2012年03月11日
A039 糖尿病での失敗体験(2)
<前回>
1、自覚不足
<今回目次>
2、「思いこみ」が適正な治療を妨げた
3、改めて思うこと
1、自覚不足
<今回目次>
2、「思いこみ」が適正な治療を妨げた
3、改めて思うこと
2、「思いこみ」が適正な治療を妨げた
糖尿病治療を始めてから10年近く経って、糖尿病患者としてはベテランとなりましたが血糖値は一向に下がらずA1c(%)は8%〜9%台を行ったり来たりしていました。
主治医の先生から経口薬からインスリン注射に変える様に言われましたが、インスリンを忌避する「思いこみ」が強く、受け入れなかったため、治療面で有害無益な遠回りをしてしまいました。
「糖尿病」と診断された頃、「インスリンを注射すると膵臓が怠けてインスリンを出さないようになります。今のうちに経口薬でしっかり療養してください。」とのお説を拝聴し、「大福餅など以ての外!」などなど厳しい食事制限を指導されました。また、当時はインスリンに対しては暗いイメージがありました。
新人の患者に対して戒めと励ましを込めての話だったのでしょうが、真面目な患者は「アンチインスリン」の「思いこみ」に取り付かれていました。
こうと信じ思い込んでしまうと、状況が変わってもその変化に気づかず、或いは過小評価して、ひたすら従前の「思いこみ」に拘ることがあります。
第三者から見れば、或いは当人でも後になってからは容易に気づくのですが、渦中にあるときは、なかなかわかりません。まさにこの通りの大きな失敗を経験しました。
「血糖値をコントロール出来る環境を整える」というのが退職した理由の大きな一つでしたが、格段に良くなったはずの生活環境にあっても思うように数値の改善は見られず、退職後数年間はA1Cが7%〜8%〜9%台を行き来していました。
最初に「糖尿病」と診断されてから10年以上経過して感染症の懸念も視野に入ってきました。主治医の先生からインシュリン注射の話が出されたのですが、これを拒否する「思い込み」があって、受け入れようとしなかったのです。
それから1年半ほど危機感を持ちながらカロリー制限と運動を強化したのですが、願いとは逆にA1cが12%~13%台に跳ね上がってきました。
待ったなしの心境で別病院のドクターにセカンドオピニオンを求め、検査・診断の結果を見ながら懇切丁寧な説明を聞き、その説明に納得してインシュリン注射を始めました。
インシュリン治療に切り替えた結果、怖い合併症に対しては発症手前で忌避の舵を一杯に切ることが出来たように思われました。かろうじて合併症の恐怖から逃れることが出来たようで、A1c(%)は望ましい方向に改善され、まずまずの水準(A1c 6%台前)を維持できています。50KGそこそこの過度に痩せていた状態から、主治医の先生から言われた管理目標体重59,6KGに戻ってきました。(以前は64~65KG位が普通でしたので、半年で15KGも痩せてしまっていたのです)
今後に希望を持ち、夢を持てるような状態にあることを嬉しく、有難く思いながら毎日を過ごしています。
自分のインシュリン拒否への偏った思い込みから、カロリー制限と運動と飲み薬による治療を頑なに行い、事態の変化への対応が留守になってしまって、無駄なというより有害な遠回りをしてしまいました。
A1cの上昇が食い止められ、逆に安全域まで下がってきて危機を脱しえたと言われた時は、低くかかっていた雨雲が切れてその間から一筋の陽の光が差し込んできた思いでした。
この思い、安堵感は多分生涯忘れないことでしょう。セカンドオピニオンを求めたのは大正解だったと胸をなで下ろしたことでした。
これからも糖尿病と無駄な争いをしないように、仲良く付き合っていこうと思っています。
3、改めて思うこと
(1)血糖値(A1c%)のコントロールが順調に進んで気持ちに余裕が出てきた頃、ふと思ったのは「最初の病院で、主治医の先生からセカンドオピニオンと同じような丁寧で納得のいく説明があったなら、この様な回り道をしなくても良かったのではないか」と言うことでした。
10年以上も主治医であった先生から見ると「改めての説明」は必要なかったのかも知れません。しかし患者は「インシュリン拒否の思いこみ」を持っていました。
セカンドオピニオンを求め、かろうじて改善の道を得たから良いけれど、従前のまま躊躇が続いて合併症が出てしまっては大変なことでした。
治療法の選択は患者の責任ではあるけれど、悪い結果に至ったときには医師に怨み辛みを覚えることになりそうです。
だからといって救われる訳ではなし、自分をしっかり見つめることの大切さを強く反省させられました。
(2)糖尿病に限らず生活習慣病は長年にわたって治療が続きます。”燃え尽き”てしまって、治療の中断が起こってしまうケースが少なくないようです。生活習慣病の厄介さを改めて思います。
