2013年01月22日
A238・「夫の介護」と「自らのうつ病」克服
1、女優小山明子さんの体験談
大島渚監督追悼で在りし日の様々な姿が報道されています。影響力の大きい方であったことが分かります。私は若い頃から映画にはあまり関心がなかったのですが、名前はよく覚えていました。
数年前のことですが、女優小山明子さんの「夫の看病と、自分がうつ病になりそれを克服した手記」を拝見し、心を打たれました。
今、改めて読み返しています。
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大島渚監督追悼で在りし日の様々な姿が報道されています。影響力の大きい方であったことが分かります。私は若い頃から映画にはあまり関心がなかったのですが、名前はよく覚えていました。
数年前のことですが、女優小山明子さんの「夫の看病と、自分がうつ病になりそれを克服した手記」を拝見し、心を打たれました。
今、改めて読み返しています。
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小山さんは「いきいき生きるために『かきくけこの精神』を大切にしてる」と語っています。
「か」は感動と感謝
「き」はいろいろなことに興味をもつ
「く」は工夫すること
「け」は健康
「こ」は好奇心。
大島監督が脳出血で倒れ、自分は仕事があった為あまり食事を作ってこなかった小山さん。介護の中で、厳しいカロリー計算が必要な食事つくりは特にストレスだった由。そして小山さんはうつ病に。
無気力、不眠、食欲不振・・・。体重は15キロも減った。自殺しようと思ったこともあったといいます。病を克服するまでに4回入退院を繰り返した、とありました。
監督はリハビリを続けながら、よく「ありがとう」と言ってくれたのがとても救いだったそうです。
小山さんは人と会うことが減って、ある時、誰かと思うほどに白髪とシワの増えた顔を鏡の中に見出し「私が元気にならないと、うちが駄目になってしまう」と痛感したそうです。
「64歳から水泳を始め、相性の良い精神科医と出会ってうつ病を克服出来た」と回顧します。
「介護は先が見えません。
・現実逃避をしてしまいがちですが、受け止めて向き合わなければなりません。
・『昔は出来たのに!』『情けない!』
と思っていたらどんどんマイナス方向に行ってしまいます。
・親しい人と話をするなどして、一人で抱え込まないで下さい。」
と語ります。
更なる試練がありました。大島監督が十二指腸潰瘍で生死をさまよった。
監督は死にたいと言ったり、苛立ちを隠せないようになった。
だが困難を乗り越えて来た小山さんは心穏やかに向き合えました。
「なせばなるのです」と語っています。
修羅場を経験した人にして初めて言えることでありましょう。
「カロリー計算も厳しくし過ぎない。介護にはユーモアも必要」と語ります。
「失ったものは沢山あったけれど、一歩ずつ這い上がることで見えなかったものも見えてきました」。
淡々と語る小山さんの一言一言に困難を乗り越えてきた人の言葉の重みをずっしりと感じます。
2、所感
辛さの水準から言って同列に語ることは憚るのですが、折々に思い思わせられたことをブログで綴って来ました。小山さんの言葉に共通することが多いのに驚かされました。同時に勇気を与えられました。
・「これからの生活に前向きに取り組もう」
・「現実逃避しがちだが、向き合うように努めよう」
・「会話を大切にしよう」
・「健康第一」
・「好奇心を旺盛に!」
・「自分なりにあれこれ工夫しよう」その結果「自分流が身に付いてくる」
・「あまり厳格でなく、余裕を持つように心がけよう」などなど。
最後の「失ったものは沢山あったけれど、一歩ずつ這い上がることで見えなかったものが見えてきました」とのお話は心に響きました。
どなたも、ご自分の体験と重ね合わせると、それぞれの感慨を覚えることと思います。
私たちは同じ時代を生き抜いてきました。
お互いに体験を語り合って、お互いにプラスに作用しあいたいものと願っています。
小山さんの手記から教わったことでした。
「か」は感動と感謝
「き」はいろいろなことに興味をもつ
「く」は工夫すること
「け」は健康
「こ」は好奇心。
大島監督が脳出血で倒れ、自分は仕事があった為あまり食事を作ってこなかった小山さん。介護の中で、厳しいカロリー計算が必要な食事つくりは特にストレスだった由。そして小山さんはうつ病に。
無気力、不眠、食欲不振・・・。体重は15キロも減った。自殺しようと思ったこともあったといいます。病を克服するまでに4回入退院を繰り返した、とありました。
監督はリハビリを続けながら、よく「ありがとう」と言ってくれたのがとても救いだったそうです。
小山さんは人と会うことが減って、ある時、誰かと思うほどに白髪とシワの増えた顔を鏡の中に見出し「私が元気にならないと、うちが駄目になってしまう」と痛感したそうです。
「64歳から水泳を始め、相性の良い精神科医と出会ってうつ病を克服出来た」と回顧します。
「介護は先が見えません。
・現実逃避をしてしまいがちですが、受け止めて向き合わなければなりません。
・『昔は出来たのに!』『情けない!』
と思っていたらどんどんマイナス方向に行ってしまいます。
・親しい人と話をするなどして、一人で抱え込まないで下さい。」
と語ります。
更なる試練がありました。大島監督が十二指腸潰瘍で生死をさまよった。
監督は死にたいと言ったり、苛立ちを隠せないようになった。
だが困難を乗り越えて来た小山さんは心穏やかに向き合えました。
「なせばなるのです」と語っています。
修羅場を経験した人にして初めて言えることでありましょう。
「カロリー計算も厳しくし過ぎない。介護にはユーモアも必要」と語ります。
「失ったものは沢山あったけれど、一歩ずつ這い上がることで見えなかったものも見えてきました」。
淡々と語る小山さんの一言一言に困難を乗り越えてきた人の言葉の重みをずっしりと感じます。
2、所感
辛さの水準から言って同列に語ることは憚るのですが、折々に思い思わせられたことをブログで綴って来ました。小山さんの言葉に共通することが多いのに驚かされました。同時に勇気を与えられました。
・「これからの生活に前向きに取り組もう」
・「現実逃避しがちだが、向き合うように努めよう」
・「会話を大切にしよう」
・「健康第一」
・「好奇心を旺盛に!」
・「自分なりにあれこれ工夫しよう」その結果「自分流が身に付いてくる」
・「あまり厳格でなく、余裕を持つように心がけよう」などなど。
最後の「失ったものは沢山あったけれど、一歩ずつ這い上がることで見えなかったものが見えてきました」とのお話は心に響きました。
どなたも、ご自分の体験と重ね合わせると、それぞれの感慨を覚えることと思います。
私たちは同じ時代を生き抜いてきました。
お互いに体験を語り合って、お互いにプラスに作用しあいたいものと願っています。
小山さんの手記から教わったことでした。