2012年04月18日
A077・ 我ながらよく「忘れ」ます(2)〜「忘れ」の緩和策
(前回)
1、笑って済ませることはいいのですが
2、「物覚え」の悪さと「物忘れ」の良さ
(今回)
3、文章を書いていると頭が活性化するようです
3、文章を書いていると頭が活性化するようです
3・1 文字を書くこと、文章を綴ること
頭(脳)を「毎日が日曜日」にしないために、脳を正しく働かせる為に必要なことは
「繰り返して刺激を与えること」だと思っています。
自分の体験や考えを書き出したり、話をしていると脳の働きが活発になってくる様です。「出来るだけ誰かと話をするように心がけること」と
「文字を書くこと、文章を綴ることを毎日少しづつでも習慣づけること」が
「忘れ防止」の緩和に極めて効果的であると実感しています。頭の老化防止に効果的であるような気がしています。
今回は「文字を書くこと、文章を綴ること」について申し述べてまいります。
1、笑って済ませることはいいのですが
2、「物覚え」の悪さと「物忘れ」の良さ
(今回)
3、文章を書いていると頭が活性化するようです
3、文章を書いていると頭が活性化するようです
3・1 文字を書くこと、文章を綴ること
頭(脳)を「毎日が日曜日」にしないために、脳を正しく働かせる為に必要なことは
「繰り返して刺激を与えること」だと思っています。
自分の体験や考えを書き出したり、話をしていると脳の働きが活発になってくる様です。「出来るだけ誰かと話をするように心がけること」と
「文字を書くこと、文章を綴ることを毎日少しづつでも習慣づけること」が
「忘れ防止」の緩和に極めて効果的であると実感しています。頭の老化防止に効果的であるような気がしています。
今回は「文字を書くこと、文章を綴ること」について申し述べてまいります。
退職して10年ほど経った頃、それまで糖尿病と向き合ってきた10数年を振り返って、さらに今後をどう暮らすかをテーマに1年ほどかけて体験談を書いたことがあります。
その後も引き続いて、折々に思ったこと、思わされたことをブログに書き綴ってきました。
こうして数年間文章を書き続けてきました。期待感が先行しているのかも知れませんが、確かに頭のさび付きが緩和されるように感じています。
昔のことを一つ思い出して文章をあれこれ練っていると、関連して次々と様々なことが思い出されてくるようになりました。記憶の連鎖が、関連することを忘却の衝立の陰から引き出してくるようです。脳の関係する部分が活性化されるようです。
毎日几帳面に綿密に日記を書くのは「三日坊主」の典型のような私には無理だろうと自覚して、何事か考えたこと、考えさせられたことを折々に、時間がないときはキーワードか1、2行だけでもメモにしておくようにしてみました。
これはなかなか効果的でした。
「後で」と思っていると、まず確実に忘れてしまうので「直ぐに」が必須と心得ています。
「直ぐに」をモットーにネタを仕込んでおいて、メモっておいて、時間を都合つけてはパソコンに向かい文章化を試みました。
ちょっとした題材についての短編でも、まとめ上げると達成感を覚えるものでした。
起承転結を意識しながら内容を整理することで頭が活発に働くように感じますし、文章に纏めたことへの満足感を覚えます。
所在ないままに無為に過ごす時間が減って、生活にリズム感が出てくるというプラス効果も出てきました。
初めは遅々として進まなかったものが、次第にあれもこれもと思い出される様になってきました。点の存在であった記憶やメモが線に繋がって、全体の構想というか視界が開けて面となって広がることを体験しました。
何時も文章を書いている人は、この辺がきちっと整理されているのでしょうが、初体験の私にとっては新鮮な感覚でした。
思うように進まない時も、それなりに原稿を書き続けていると、少しずつ先が見えるような気がしてきて、それに勇気づけられてさらに作業を続けることが出来たりしました。
なかなか納得できるような表現とか文の構成が出来なくても、兎に角、文章を書き綴っていると次第に頭が活性化してくるような気がしたものでした。
文章を書き直したり、組み替えたりする為にパソコンは実に重宝なもので、指先でポツンポツンと打つ者にとっても、なくてはならない利器であります。
昔、原稿用紙に手書きしていた作家の構想力、文章力の凄さを思い知らされます。
「パソコンなどでキーを打っているのでは脳を訓練する効果はない。自分で字を書くことが大切だ」という意見も拝見しますが、そうと限ったものでもないと体験上から言えそうに思います。理想は兎も角として、実行して、続けることが肝要だと思っています。
漠然とした思いの中からいくつかのキーワードをとりだし、これを点から線へ、更に面へと肉付けていく。読む人が読みやすいようにと配慮する。これらの一連の頭の働きが文章を書くことによって訓練されるようでした。
文章化する作業を日常続けることは、頭の柔軟体操に実に効果的だと思っています。
文章の上手、下手を言い出したら何も出来ません。作家になろうという訳けではないのですから、文章技術、技能の問題は無視して、ただ、及ばずながらも読みやすい文章でありたいと願い、努めています。
といってもこれがなかなかの難事で、書いた物を読み返してみると自分でも何を言っているのか分からなかったり、くどくどと言い回したり、読んで下さいというには程遠いことも再三ではあります。
3・2 ブログを書き続ける所以
(1)生活にリズム感がでてきました
何事も訓練と割り切って、何時の日か「読みやすい」と言われるような文章を書けることを夢見ながら書き綴っています。ブログを書き続ける所以の一つは此処にあります。
ブログを書き続けていると、所在ないままに無為に過ごす時間が減って、生活にリズム感が出てくるというプラス効果も感じられます。自己満足と言えばそれまでですが、大小様々ながら満足感・充実感をもたらせてくれる存在です。
