2012年03月29日
A057「老後に夫と同居→妻死亡リスク2倍」との新聞記事(2)
前回 1、「偕老同穴」が普通と思いたい
今回目次
2、調査結果への対策(案)
2、調査結果への対策(案)
(1)一般論ではないと理解する
「老後に夫と同居→妻死亡リスク2倍!」
いきなり、これだけを言われたら、老後の夫は肩身が狭くなってしまいます。
あくまでも、ある条件下においての話と理解するのが適当と思います。
熟年離婚を話題に取り上げたい人には格好の題材でしょうが、この記事は一つの問題提起であるかも知れませんが、社会一般に普遍妥当性があるとは考え難いと思います。
見出しの文言に何か前提条件を付けて欲しかったと思っています。
何処の家でも、程度の差こそあれ、どちらか或いは両方の我がまま、身勝手、配慮不足による行き違いはあって、双方が百点満点のケースなどないと見るのが常識的と思います。あくまでも限定された条件下でのことと理解いたしたく思います。
(2)「相互依存部分」と「独立部分」を区分する
生活の基盤となる家計・家事の分担を決めた上で、それ以外の時間の使い方はお互いに自由として認め合う。というケースが増えているようです。健康的な選択肢の一つではないでしょうか。
女性の言い分で「主人は一日中テレビの前に寝転がり、何かに付けて批判がましく口を出されるのがたまらない」というのが一つのパターン。
妻に早く死んでほしい夫はこの様に行動すれば、妻の死亡リスクは倍になります。調査結果を意地悪く言い直すとこんな言い方も出来そうですが、悪い冗談です。
此れでは男として情けないですよね。よもやこんな人は居り悪いますまい。
最近はお互いの趣味などを認め合っている家庭が増えているようで、野に山に、各種学校に、習い事に外出する女性が随分多いようです。
(3)夫が自分の身の回りのことなどを自分でする。妻に依存しない。自立する。
・調査を行なったお医者さんのコメントは此れに相当します。
・「うちの主人は私が居ないと身の回りも食事のことも全く駄目。食べた食器の片付けもしない・・」。
よく耳にする話です。のろけているのか、グチなのか知りませんが、この位のことは配偶者に頼らずに、自分で出来るようにしておかないと、自分が先立たない限り困るのは自分。
ということになりますね。「男子厨房に入らず」などと粋がっては居れません。
・「男の料理教室」が盛んだそうです。割烹着姿で講習を受ける様を想像すると、なかなかの親しみを感じます。
・私は幸か不幸か単身赴任を3回、計12年行ないましたので(この間、月に何度か相互に行ったり来たりしましたが)自分の食事・身の回り位は自己流で何とか不自由なくこなせます。
特別に割烹着と改まらなくても、ちょっと腕まくりするだけでOKです。
依存型の方はこの際ちょっと自立訓練をなさってみては如何ですか。
因みに私は病歴20数年のベテラン糖尿病患者です。食事は大体は女房殿が調理しますが、
血糖値コントロールのため、メニュー・量のポイント調整は自分でします。
糖尿病を改善出来るのは、お医者さんでもなく、奥さんでもなく、自分自身であることを自覚した生活習慣を続けるために行っています。
自分の考えを整理するつもりで駄文を連ねました。
今更書き並べるようなことでもなく、当たり前のことですが、読み返していて次のようなことに思い当たりました。
「自分のことは分かっているつもりでいても、案外分かっていない」
「相手のことは良く見える」
「自分のことは棚に上げて、相手を悪し様に言う」
長年連れ添ってきた夫婦であればこそ、お互いに欠点を知り尽くしておればこそ、人一倍気配り、思いやりがあってしかるべきなのに、心の内では思っていても態度に出せなかったり、理屈ではわかっていても、つい・・。凡人の悲しいところです。
落語の熊さんだったか、八っさんだったかとおかみさんは年中悪口雑言で罵り合っていても、人生の機微を心得ているようで、お互いを認め合っています。
お互いに凡人である事を素直に認め合えば、一歩ゆずりあうことが出来れば、相手の欠点をつつき合うことも減って、表題のような「老後に夫と暮らすと、妻の死亡リスクが2倍に高まる」などという悲しいことにはならないと思うのです。
(一方が寝たきりとか重度の痴呆などのケースは夫、妻共に同じ確率でありうるとして除外して考えます)
あれこれ駄弁を連ねましたが、今以てこの度の調査結果への疑問は残ったままです。
