2012年06月20日
A140・自然が牙をむくとき〜山の遭難に思う
1、自然は美しくもあり、恐ろしくもある
山での遭難が繰り返されています。この度もマッキンリーから何とも辛い知らせが報じられてました。
私はこれといった登山経験はありません。退職後10数年、持病の運動療法と趣味の植物観察を兼ねて近郊の低山をよく歩いています。
札幌に生まれ育って、子供の頃から野山を友として過ごしてきました。仕事の関係で東京に移り住みましたが、後期高齡者の今まで自然との付き合いを続けてきました。
それなりに「自然の恐ろしさ」を体験しています。
雪国では、自宅物置の屋根から落ちた雪に埋まって亡くなったり、民家の裏の沢に吹雪で迷い込んでの遭難も見聞きしてきました。
「自然」は普段は美しく、私たちに恵みを与えてくれる存在ですが、ひとたび牙をむくと圧倒的に巨大なエネルギーで襲いかかります。
山での遭難が繰り返されています。この度もマッキンリーから何とも辛い知らせが報じられてました。
私はこれといった登山経験はありません。退職後10数年、持病の運動療法と趣味の植物観察を兼ねて近郊の低山をよく歩いています。
札幌に生まれ育って、子供の頃から野山を友として過ごしてきました。仕事の関係で東京に移り住みましたが、後期高齡者の今まで自然との付き合いを続けてきました。
それなりに「自然の恐ろしさ」を体験しています。
雪国では、自宅物置の屋根から落ちた雪に埋まって亡くなったり、民家の裏の沢に吹雪で迷い込んでの遭難も見聞きしてきました。
「自然」は普段は美しく、私たちに恵みを与えてくれる存在ですが、ひとたび牙をむくと圧倒的に巨大なエネルギーで襲いかかります。
頭では分かっているつもりでも、私たち人間はその評価を誤る様です。
「山ブーム」がその例です。どんな低い山でも、民家の裏山でも、自然が危険をはらんでいることに例外はありません。
その辺りを良くわきまえての「ブーム」であるならば、心身の健康維持向上に誠に望ましいことですが、私たちはつい「楽しみ」だけを先行させがちです。
立ち入り禁止のコースに入るスキー客が後を絶たないそうで、その無自覚は厳しく攻められるベキでしょう。雪崩の危険とか、急に吹雪かれると遭難の危機にさらされること必然でしょうが、そこに思いが至らないようです。
便利な社会に慣らされて、一般的に、自然の恐ろしさに対する無知、自己防衛意識の貧弱が目立つように思われます。
2、「対処できない危険」への「挑戦」と「謙虚」の勇気ある判別を
高山での登山となるとそのまま対比は出来ないでしょうが、自然の強大なエネルギーに対して人間は小さな存在であり、謙虚であるべき点では同じはずです。
高山での自然条件は格段に苛酷を極めるでしょう。幸運な条件の下で登頂に成功することもありましょうが、多くはそうは行かないのが現実だろうと思います。
自然の圧倒的なエネルギーに対する人間の力などは遙かに微少なはずです。
事故があったとき、周りの人は「経験年数」とか「登山実績」とかを言ますが、ご当人はそんな意識は無かっただろうと思います。
人間社会での比較ならいざ知らず、自然に向かう人間は、相手の圧倒的なエネルギーに対して「謙虚で、ひたむき」であったと思いたいのです。
遭難の報道に接する度に、本来なら、「山ブーム」を指導される力量を備えた方であるだろうに!と思い、残念でなりません。
「挑戦」を批判するつもりはありませんが、あるべき「限度」を山岳関係者で考え直してもらいたいと思います。
「対処できない危険」に対しての「謙虚」「自重」「勇気ある撤退」・・適当な言葉を選び得ませんが、事故を繰り返さない「山岳活動」を目指していただきたいと願います。
「山ブーム」がその例です。どんな低い山でも、民家の裏山でも、自然が危険をはらんでいることに例外はありません。
その辺りを良くわきまえての「ブーム」であるならば、心身の健康維持向上に誠に望ましいことですが、私たちはつい「楽しみ」だけを先行させがちです。
立ち入り禁止のコースに入るスキー客が後を絶たないそうで、その無自覚は厳しく攻められるベキでしょう。雪崩の危険とか、急に吹雪かれると遭難の危機にさらされること必然でしょうが、そこに思いが至らないようです。
便利な社会に慣らされて、一般的に、自然の恐ろしさに対する無知、自己防衛意識の貧弱が目立つように思われます。
2、「対処できない危険」への「挑戦」と「謙虚」の勇気ある判別を
高山での登山となるとそのまま対比は出来ないでしょうが、自然の強大なエネルギーに対して人間は小さな存在であり、謙虚であるべき点では同じはずです。
高山での自然条件は格段に苛酷を極めるでしょう。幸運な条件の下で登頂に成功することもありましょうが、多くはそうは行かないのが現実だろうと思います。
自然の圧倒的なエネルギーに対する人間の力などは遙かに微少なはずです。
事故があったとき、周りの人は「経験年数」とか「登山実績」とかを言ますが、ご当人はそんな意識は無かっただろうと思います。
人間社会での比較ならいざ知らず、自然に向かう人間は、相手の圧倒的なエネルギーに対して「謙虚で、ひたむき」であったと思いたいのです。
遭難の報道に接する度に、本来なら、「山ブーム」を指導される力量を備えた方であるだろうに!と思い、残念でなりません。
「挑戦」を批判するつもりはありませんが、あるべき「限度」を山岳関係者で考え直してもらいたいと思います。
「対処できない危険」に対しての「謙虚」「自重」「勇気ある撤退」・・適当な言葉を選び得ませんが、事故を繰り返さない「山岳活動」を目指していただきたいと願います。