日NETIB-NEWS青沼隆郎】
【青沼隆郎の法律講座 第16回】
貴乃花親方辞職事件の真実B
【近代スポーツとしての大相撲の矛盾と相撲道精神】
大相撲には近代スポーツの個人格闘技としての致命的欠陥がある。それは体重別階級がないことである。結果、相撲部屋に入門した力士志望者は勝利のためには技術や体力の鍛錬に加えて、体重自体の増量に励まなければならない。これは運動生理学にも反し、内臓疾患や代謝異常の重篤な疾病の原因となるが、なによりも衝突時の物理量を増大させ、その衝撃の結果発生する負傷・身体損傷を重篤化させる
横綱を張るほどの力士であっても、再起不能に近い身体損傷を受けた直近の実例が横綱稀勢の里負傷事件である
大相撲のかかる実態は、大相撲力士志望の子ども自体にもすでに制限があり、体躯そのものが、まず人並み以上のものである必要がある。子どもの入門レベルですでに国民的スポーツという範疇にない。これは必然的に「日本人」の入門者の減少と、それを補う外国出身者の入門という現象になる。潤沢な収入が見込まれれば、それは一層加速される
大相撲はもともと伝統的には神事の一環として伝承されてきた面があり、それが近代スポーツへと発展してきたものであり、純粋に公平公正に個人の力量を競うという面は最近になって意識されてきたに過ぎない
この力士としての矛盾に最も苦悩したのが貴乃花親方であることは間違いない。親方はその力士としての全盛期に怪我による引退を余儀なくされた。これは自分自身の人生にとっても衝撃的なことであるが、何よりも同じ運命が待ち構えている後輩力士たちにとってもつらい厳しい運命であると、誰よりも親方は理解した。この厳しい運命を克服する道が、日頃肉体の鍛錬の際の精神的な拠り所であった相撲道の確立であった
不可避的な身体の損傷・負傷を最小限にするためにも強い精神力の存在が不可欠との信念に達したのである。緩慢な精神での格闘技は必ず、重篤な身体損傷を招く、との経験的知見から、親方は弟子の運命を護るためにも相撲道精神の確立の必要性を強く意識した
しかし、この弟子を護るための相撲道の精神が、弟子を守らなければならない親方衆に一番欠けているという現実があり、かくして、貴乃花親方は従来の「しきたり」に反して理事の道を志し、結果として保守的抵抗勢力との闘いを余儀なくされた
一連の事件報道において、この相撲道の精神について、貴乃花親方の姿勢には一貫した相撲道の精神が体現されていると感じられるが、同じ、力士として相撲道の精神を学び実践すべきほかの親方・理事には微塵もその精神性が感じられない。口からでる言葉には常に腐敗臭が漂い、明らかな虚偽や矛盾の言動が多い。国民の多数が、貴乃花親方を応援するのは何も単純なファン心理ではなく、かかる状況が示す、本質的腐敗臭が原因である
<プロフィール>青沼 隆郎(あおぬま・たかお)
福岡県大牟田市出身。東京大学法学士。長年、医療機関で法務責任者を務め、数多くの医療訴訟を経験。医療関連の法務業務を受託する小六研究所の代表を務める
【2018年10月11日NETIB-NEWS青沼隆郎】
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