一病息災などでプラス思考で行きたいものだと思います。
こう自分に語りかけて、これからを過ごしていきたいと願っています。
糖尿病治療を始めてから10年近く経って、糖尿病患者としてはベテランとなりましたが血糖値は一向に下がらずA1c(%)は8%〜9%台を行ったり来たりしていました。
主治医の先生から経口薬からインスリン注射に変える様に言われましたが、インスリンを忌避する「思いこみ」が強く、受け入れなかったため、治療面で有害無益な遠回りをしてしまいました。
「糖尿病」と診断された頃、「インスリンを注射すると膵臓が怠けてインスリンを出さないようになります。今のうちに経口薬でしっかり療養してください。」とのお説を拝聴し、「大福餅など以ての外!」などなど厳しい食事制限を指導されました。また、当時はインスリンに対しては暗いイメージがありました。
新人の患者に対して戒めと励ましを込めての話だったのでしょうが、真面目な患者は「アンチインスリン」の「思いこみ」に取り付かれていました。
こうと信じ思い込んでしまうと、状況が変わってもその変化に気づかず、或いは過小評価して、ひたすら従前の「思いこみ」に拘ることがあります。
第三者から見れば、或いは当人でも後になってからは容易に気づくのですが、渦中にあるときは、なかなかわかりません。まさにこの通りの大きな失敗を経験しました。
「血糖値をコントロール出来る環境を整える」というのが退職した理由の大きな一つでしたが、格段に良くなったはずの生活環境にあっても思うように数値の改善は見られず、退職後数年間はA1Cが7%〜8%〜9%台を行き来していました。
最初に「糖尿病」と診断されてから10年以上経過して感染症の懸念も視野に入ってきました。主治医の先生からインシュリン注射の話が出されたのですが、これを拒否する「思い込み」があって、受け入れようとしなかったのです。
それから1年半ほど危機感を持ちながらカロリー制限と運動を強化したのですが、願いとは逆にA1cが12%~13%台に跳ね上がってきました。
待ったなしの心境で別病院のドクターにセカンドオピニオンを求め、検査・診断の結果を見ながら懇切丁寧な説明を聞き、その説明に納得してインシュリン注射を始めました。
インシュリン治療に切り替えた結果、怖い合併症に対しては発症手前で忌避の舵を一杯に切ることが出来たように思われました。かろうじて合併症の恐怖から逃れることが出来たようで、A1c(%)は望ましい方向に改善され、まずまずの水準(A1c 6%台前)を維持できています。50KGそこそこの過度に痩せていた状態から、主治医の先生から言われた管理目標体重59,6KGに戻ってきました。(以前は64~65KG位が普通でしたので、半年で15KGも痩せてしまっていたのです)
今後に希望を持ち、夢を持てるような状態にあることを嬉しく、有難く思いながら毎日を過ごしています。
自分のインシュリン拒否への偏った思い込みから、カロリー制限と運動と飲み薬による治療を頑なに行い、事態の変化への対応が留守になってしまって、無駄なというより有害な遠回りをしてしまいました。
A1cの上昇が食い止められ、逆に安全域まで下がってきて危機を脱しえたと言われた時は、低くかかっていた雨雲が切れてその間から一筋の陽の光が差し込んできた思いでした。
この思い、安堵感は多分生涯忘れないことでしょう。セカンドオピニオンを求めたのは大正解だったと胸をなで下ろしたことでした。
これからも糖尿病と無駄な争いをしないように、仲良く付き合っていこうと思っています。
3、改めて思うこと
(1)血糖値(A1c%)のコントロールが順調に進んで気持ちに余裕が出てきた頃、ふと思ったのは「最初の病院で、主治医の先生からセカンドオピニオンと同じような丁寧で納得のいく説明があったなら、この様な回り道をしなくても良かったのではないか」と言うことでした。
10年以上も主治医であった先生から見ると「改めての説明」は必要なかったのかも知れません。しかし患者は「インシュリン拒否の思いこみ」を持っていました。
セカンドオピニオンを求め、かろうじて改善の道を得たから良いけれど、従前のまま躊躇が続いて合併症が出てしまっては大変なことでした。
治療法の選択は患者の責任ではあるけれど、悪い結果に至ったときには医師に怨み辛みを覚えることになりそうです。
だからといって救われる訳ではなし、自分をしっかり見つめることの大切さを強く反省させられました。
(2)糖尿病に限らず生活習慣病は長年にわたって治療が続きます。”燃え尽き”てしまって、治療の中断が起こってしまうケースが少なくないようです。生活習慣病の厄介さを改めて思います。
一病息災などでプラス思考で行きたいものだと思います。
こう自分に語りかけて、これからを過ごしていきたいと願っています。