2012年02月29日
A028 糖尿病・体験記(3)
<前回まで>
A026
1、発病からのあらまし
2、糖尿病予備軍の頃から糖尿病正規軍と診断された頃のこと
A027
1、セカンドライフに入ってからの移り変わり
2、インシュリン注射による治療を言われたが・・・
3、セカンドオピニオン
4、新たな治療と治療方針
<今回目次>
5、同じ轍を二度踏まない
6、血糖値コントロールの方程式
7、振り返って思うこと
5、同じ轍を二度踏まない
長い間、高い血糖値に悩み、いくら努力しても下がらずに難儀しているとき、ある時期すーっと下がった時がありました。(退職後4年目から5年目にかけてA1cが10%から下がり始めて7%を切るまでなったことがあったのです)
「コントロール出来るようになった」「この調子だ!」と思ったときに心の隙が出来たようで、対応が甘くなってしまったようでした。
間もなく上昇に転じ、再び高値圏に逆戻りしてしまい、重大な逸機であったと悔やみましたが後の祭り。しかし、この辛い体験が役立つときがきました。
インシュリン治療によって改善の傾向が見えてきたとき、「インシュリンを打ち始めて血糖値が下がり始めた。もう大丈夫と安心してはいけない」。
この様に自分に語りかけることが出来たのです。ここで舞い上がらずに自制出来たと自己評価しています。
6、血糖値コントロールの方程式
経口薬からインシュリン治療に変わって、血糖値コントロールの方程式が新しくなりました。
(カロリーコントロール)+(運動)+(インシュリン)
理屈では分かっていても、血糖値が下がってくると、ついつい心に緩みが出てきます。
「少し食べ過ぎたらインシュリンを余分に打ったらいい」こんな誘惑に度々襲われます。
ここは頑張りどころと自覚し自制しているつもりです。これからも、そうして行こうと思っています。
(カロリーコントロール)
・「ネバならぬ」と、受身に考えると何もかにもが負担に感じます。
・毎日が暗くなります。
・辛い、辛いと思っているのでは、それだけで参ってしまいます。
・これからも長く続けていくことですので、出来るだけ前向きに付き合って行きたいものです。
私の場合、「楽しく続けること;趣味」が強力なパートナーになってくれました。
山野草を相手に野山を歩いたり、本を書いたり、ブログを続けるなどのお陰で毎日の行動予定が詰まっています。
とは言っても、これらの行動は「ネバナラヌ」ではなく、自分のペースで進めることですので重荷に感ずることは全く無く、作業の進展を楽しみながらの毎日です。
食事を済ませると間もなく頭はそちらに切り替わります。惰性でテレビを見ることも無くなりました。 所在無く過ごす時間はほとんど無くなり、間食・夜食への関心はすっかりお留守になって、無駄食いは随分少なくなりました。
「食べたいのを我慢する」「間食しだすと止まらなくなる」ということが随分少なくなりました。
(運 動)
運動についても同じことが言えます。
前述のように、退職した頃私には趣味といえるものはありませんでした。運動療法としての「歩くこと」が日課でした。
これが、ちょっとした工夫をした結果義務感から楽しみに変わり、更に「山野草」に興味を持つようになって楽しみは増幅し、「パソコン・デジカメ」に趣味の連鎖がのびて、楽しみながら続けるようになりました。
(インシュリン)
(インシュリン)が(カロリーコントロール、運動)をサボることの安全弁であってはいけないことは分かっていても、この誘惑は何時も付きまといます。
血糖値コントロールの方程式
(カロリーコントロール)+(運動)+(インシュリン)の3本柱の1本であることをしっかり見詰めていこうと念じています。
7、振り返って思うこと
今迄を振り返り総括するようなときには、例えば「・・のような状態で数年間すごしてきました。」と事もなげに表現されることがよくあります。
けれど、糖尿病の場合は、何時も血糖値を意識し、時にはその影に怯え、少し下がったからといっては喜び、リバウンドしては大きな落胆・不安を身に感じて日々暮らします。事もなげに総括できるような安易なものではありません。それが糖尿病に悩む人に共通することではないでしょうか。私もまさにその一人です。
手術をすれば直るというものではなく、ずっと付き合った行くものです。受け身になると気分的に落ち込んでしまい、毎日が暗くなってしまいます。
ささやかではありますが私の体験で述べたように、予備軍時代には「転ばぬ先の杖」を、糖尿病正規軍になってしまってからでも、前向きに、楽しみとともに進む道があると思います。
人それぞれ事情は異なりましょうが、私の場合、趣味を育み、熱中するテーマを取り込むことでカロリーコントロールと運動を前向きに進め得るようになってきました。
インシュリン忌避の偏見に拘り過ぎたため、体を痛め、辛い遠回りをしましたが、怖い合併症を何とか発症の手前で一杯に舵を切って避けることが出来たようです。 (続く)
