2012年06月21日
A141・「物覚えが悪くなった」?〜いや! まだまだ捨てたものではない
1、「物覚えの悪さ」と「物忘れの良さ」
「物覚えの悪さ」と「物忘れの良さ」は、若い頃から私について回っていることで、何も今に始まったことではありません。
ただ、その度合いが進んできたように思います。
「年のせいか?」というのが世間の相場かも知れませんが、そうとは思いたくないもう一人の自分がいます。
あれこれ言い訳を考えているうちに、都合の良い情報があったりして、
「まだまだ捨てたものではない!」という気分になってきました。
傍目には「無理だろう!」と見えるかも知れませんが、本人はその気でいます。
「物覚えの悪さ」と「物忘れの良さ」は、若い頃から私について回っていることで、何も今に始まったことではありません。
ただ、その度合いが進んできたように思います。
「年のせいか?」というのが世間の相場かも知れませんが、そうとは思いたくないもう一人の自分がいます。
あれこれ言い訳を考えているうちに、都合の良い情報があったりして、
「まだまだ捨てたものではない!」という気分になってきました。
傍目には「無理だろう!」と見えるかも知れませんが、本人はその気でいます。
2、「記憶」と「意欲」
退職後、持病の運動療法として山野を歩いているうちに山野草に興味を覚えるようになり、それがきっかけで植物観察の会に入って同好の皆さんと草や木を見て歩くようになって、10数年を過ごしてきました。
現地で、先生から次々に草木の名前や、形の特徴など説明されます。
初めのうちは、全然知識がないので、名前を聞き取ること自体が難関でしたが、一生懸命聞き取り、メモして、一生懸命に覚えようとしました。
1つ1つ名前を覚えていくことが大きな喜びでした。一心にメモを取り、帰りの電車でメモのを読み返し、空欄を埋めたりして、帰宅してパソコンに打ち込み、記録を残しました。
数年して、何処にでもよく見かける草木は一通り教わり、多少余裕が出てきますと少し横着になり、説明を聞きながらのメモは少なくなり、休憩時とか帰宅後に思い出しながらまとめて書き出す様になりました。
それが最近は、思い出せない部分が多くなりました。
やはり記憶力が落ちてきたのだろうか?!と弱気になり始めると、
そうは思いたくないもう一人の自分が、記憶力の問題ではなく、覚えようとする熱意の問題だと言います。
草木を一つ一つ観察するのではなく、何となく見ている程度の感じで眺めているだけだから、記憶に残らないのだ、と言います。
話が変わります。
観察した草木を「観察ノート」に記録してきました。その数がいつの間にか千数百種にもなっています。
その中に数%位でしょうか? 観察した場所や教わった時の情景などを鮮明に思い出せる物があります。逆に、全く何も思い出せない物が遙かに多い%であります。記録に残っているのだから説明を受けて、メモを取ったはずなのですが?
また別の話です。観察会などで、中間の人と話しているとき、姿・形のイメージはあるのですが、どうしても名前が出てこないことがあります。お互いに経験することなのか?
「その内に思い出すよ!」で、その場を過ごします。
そして、後になって、ポッと思い出すことが度々あります。思い出そうと努めているのでもないのに!です。
こんな事などから、「記憶力の低下」ではない! 「記憶しようとする意欲の低下」と「記憶方法のまずさ」である。と考えようとしている様です。
「忘れやすくなった」のではない! 「必要なときに思い出せないだけだ」。現に後から思い出すことが再三ではないか! と無理矢理自己弁護します。
思い出すパイプが詰まり加減の様だから、記憶の連鎖などを付け加えてパイプ掃除をすればよい!など、兎に角、「自分は年だ」「能力が落ちてきているのだ」とは思はないように、こじつけでも良いから理由をつけようとします。
「気力の落ち込み」を警戒しています。
3、気合いを入れ直して我が道を行こうか!
送信されてきた「教材屋さん」のメルマガでのQ&Aです
Q; 現実には、70歳では学習は無理でしょうか?
