2012年02月27日
A026 糖尿病・体験記(1)
1、発病からのあらまし
50歳代半ばのこと、まだ在職中でしたが糖尿病と診断され即入院。糖尿病との長いお付き合いが始まりました。
60歳で退職し、食事・経口薬・運動による療養にこれ努めA1cは一時6%台まで下がったものの、直ぐにまた上昇し、8%台を中心に数年間経過。以後9%台が続き、発病から10年近くなって主治医の先生からインシュリン注射をするように言われたのですが、インシュリンへの暗いイメージがあって1年半ほど躊躇していました。
そうこうしている内にA1cが急上昇し12%〜〜13%に跳ね上がりました。さすがに危機感を強め、別の病院でセカンドオピニオンを求め、ここで糖尿病センター長のドクターから診断結果にもとづく的確な説明を受け、インシュリンへの誤解が解けて、納得してインシュリン注射をすることにしました。
結果は良好で、1年8カ月程で6%台を記録するまでに改善され、減りすぎていた体重も戻ってきました。
恐ろしい感染症の発症を、直前で一杯に舵を切って回避出来た思いでした。垂れ込めた暗雲が切れて陽の光が射しこんできた思いでした。この感動は、恐らく一生忘れることはないでしょう。
何故インシュリン治療を避けようとしたのか?
「インシュリンを注射すると、すい臓が怠けて機能しなくなる」と最初の頃病院で言われて、それを信じ込み、インシュリンに対して「暗い」イメージ、偏見をもっていました。
糖尿病と診断されて以来、療養は食事・運動・薬の3本立てで、特にカロリーコントロールで難儀しましたが、「災い転じて福となす」の例え通りに、「楽しみ;趣味」が芽生え育って私を支えてくれました。
運動療法としての「歩くこと」が当初の「義務感」からやがて「楽しみ」に変わり、これに連鎖して「山野草」「パソコン・デジカメ」への興味が広まってきて私の支えになりました。ここにはちょっとした工夫がありました。
この様に長い年月の間、悩んだり、糠喜びしたり、様々な経験をしながら過ごしてきました。こんな事あんな事、私が体験してきたことをお伝えすることで、今予備軍の方が発症を避けることが出来、既に同じ病で悩んでおられる方々の今後の対応に少しでもお役に立ちたいと願っています。
2、糖尿病予備軍の頃から糖尿病正規軍と診断された頃のこと
前述の如く50歳代半ばで糖尿病と診断され、即入院となりました。
この数年前から職場での健康診断で尿糖が+または++になることがあって会社の保健医の先生から注意するように言われていましたが、日頃の忙しさにかまけて、何となく気にしながらも放置していたのです。これが失敗の始まりでした。
糖尿病予備軍である方々へ!
今の段階でキチット対応することが肝要です。ここでしっかり自覚して、自己管理して下さい。「そのまま放っておくと大変なことになりますよ!」。
「先々、重い荷物を背負ようになるよりは、今、対応したほうがずっと楽に健康を維持できる」と、理屈では分かっていても、その様に出来ないのが人間の弱いところ。
「食べたいものも食べずに、飲みたいものも飲まずに、いったい何のための人生か」などと、理屈にもならない理屈を並べてそれに酔ってしまう。自分を含めて多くの例を見てきました。
こうした方が、その時は気楽に過ごせます。
そうなのです。人間は目先の楽なほうに流されていくもののようです。
糖尿病予備軍は現在1千3百万人とも言われています。周りにも何人もいて「皆で渡れば怖くない」的な感覚に陥りがちです。「まあいいや」くらいの軽い気持ちで、或いは無自覚のままにやり過ごしてしまうことになりがちです。
「重大な警告を受けているにも拘わらず」です。
体に自覚症状が出てきたときには、もう、誰かに肩代わりしてもらうことも出来ません。この先ずーっと重い荷物を背負っていくことになるのです。
ベテラン糖尿病患者である私が、自分の体験を基に心から進言いたします。
「今、対応して下さい」「転ばぬ先の杖」です。
糖尿病は、その先ずーっと大きな負担を背負って行かなければならないのです。
<OOを飲んだら直りました>などという様な簡単なものではありません。
少なくとも私の場合はそうでした。
糖尿病予備軍の頃、私は会社の保険医の先生から注意するように言われていながら、日頃の忙しさにかまけて、なんとなく気にしながらも放置していました。