A026
1、発病からのあらまし
2、糖尿病予備軍の頃から糖尿病正規軍と診断された頃のこと
A027
1、セカンドライフに入ってからの移り変わり
2、インシュリン注射による治療を言われたが・・・
3、セカンドオピニオン
4、新たな治療と治療方針
<今回目次>
5、同じ轍を二度踏まない
6、血糖値コントロールの方程式
7、振り返って思うこと
5、同じ轍を二度踏まない
長い間、高い血糖値に悩み、いくら努力しても下がらずに難儀しているとき、ある時期すーっと下がった時がありました。(退職後4年目から5年目にかけてA1cが10%から下がり始めて7%を切るまでなったことがあったのです)
「コントロール出来るようになった」「この調子だ!」と思ったときに心の隙が出来たようで、対応が甘くなってしまったようでした。
間もなく上昇に転じ、再び高値圏に逆戻りしてしまい、重大な逸機であったと悔やみましたが後の祭り。しかし、この辛い体験が役立つときがきました。
インシュリン治療によって改善の傾向が見えてきたとき、「インシュリンを打ち始めて血糖値が下がり始めた。もう大丈夫と安心してはいけない」。
この様に自分に語りかけることが出来たのです。ここで舞い上がらずに自制出来たと自己評価しています。
6、血糖値コントロールの方程式
経口薬からインシュリン治療に変わって、血糖値コントロールの方程式が新しくなりました。
(カロリーコントロール)+(運動)+(インシュリン)
理屈では分かっていても、血糖値が下がってくると、ついつい心に緩みが出てきます。
「少し食べ過ぎたらインシュリンを余分に打ったらいい」こんな誘惑に度々襲われます。
ここは頑張りどころと自覚し自制しているつもりです。これからも、そうして行こうと思っています。
(カロリーコントロール)
・「ネバならぬ」と、受身に考えると何もかにもが負担に感じます。
・毎日が暗くなります。
・辛い、辛いと思っているのでは、それだけで参ってしまいます。
・これからも長く続けていくことですので、出来るだけ前向きに付き合って行きたいものです。
私の場合、「楽しく続けること;趣味」が強力なパートナーになってくれました。
山野草を相手に野山を歩いたり、本を書いたり、ブログを続けるなどのお陰で毎日の行動予定が詰まっています。
とは言っても、これらの行動は「ネバナラヌ」ではなく、自分のペースで進めることですので重荷に感ずることは全く無く、作業の進展を楽しみながらの毎日です。
食事を済ませると間もなく頭はそちらに切り替わります。惰性でテレビを見ることも無くなりました。 所在無く過ごす時間はほとんど無くなり、間食・夜食への関心はすっかりお留守になって、無駄食いは随分少なくなりました。
「食べたいのを我慢する」「間食しだすと止まらなくなる」ということが随分少なくなりました。
(運 動)
運動についても同じことが言えます。
前述のように、退職した頃私には趣味といえるものはありませんでした。運動療法としての「歩くこと」が日課でした。
これが、ちょっとした工夫をした結果義務感から楽しみに変わり、更に「山野草」に興味を持つようになって楽しみは増幅し、「パソコン・デジカメ」に趣味の連鎖がのびて、楽しみながら続けるようになりました。
(インシュリン)
(インシュリン)が(カロリーコントロール、運動)をサボることの安全弁であってはいけないことは分かっていても、この誘惑は何時も付きまといます。
血糖値コントロールの方程式
(カロリーコントロール)+(運動)+(インシュリン)の3本柱の1本であることをしっかり見詰めていこうと念じています。
7、振り返って思うこと
今迄を振り返り総括するようなときには、例えば「・・のような状態で数年間すごしてきました。」と事もなげに表現されることがよくあります。
けれど、糖尿病の場合は、何時も血糖値を意識し、時にはその影に怯え、少し下がったからといっては喜び、リバウンドしては大きな落胆・不安を身に感じて日々暮らします。事もなげに総括できるような安易なものではありません。それが糖尿病に悩む人に共通することではないでしょうか。私もまさにその一人です。
手術をすれば直るというものではなく、ずっと付き合った行くものです。受け身になると気分的に落ち込んでしまい、毎日が暗くなってしまいます。
ささやかではありますが私の体験で述べたように、予備軍時代には「転ばぬ先の杖」を、糖尿病正規軍になってしまってからでも、前向きに、楽しみとともに進む道があると思います。
人それぞれ事情は異なりましょうが、私の場合、趣味を育み、熱中するテーマを取り込むことでカロリーコントロールと運動を前向きに進め得るようになってきました。
インシュリン忌避の偏見に拘り過ぎたため、体を痛め、辛い遠回りをしましたが、怖い合併症を何とか発症の手前で一杯に舵を切って避けることが出来たようです。 (続く)