2012年04月20日
A079・好奇心旺盛でいる為に
同年代の人と話をしていると、「ボケ防止の為に」という話をよく聞きます。
野山を歩いたり、賃貸農園の農作業の後に仲間で飲み会を楽しんだり、朗読の会を楽しんだり、何れも素晴らしいことだと思います。
前回のブログでは、「ボケないためにも好奇心旺盛でいたい」と申しました。
この為には何をどうするか! 私の体験です。
1、楽しいことは好奇心を呼ぶ
趣味の世界に浸かっていると、あれもこれも知りたいこと、行いたいことが次々に出てきます。好奇心が好奇心を呼ぶ様です。
「好きこそ物の上手なれ」;
素質とか、修行とか上達する条件はいろいろあるが、結局はそのことが好きであることが一番大切だ。まず好きになることから始めよと教えたことわざ。という説明がありました。(世界ことわざ辞典;永岡書店)
野山を歩いたり、賃貸農園の農作業の後に仲間で飲み会を楽しんだり、朗読の会を楽しんだり、何れも素晴らしいことだと思います。
前回のブログでは、「ボケないためにも好奇心旺盛でいたい」と申しました。
この為には何をどうするか! 私の体験です。
1、楽しいことは好奇心を呼ぶ
趣味の世界に浸かっていると、あれもこれも知りたいこと、行いたいことが次々に出てきます。好奇心が好奇心を呼ぶ様です。
「好きこそ物の上手なれ」;
素質とか、修行とか上達する条件はいろいろあるが、結局はそのことが好きであることが一番大切だ。まず好きになることから始めよと教えたことわざ。という説明がありました。(世界ことわざ辞典;永岡書店)
私は退職後、山野草に興味を持つようになり、それが何時しか趣味にまでなって、今はその楽しさを存分に味わっています。
持病である糖尿病の運動療法として、近郊の里山などを歩いていて、少しは草花の名前を知りたいと思ったのが山野草と友達になるキッカケでした。
専門家のように勉強することが目的ではなかったし、ただ何となく「身近な草花の名前くらいは知りたい」といった程度のことでしたが、一つ一つ覚えていくことは楽しく且つ嬉しいことで、「もっと知りたい」と思う様になったのは自然の成り行きでした。
「好きこそ物の上手」とまでな行かずとも、知る喜びを味わい、新たなものへの興味を覚えるようになりました。
忘れては少しだけ覚え、すぐにまた忘れては又少しだけ覚え、この繰り返しで、ゆったりとした歩みですが、こんな調子でやってきました。これからも同じペースで行こうと思っています。
私が言う「好奇心」とは街中の道や野山の道を歩いていて「これは何という花だろうか」と思う心。こんな程度の心も含みます。こんな心を何時も持っていたいと思っているのです。
野山や公園に行ったり、街中を歩いたり、里山を歩きながら植物から四季の移り変わりを知らされたり、森林浴の爽やかさに浸ったりしながら歩いてきました。
2、「見えていても見ていなかった」
草や木の名前を少しづつでも覚えると、更に花・葉・茎・幹など各部の姿、形、種の様子や生えている場所にも気が向いて、その植物が生きていくこと・子孫を残すことの条件と絶妙に符合しているのに驚かされたりするようになりました。
好奇の心が広がってきたのだと思っています。
それまで「見えていても見ていなかった」頃には思いもよらなかったことです。
問題意識を持つと結果はこうも違ってくるようです。
楽しいことをしている時には右脳がどうとか、左脳がどうとか、アルファー波がどうとかで説明できるのだそうですが、それは専門の先生にお願いすることにして、兎に角、何かを楽しんでいると、あれもこれもと、知りたいことや、やってみたいこと、様々なアイデアが次々に浮かんでくることを経験しました。
会社勤めをしていた頃のことです。当時、業界では長老と言われていた人の話です。