(2)アンテナが磨かれ、意識が前向きになった様に思います
また、ブログを書き続ける今一つの動機があります。
新聞やテレビなどを見聞きしていて、「おやっ」と思うこと、「ほう」と思うようなことでも、以前はそれでお終いでした。
そのまま忘れてしまっていたようなことが、ブログを書くようになってからは感受性が高まったとでもいうのでしょうか、テーマによってはもう一歩掘り下げて調べたり考えたりするようになりました。
ブログを書くという意識がそうさせるのかも知れません。
辿々しい文面でも、初めはなかなか纏まらなかったものが、次第に言葉が繋がるようになってきたように思います。
「頭が少し回るようになってきたのかな」と都合の良いように思ったりもします。
人様に大きな迷惑をかけることではないし、これもまたよし! と、自分勝手に思っています。
「忘れ」が緩和されてきたようにも思っています。
その後も引き続いて、折々に思ったこと、思わされたことをブログに書き綴ってきました。
こうして数年間文章を書き続けてきました。期待感が先行しているのかも知れませんが、確かに頭のさび付きが緩和されるように感じています。
昔のことを一つ思い出して文章をあれこれ練っていると、関連して次々と様々なことが思い出されてくるようになりました。記憶の連鎖が、関連することを忘却の衝立の陰から引き出してくるようです。脳の関係する部分が活性化されるようです。
毎日几帳面に綿密に日記を書くのは「三日坊主」の典型のような私には無理だろうと自覚して、何事か考えたこと、考えさせられたことを折々に、時間がないときはキーワードか1、2行だけでもメモにしておくようにしてみました。
これはなかなか効果的でした。
「後で」と思っていると、まず確実に忘れてしまうので「直ぐに」が必須と心得ています。
「直ぐに」をモットーにネタを仕込んでおいて、メモっておいて、時間を都合つけてはパソコンに向かい文章化を試みました。
ちょっとした題材についての短編でも、まとめ上げると達成感を覚えるものでした。
起承転結を意識しながら内容を整理することで頭が活発に働くように感じますし、文章に纏めたことへの満足感を覚えます。
所在ないままに無為に過ごす時間が減って、生活にリズム感が出てくるというプラス効果も出てきました。
初めは遅々として進まなかったものが、次第にあれもこれもと思い出される様になってきました。点の存在であった記憶やメモが線に繋がって、全体の構想というか視界が開けて面となって広がることを体験しました。
何時も文章を書いている人は、この辺がきちっと整理されているのでしょうが、初体験の私にとっては新鮮な感覚でした。
思うように進まない時も、それなりに原稿を書き続けていると、少しずつ先が見えるような気がしてきて、それに勇気づけられてさらに作業を続けることが出来たりしました。
なかなか納得できるような表現とか文の構成が出来なくても、兎に角、文章を書き綴っていると次第に頭が活性化してくるような気がしたものでした。
文章を書き直したり、組み替えたりする為にパソコンは実に重宝なもので、指先でポツンポツンと打つ者にとっても、なくてはならない利器であります。
昔、原稿用紙に手書きしていた作家の構想力、文章力の凄さを思い知らされます。
「パソコンなどでキーを打っているのでは脳を訓練する効果はない。自分で字を書くことが大切だ」という意見も拝見しますが、そうと限ったものでもないと体験上から言えそうに思います。理想は兎も角として、実行して、続けることが肝要だと思っています。
漠然とした思いの中からいくつかのキーワードをとりだし、これを点から線へ、更に面へと肉付けていく。読む人が読みやすいようにと配慮する。これらの一連の頭の働きが文章を書くことによって訓練されるようでした。
文章化する作業を日常続けることは、頭の柔軟体操に実に効果的だと思っています。
文章の上手、下手を言い出したら何も出来ません。作家になろうという訳けではないのですから、文章技術、技能の問題は無視して、ただ、及ばずながらも読みやすい文章でありたいと願い、努めています。
といってもこれがなかなかの難事で、書いた物を読み返してみると自分でも何を言っているのか分からなかったり、くどくどと言い回したり、読んで下さいというには程遠いことも再三ではあります。
3・2 ブログを書き続ける所以
(1)生活にリズム感がでてきました
何事も訓練と割り切って、何時の日か「読みやすい」と言われるような文章を書けることを夢見ながら書き綴っています。ブログを書き続ける所以の一つは此処にあります。
ブログを書き続けていると、所在ないままに無為に過ごす時間が減って、生活にリズム感が出てくるというプラス効果も感じられます。自己満足と言えばそれまでですが、大小様々ながら満足感・充実感をもたらせてくれる存在です。
(2)アンテナが磨かれ、意識が前向きになった様に思います
また、ブログを書き続ける今一つの動機があります。
新聞やテレビなどを見聞きしていて、「おやっ」と思うこと、「ほう」と思うようなことでも、以前はそれでお終いでした。
そのまま忘れてしまっていたようなことが、ブログを書くようになってからは感受性が高まったとでもいうのでしょうか、テーマによってはもう一歩掘り下げて調べたり考えたりするようになりました。
ブログを書くという意識がそうさせるのかも知れません。
辿々しい文面でも、初めはなかなか纏まらなかったものが、次第に言葉が繋がるようになってきたように思います。
「頭が少し回るようになってきたのかな」と都合の良いように思ったりもします。
人様に大きな迷惑をかけることではないし、これもまたよし! と、自分勝手に思っています。
「忘れ」が緩和されてきたようにも思っています。