2012年04月11日
A070・「足るを知る」
1、「アクセル」か「ブレーキ」か
人は体力・気力がある限り「より良く」「より多く」を求め続けます
これを「欲望」と見ると
「満足することを知らなければ、幸せになれません」という話になり、
これを「夢」「希望」と見ると、
「何処までも追い求め続けるところに進歩発展があり、幸せへの道がある」という話しになります。
「足を知る」か「足らざるを知る」か、
「アクセル」か「ブレーキ」か
人生、表もあれば裏もある。
目先のことに拘泥するか、先を見て考え、行動するか
「自分本位」で行くか「お互い様」で行くか
ただ、「人間は一人では生きられない」という絶対的な真実があります。
生を受けた「この世」は「多くの人」で成り立っています。
こう考えながら、頑張りすぎない程度に頑張って生きていこうと思っています。
人は体力・気力がある限り「より良く」「より多く」を求め続けます
これを「欲望」と見ると
「満足することを知らなければ、幸せになれません」という話になり、
これを「夢」「希望」と見ると、
「何処までも追い求め続けるところに進歩発展があり、幸せへの道がある」という話しになります。
「足を知る」か「足らざるを知る」か、
「アクセル」か「ブレーキ」か
人生、表もあれば裏もある。
目先のことに拘泥するか、先を見て考え、行動するか
「自分本位」で行くか「お互い様」で行くか
ただ、「人間は一人では生きられない」という絶対的な真実があります。
生を受けた「この世」は「多くの人」で成り立っています。
こう考えながら、頑張りすぎない程度に頑張って生きていこうと思っています。
2、「足るを知る」
以前、この問題について駄文を連ねたことがあります。
改めて読み返すべく、願わくばご一読願いたく、以下に引用いたします。
中学時代の同級生四人と久し振りに会って懇談したとき(因みに私は今後期高齡者、60年来の友人です)、一人が原始仏教の研究会に入って、毎月一回の会合に出ていると話し出してビックリさせられました。
彼が言うに「これからどう生きようか」と考えたとき、仏教を意識したとのこと。そうして今「足るを知る」を考えているとのことでした。
「足るを知る」とは!
その時、予備知識は何もなく、後で調べて「足るを知る」は老子の教えから来ていることを知りましたが、私には老子とか孟子とかの素養は全くと言って良いくらいです。
第一感「現状で満足」と受け取って、「我々の年代では、”分相応に”というのも大切だろうが、自分はモットーとしている”ゆっくりと右肩上がり”を目指しているので、これとのバランスで考えたい」。つまり「もう一歩先を求めたい」と言うと、
別の友人からは「若い内は”挑戦”の意欲が強い方がよいのではないか。やり直しがきくのだから」との意見も出ました。
更なる挑戦という意味では「足らざるを知る」という言葉があっても良さそうに思えます。
勿論この問題を言い出した友人は、この辺のことは十分に承知の上でのことでしょうし、より深く考えているのだろうとは思いながら、中学以来の友人でお互いに気心が通じる気安さからの話しが続きました。
因みに故事・ことわざ辞典によると、
「足を知る」;これで十分だということがわかる。自分の能力や環境に応じて、これで十分だと満足すること。とあります。
故事・ことわざの類には大体表と裏があるようで、この場合も
・「足るを知る」「足らざるを知る」
・「現状で満足」か「更なる挑戦」か
の両方を並べて、「さあどうしようか」と考えると迷ってしまいます。
行き着くところ、”最後に決めるのは故事・ことわざではなく、自分自身だ”ということになるのでしょう。
自分自身では決めきらずに、故事・ことわざ、更に神・仏に解を求めようとすると、宗教に行き着くのかも知れません。
3、「故事・ことわざ」に見る表と裏
”世界のことわざ辞典”を開くと、イの一番の項目は「ああ言えばこう言う」でした。
(1)私たちセカンドライフ世代は経験豊富、生活の知恵・知識が豊富と心得て
「亀の甲より年の功」
「老いたる馬は道を忘れず」
「腐っても鯛」、
「Older and wiser・・」
と、粋がっていると
「麒麟も老いては駄馬に劣る」
「秋の入り日と年寄りは段々落ち目になる」
「老いては子に従え」
「年寄りの冷や水」
「昔千里も今一里」
と反撃されそうです。
(2)標題の「足るを知る」に関連して”慎重に、手堅く生きようと”と思うと
「君子危うきに近寄らず」
「石橋を叩いて渡る」
「浅い川でも深く渡れ」
「転ばぬ先の杖」「念には念を入れよ」
「命あっての物種」
「急がば回れ」
等々の先人訓がありますが、一方、若者向けに挑戦意欲を鼓舞する面からは
「当たって砕けろ」
「のるかそるか」
「一か八か」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
「運否天賦」
「乾坤一擲」
「案じるより生むが易し」
「馬には乗ってみよ人には添うてもよ」
と続きます。
「どっちを見たらよいの?」と、迷ってしまいます。しかし世の中はこれでバランスがとれているのだと考えてもよさそうです。
(3)参照している辞典の解説に曰く
「”盾の両面を見よ”ということわざがある。真理は常に物事の一面にはないものだ。相反することわざを通用させているところに、人間の知恵の深さがあると言えよう」。
「ごもっとも」と、思います。
それにしても、語り継がれてきた故事・ことわざの内容もさることながら、言葉の妙に魅せられます。言葉の響きの良さ、言いやすさ、まさに言葉の技、「ことわざ」を感じます。
以前、この問題について駄文を連ねたことがあります。
改めて読み返すべく、願わくばご一読願いたく、以下に引用いたします。
中学時代の同級生四人と久し振りに会って懇談したとき(因みに私は今後期高齡者、60年来の友人です)、一人が原始仏教の研究会に入って、毎月一回の会合に出ていると話し出してビックリさせられました。
彼が言うに「これからどう生きようか」と考えたとき、仏教を意識したとのこと。そうして今「足るを知る」を考えているとのことでした。
「足るを知る」とは!