「仕事が忙しい。単身赴任で生活がついつい不規則になるのは仕方が無い」などと自分に言い訳をし、納得させながら安易な道を歩きました。
何年かして、その報いでしょうか、体が異常にだるく、体重も10キロ程急減してきました。家族が異変に気づき、促されて診断を受けたところ糖尿病と診断され、即入院という羽目になりました。
1カ月程の入院で血糖値など一応の水準に戻ったので退院しました。指導・体験入院の意味もあったようです。食事の注意、カロリー計算の仕方など栄養士さんから徹底した指導を受け、糖尿病と向き合う心構えなどを教わって、食事療法、運動療法、薬物療法(経口薬)を3本柱とする「糖尿病との長いお付き合い」が始まったのです。
私は身長167cm、体重は64〜65kg位でした。肥満ではなく、酒もタバコもやらないのに、こんな私がなぜ糖尿病なのか?と、思いもしました。
仕事で社内外の折衝に神経をすり減らすことでのストレスや連日の深夜・午前様の帰宅による生活の不規則が原因だろうと思っていました。
退院後もこういう生活が数年続き、又、この頃胃潰瘍の痛みに悩まされてもいました。これも同じ原因だろうから、退職すれば環境が大きく改善されて上手くコントロール出来るだろうと期待しました。
こんな事から60歳を機に退職してセカンドライフに入りました。胃潰瘍はピロル菌除去の結果、胃の痛みは嘘のように消えて問題は糖尿病一本に絞られましたが、これがなかなか強敵でした。
ストレスとか不規則な生活から開放され、食事も運動も飲み薬もまあまあ真面目に行ってきたつもりなのに、なかなか血糖値の改善は見られず、7〜8年経過して逆に上昇傾向になってきました。退職して10年が見えてきた頃、血糖値が異常に急上昇し、大きな転機を迎えることになったのです。 (続く)
50歳代半ばのこと、まだ在職中でしたが糖尿病と診断され即入院。糖尿病との長いお付き合いが始まりました。
60歳で退職し、食事・経口薬・運動による療養にこれ努めA1cは一時6%台まで下がったものの、直ぐにまた上昇し、8%台を中心に数年間経過。以後9%台が続き、発病から10年近くなって主治医の先生からインシュリン注射をするように言われたのですが、インシュリンへの暗いイメージがあって1年半ほど躊躇していました。
そうこうしている内にA1cが急上昇し12%〜〜13%に跳ね上がりました。さすがに危機感を強め、別の病院でセカンドオピニオンを求め、ここで糖尿病センター長のドクターから診断結果にもとづく的確な説明を受け、インシュリンへの誤解が解けて、納得してインシュリン注射をすることにしました。
結果は良好で、1年8カ月程で6%台を記録するまでに改善され、減りすぎていた体重も戻ってきました。
恐ろしい感染症の発症を、直前で一杯に舵を切って回避出来た思いでした。垂れ込めた暗雲が切れて陽の光が射しこんできた思いでした。この感動は、恐らく一生忘れることはないでしょう。
何故インシュリン治療を避けようとしたのか?
「インシュリンを注射すると、すい臓が怠けて機能しなくなる」と最初の頃病院で言われて、それを信じ込み、インシュリンに対して「暗い」イメージ、偏見をもっていました。
糖尿病と診断されて以来、療養は食事・運動・薬の3本立てで、特にカロリーコントロールで難儀しましたが、「災い転じて福となす」の例え通りに、「楽しみ;趣味」が芽生え育って私を支えてくれました。
運動療法としての「歩くこと」が当初の「義務感」からやがて「楽しみ」に変わり、これに連鎖して「山野草」「パソコン・デジカメ」への興味が広まってきて私の支えになりました。ここにはちょっとした工夫がありました。
この様に長い年月の間、悩んだり、糠喜びしたり、様々な経験をしながら過ごしてきました。こんな事あんな事、私が体験してきたことをお伝えすることで、今予備軍の方が発症を避けることが出来、既に同じ病で悩んでおられる方々の今後の対応に少しでもお役に立ちたいと願っています。
2、糖尿病予備軍の頃から糖尿病正規軍と診断された頃のこと
前述の如く50歳代半ばで糖尿病と診断され、即入院となりました。
この数年前から職場での健康診断で尿糖が+または++になることがあって会社の保健医の先生から注意するように言われていましたが、日頃の忙しさにかまけて、何となく気にしながらも放置していたのです。これが失敗の始まりでした。
糖尿病予備軍である方々へ!