A;70歳は全然若い。
実際、現在の塾生には80歳の方は普通にいます。
70歳以上の方が塾生の10%もいます。
だから、ほかにも同じ年齢の人がいるのだと、安心して下さい。
全国区の著名な「教材屋さん」です。多くの先輩・同輩諸兄が通信教育で自己研鑽に励んでおいでだと改めて知りました。
私も一丁気合いを入れ直して我が道を行こうか!
そんな気持ちにさせられました。
「記憶術」でインターネットを検索したら2百20万件ヒットしました。
「記憶」の効果的な方法はいくらでもありそうです。
<
script type="text/javascript" charset="euc-jp" src="http://blog.with2.net/vote/form.php?sid=1097000&id=91674&size=1&nops=y">
退職後、持病の運動療法として山野を歩いているうちに山野草に興味を覚えるようになり、それがきっかけで植物観察の会に入って同好の皆さんと草や木を見て歩くようになって、10数年を過ごしてきました。
現地で、先生から次々に草木の名前や、形の特徴など説明されます。
初めのうちは、全然知識がないので、名前を聞き取ること自体が難関でしたが、一生懸命聞き取り、メモして、一生懸命に覚えようとしました。
1つ1つ名前を覚えていくことが大きな喜びでした。一心にメモを取り、帰りの電車でメモのを読み返し、空欄を埋めたりして、帰宅してパソコンに打ち込み、記録を残しました。
数年して、何処にでもよく見かける草木は一通り教わり、多少余裕が出てきますと少し横着になり、説明を聞きながらのメモは少なくなり、休憩時とか帰宅後に思い出しながらまとめて書き出す様になりました。
それが最近は、思い出せない部分が多くなりました。
やはり記憶力が落ちてきたのだろうか?!と弱気になり始めると、
そうは思いたくないもう一人の自分が、記憶力の問題ではなく、覚えようとする熱意の問題だと言います。
草木を一つ一つ観察するのではなく、何となく見ている程度の感じで眺めているだけだから、記憶に残らないのだ、と言います。
話が変わります。
観察した草木を「観察ノート」に記録してきました。その数がいつの間にか千数百種にもなっています。
その中に数%位でしょうか? 観察した場所や教わった時の情景などを鮮明に思い出せる物があります。逆に、全く何も思い出せない物が遙かに多い%であります。記録に残っているのだから説明を受けて、メモを取ったはずなのですが?
また別の話です。観察会などで、中間の人と話しているとき、姿・形のイメージはあるのですが、どうしても名前が出てこないことがあります。お互いに経験することなのか?
「その内に思い出すよ!」で、その場を過ごします。
そして、後になって、ポッと思い出すことが度々あります。思い出そうと努めているのでもないのに!です。
こんな事などから、「記憶力の低下」ではない! 「記憶しようとする意欲の低下」と「記憶方法のまずさ」である。と考えようとしている様です。
「忘れやすくなった」のではない! 「必要なときに思い出せないだけだ」。現に後から思い出すことが再三ではないか! と無理矢理自己弁護します。
思い出すパイプが詰まり加減の様だから、記憶の連鎖などを付け加えてパイプ掃除をすればよい!など、兎に角、「自分は年だ」「能力が落ちてきているのだ」とは思はないように、こじつけでも良いから理由をつけようとします。
「気力の落ち込み」を警戒しています。
3、気合いを入れ直して我が道を行こうか!
送信されてきた「教材屋さん」のメルマガでのQ&Aです
Q; 現実には、70歳では学習は無理でしょうか?
A;70歳は全然若い。
実際、現在の塾生には80歳の方は普通にいます。
70歳以上の方が塾生の10%もいます。
だから、ほかにも同じ年齢の人がいるのだと、安心して下さい。
全国区の著名な「教材屋さん」です。多くの先輩・同輩諸兄が通信教育で自己研鑽に励んでおいでだと改めて知りました。
私も一丁気合いを入れ直して我が道を行こうか!
そんな気持ちにさせられました。
「記憶術」でインターネットを検索したら2百20万件ヒットしました。
「記憶」の効果的な方法はいくらでもありそうです。
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