その時、予備知識は何もなく、後で調べて「足るを知る」は老子の教えから来ていることを知りましたが、私には老子とか孟子とかの素養は全くと言って良いくらいです。
第一感「現状で満足」と受け取って、「我々の年代では、”分相応に”というのも大切だろうが、自分はモットーとしている”ゆっくりと右肩上がり”を目指しているので、これとのバランスで考えたい」。つまり「もう一歩先を求めたい」と言うと、
別の友人からは「若い内は”挑戦”の意欲が強い方がよいのではないか。やり直しがきくのだから」との意見も出ました。
更なる挑戦という意味では「足らざるを知る」という言葉があっても良さそうに思えます。
勿論この問題を言い出した友人は、この辺のことは十分に承知の上でのことでしょうし、より深く考えているのだろうとは思いながら、中学以来の友人でお互いに気心が通じる気安さからの話しが続きました。
因みに故事・ことわざ辞典によると、
「足を知る」;これで十分だということがわかる。自分の能力や環境に応じて、これで十分だと満足すること。とあります。
故事・ことわざの類には大体表と裏があるようで、この場合も
・「足るを知る」「足らざるを知る」
・「現状で満足」か「更なる挑戦」か
の両方を並べて、「さあどうしようか」と考えると迷ってしまいます。
行き着くところ、”最後に決めるのは故事・ことわざではなく、自分自身だ”ということになるのでしょう。
自分自身では決めきらずに、故事・ことわざ、更に神・仏に解を求めようとすると、宗教に行き着くのかも知れません。
3、「故事・ことわざ」に見る表と裏
”世界のことわざ辞典”を開くと、イの一番の項目は「ああ言えばこう言う」でした。
(1)私たちセカンドライフ世代は経験豊富、生活の知恵・知識が豊富と心得て
「亀の甲より年の功」
「老いたる馬は道を忘れず」
「腐っても鯛」、
「Older and wiser・・」
と、粋がっていると
「麒麟も老いては駄馬に劣る」
「秋の入り日と年寄りは段々落ち目になる」
「老いては子に従え」
「年寄りの冷や水」
「昔千里も今一里」
と反撃されそうです。
(2)標題の「足るを知る」に関連して”慎重に、手堅く生きようと”と思うと
「君子危うきに近寄らず」
「石橋を叩いて渡る」
「浅い川でも深く渡れ」
「転ばぬ先の杖」「念には念を入れよ」
「命あっての物種」
「急がば回れ」
等々の先人訓がありますが、一方、若者向けに挑戦意欲を鼓舞する面からは
「当たって砕けろ」
「のるかそるか」
「一か八か」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
「運否天賦」
「乾坤一擲」
「案じるより生むが易し」
「馬には乗ってみよ人には添うてもよ」
と続きます。
「どっちを見たらよいの?」と、迷ってしまいます。しかし世の中はこれでバランスがとれているのだと考えてもよさそうです。
(3)参照している辞典の解説に曰く
「”盾の両面を見よ”ということわざがある。真理は常に物事の一面にはないものだ。相反することわざを通用させているところに、人間の知恵の深さがあると言えよう」。
「ごもっとも」と、思います。
それにしても、語り継がれてきた故事・ことわざの内容もさることながら、言葉の妙に魅せられます。言葉の響きの良さ、言いやすさ、まさに言葉の技、「ことわざ」を感じます。