2012年03月30日
A058・「自然体」という健康習慣
1、「自然体」とは
良い姿勢を保つことに憧れています。背筋がピーンと伸びている人を見るのは気持ちの良いもので、自分もそうありたいと願っています。健康である為の基本のようにも思います。
「自然体」! ふと、こんな言葉が思い浮かびました。分かるようで、何となくつかみ所がない言葉です。先ずは!ということで意味を調べてみました。
良い姿勢を保つことに憧れています。背筋がピーンと伸びている人を見るのは気持ちの良いもので、自分もそうありたいと願っています。健康である為の基本のようにも思います。
「自然体」! ふと、こんな言葉が思い浮かびました。分かるようで、何となくつかみ所がない言葉です。先ずは!ということで意味を調べてみました。
意外なことに「広辞林」(三省堂)にも「国語辞典」(三省堂)にも載っていません。
日本語大辞典(講談社)には
「自然体」;
・自然に立った姿勢。意気込んだり、気負ったりしない、ありのままである様。
・武道や格技の構え。とあります。
ホームページを検索しましたが、誰もが共通してイメージ出来るような、言を得て妙なるものには出会えません。
見当たらないのが答えなのか?!とも思います。
無理に定義づけようとすること自体が「自然体」でないように思えます。
何か禅問答になりそうです。
学生時代に柔道を始めたとき、最初に「自然体」なるものを教わりました。
「意気込んだり、気負ったりしない。力まずに、自然な姿勢をたもつ」
「肩の力が抜けて、何処にも力みがない。さりとて全身に神経が張り巡らされていて、如何なる徴候にも敏感に反応できる状態」
「自然体」とはこの様な状態と思って、この先の話を進めます。
言葉にするとこうなりますが、実際に取り組むとなかなか出来ません。会得にはほど遠いまま学校を卒業し、社会人になってサラリーマン生活も卒業して、
「自然体」を教わってから半世紀以上経った今でも、悟りの境地にはほど遠い有様です。
「ハッピー健康習慣」を身につけようと思いながら、気がつけば肩に力が入っているし、背中は曲がっているし、素直な気持ちにはなれずに片意地はっているし、・・・こんなことが再三です。
心身ともに「不自然体!」が現状です。まだまだ修行が足りません。だからと言って鉢巻き巻いて歯を食いしばって修行しようと言うのではありません。
頑張りすぎない程度に頑張って、自分流で少しだけ頑張って、いつの間にか自然体で人生を送れるようになりたいものだと思っています。
2、体の自然体〜背筋を伸ばしていたい
「背筋を何時も伸ばしていたい」とかねてから願い、斯くあるべく折々に自己チェックしています。
歩く姿、座った姿で、背筋がピーンと伸びている人を見るのは気持ち良いもので、私もかくありたいと願っています。
歩いているときは比較的良い(と自分では思う)のですが、
座っている時は全く駄目で、気がつくと背中が丸くなっています。都度、姿勢を直すのですが、どうも長続きしません。
最近、電車で浅く座り足を投げ出している人をよく見かけます。これ程ではないにしても、背中が丸くなってしまいがちな自分の座り姿勢を正すことが目下の課題です。
過日、テレビのおしゃべり番組で、タレントさん同士の話しに「撮影時、本番スタートと同時に背筋がピーンと張って、カットと同時にデレッとなる」とありました。このような営業用の「良い姿勢」があることを知って、何か近親感を覚えました。
なれど、目指すのは身についた本物の「良い姿勢」です。修行を積んだ本物の役者さんのそれです。永遠の課題になるかも知れませんが、目指していこうと思っています。
背中が丸くなっているときは、腹が凹んでいて、肩がデレッと落ちています。腹が凹むのは腹筋、背筋が弱いのかと思い、少し鍛えてみようか?などとぼんやり考えたりしますが、実現の気配はありません。
3、心の自然体 〜気配り、余裕
人への思いやり、気配りの大切さは分かっているつもりでも、いざとなると私利・私欲が先にたちます。話しをしても相手の言うことを良く聞かず、途中で遮って、我が意を押しつけようとすることがあります。
この無礼さ、みっともなさは、テレビの討論番組で躾の悪い国会議員や評論家が司会者や冷静な他の出演者の制止を意に介せずわめき続ける様が良い見本となります。
