2012年03月06日
A034 糖尿病治療での ”燃え尽き” を避けたい(1)
糖尿病の治療は、途中下車のない長丁場の世界です。
嫌になったからやめた! という訳にはいきませんが、当人が疲れてしまったり、お医者さんとか、周りの人と上手く行かなかったりして、治療を中断してしまうケースが少なくありません。、即ち、”燃え尽き”という状態がです。
治療を中断して、そのまま放置しておくとどうなるか!? 結果は推して知るべし!
網膜症、腎症、神経障害などの合併症という辛い症状が控えています。
糖尿病治療の難しさを知らされる一面です。
嫌になったからやめた! という訳にはいきませんが、当人が疲れてしまったり、お医者さんとか、周りの人と上手く行かなかったりして、治療を中断してしまうケースが少なくありません。、即ち、”燃え尽き”という状態がです。
治療を中断して、そのまま放置しておくとどうなるか!? 結果は推して知るべし!
網膜症、腎症、神経障害などの合併症という辛い症状が控えています。
糖尿病治療の難しさを知らされる一面です。
かなり前の話しになりましたが(2007年12月)、NHKテレビ番組「クローズアップ現代」で「糖尿病治療”燃え尽き”をどう救済するか」が放映されました。
糖尿病治療の大切な問題点に的確にスポットを当てた出色の内容で、実によく的を射ていると共感しながら強い関心を持って拝見しました。
いくつかのポイントについて私の体験を並記しながら書き綴ってみます。
(1)治療を中断するケースが多い
国民病とも言われる糖尿病で予備軍を含めて現在2200万人もの人が悩んでいます。番組はこう言いながら始まり、このうち約900万人が糖尿病患者で治療を必要としていると報じていました。(患者数は2012年での数に置き換えてあります)
「初めは熱心に治療に努めていても、やがて挫折して治療を中断してしまうケースが多い」ということに注目して編集されていました。
治療の中断は症状の悪化を招き、転院を繰り返したりしている内に年月が過ぎ、怖い合併症に至るケースが少なくないと報じていました。
(2)治療中断にキッカケ〜医師との気まずさ、家族とのマサツ
@ なかなか治療効果が上がらずにいるとき、医師から自己管理の甘さ、治療に際しての注意を繰り返し指導されると、「叱られている」と感じ、「だんだん病院の敷居が高くなって中断してしまった」「あの時きちんと対応していれば・・」
現在は人工透析を行っているという40歳台と思われる患者はインタビューに答えてこの様に語っていました。
ロ、家族は身内であればこそ心配もし、ストレートに注意、戒めを言うことでしょう。
そう言う家族の気持ちは分かっていても、患者との気持ちの軋轢が生じる場合が少なくないようです。
(感想)
ある期間頑張って治療を行うと、人により程度の差はありますが快方に向かいます。ここまでは誰もが経験するところです。
糖尿病で特徴的なこと、しかも最もやっかいなのは、これから先にあります。
現在の医学では「完治」することはなく、「生涯にわたって向き合うことになる」と言われています。
「あれも駄目、これも駄目」
「医師の指示をしっかりと守らねばならぬ」
「自己管理を徹底なさい。あなた自身の問題です」・・・これが指導マニュアルの定番です。
入門、初級の患者さんに知識として指導するのは必要であり大切なことですが、中級以上のベテラン患者には、これを繰り返すのみでは適切とは思いません。
「頑張れ!」、「我慢せよ!」、これだけでは疲れてしまいます。長続きしません。
「ねばならぬ、ネバナラヌ」と「一生付き合わねばならぬ」と考えただけでもうんざりしてしまいます。
真面目であればある程、ストレスのもとになります。
糖尿病とニラメッコばかりしているのでは人生が暗くなってしまいます。疲れてしまいます。
単に食を制限するだけではストレスが増すばかりで、長続きしません。人生を暗くしてしまいます。
人生を楽しめるように、この観点での自己管理が大切であろうと強く思っています。
「食べたいものを我慢する」というよりも「注意を他に向ける」!
