2012年11月24日
A219・「三つ叱って 五つ褒め 七つ教えて 子は育つ」
1、七五三
まだ紅葉には早い・・と思いながら、先日、明治神宮を訪ねました。
七五三の衣装で着飾った子供が両親に手を引かれ、家族に囲まれている姿が多く見られました。
子供は明日の日本をになう大切な宝!
元気に、強く正しく育って欲しいと願い、エールを送る気持ちで眺めていました。
一方で「いじめ」が子供の自殺を多く誘発沙させる現実に私たち大人はどう向き合わねばならないか!
国レベル、日本の社会共通の問題として取り組まなければならないと思わされます。
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まだ紅葉には早い・・と思いながら、先日、明治神宮を訪ねました。
七五三の衣装で着飾った子供が両親に手を引かれ、家族に囲まれている姿が多く見られました。
子供は明日の日本をになう大切な宝!
元気に、強く正しく育って欲しいと願い、エールを送る気持ちで眺めていました。
一方で「いじめ」が子供の自殺を多く誘発沙させる現実に私たち大人はどう向き合わねばならないか!
国レベル、日本の社会共通の問題として取り組まなければならないと思わされます。
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多くの参拝者に混じって、いつもながら外国人の姿が見だち、ことに西洋人には七五三の光景はもの珍しいようで、あちらこちらで、着飾った子供と笑顔の外国人観光客が一緒にカメラにおさまっている様が見られました。日本での、嬉しい記念の一枚になることでしょう。
私の孫達も「三」の時、「五」の時、それぞれに着飾り、その姿が何とも愛らしく、つい笑みがこぼれたものでした。今年、一番下の孫娘が「七」のお祝いです。小学1年生になって、この半年ほどで見違えるほどに成長して、子供の心身の成長の早さに改めて驚かされます。
この先、学年が進むにつれ、更に中学、高校となっていく程に、様々な対人関係を経験し、泣いたり笑ったりしながら切磋琢磨し、強く正しく育っていって欲しいと願うことしきりです。
2、「いじめ」と「もう一つの七五三」
「いじめ」が原因で小中高校生の自殺が各地で起こっています。
痛ましい限りです。
いじめられる側も、いじめる側も、「七五三」で祝福された日本の将来を担う国の宝です。それが何年か後にこの様な悲惨な結果を生むようになってしまうとは!
「意地悪」とか「妬み」とかは本来人間誰もが持っているものであって、ある限度までは「薬」であり、度を超すと「毒」となるもろ刃のやいばの様なもの。人はこれらをコントロールする術を覚えて幅のある人間に育っていくのだと思います。
子供同士でも生存競争があって、それに揉まれ、打たれながら強い人間が育って行くのだと思います。波風から隔離された温室栽培は人間をひ弱にしてしまいます。時には取っ組み合いの喧嘩もよしとし、それをとおして相手を怪我させない限度を会得するのが理想と思います。
ところが現代はテレビのせいか、ゲームのせいか、人を殺めることへの罪悪感を失ってしまっているようです。傷害罪、殺人罪に相当することに罪悪感を感じないままに、一線を越えてしまう様に思えてなりません。
「いじめ」という言葉でひっくるめられていますが、度を超えて犯罪行為やそれに準ずる水準の行為を区分し、殲滅するためには、教育関係者は勿論のこと、私たちも自分の問題として、「人間育成」のルーツに戻って考えることが必須と思います。
・当人に非を感じさせる様に「叱る」
・それに倍して良い点を「褒める」
・更に倍の辛抱と努力で人の道を「教える」
「もう一つの七五三」とも言える言葉があります
「三つ叱って 五つ褒め 七つ教えて 子は育つ」
誰がこの任を果たし得るでしょうか?
先生ですか?親ですか?教育委員会ですか?学識経験者ですか?地域住民ですか?
「いじめ」の問題は子供だけの問題ではなく、大人の問題でもあることは明白です。
学校とか、教育委員会とかが組織の体面維持とか仲間意識で表向きをとり繕う様では、とても成果は期待できません。
そんな大人よりも遙かに感性の鋭い子供達は敏感に感じ取って、鋭いカウンターパンチを見舞ってくるでしょう。
人を育てることの大切さと難しさをつくづく思わせられます。
私の孫達も「三」の時、「五」の時、それぞれに着飾り、その姿が何とも愛らしく、つい笑みがこぼれたものでした。今年、一番下の孫娘が「七」のお祝いです。小学1年生になって、この半年ほどで見違えるほどに成長して、子供の心身の成長の早さに改めて驚かされます。
この先、学年が進むにつれ、更に中学、高校となっていく程に、様々な対人関係を経験し、泣いたり笑ったりしながら切磋琢磨し、強く正しく育っていって欲しいと願うことしきりです。
2、「いじめ」と「もう一つの七五三」
「いじめ」が原因で小中高校生の自殺が各地で起こっています。
痛ましい限りです。
いじめられる側も、いじめる側も、「七五三」で祝福された日本の将来を担う国の宝です。それが何年か後にこの様な悲惨な結果を生むようになってしまうとは!
「意地悪」とか「妬み」とかは本来人間誰もが持っているものであって、ある限度までは「薬」であり、度を超すと「毒」となるもろ刃のやいばの様なもの。人はこれらをコントロールする術を覚えて幅のある人間に育っていくのだと思います。
子供同士でも生存競争があって、それに揉まれ、打たれながら強い人間が育って行くのだと思います。波風から隔離された温室栽培は人間をひ弱にしてしまいます。時には取っ組み合いの喧嘩もよしとし、それをとおして相手を怪我させない限度を会得するのが理想と思います。
ところが現代はテレビのせいか、ゲームのせいか、人を殺めることへの罪悪感を失ってしまっているようです。傷害罪、殺人罪に相当することに罪悪感を感じないままに、一線を越えてしまう様に思えてなりません。
「いじめ」という言葉でひっくるめられていますが、度を超えて犯罪行為やそれに準ずる水準の行為を区分し、殲滅するためには、教育関係者は勿論のこと、私たちも自分の問題として、「人間育成」のルーツに戻って考えることが必須と思います。
・当人に非を感じさせる様に「叱る」
・それに倍して良い点を「褒める」
・更に倍の辛抱と努力で人の道を「教える」
「もう一つの七五三」とも言える言葉があります
「三つ叱って 五つ褒め 七つ教えて 子は育つ」
誰がこの任を果たし得るでしょうか?
先生ですか?親ですか?教育委員会ですか?学識経験者ですか?地域住民ですか?
「いじめ」の問題は子供だけの問題ではなく、大人の問題でもあることは明白です。
学校とか、教育委員会とかが組織の体面維持とか仲間意識で表向きをとり繕う様では、とても成果は期待できません。
そんな大人よりも遙かに感性の鋭い子供達は敏感に感じ取って、鋭いカウンターパンチを見舞ってくるでしょう。
人を育てることの大切さと難しさをつくづく思わせられます。