「人の振り見て我がふり直せ!」
分かっているつもりでも、イザとなるとツイツイ。凡人の悲しさでしょうか。
「心に余裕がない」ことが起因なのでしょうが、願わくば「心の自然体」が定着するように、これからを過ごしたいと願います。
おいそれ改善出来るとは思いませんが、及ばずながら「気持ちだけ」でも持ちたいと願っています。
日本語大辞典(講談社)には
「自然体」;
・自然に立った姿勢。意気込んだり、気負ったりしない、ありのままである様。
・武道や格技の構え。とあります。
ホームページを検索しましたが、誰もが共通してイメージ出来るような、言を得て妙なるものには出会えません。
見当たらないのが答えなのか?!とも思います。
無理に定義づけようとすること自体が「自然体」でないように思えます。
何か禅問答になりそうです。
学生時代に柔道を始めたとき、最初に「自然体」なるものを教わりました。
「意気込んだり、気負ったりしない。力まずに、自然な姿勢をたもつ」
「肩の力が抜けて、何処にも力みがない。さりとて全身に神経が張り巡らされていて、如何なる徴候にも敏感に反応できる状態」
「自然体」とはこの様な状態と思って、この先の話を進めます。
言葉にするとこうなりますが、実際に取り組むとなかなか出来ません。会得にはほど遠いまま学校を卒業し、社会人になってサラリーマン生活も卒業して、
「自然体」を教わってから半世紀以上経った今でも、悟りの境地にはほど遠い有様です。
「ハッピー健康習慣」を身につけようと思いながら、気がつけば肩に力が入っているし、背中は曲がっているし、素直な気持ちにはなれずに片意地はっているし、・・・こんなことが再三です。
心身ともに「不自然体!」が現状です。まだまだ修行が足りません。だからと言って鉢巻き巻いて歯を食いしばって修行しようと言うのではありません。
頑張りすぎない程度に頑張って、自分流で少しだけ頑張って、いつの間にか自然体で人生を送れるようになりたいものだと思っています。
2、体の自然体〜背筋を伸ばしていたい
「背筋を何時も伸ばしていたい」とかねてから願い、斯くあるべく折々に自己チェックしています。
歩く姿、座った姿で、背筋がピーンと伸びている人を見るのは気持ち良いもので、私もかくありたいと願っています。
歩いているときは比較的良い(と自分では思う)のですが、
座っている時は全く駄目で、気がつくと背中が丸くなっています。都度、姿勢を直すのですが、どうも長続きしません。
最近、電車で浅く座り足を投げ出している人をよく見かけます。これ程ではないにしても、背中が丸くなってしまいがちな自分の座り姿勢を正すことが目下の課題です。
過日、テレビのおしゃべり番組で、タレントさん同士の話しに「撮影時、本番スタートと同時に背筋がピーンと張って、カットと同時にデレッとなる」とありました。このような営業用の「良い姿勢」があることを知って、何か近親感を覚えました。
なれど、目指すのは身についた本物の「良い姿勢」です。修行を積んだ本物の役者さんのそれです。永遠の課題になるかも知れませんが、目指していこうと思っています。
背中が丸くなっているときは、腹が凹んでいて、肩がデレッと落ちています。腹が凹むのは腹筋、背筋が弱いのかと思い、少し鍛えてみようか?などとぼんやり考えたりしますが、実現の気配はありません。
3、心の自然体 〜気配り、余裕
人への思いやり、気配りの大切さは分かっているつもりでも、いざとなると私利・私欲が先にたちます。話しをしても相手の言うことを良く聞かず、途中で遮って、我が意を押しつけようとすることがあります。
この無礼さ、みっともなさは、テレビの討論番組で躾の悪い国会議員や評論家が司会者や冷静な他の出演者の制止を意に介せずわめき続ける様が良い見本となります。
「人の振り見て我がふり直せ!」
分かっているつもりでも、イザとなるとツイツイ。凡人の悲しさでしょうか。
「心に余裕がない」ことが起因なのでしょうが、願わくば「心の自然体」が定着するように、これからを過ごしたいと願います。
おいそれ改善出来るとは思いませんが、及ばずながら「気持ちだけ」でも持ちたいと願っています。