2013年03月08日
A253・自分流の糖尿病改善マニュアル(3)
2、自分流の糖尿病改善;運動について
(2−2)心の運動
糖尿病の原因の一つに「ストレス」が上げられます。
話としては分かるような気がしますが、「それではストレスが溜まらないようにするにはどうするの?」と我が身に問うと、おいそれと答えは出てきません。
思惑通りストレスの無い生活が出来ればハッピーですが、今の世はストレスの中で生きるようなものですから「無い物ねだり!」のよう気がします。
といって諦めてしまっては前に進めません。
自分なりに体験をもとにあれこれ考えると、試行錯誤の中から、目から鱗、これからの道が見えてくるように思えます。
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(2−2)心の運動
糖尿病の原因の一つに「ストレス」が上げられます。
話としては分かるような気がしますが、「それではストレスが溜まらないようにするにはどうするの?」と我が身に問うと、おいそれと答えは出てきません。
思惑通りストレスの無い生活が出来ればハッピーですが、今の世はストレスの中で生きるようなものですから「無い物ねだり!」のよう気がします。
といって諦めてしまっては前に進めません。
自分なりに体験をもとにあれこれ考えると、試行錯誤の中から、目から鱗、これからの道が見えてくるように思えます。
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現役時代は仕事の成果を上げる為に、自分本位の見方・考え方が上位にありました。
「怒る」「叱る」を推奨するような職場環境がありました。個人の生活でもこの風潮に支配されがちでした。怒る方も、怒られる方もストレス覚えます。
人間には自己防衛本能がありますから、自分の利益を損なったり、更には危害を及ぼすものに対しては、対立心・敵意を持って対処するのは自然の成り行きです。
ただ、この対処には「幅」があって、「敵対・排除」から「相手との融和」までのどの辺りに自分を置くか!?の違いがストレス大小と関連するだろうと思われます。
「人は年を取ると丸くなる」と昔から言われます。
気力が衰えて、闘争心が弱まるためでしょうか?
仕事の現役か引退後かの違いがあるとも思われます。しかしこれだけではなく、
人は人生経験を積み重ね、何度も辛い思いを繰り返す中から、次第に、或いは何かを契機に「相手の気持ちを察し、自分も嫌な思いをしない」という極意を身につけて来るものだと思います。
私もここ数年、折々に、我ながら穏やかになったものだと思うようになりました。
悟りの境地に近づいたのでしょうか?
90歳台、100歳以上の方も珍しくなくなって、直接話していたりテレビの画面で拝見したりしている時、豊富な人生経験によるものでしょうが、何気ない一言、何気ない仕草にハッとさせられることがあります。
一方、幼稚園児の孫達と接しているとき、見るもの聞くもの全てを覚えようとするかのような真剣な眼差し、目の輝きは、大人達が忘れていたひた向きさを思い起こさせられます。
これが小学生になると、急に小学生らしくなり、1年、1年驚くほどに急速に進歩・成長します。ついつい自分の殻に引きこもり、惰性に過ごしがちな我が身を反省させられます。
「人の振り見て 我がふり直せ」
「人は一人で生きるに非ず 影響し合っていきるもの」などと思いながら、
「人の輪」「会話の場」を大切にしてきました。
「もう年だ」などと思わずに、家に閉じこもらずに、大空のもとで心を開きましょう!と
呼びかけてきました。自分に言い聞かせてきました。
最初は敷居が高く感じますが、エイヤッと出てしまうと、出かけて良かったと思ったことでした。
「草木」を愛で、里山など近郊の自然を楽しんできました。森や林を歩き、木々に囲まれていると、その何十年もの、時には何百年もの歴史に圧倒されます。森林浴に心洗われます。
街中で道を歩くとき、人に迷惑をかけないように心する。この気配り、思いやりの心、心のゆとりを持とうと意識し、自己チェックします。
まだまだ修行が足りません。気がつくと自分勝手な歩き方をしていること度々です。
この様な物の見方、考え方、行動がストレスをなくする「心の運動」であろうと思っています。
「体の運動」、「心の運動」、合わせて一本。自分流糖尿病改善マニュアルでの「運動療法」と自称しています。
「怒る」「叱る」を推奨するような職場環境がありました。個人の生活でもこの風潮に支配されがちでした。怒る方も、怒られる方もストレス覚えます。
人間には自己防衛本能がありますから、自分の利益を損なったり、更には危害を及ぼすものに対しては、対立心・敵意を持って対処するのは自然の成り行きです。
ただ、この対処には「幅」があって、「敵対・排除」から「相手との融和」までのどの辺りに自分を置くか!?の違いがストレス大小と関連するだろうと思われます。
「人は年を取ると丸くなる」と昔から言われます。
気力が衰えて、闘争心が弱まるためでしょうか?
仕事の現役か引退後かの違いがあるとも思われます。しかしこれだけではなく、
人は人生経験を積み重ね、何度も辛い思いを繰り返す中から、次第に、或いは何かを契機に「相手の気持ちを察し、自分も嫌な思いをしない」という極意を身につけて来るものだと思います。
私もここ数年、折々に、我ながら穏やかになったものだと思うようになりました。
悟りの境地に近づいたのでしょうか?
90歳台、100歳以上の方も珍しくなくなって、直接話していたりテレビの画面で拝見したりしている時、豊富な人生経験によるものでしょうが、何気ない一言、何気ない仕草にハッとさせられることがあります。
一方、幼稚園児の孫達と接しているとき、見るもの聞くもの全てを覚えようとするかのような真剣な眼差し、目の輝きは、大人達が忘れていたひた向きさを思い起こさせられます。
これが小学生になると、急に小学生らしくなり、1年、1年驚くほどに急速に進歩・成長します。ついつい自分の殻に引きこもり、惰性に過ごしがちな我が身を反省させられます。
「人の振り見て 我がふり直せ」
「人は一人で生きるに非ず 影響し合っていきるもの」などと思いながら、
「人の輪」「会話の場」を大切にしてきました。
「もう年だ」などと思わずに、家に閉じこもらずに、大空のもとで心を開きましょう!と
呼びかけてきました。自分に言い聞かせてきました。
最初は敷居が高く感じますが、エイヤッと出てしまうと、出かけて良かったと思ったことでした。
「草木」を愛で、里山など近郊の自然を楽しんできました。森や林を歩き、木々に囲まれていると、その何十年もの、時には何百年もの歴史に圧倒されます。森林浴に心洗われます。
街中で道を歩くとき、人に迷惑をかけないように心する。この気配り、思いやりの心、心のゆとりを持とうと意識し、自己チェックします。
まだまだ修行が足りません。気がつくと自分勝手な歩き方をしていること度々です。
この様な物の見方、考え方、行動がストレスをなくする「心の運動」であろうと思っています。
「体の運動」、「心の運動」、合わせて一本。自分流糖尿病改善マニュアルでの「運動療法」と自称しています。