2012年05月08日
A097・ウオーキングは「五感」を磨く
1、「野山歩き」のすすめ
「ウオーキングは五感の働きを活発にする」という趣旨の記事を目にしました。
送られてきたメルマガによりますと、「テレビやパソコン、ヘッドホン、携帯電話などに囲まれる生活が当たり前のようになってきています。
その為、視覚や聴覚を偏って使いがちなので、触覚、味覚、嗅覚も合わせて、五感全体をリフレッシュすることが大切です」とありました。
どうやってリフレッシュすればよいのか? について、以下のように説明しています。
「山歩き」をお勧めします。何も高くて険しい山に登る必要はありません。
近隣の低い山、丘で十分です。
自由に歩き回ったり、しゃがんだり、辺りを観察できるようなゆっくりした歩行が良いのです。
・視覚
パソコンや書類など、近距離で目を酷使しているあなた。低山ウオークでは遠景を楽しむように、なるべく視線を遠くに向けてください。いつの間にか気持ちまでが自然とワイドレンズのように広角になるから不思議です。
・聴覚
静寂な山の中では鳥のさえずり、虫の音、風の音など実に多くの音が存在することに気がつきます。
いろいろな声も、音色・鳴き方違いがあることを知るのも楽しいことです。
・触覚、嗅覚、味覚
樹木でも、幹に触った肌触り、硬さなどを手の平で感じ、葉の滑らかさや厚みを指で確かめてください。
靴底からはコンクリートやアスファルトとは違った地面の弾力が伝わってきます。休憩時などには、靴を脱いで直接足の裏で確かめたいものです。
花や葉のひそやかな香りが森全体のたたずまいを嗅覚で教えてくれます。日常生活の中で遠ざかっている仕草がここでは大きな意味を持ってきます。
帰りがけ、麓の店で土地の名物料理などを味わうことが出来れば五感のリフレッシュは完璧です。
五感は人それぞれの感性を作り出す基になるものです。新しい自分を発見するキッカケにしてはいかがですか?(以上、原文からの引用です)
2、自然は自己防衛本能を磨き直す道場
私も今までのブログで「歩くこと」の楽しさと効用を述べてきました。
持病である糖尿病の運動療法として、初めは義務感で歩いていました。
歩きながら草花に興味を覚えたことなどがキッカケで、歩くコースや計画のメニューにちょっとした工夫をしたり、あれこれと試行錯誤していました。
そうしている内に、次第に、楽しみながら長続きするための「自分流」ウオーキングが身についてきました。
十数年前、退職した頃は「無趣味」「無芸」で「これからどうする?」という気持ちでしたが、あれこれ目先を変えながら歩いているうちに、
「歩くこと」に「山野草」「パソコン」「デジカメ」などが加わって、趣味と言えるものになって来ました。
持病の糖尿病では、インスリンの助けを借りながらではありますが、血糖値をコントロール出来るようになってきましたし、多くの素晴らしい人とのコミュニケーションの輪が広がってきました。
私が歩くところは、引用させていただいたメルマガと同じように、所謂登山というような高い難しい山ではなく、近郊の里山や、低い山などです。それに自然公園や街中の公園です。もっと身近な遊歩道や、我が家に続く街中の道です。
いつもの散歩道と、時にチョットしたお出かけ気分を味わうといった所です。
草木を見ながら、森林浴を楽しみながら、小鳥の声を聞きながら、時には多少汗ばみ、帰りには心地よい疲れを覚える程度に体を動かすことが、心身の、そして五感のリフレッシュにつながるのだろうと思っています。
街中の公園でも、ここがキ会の中かと思うような草木に囲まれた静寂があり、自然を覚えるところがあります。
一方、低い山であろうと、里山であろうと、自然には自然の掟があります。無自覚に、お楽しみ気分だけに浸っていると、とんでもないお仕置きを受けることにもなりかねません。
人はもともと自然の中で生きてきました。それが都会暮らしをするようになって感覚が鈍ってしまっているようです。
自然は自己防衛本能を磨き直す道場でもあると心得て、心地よい緊張と心身の鍛練を致したいと思っています。
パソコンや書類など、近距離で目を酷使しているあなた。低山ウオークでは遠景を楽しむように、なるべく視線を遠くに向けてください。いつの間にか気持ちまでが自然とワイドレンズのように広角になるから不思議です。
・聴覚
静寂な山の中では鳥のさえずり、虫の音、風の音など実に多くの音が存在することに気がつきます。
いろいろな声も、音色・鳴き方違いがあることを知るのも楽しいことです。
・触覚、嗅覚、味覚
樹木でも、幹に触った肌触り、硬さなどを手の平で感じ、葉の滑らかさや厚みを指で確かめてください。
靴底からはコンクリートやアスファルトとは違った地面の弾力が伝わってきます。休憩時などには、靴を脱いで直接足の裏で確かめたいものです。
花や葉のひそやかな香りが森全体のたたずまいを嗅覚で教えてくれます。日常生活の中で遠ざかっている仕草がここでは大きな意味を持ってきます。
帰りがけ、麓の店で土地の名物料理などを味わうことが出来れば五感のリフレッシュは完璧です。
五感は人それぞれの感性を作り出す基になるものです。新しい自分を発見するキッカケにしてはいかがですか?(以上、原文からの引用です)
2、自然は自己防衛本能を磨き直す道場
私も今までのブログで「歩くこと」の楽しさと効用を述べてきました。
持病である糖尿病の運動療法として、初めは義務感で歩いていました。
歩きながら草花に興味を覚えたことなどがキッカケで、歩くコースや計画のメニューにちょっとした工夫をしたり、あれこれと試行錯誤していました。
そうしている内に、次第に、楽しみながら長続きするための「自分流」ウオーキングが身についてきました。
十数年前、退職した頃は「無趣味」「無芸」で「これからどうする?」という気持ちでしたが、あれこれ目先を変えながら歩いているうちに、
「歩くこと」に「山野草」「パソコン」「デジカメ」などが加わって、趣味と言えるものになって来ました。
持病の糖尿病では、インスリンの助けを借りながらではありますが、血糖値をコントロール出来るようになってきましたし、多くの素晴らしい人とのコミュニケーションの輪が広がってきました。
私が歩くところは、引用させていただいたメルマガと同じように、所謂登山というような高い難しい山ではなく、近郊の里山や、低い山などです。それに自然公園や街中の公園です。もっと身近な遊歩道や、我が家に続く街中の道です。
いつもの散歩道と、時にチョットしたお出かけ気分を味わうといった所です。
草木を見ながら、森林浴を楽しみながら、小鳥の声を聞きながら、時には多少汗ばみ、帰りには心地よい疲れを覚える程度に体を動かすことが、心身の、そして五感のリフレッシュにつながるのだろうと思っています。
街中の公園でも、ここがキ会の中かと思うような草木に囲まれた静寂があり、自然を覚えるところがあります。
一方、低い山であろうと、里山であろうと、自然には自然の掟があります。無自覚に、お楽しみ気分だけに浸っていると、とんでもないお仕置きを受けることにもなりかねません。
人はもともと自然の中で生きてきました。それが都会暮らしをするようになって感覚が鈍ってしまっているようです。
自然は自己防衛本能を磨き直す道場でもあると心得て、心地よい緊張と心身の鍛練を致したいと思っています。