2012年08月28日
A189・「道を間違えた」と「道に迷った」の違い(1)
1、「間違えた」と「迷った」の違いを明確に!
退職の少し前から、持病である糖尿病の運動療法として一人で野道・山道を歩くようになりました。かれこれ20年程になります。
最初は街中を歩くのが主でしたが、次第に近郊の里山や低い山に足が向くようになりました。ガイドブックや地図でコースを定める時、初めはポピュラーな道を選んでいましたが、次第にあまり人が多くない道を選ぶようになり、初めてのルートを求めるようにもなりました。
と言っても、所謂「登山」ではなく、「野山歩き」「ハイキング」です。
ここで経験したのが「道を間違えた」「道に迷った」でした。
退職の少し前から、持病である糖尿病の運動療法として一人で野道・山道を歩くようになりました。かれこれ20年程になります。
最初は街中を歩くのが主でしたが、次第に近郊の里山や低い山に足が向くようになりました。ガイドブックや地図でコースを定める時、初めはポピュラーな道を選んでいましたが、次第にあまり人が多くない道を選ぶようになり、初めてのルートを求めるようにもなりました。
と言っても、所謂「登山」ではなく、「野山歩き」「ハイキング」です。
ここで経験したのが「道を間違えた」「道に迷った」でした。
・「間違えた」だけなら、今来た道をそのまま元に戻れば良いのですが、
闇雲に動き回ったり、パニックになって位置も方向も分からなくなってしまい、元に戻れない状態になります。これが
・「道に迷った」です。
人生でも、山道でも「道を間違えた」と「道に迷った」の区別を明確にすることが大きな事故を防ぐ必須要件だと思っています。
この違いを曖昧にして過ごしてしまう無自覚が、事故への引き金であると思っています。
2、「道を間違えた」と思ったら
・「道を間違えた」と思ったら立ち止まれ!
・「間違えた」ことを確認せよ!
・「今来た道を引き返せ」!
・「今来た道」でも、逆方向に歩くと風景は全く違う。決してあせらずに、見覚えのあるポイントを探しながら、間違った分岐点まで戻れ!
この様に自分に言い聞かせます。
というよりも、「間違え」を何度かしながら、自分なりに作り上げたマニュアルなのです。
私は所謂「登山」は致しません。一人で近郊の里山や低い山などを「山歩き」「森歩き」してきました。新たなルートを探したり、同じルートを違う季節に歩いたり致します。
予め地図で調べ、現地で地図を確かめながら進むのですが、実際の道が地図と違っていたり、草木の生い茂りや倒木などで道が消えかかっていたり、「分かっている!」つもりの慢心で分岐点でのチェックをサボルなどなど、間違える要因はいくらでもあります。
分岐点で、注意力散漫のまま、違う方の道に入ってしまうことを何度か経験しました。つい先日もこの誤りをしました。今後もナシとは言えません。
間違えても、早くにそれと気づき、上記のマニュアル通りに、冷静に、今来た道を戻れば事なきを得ます。この点ではかなり場数を踏んで来ました。
「間違い」のお陰で思わぬ道を知ることが出来る等、「転んでもただは起きぬ」ということにもなりますが、これは上級編の話です。
「間違えたかどうかもはっきりしない」
「戻ろうとしても景色に覚えがない」
「見覚えのない分岐点があると、そこから動けなくなる」などなど、上のマニュアルでも、実際には一筋縄では行かない場合があります。
一人で歩いているときでもこうですから、グループ、団体からはぐれた場合などはパニックになることが容易に想像されます。
「人の後をただついて行くだけ!」と
「予めコースの予習をし、現地でも自分で目印を見ながら歩く」のとでは天と地の違いが出ることでしょう。
これらについては回を改めて述べたいと思います。 (続く)
闇雲に動き回ったり、パニックになって位置も方向も分からなくなってしまい、元に戻れない状態になります。これが
・「道に迷った」です。
人生でも、山道でも「道を間違えた」と「道に迷った」の区別を明確にすることが大きな事故を防ぐ必須要件だと思っています。
この違いを曖昧にして過ごしてしまう無自覚が、事故への引き金であると思っています。
2、「道を間違えた」と思ったら
・「道を間違えた」と思ったら立ち止まれ!
・「間違えた」ことを確認せよ!
・「今来た道を引き返せ」!
・「今来た道」でも、逆方向に歩くと風景は全く違う。決してあせらずに、見覚えのあるポイントを探しながら、間違った分岐点まで戻れ!
この様に自分に言い聞かせます。
というよりも、「間違え」を何度かしながら、自分なりに作り上げたマニュアルなのです。
私は所謂「登山」は致しません。一人で近郊の里山や低い山などを「山歩き」「森歩き」してきました。新たなルートを探したり、同じルートを違う季節に歩いたり致します。
予め地図で調べ、現地で地図を確かめながら進むのですが、実際の道が地図と違っていたり、草木の生い茂りや倒木などで道が消えかかっていたり、「分かっている!」つもりの慢心で分岐点でのチェックをサボルなどなど、間違える要因はいくらでもあります。
分岐点で、注意力散漫のまま、違う方の道に入ってしまうことを何度か経験しました。つい先日もこの誤りをしました。今後もナシとは言えません。
間違えても、早くにそれと気づき、上記のマニュアル通りに、冷静に、今来た道を戻れば事なきを得ます。この点ではかなり場数を踏んで来ました。
「間違い」のお陰で思わぬ道を知ることが出来る等、「転んでもただは起きぬ」ということにもなりますが、これは上級編の話です。
「間違えたかどうかもはっきりしない」
「戻ろうとしても景色に覚えがない」
「見覚えのない分岐点があると、そこから動けなくなる」などなど、上のマニュアルでも、実際には一筋縄では行かない場合があります。
一人で歩いているときでもこうですから、グループ、団体からはぐれた場合などはパニックになることが容易に想像されます。
「人の後をただついて行くだけ!」と
「予めコースの予習をし、現地でも自分で目印を見ながら歩く」のとでは天と地の違いが出ることでしょう。
これらについては回を改めて述べたいと思います。 (続く)