2012年05月02日
A091 ・ごく自然に にこやかに
1、頭がすっきりしなければ、深呼吸をしよう
ごく自然に にこやかに
息を詰めっぱなしにしたり しかめっ面をしないで
お喋りでもしながら 毎日を楽しみましょう
退職前に会社が開いてくれたセミナーの説明書にあったお氣に入りの一節で、10数年経った今も時々読み返しています。
「所在なく、ボーっとしていると脳が淀んで休止状態になります」
「何かを楽しんでいると脳が活発に働くようになります」
頭がすっきりしなければ、眠気を催したり、考えがまとまらなくなったら、
両手を組んで頭上に伸ばして背筋を引き上げるようにストレッチして、深呼吸しましょう。呼吸を整えると、思考回路が再び正常に動き始めます。
理論的なバックアップは何もありませんが、こんな風にしています。
ごく自然に にこやかに
息を詰めっぱなしにしたり しかめっ面をしないで
お喋りでもしながら 毎日を楽しみましょう
退職前に会社が開いてくれたセミナーの説明書にあったお氣に入りの一節で、10数年経った今も時々読み返しています。
「所在なく、ボーっとしていると脳が淀んで休止状態になります」
「何かを楽しんでいると脳が活発に働くようになります」
頭がすっきりしなければ、眠気を催したり、考えがまとまらなくなったら、
両手を組んで頭上に伸ばして背筋を引き上げるようにストレッチして、深呼吸しましょう。呼吸を整えると、思考回路が再び正常に動き始めます。
理論的なバックアップは何もありませんが、こんな風にしています。
何か新しいことに接し、あれこれアイデアを出しながら今日を楽しみ、明日に向かっていくような生き方に惹かれます。
2、心の健康;「オレはもう年だ」なんて思わない!
「俺はもう年だ!」なんて、何となく思いこんで、背中を丸め、家に閉じこもる。
こんな退職者がいないわけではありません。
などと思っていたら、友人からのメールに「新聞によると、退職者の5〜6割は引きこもり・・」とあり、その多いことに驚きました。
折角の人生を何と勿体ない!
ドクターストップの場合以外は
「一寸だけ思い直して、散歩に出ませんか」。とお勧めしたい気分です。
体の不調など無理をしてはいけない要因もあるでしょうが、このままでは人間が萎縮してしいます。
「近郊のハイキングコースで軽く汗を流して見るのも一案です」と私は提案してきました。
「きっと意外に多くの人たち、老若男女が分相応に汗ばみながら、お喋りしながら、息を弾ませたりしながら体を動かしていることに気づかれるでしょう。
何よりも自分自身が爽快な気持ちになるでしょう」と語りかけてきました。
私は糖尿病の運動療法として初めは義務感で歩いていましたが、何時か歩くことが楽しみになっていました。歩きながら接した自然から不思議な力のお陰だと思っています。
「歩こうか」と自分に問いかけた時、
何となく気が乗らなければ、「膝が悪い」「腰が痛い」「ドクターストップだ」「今日は疲れている」などなど「歩けない」という理由を並べて「ノー」の口実をならべ、己を説得しようとする傾向があります。
こんな時、ちょっとだけ頑張って怠け心のハードルを乗り越えると、オープンな気持ちになることが出来ます。多くの人の経験則と言えるようです。
「気持ちを老け込ませない」為の、誠に有効な選択肢の一つであると思います。
「高齢者」「老齢者」「老人」「お年寄り」等という「世間」の言葉を真に受けて、自分がそうであるかのような気になってしまって、背中を丸くするようなことは是非とも避けたいものです。
「これらは単なる行政用語であって、行政の特典を受けるときだけ意識すれば良い」位に思っていいのではないでないでしょうか。
「まだ五十、六十の若手には負けないよ」という気概を持って体を動かし、汗を流しておいでの方、ブラボーです。自分もかくありたいと願っています。
激しい運動は無理だけれど、努めて体を動かそうと歩いています。
杜甫が「人生七十歳、古来希なり」と詠んだ頃とは様変わりして、今は人生八十年の時代です。古希を迎えた人の平均寿命はもっと先になっています。
近い将来「人生百年の時代」といわれるようになるかも知れません?
坂本九さんではないけれど「前を向いて歩こうよ」。こう自分に言い聞かせて、
背筋を伸ばして(と自分では思って)
少しだけ歩幅を広めにと意識して歩きながら、
これからの人生を前向きに歩いて行きたいものだと願っています。
2、心の健康;「オレはもう年だ」なんて思わない!
「俺はもう年だ!」なんて、何となく思いこんで、背中を丸め、家に閉じこもる。
こんな退職者がいないわけではありません。
などと思っていたら、友人からのメールに「新聞によると、退職者の5〜6割は引きこもり・・」とあり、その多いことに驚きました。
折角の人生を何と勿体ない!
ドクターストップの場合以外は
「一寸だけ思い直して、散歩に出ませんか」。とお勧めしたい気分です。
体の不調など無理をしてはいけない要因もあるでしょうが、このままでは人間が萎縮してしいます。
「近郊のハイキングコースで軽く汗を流して見るのも一案です」と私は提案してきました。
「きっと意外に多くの人たち、老若男女が分相応に汗ばみながら、お喋りしながら、息を弾ませたりしながら体を動かしていることに気づかれるでしょう。
何よりも自分自身が爽快な気持ちになるでしょう」と語りかけてきました。
私は糖尿病の運動療法として初めは義務感で歩いていましたが、何時か歩くことが楽しみになっていました。歩きながら接した自然から不思議な力のお陰だと思っています。
「歩こうか」と自分に問いかけた時、
何となく気が乗らなければ、「膝が悪い」「腰が痛い」「ドクターストップだ」「今日は疲れている」などなど「歩けない」という理由を並べて「ノー」の口実をならべ、己を説得しようとする傾向があります。
こんな時、ちょっとだけ頑張って怠け心のハードルを乗り越えると、オープンな気持ちになることが出来ます。多くの人の経験則と言えるようです。
「気持ちを老け込ませない」為の、誠に有効な選択肢の一つであると思います。
「高齢者」「老齢者」「老人」「お年寄り」等という「世間」の言葉を真に受けて、自分がそうであるかのような気になってしまって、背中を丸くするようなことは是非とも避けたいものです。
「これらは単なる行政用語であって、行政の特典を受けるときだけ意識すれば良い」位に思っていいのではないでないでしょうか。
「まだ五十、六十の若手には負けないよ」という気概を持って体を動かし、汗を流しておいでの方、ブラボーです。自分もかくありたいと願っています。
激しい運動は無理だけれど、努めて体を動かそうと歩いています。
杜甫が「人生七十歳、古来希なり」と詠んだ頃とは様変わりして、今は人生八十年の時代です。古希を迎えた人の平均寿命はもっと先になっています。
近い将来「人生百年の時代」といわれるようになるかも知れません?
坂本九さんではないけれど「前を向いて歩こうよ」。こう自分に言い聞かせて、
背筋を伸ばして(と自分では思って)
少しだけ歩幅を広めにと意識して歩きながら、
これからの人生を前向きに歩いて行きたいものだと願っています。