2012年07月09日
A159・「食べ物」を大切にしたい(1)
1、「食べ物」への思い
「食べ物は何時でも店に売っているもの、電話やネットで注文すれば家に届けられるもの。」
私たちのほとんどが、こう思っているのではないでしょうか。
いや! 思うこともせずに、思い込んでいる様でもあります。
食べ物が手に入ることの有難さ、食べ物の大切さに気付かないで、ただ「美味しいかどうか」、「高いか安いか」が日本人の大方の関心事であるように思えてなりません。私の妄想であって欲しいと思います。
「食べ物は何時でも店に売っているもの、電話やネットで注文すれば家に届けられるもの。」
私たちのほとんどが、こう思っているのではないでしょうか。
いや! 思うこともせずに、思い込んでいる様でもあります。
食べ物が手に入ることの有難さ、食べ物の大切さに気付かないで、ただ「美味しいかどうか」、「高いか安いか」が日本人の大方の関心事であるように思えてなりません。私の妄想であって欲しいと思います。
日本は、ほんの数十年前、敗戦から復興に向かって立ち上がった頃は、深刻な食料危機に見舞われました。
当時小学生、中学生から若者だった人たちが、いま後期高齡者となって多くおいでです。
私もその一人なのですが、毎日、空腹を抱えながら、私たちの親世代がその日の食料を調達する姿を見て育ちました。ふと気付くと、その時のひもじさ、親の姿を忘れてしまっていました。改めてその頃のことがあれこれと思い出されます。
若い人たち中年の人たちは、直接の経験はないものの、自分の国のほんの数十年前のことを学んで欲しいと願います。
その後日本は、世界が驚ろく高度成長を果たし、一億総中流意識・温室ボケに浸り、挙げ句がバブルの崩壊でした。にもかかわらず、「食べ物」に対するバブルは続きました。
東北大震災に見舞われ、福島原発事故というとんでもない事故を起こし、日本は危機的状態と言われ続けています。
「復興」「復旧」のかけ声のもとで一歩一歩前進しているのでしょうか?
国の政治や行政は「案の定」というか「予想通り」というか、空転を続けています。
「消費増税問題」に政治生命がかけられ、原発再稼働で賛否国論が2分されています。
何れも重大な問題であるにもかかわらず、議論が表向きの言葉くらいにしか伝わってこないのは私だけなのでしょうか。
国の経済とか、エネルギー問題とか自体での危機的な状態と同時に、「信頼感」を失ってしまった国の政治行政そのものの改革が問われているのだと思います。
更にその土台になる「日本の食糧事情」を日本人全てが強い関心を持つ必要があると思っています。
「日本の食糧事情」について、一市民として、素人なりに考えてみます。
2、日本の食糧自給率
日本の食料自給率は40%にも満たない状態にあります。
このままでは外国に生殺与奪の実権を握られてしまいかねません。
現に2008年に小麦、大豆、トウモロコシの価格急騰、入手困難に曝されたばかりなのに、更に2011にも急騰し、以後高値にあるのに、さして話題にもならず、まるで忘れたかのようです。
この様な食糧問題の現状に私たち日本人はもっと自覚すべきではないでしょうか。
私たち日本人の多くは、食べ物は海からの恵みであり野山からの恵みであることを忘れ、食べ物に感謝し大切に思う気持ちを忘れてしまっているように思われます。
生命の根源である食糧問題に赤信号がちらついているように思うのです。
野生動物の世界では、各個体が自力で食料を得る頃が出来なくなると己の運命を覚り静かに死を待つ様です。
人間の世界では社会性とか倫理観とかが高度に発達してはいますが、食料の確保が生命維持の最重要課題であることには変わりないはずです。
しかるに日本では、豊富に有り余るほどの食料に囲まれて過ごしているうちに、本能的に持ち合わせているはずの食糧確保への執念は薄れ、「あって当たり前」、さらに重症化して「あって当たり前」とすらも考えずに、惰性の日々を過ごすしてはいないでしょうか。
