2012年05月03日
A092「何となく気が向かない、億劫だ」と思うとき
1、サボリ習慣一丁目
人間は生身の体ですから疲れ気味の時もあれば、風邪気味など体調の良くないときもあります。
しかし、これとは別に、何となく気分の乗らない時があります。
何となく「気が向かない、億劫だ」「ボーットしていたい」と思うことが往々にしてあります。
現役時代は、公私の仕事に追われてそんな事は言って居れませんが、退職後は本人次第です。気分の向くままにボンヤリ時を過ごそうと、過ごすまいと、本人の自由です。
ただ、
ボンヤリ過ごすことを繰り返していると、怠惰な生活習慣が身についてしまいます。
「億劫感」を覚える所は、サボリ習慣一丁目の信号と心得た方が良さそうです。
人間は生身の体ですから疲れ気味の時もあれば、風邪気味など体調の良くないときもあります。
しかし、これとは別に、何となく気分の乗らない時があります。
何となく「気が向かない、億劫だ」「ボーットしていたい」と思うことが往々にしてあります。
現役時代は、公私の仕事に追われてそんな事は言って居れませんが、退職後は本人次第です。気分の向くままにボンヤリ時を過ごそうと、過ごすまいと、本人の自由です。
ただ、
ボンヤリ過ごすことを繰り返していると、怠惰な生活習慣が身についてしまいます。
「億劫感」を覚える所は、サボリ習慣一丁目の信号と心得た方が良さそうです。
2、この信号を「健康習慣」方面に行くか、「怠惰習慣」方面に行くか
本当に体調が良くないときの無理は禁物ですが、そうではないけれど・・という時にはどうするか?
そんな時、「ちょっとだけ頑張ってみよう」「頑張りすぎない程度に頑張って」と、自分に語りかけてきました。
エイヤーッと、その日の行動をスタートしてしまうと、予定のメニューをこなすことが出来て「やって良かったなあ」と安堵したものでした。
サボってしまったときは、何かやり残したような後ろめたい様な気持ちが残って、その日一日がすっきりしません。
何となく気分が乗らないからといって安易に妥協したり、
「あの用事があるから」などと理由をつけ自分を納得させて休んでいると、
ずるずる「ずる休み」が続いてしまうことになり易く、「休み癖」が付いてしまいます。
思い直して再開しようとする時には気分的な抵抗というか大儀な気持ちを乗り越えるのに結構大きな抵抗を感じます。これは多くの方が経験をされていることのようです。
これからを健康で楽しく過ごそうとしているのであって、
修験僧の荒修行を目指すものではありません。
何時も鉢巻きを締めて頑張ろういうのではありません。
しかし、人間は「目先を楽に過ごそうとする動物」であり、「怠け虫」と同居しているらしく、放っておくと怠惰の波に流されてしまいます。
この怠け虫を上手に手なづけることが必要です。
「頑張れ、頑張れ」と単に叱咤激励するだけでは長続きしません
お楽しみ項目やそれぞれの予定、目標を組み入れたり、目標への近づき具合を楽しみながら、つぎの一歩への励ましを感じるなどしながら日々を過ごす、などなど自分なりの工夫をしてみました。これはなかなか効果的でした。
いま行なっていることが、単純なことの繰り返しであったり、殊に、成果、進展具合が見えない場合は、続けるのがなかなか難しくはあります。
水が高きから低きへ流れるように、兎に角人は楽な方へ楽な方へと向かっていく習性があるようです。
老化防止のためにも、安易に流れ過ぎないように、時々刺激を与えながら適度に頑張っていく事が肝要だと思っています。
ここで「頑張る」という言葉を使いました。釈迦に説法のようで恐縮ですが、私たちの年代には「遮二無二頑張る」傾向がありました。
「石油ショック」「高度成長」をこの頑張りで乗り切ったものの、挙げ句の果てが「バブルの崩壊」でした。
大切なセカンドライフをこんな事にしては大変です。
頑張り過ぎない程度に少しだけ頑張って、ゆっくりであっても、右肩上がりの、喜びや楽しみや希望でふっくらと丸みを帯びたハッピーなセカンドライフにして行きたいと願っているのです。
本当に体調が良くないときの無理は禁物ですが、そうではないけれど・・という時にはどうするか?
そんな時、「ちょっとだけ頑張ってみよう」「頑張りすぎない程度に頑張って」と、自分に語りかけてきました。
エイヤーッと、その日の行動をスタートしてしまうと、予定のメニューをこなすことが出来て「やって良かったなあ」と安堵したものでした。
サボってしまったときは、何かやり残したような後ろめたい様な気持ちが残って、その日一日がすっきりしません。
何となく気分が乗らないからといって安易に妥協したり、
「あの用事があるから」などと理由をつけ自分を納得させて休んでいると、
ずるずる「ずる休み」が続いてしまうことになり易く、「休み癖」が付いてしまいます。
思い直して再開しようとする時には気分的な抵抗というか大儀な気持ちを乗り越えるのに結構大きな抵抗を感じます。これは多くの方が経験をされていることのようです。
これからを健康で楽しく過ごそうとしているのであって、
修験僧の荒修行を目指すものではありません。
何時も鉢巻きを締めて頑張ろういうのではありません。
しかし、人間は「目先を楽に過ごそうとする動物」であり、「怠け虫」と同居しているらしく、放っておくと怠惰の波に流されてしまいます。
この怠け虫を上手に手なづけることが必要です。
「頑張れ、頑張れ」と単に叱咤激励するだけでは長続きしません
お楽しみ項目やそれぞれの予定、目標を組み入れたり、目標への近づき具合を楽しみながら、つぎの一歩への励ましを感じるなどしながら日々を過ごす、などなど自分なりの工夫をしてみました。これはなかなか効果的でした。
いま行なっていることが、単純なことの繰り返しであったり、殊に、成果、進展具合が見えない場合は、続けるのがなかなか難しくはあります。
水が高きから低きへ流れるように、兎に角人は楽な方へ楽な方へと向かっていく習性があるようです。
老化防止のためにも、安易に流れ過ぎないように、時々刺激を与えながら適度に頑張っていく事が肝要だと思っています。
ここで「頑張る」という言葉を使いました。釈迦に説法のようで恐縮ですが、私たちの年代には「遮二無二頑張る」傾向がありました。
「石油ショック」「高度成長」をこの頑張りで乗り切ったものの、挙げ句の果てが「バブルの崩壊」でした。
大切なセカンドライフをこんな事にしては大変です。
頑張り過ぎない程度に少しだけ頑張って、ゆっくりであっても、右肩上がりの、喜びや楽しみや希望でふっくらと丸みを帯びたハッピーなセカンドライフにして行きたいと願っているのです。