今の段階でキチット対応することが肝要です。ここでしっかり自覚して、自己管理して下さい。「そのまま放っておくと大変なことになりますよ!」。
「先々、重い荷物を背負ようになるよりは、今、対応したほうがずっと楽に健康を維持できる」と、理屈では分かっていても、その様に出来ないのが人間の弱いところ。
「食べたいものも食べずに、飲みたいものも飲まずに、いったい何のための人生か」などと、理屈にもならない理屈を並べてそれに酔ってしまう。自分を含めて多くの例を見てきました。
こうした方が、その時は気楽に過ごせます。
そうなのです。人間は目先の楽なほうに流されていくもののようです。
糖尿病予備軍は現在1千3百万人とも言われています。周りにも何人もいて「皆で渡れば怖くない」的な感覚に陥りがちです。「まあいいや」くらいの軽い気持ちで、或いは無自覚のままにやり過ごしてしまうことになりがちです。
「重大な警告を受けているにも拘わらず」です。
体に自覚症状が出てきたときには、もう、誰かに肩代わりしてもらうことも出来ません。この先ずーっと重い荷物を背負っていくことになるのです。
ベテラン糖尿病患者である私が、自分の体験を基に心から進言いたします。
「今、対応して下さい」「転ばぬ先の杖」です。
糖尿病は、その先ずーっと大きな負担を背負って行かなければならないのです。
<OOを飲んだら直りました>などという様な簡単なものではありません。
少なくとも私の場合はそうでした。
糖尿病予備軍の頃、私は会社の保険医の先生から注意するように言われていながら、日頃の忙しさにかまけて、なんとなく気にしながらも放置していました。
「仕事が忙しい。単身赴任で生活がついつい不規則になるのは仕方が無い」などと自分に言い訳をし、納得させながら安易な道を歩きました。
何年かして、その報いでしょうか、体が異常にだるく、体重も10キロ程急減してきました。家族が異変に気づき、促されて診断を受けたところ糖尿病と診断され、即入院という羽目になりました。
1カ月程の入院で血糖値など一応の水準に戻ったので退院しました。指導・体験入院の意味もあったようです。食事の注意、カロリー計算の仕方など栄養士さんから徹底した指導を受け、糖尿病と向き合う心構えなどを教わって、食事療法、運動療法、薬物療法(経口薬)を3本柱とする「糖尿病との長いお付き合い」が始まったのです。
私は身長167cm、体重は64〜65kg位でした。肥満ではなく、酒もタバコもやらないのに、こんな私がなぜ糖尿病なのか?と、思いもしました。
仕事で社内外の折衝に神経をすり減らすことでのストレスや連日の深夜・午前様の帰宅による生活の不規則が原因だろうと思っていました。
退院後もこういう生活が数年続き、又、この頃胃潰瘍の痛みに悩まされてもいました。これも同じ原因だろうから、退職すれば環境が大きく改善されて上手くコントロール出来るだろうと期待しました。
こんな事から60歳を機に退職してセカンドライフに入りました。胃潰瘍はピロル菌除去の結果、胃の痛みは嘘のように消えて問題は糖尿病一本に絞られましたが、これがなかなか強敵でした。
ストレスとか不規則な生活から開放され、食事も運動も飲み薬もまあまあ真面目に行ってきたつもりなのに、なかなか血糖値の改善は見られず、7〜8年経過して逆に上昇傾向になってきました。退職して10年が見えてきた頃、血糖値が異常に急上昇し、大きな転機を迎えることになったのです。 (続く)