2012年04月25日
A084 ・自分のことは自分でする
1、前向きに生きる為の必須科目
これからの人生を前向きに生きていく為には、自分で出来ることは自分でする事が必須科目だと思っています。
人に頼ってばかりいると、人間の身体も脳も横着になり劣化してしまいます。
自分で出来ること、なすべきことは、努めて自分で行うようにしています。
自分で行うことを増やしていこうと努めています。
習慣的に誰かにしてもらっていたことでも、億劫がらずに自分で手足を動かすように心がけると、必然的に脳も活性化されるような気がします。
「自分のことは自分で!」と誰にでも言えるようになりたいと思っています。
自ら努力することなく、誰かにしてもらって、その結果だけに頼っていると、人は身体も頭(脳)も横着になり、働かなくなって劣化してしまう様に思われます。
老化への道、病への道を加速しながら下り続けることになるような気がします。
多分、正解だろうと思っています。
これからの人生を前向きに生きていく為には、自分で出来ることは自分でする事が必須科目だと思っています。
人に頼ってばかりいると、人間の身体も脳も横着になり劣化してしまいます。
自分で出来ること、なすべきことは、努めて自分で行うようにしています。
自分で行うことを増やしていこうと努めています。
習慣的に誰かにしてもらっていたことでも、億劫がらずに自分で手足を動かすように心がけると、必然的に脳も活性化されるような気がします。
「自分のことは自分で!」と誰にでも言えるようになりたいと思っています。
自ら努力することなく、誰かにしてもらって、その結果だけに頼っていると、人は身体も頭(脳)も横着になり、働かなくなって劣化してしまう様に思われます。
老化への道、病への道を加速しながら下り続けることになるような気がします。
多分、正解だろうと思っています。
2、大先輩を見習いたい
現在は糖尿病と向き合いながら一病息災と心得て、さして不自由なく過ごしています。
これは不十分ながらも「自分で出来ることは自分でする」様に努めてきたことのお陰だろうと自賛しています。
過般、テレビで久し振りに日野原重明先生を拝見しました。
100才の御身で、現役の医師として毎日診察の日々を過ごされています。
階段をすたすたと上り下りさます。
終末医療に注力されておいでとのことです。
自分で自分を律しておられる様子がテレビの画面を通して伝わってきました。
先生の周りには、変に同情的な「お年寄り」と言う目で接する雰囲気が少しもありません。見習いたいことです。
患者は先生より二回りも三回りも若いのですが、患者の家族にとってはおじいさんであり、おばあさんです。
日野原先生の診断を受けた患者さんは、先生の行動・活力から大きなエネルギーをもらう様でした。
先生の回診、診断の後は、患者の顔つきに生気が生まれるそうです。
ウソのような話しですが、「スクワットを始める」と言いだして、楽しそうな穏やかな顔で10日ほど後に旅立った70歳代の男性と家族が紹介されていました。
人にはこの様な底知れぬ活力があるようだと思わせられました。
病院や施設、自宅などで寝たきりの人たちが如何に多い事でしょうか。
家族や医療関係の人たちなどの介護を受けながら、回復の希望を持って治療に取り組んでおられるのでしょうが、自分と同年代やより年若い人も少なくないようで心が痛みます。
「寝たきりは、なるのではなく、されるのだ」との話を聞きます。勿論、限られたケースをみての話と思いたいけれど、決してまれではない様です。
体が不自由になりかけたとき、自分で自分をコントロールする体力、気力が衰えたり、周囲の「お世話しよう」との善意が結果として過保護になったしまうケースが少なくない様でもあります。
人には上記のように底知れぬ活力があるようです。その時は辛くても、毎日毎日の僅かな頑張りの積み上げが結果に大きな差をもたらすように思います。
億劫がらずに、目先の辛さを乗り越えて体を動かし、頭を働かすことで健康を保ち、心身ともに若さを保つことが出来るのではないだろうか。と思ってもみます。
頑張らない程度に頑張っていると、積み上げた結果は随分違ってくるだろうと思いたいのです。
これが、たとえ健康な状態にあっても、家人や周囲に任せきりにしたり、面倒だからといって何もせずに、ごろごろしていると体も頭もどんどん衰えて行くでしょう。5年経ち、10年経ってみるとその違いがはっきりと出ることを見聞きしてきました。
昭和の時代、敗戦後の焦土から立ち上がった日本を「外国に追いつけ追い越せ」と、言わず語らずの合い言葉で、懸命に働きに働いてきた同世代の方々が、身も心も若々しく充実したセカンドライフを送られるように心から願っています。
そして自分もその一人でありたいと願っているのです。
現在は糖尿病と向き合いながら一病息災と心得て、さして不自由なく過ごしています。
これは不十分ながらも「自分で出来ることは自分でする」様に努めてきたことのお陰だろうと自賛しています。
過般、テレビで久し振りに日野原重明先生を拝見しました。
100才の御身で、現役の医師として毎日診察の日々を過ごされています。
階段をすたすたと上り下りさます。
終末医療に注力されておいでとのことです。
自分で自分を律しておられる様子がテレビの画面を通して伝わってきました。
先生の周りには、変に同情的な「お年寄り」と言う目で接する雰囲気が少しもありません。見習いたいことです。
患者は先生より二回りも三回りも若いのですが、患者の家族にとってはおじいさんであり、おばあさんです。
日野原先生の診断を受けた患者さんは、先生の行動・活力から大きなエネルギーをもらう様でした。
先生の回診、診断の後は、患者の顔つきに生気が生まれるそうです。
ウソのような話しですが、「スクワットを始める」と言いだして、楽しそうな穏やかな顔で10日ほど後に旅立った70歳代の男性と家族が紹介されていました。
人にはこの様な底知れぬ活力があるようだと思わせられました。
病院や施設、自宅などで寝たきりの人たちが如何に多い事でしょうか。
家族や医療関係の人たちなどの介護を受けながら、回復の希望を持って治療に取り組んでおられるのでしょうが、自分と同年代やより年若い人も少なくないようで心が痛みます。
「寝たきりは、なるのではなく、されるのだ」との話を聞きます。勿論、限られたケースをみての話と思いたいけれど、決してまれではない様です。
体が不自由になりかけたとき、自分で自分をコントロールする体力、気力が衰えたり、周囲の「お世話しよう」との善意が結果として過保護になったしまうケースが少なくない様でもあります。
人には上記のように底知れぬ活力があるようです。その時は辛くても、毎日毎日の僅かな頑張りの積み上げが結果に大きな差をもたらすように思います。
億劫がらずに、目先の辛さを乗り越えて体を動かし、頭を働かすことで健康を保ち、心身ともに若さを保つことが出来るのではないだろうか。と思ってもみます。
頑張らない程度に頑張っていると、積み上げた結果は随分違ってくるだろうと思いたいのです。
これが、たとえ健康な状態にあっても、家人や周囲に任せきりにしたり、面倒だからといって何もせずに、ごろごろしていると体も頭もどんどん衰えて行くでしょう。5年経ち、10年経ってみるとその違いがはっきりと出ることを見聞きしてきました。
昭和の時代、敗戦後の焦土から立ち上がった日本を「外国に追いつけ追い越せ」と、言わず語らずの合い言葉で、懸命に働きに働いてきた同世代の方々が、身も心も若々しく充実したセカンドライフを送られるように心から願っています。
そして自分もその一人でありたいと願っているのです。