2012年05月01日
A090・「ウッカリ」「ボンヤリ」とのお付き合い(2)
(前回)
1、「失敗」と「予防」
2、サザエさん、波平さん
(今回)
3、「まさか」に備える
4、本当の「想定外」とは?
3、「まさか」に備える
「まさかこんなことになるとは!」 事が起こってしまってから悔やむのが人の常です。
「想定外の事だった」などと、責任逃れの言葉が流行ったりもしました。
常日頃、ぼんやり過ごしているのと、
それなりに気を配り、用心しているのとでは、
結果は大きく違うだろうと思います。
当たり前!と言われそうですが、日頃「ウッカリ」「ボンヤリ」を繰り返す我が身をみると、改めてこう思います。
「もう少し注意しなくちゃー!」
あまり深刻に考えすぎるのではなく、この程度の反省はします。まあ世間並みでしょうか?
昔の人はやはり立派だったようで、しっかり「ことわざ」に残してくれています。
「後の後悔先に立たず」
「転ばぬ先の杖」
1、「失敗」と「予防」
2、サザエさん、波平さん
(今回)
3、「まさか」に備える
4、本当の「想定外」とは?
3、「まさか」に備える
「まさかこんなことになるとは!」 事が起こってしまってから悔やむのが人の常です。
「想定外の事だった」などと、責任逃れの言葉が流行ったりもしました。
常日頃、ぼんやり過ごしているのと、
それなりに気を配り、用心しているのとでは、
結果は大きく違うだろうと思います。
当たり前!と言われそうですが、日頃「ウッカリ」「ボンヤリ」を繰り返す我が身をみると、改めてこう思います。
「もう少し注意しなくちゃー!」
あまり深刻に考えすぎるのではなく、この程度の反省はします。まあ世間並みでしょうか?
昔の人はやはり立派だったようで、しっかり「ことわざ」に残してくれています。
「後の後悔先に立たず」
「転ばぬ先の杖」
このところ、「ウッカリ」「ボンヤリ」では済まされない大変な事故が続いています。
世の中全体が何かピントが外れているような気がしてなりません。
己の利害、欲望だけに専念し、責任・安全に対する自覚が著しく減退しているように思えてなりません。
「皆が楽しく健康に暮らしていける」ことがこの世の基本的なことであり、世間の一員として自分の幸せを求め、人々へ迷惑をかけないという「ケジメ」をきちっとつける、つけ得るように自分を律する感覚を取り戻す様になって欲しいと願います。
その為の第一歩は、上記の「もう少し注意しなくちゃー!」の気持ちだろうと思っています。
4、本当の「想定外」とは?
人智の及ばぬ不測の事態ならば、仮にその事故に遭遇したときには、
「致し方のない」、「身の不運と諦める」ように努めるかもし知れません。
しかし「人智の及ばぬ不測の事態」などと言うものは、ほとんどゼロだと思いたい気分でいます。
「想定外」という言葉は、大体が世間を欺き、自分を欺くための方便の様に思います。
人知の限りを尽くしていたなら、必ずと言って良いくらいに、予測できる何らかのシグナルがあるように思うのです。
・原発事故;
事故が起こって、「原子力村」という存在が批判されだした頃、当該村の一員らしき人が「隕石」を例に持ち出して「想定外」を論じました。
本当に「人智の及ばぬ不測の事態」とは「隕石」位かも知れません。原発事故は原発ほしさの欲望が過去の津波の歴史を過小評価し又は無視した結果の人災。との見方が広がっています。
・歩道に車が突っ込んで来ての事故:
生活道路、通学路が抜け道となって車の往来が頻繁ならば、路面を波打たせたり、車に振動を与える様な加工をして「ウッカリ、ボンヤリ」「居眠り」運転を防止したり、徐行を強要するのが道路管理者の責任であるはずですが、当事者の弁も、責任を問う声も一向に上がりません。
運転者の事ばかりが話題にされますが、為すべき立場の人が為すべき努力を回避して、問題解決の本質から外れていると思います。
・「ウッカリ、ボンヤリ」「居眠り」「よそ見」「信号無視」運転;