僅か数十年前、敗戦後の日本は深刻な食糧不足になって、国民の多くが飢餓状態にあったことを思い返さなければいけないと思います。
食べ物を大切に思う気持ちを取り戻そう! 自分に語りかけ、皆がこう自覚するようにうにマスコミなどでキャンペーンを繰り返して欲しい。と思います。
大事にいたる前に日本の食料自立を確立しておくべし、と気がせくのですが無用な取り越し苦労でしょうか。
東日本大地震の影響もあって、各地で近い将来に巨大地震発生の可能性が高まっていると言われています。食糧問題への準備がなくて良い訳がありません。
当時小学生、中学生から若者だった人たちが、いま後期高齡者となって多くおいでです。
私もその一人なのですが、毎日、空腹を抱えながら、私たちの親世代がその日の食料を調達する姿を見て育ちました。ふと気付くと、その時のひもじさ、親の姿を忘れてしまっていました。改めてその頃のことがあれこれと思い出されます。
若い人たち中年の人たちは、直接の経験はないものの、自分の国のほんの数十年前のことを学んで欲しいと願います。
その後日本は、世界が驚ろく高度成長を果たし、一億総中流意識・温室ボケに浸り、挙げ句がバブルの崩壊でした。にもかかわらず、「食べ物」に対するバブルは続きました。
東北大震災に見舞われ、福島原発事故というとんでもない事故を起こし、日本は危機的状態と言われ続けています。
「復興」「復旧」のかけ声のもとで一歩一歩前進しているのでしょうか?
国の政治や行政は「案の定」というか「予想通り」というか、空転を続けています。
「消費増税問題」に政治生命がかけられ、原発再稼働で賛否国論が2分されています。
何れも重大な問題であるにもかかわらず、議論が表向きの言葉くらいにしか伝わってこないのは私だけなのでしょうか。
国の経済とか、エネルギー問題とか自体での危機的な状態と同時に、「信頼感」を失ってしまった国の政治行政そのものの改革が問われているのだと思います。
更にその土台になる「日本の食糧事情」を日本人全てが強い関心を持つ必要があると思っています。
「日本の食糧事情」について、一市民として、素人なりに考えてみます。
2、日本の食糧自給率
日本の食料自給率は40%にも満たない状態にあります。
このままでは外国に生殺与奪の実権を握られてしまいかねません。
現に2008年に小麦、大豆、トウモロコシの価格急騰、入手困難に曝されたばかりなのに、更に2011にも急騰し、以後高値にあるのに、さして話題にもならず、まるで忘れたかのようです。
この様な食糧問題の現状に私たち日本人はもっと自覚すべきではないでしょうか。
私たち日本人の多くは、食べ物は海からの恵みであり野山からの恵みであることを忘れ、食べ物に感謝し大切に思う気持ちを忘れてしまっているように思われます。
生命の根源である食糧問題に赤信号がちらついているように思うのです。
野生動物の世界では、各個体が自力で食料を得る頃が出来なくなると己の運命を覚り静かに死を待つ様です。
人間の世界では社会性とか倫理観とかが高度に発達してはいますが、食料の確保が生命維持の最重要課題であることには変わりないはずです。
しかるに日本では、豊富に有り余るほどの食料に囲まれて過ごしているうちに、本能的に持ち合わせているはずの食糧確保への執念は薄れ、「あって当たり前」、さらに重症化して「あって当たり前」とすらも考えずに、惰性の日々を過ごすしてはいないでしょうか。
僅か数十年前、敗戦後の日本は深刻な食糧不足になって、国民の多くが飢餓状態にあったことを思い返さなければいけないと思います。
食べ物を大切に思う気持ちを取り戻そう! 自分に語りかけ、皆がこう自覚するようにうにマスコミなどでキャンペーンを繰り返して欲しい。と思います。
大事にいたる前に日本の食料自立を確立しておくべし、と気がせくのですが無用な取り越し苦労でしょうか。
東日本大地震の影響もあって、各地で近い将来に巨大地震発生の可能性が高まっていると言われています。食糧問題への準備がなくて良い訳がありません。