特定の地域性とか何かの特殊な要因が絡んでのことであって欲しいと願っています。
今回目次
2、調査結果への対策(案)
2、調査結果への対策(案)
(1)一般論ではないと理解する
「老後に夫と同居→妻死亡リスク2倍!」
いきなり、これだけを言われたら、老後の夫は肩身が狭くなってしまいます。
あくまでも、ある条件下においての話と理解するのが適当と思います。
熟年離婚を話題に取り上げたい人には格好の題材でしょうが、この記事は一つの問題提起であるかも知れませんが、社会一般に普遍妥当性があるとは考え難いと思います。
見出しの文言に何か前提条件を付けて欲しかったと思っています。
何処の家でも、程度の差こそあれ、どちらか或いは両方の我がまま、身勝手、配慮不足による行き違いはあって、双方が百点満点のケースなどないと見るのが常識的と思います。あくまでも限定された条件下でのことと理解いたしたく思います。
(2)「相互依存部分」と「独立部分」を区分する
生活の基盤となる家計・家事の分担を決めた上で、それ以外の時間の使い方はお互いに自由として認め合う。というケースが増えているようです。健康的な選択肢の一つではないでしょうか。
女性の言い分で「主人は一日中テレビの前に寝転がり、何かに付けて批判がましく口を出されるのがたまらない」というのが一つのパターン。
妻に早く死んでほしい夫はこの様に行動すれば、妻の死亡リスクは倍になります。調査結果を意地悪く言い直すとこんな言い方も出来そうですが、悪い冗談です。
此れでは男として情けないですよね。よもやこんな人は居り悪いますまい。
最近はお互いの趣味などを認め合っている家庭が増えているようで、野に山に、各種学校に、習い事に外出する女性が随分多いようです。
(3)夫が自分の身の回りのことなどを自分でする。妻に依存しない。自立する。
・調査を行なったお医者さんのコメントは此れに相当します。
・「うちの主人は私が居ないと身の回りも食事のことも全く駄目。食べた食器の片付けもしない・・」。
よく耳にする話です。のろけているのか、グチなのか知りませんが、この位のことは配偶者に頼らずに、自分で出来るようにしておかないと、自分が先立たない限り困るのは自分。
ということになりますね。「男子厨房に入らず」などと粋がっては居れません。
・「男の料理教室」が盛んだそうです。割烹着姿で講習を受ける様を想像すると、なかなかの親しみを感じます。
・私は幸か不幸か単身赴任を3回、計12年行ないましたので(この間、月に何度か相互に行ったり来たりしましたが)自分の食事・身の回り位は自己流で何とか不自由なくこなせます。
特別に割烹着と改まらなくても、ちょっと腕まくりするだけでOKです。
依存型の方はこの際ちょっと自立訓練をなさってみては如何ですか。
因みに私は病歴20数年のベテラン糖尿病患者です。食事は大体は女房殿が調理しますが、
血糖値コントロールのため、メニュー・量のポイント調整は自分でします。
糖尿病を改善出来るのは、お医者さんでもなく、奥さんでもなく、自分自身であることを自覚した生活習慣を続けるために行っています。
自分の考えを整理するつもりで駄文を連ねました。
今更書き並べるようなことでもなく、当たり前のことですが、読み返していて次のようなことに思い当たりました。
「自分のことは分かっているつもりでいても、案外分かっていない」
「相手のことは良く見える」
「自分のことは棚に上げて、相手を悪し様に言う」
長年連れ添ってきた夫婦であればこそ、お互いに欠点を知り尽くしておればこそ、人一倍気配り、思いやりがあってしかるべきなのに、心の内では思っていても態度に出せなかったり、理屈ではわかっていても、つい・・。凡人の悲しいところです。
落語の熊さんだったか、八っさんだったかとおかみさんは年中悪口雑言で罵り合っていても、人生の機微を心得ているようで、お互いを認め合っています。
お互いに凡人である事を素直に認め合えば、一歩ゆずりあうことが出来れば、相手の欠点をつつき合うことも減って、表題のような「老後に夫と暮らすと、妻の死亡リスクが2倍に高まる」などという悲しいことにはならないと思うのです。
(一方が寝たきりとか重度の痴呆などのケースは夫、妻共に同じ確率でありうるとして除外して考えます)
あれこれ駄弁を連ねましたが、今以てこの度の調査結果への疑問は残ったままです。
特定の地域性とか何かの特殊な要因が絡んでのことであって欲しいと願っています。