この類は起こり得ることとして「想定」しておく自衞心が必要と思います。
歩行者は漫然と歩くのではなく「自分の安全は自分で守る」意識も大切と思います。
青信号は「わたれ」ではなく「安全を確かめたら渡っても良い」という信号です。
步道で信号待ちする時も、立つ位置を考えます。車が飛び込んでくる事もありますし、自転車が当たってくることもあります。
咄嗟に避けるのは極めて難しいでしょうが、ボンヤリしているのと、注意しているのとでは違った結果になることでしょう。
世の中が便利になればなるほどに、保護対策があれこれ実施されるほど、人の自己防衛本能が退化してきているように思われます。
どんなに安全対策がとられても完璧なことなどあり得ません。
ある程度までは政治とか行政が面倒を見るようにはなっていますが、「仏つくって魂入れず」のケースが少なくありません。
最終的には「自分を守るのは自分」だと思わされます。
世の中全体が何かピントが外れているような気がしてなりません。
己の利害、欲望だけに専念し、責任・安全に対する自覚が著しく減退しているように思えてなりません。
「皆が楽しく健康に暮らしていける」ことがこの世の基本的なことであり、世間の一員として自分の幸せを求め、人々へ迷惑をかけないという「ケジメ」をきちっとつける、つけ得るように自分を律する感覚を取り戻す様になって欲しいと願います。
その為の第一歩は、上記の「もう少し注意しなくちゃー!」の気持ちだろうと思っています。
4、本当の「想定外」とは?
人智の及ばぬ不測の事態ならば、仮にその事故に遭遇したときには、
「致し方のない」、「身の不運と諦める」ように努めるかもし知れません。
しかし「人智の及ばぬ不測の事態」などと言うものは、ほとんどゼロだと思いたい気分でいます。
「想定外」という言葉は、大体が世間を欺き、自分を欺くための方便の様に思います。
人知の限りを尽くしていたなら、必ずと言って良いくらいに、予測できる何らかのシグナルがあるように思うのです。
・原発事故;
事故が起こって、「原子力村」という存在が批判されだした頃、当該村の一員らしき人が「隕石」を例に持ち出して「想定外」を論じました。
本当に「人智の及ばぬ不測の事態」とは「隕石」位かも知れません。原発事故は原発ほしさの欲望が過去の津波の歴史を過小評価し又は無視した結果の人災。との見方が広がっています。
・歩道に車が突っ込んで来ての事故:
生活道路、通学路が抜け道となって車の往来が頻繁ならば、路面を波打たせたり、車に振動を与える様な加工をして「ウッカリ、ボンヤリ」「居眠り」運転を防止したり、徐行を強要するのが道路管理者の責任であるはずですが、当事者の弁も、責任を問う声も一向に上がりません。
運転者の事ばかりが話題にされますが、為すべき立場の人が為すべき努力を回避して、問題解決の本質から外れていると思います。
・「ウッカリ、ボンヤリ」「居眠り」「よそ見」「信号無視」運転;
この類は起こり得ることとして「想定」しておく自衞心が必要と思います。
歩行者は漫然と歩くのではなく「自分の安全は自分で守る」意識も大切と思います。
青信号は「わたれ」ではなく「安全を確かめたら渡っても良い」という信号です。
步道で信号待ちする時も、立つ位置を考えます。車が飛び込んでくる事もありますし、自転車が当たってくることもあります。
咄嗟に避けるのは極めて難しいでしょうが、ボンヤリしているのと、注意しているのとでは違った結果になることでしょう。
世の中が便利になればなるほどに、保護対策があれこれ実施されるほど、人の自己防衛本能が退化してきているように思われます。
どんなに安全対策がとられても完璧なことなどあり得ません。
ある程度までは政治とか行政が面倒を見るようにはなっていますが、「仏つくって魂入れず」のケースが少なくありません。
最終的には「自分を守るのは自分」だと思わされます。