「発明の最初のアイデアをものにしようと、考えたり試作しているとき、あまりそのことを睨み付けてばかりいないで、一日三分でも上下左右から眺めたり、裏返したりして遊んで御覧なさい。不思議なほど次々にアイデアが浮かんでくるようになります。人間とはそういうものなのです」。
私たちの年代は長年の経験によって、発想の為の豊かの泉を持っています。一つのことから発想を広げていくことは得意なはずです。あれこれと発想を試みるように心して行こうと思います。
・じっとして、難しい顔をしていると、脳が淀んで休止状態になってくるけれど、
・何かを楽しんでいると脳が活発に働くようになり、
・好奇心が旺盛になってくる
という仮説を立てて、自分勝手に納得しています。
理論的なバックアップは何もありません。自分の体験からきた思いだけのことです。
好きなことを楽しんで、楽しみの中からあれもこれもとアイデアを出しながら、好奇心の泉から次の楽しみをくみ上げていこうと思っています。
持病である糖尿病の運動療法として、近郊の里山などを歩いていて、少しは草花の名前を知りたいと思ったのが山野草と友達になるキッカケでした。
専門家のように勉強することが目的ではなかったし、ただ何となく「身近な草花の名前くらいは知りたい」といった程度のことでしたが、一つ一つ覚えていくことは楽しく且つ嬉しいことで、「もっと知りたい」と思う様になったのは自然の成り行きでした。
「好きこそ物の上手」とまでな行かずとも、知る喜びを味わい、新たなものへの興味を覚えるようになりました。
忘れては少しだけ覚え、すぐにまた忘れては又少しだけ覚え、この繰り返しで、ゆったりとした歩みですが、こんな調子でやってきました。これからも同じペースで行こうと思っています。
私が言う「好奇心」とは街中の道や野山の道を歩いていて「これは何という花だろうか」と思う心。こんな程度の心も含みます。こんな心を何時も持っていたいと思っているのです。
野山や公園に行ったり、街中を歩いたり、里山を歩きながら植物から四季の移り変わりを知らされたり、森林浴の爽やかさに浸ったりしながら歩いてきました。
2、「見えていても見ていなかった」
草や木の名前を少しづつでも覚えると、更に花・葉・茎・幹など各部の姿、形、種の様子や生えている場所にも気が向いて、その植物が生きていくこと・子孫を残すことの条件と絶妙に符合しているのに驚かされたりするようになりました。
好奇の心が広がってきたのだと思っています。
それまで「見えていても見ていなかった」頃には思いもよらなかったことです。
問題意識を持つと結果はこうも違ってくるようです。
楽しいことをしている時には右脳がどうとか、左脳がどうとか、アルファー波がどうとかで説明できるのだそうですが、それは専門の先生にお願いすることにして、兎に角、何かを楽しんでいると、あれもこれもと、知りたいことや、やってみたいこと、様々なアイデアが次々に浮かんでくることを経験しました。
会社勤めをしていた頃のことです。当時、業界では長老と言われていた人の話です。
「発明の最初のアイデアをものにしようと、考えたり試作しているとき、あまりそのことを睨み付けてばかりいないで、一日三分でも上下左右から眺めたり、裏返したりして遊んで御覧なさい。不思議なほど次々にアイデアが浮かんでくるようになります。人間とはそういうものなのです」。
私たちの年代は長年の経験によって、発想の為の豊かの泉を持っています。一つのことから発想を広げていくことは得意なはずです。あれこれと発想を試みるように心して行こうと思います。
・じっとして、難しい顔をしていると、脳が淀んで休止状態になってくるけれど、
・何かを楽しんでいると脳が活発に働くようになり、
・好奇心が旺盛になってくる
という仮説を立てて、自分勝手に納得しています。
理論的なバックアップは何もありません。自分の体験からきた思いだけのことです。
好きなことを楽しんで、楽しみの中からあれもこれもとアイデアを出しながら、好奇心の泉から次の楽しみをくみ上げていこうと思っています。