「趣味に生きる」「意識を集中できる作業を持つ」「楽しいことは長続きする」。これらに身を置いている時は注意がそちらに向いて、間食・夜食を欲する気持ちがお留守になります。
食べたいけれど「我慢する」「頑張る」という意識は少なくなり、楽しみながらカロリーコントロールの成果を上げることが出来るようになります。
自分は「趣味がない」「何をするか、行いたいものが見つからない」とおっしゃる方が多分多いでしょう。私も退職した頃はまさに典型的な「無趣味」「無芸」派でした。
糖尿病の運動療法としての「歩くこと」のみを日課とするセカンドライフのスタートでした。運動療法としての「歩くこと」を一生続けなければならないのなら、義務感で「ねばならぬ」で歩くよりも、楽しみながら歩いた方が得であろうと思いました。
歩くコースの選択などにちょっとしたアイデア、工夫を取り入れて、手近なところから始めました。あれこれ試行錯誤しながら続けている内に、いつの間にか「自分流」らしきものが出来てきていました。これに枝を出し、葉や実を付けることは楽しいことでした。
こうしながら「自分流」が育ち、「歩くこと」は「ねばならぬ」から「楽しみ」に変わっていました。
野山を歩くうちに草花に関心を覚える様になり「山野草」を観察したり調べたりする楽しみが出来てきました。
草や木の記録を整理保存したり、加工する楽しみが加わって、「パソコン」「デジカメ」など私にとって趣味といえるものが育ちました。こうなると、ああしてみよう、こんなことをやってみようというアイデアが次々に浮かんでくるようになりました。
何れも自発的な作業ですので、忙しいけれども苦痛はありません。思っていることを見える形にまとめ上げる喜び、満足感を得ることが出来ます。
「何か趣味はないか、することはないか」と既製品を探して、見つかる人はとてもハッピーであって、多くは「そうは問屋が卸さない」ではないでしょうか。
コンビニかデパートで見つかるようなものではなくて、一人一人の生活の中に、或いはごく身近なところに「種」があって、自分なりにあれこれ試行錯誤しながら育て上げていくものであろうと思っています。わたしの体験からこう実感しています。(続く)
糖尿病治療の大切な問題点に的確にスポットを当てた出色の内容で、実によく的を射ていると共感しながら強い関心を持って拝見しました。
いくつかのポイントについて私の体験を並記しながら書き綴ってみます。
(1)治療を中断するケースが多い
国民病とも言われる糖尿病で予備軍を含めて現在2200万人もの人が悩んでいます。番組はこう言いながら始まり、このうち約900万人が糖尿病患者で治療を必要としていると報じていました。(患者数は2012年での数に置き換えてあります)
「初めは熱心に治療に努めていても、やがて挫折して治療を中断してしまうケースが多い」ということに注目して編集されていました。
治療の中断は症状の悪化を招き、転院を繰り返したりしている内に年月が過ぎ、怖い合併症に至るケースが少なくないと報じていました。
(2)治療中断にキッカケ〜医師との気まずさ、家族とのマサツ
@ なかなか治療効果が上がらずにいるとき、医師から自己管理の甘さ、治療に際しての注意を繰り返し指導されると、「叱られている」と感じ、「だんだん病院の敷居が高くなって中断してしまった」「あの時きちんと対応していれば・・」
現在は人工透析を行っているという40歳台と思われる患者はインタビューに答えてこの様に語っていました。
ロ、家族は身内であればこそ心配もし、ストレートに注意、戒めを言うことでしょう。
そう言う家族の気持ちは分かっていても、患者との気持ちの軋轢が生じる場合が少なくないようです。
(感想)
ある期間頑張って治療を行うと、人により程度の差はありますが快方に向かいます。ここまでは誰もが経験するところです。
糖尿病で特徴的なこと、しかも最もやっかいなのは、これから先にあります。
現在の医学では「完治」することはなく、「生涯にわたって向き合うことになる」と言われています。
「あれも駄目、これも駄目」
「医師の指示をしっかりと守らねばならぬ」
「自己管理を徹底なさい。あなた自身の問題です」・・・これが指導マニュアルの定番です。
入門、初級の患者さんに知識として指導するのは必要であり大切なことですが、中級以上のベテラン患者には、これを繰り返すのみでは適切とは思いません。
「頑張れ!」、「我慢せよ!」、これだけでは疲れてしまいます。長続きしません。
「ねばならぬ、ネバナラヌ」と「一生付き合わねばならぬ」と考えただけでもうんざりしてしまいます。
真面目であればある程、ストレスのもとになります。
糖尿病とニラメッコばかりしているのでは人生が暗くなってしまいます。疲れてしまいます。
単に食を制限するだけではストレスが増すばかりで、長続きしません。人生を暗くしてしまいます。
人生を楽しめるように、この観点での自己管理が大切であろうと強く思っています。
「食べたいものを我慢する」というよりも「注意を他に向ける」!
「趣味に生きる」「意識を集中できる作業を持つ」「楽しいことは長続きする」。これらに身を置いている時は注意がそちらに向いて、間食・夜食を欲する気持ちがお留守になります。
食べたいけれど「我慢する」「頑張る」という意識は少なくなり、楽しみながらカロリーコントロールの成果を上げることが出来るようになります。
自分は「趣味がない」「何をするか、行いたいものが見つからない」とおっしゃる方が多分多いでしょう。私も退職した頃はまさに典型的な「無趣味」「無芸」派でした。
糖尿病の運動療法としての「歩くこと」のみを日課とするセカンドライフのスタートでした。運動療法としての「歩くこと」を一生続けなければならないのなら、義務感で「ねばならぬ」で歩くよりも、楽しみながら歩いた方が得であろうと思いました。
歩くコースの選択などにちょっとしたアイデア、工夫を取り入れて、手近なところから始めました。あれこれ試行錯誤しながら続けている内に、いつの間にか「自分流」らしきものが出来てきていました。これに枝を出し、葉や実を付けることは楽しいことでした。
こうしながら「自分流」が育ち、「歩くこと」は「ねばならぬ」から「楽しみ」に変わっていました。
野山を歩くうちに草花に関心を覚える様になり「山野草」を観察したり調べたりする楽しみが出来てきました。
草や木の記録を整理保存したり、加工する楽しみが加わって、「パソコン」「デジカメ」など私にとって趣味といえるものが育ちました。こうなると、ああしてみよう、こんなことをやってみようというアイデアが次々に浮かんでくるようになりました。
何れも自発的な作業ですので、忙しいけれども苦痛はありません。思っていることを見える形にまとめ上げる喜び、満足感を得ることが出来ます。
「何か趣味はないか、することはないか」と既製品を探して、見つかる人はとてもハッピーであって、多くは「そうは問屋が卸さない」ではないでしょうか。
コンビニかデパートで見つかるようなものではなくて、一人一人の生活の中に、或いはごく身近なところに「種」があって、自分なりにあれこれ試行錯誤しながら育て上げていくものであろうと思っています。わたしの体験からこう実感しています。(続く)