かつて同じ工房で造られたとされる2体の仏像が、美術館で歴史的な再会を果たしました。しかもこの2体、ひと組の三尊像を形成していたと推測されるのです。泣き別れた両像を結びつける決定打となったのは、耳の形の研究でした。再会に導いた学芸員の児島大輔さんの思いを聞きました。
お顔の表情がそっくりな2体の仏像は、およそ1300年前の奈良時代中期から後期の造像とされる阿弥陀如来坐像(兵庫県・金蔵寺蔵)と菩薩坐像(神奈川県・龍華寺蔵、金沢文庫保管)です。後世に補われた部分もありますが、どちらも頭部は脱活乾漆造(粘土の原型に麻布をかぶせ、漆を重ねて整える)の技法でつくられています。
2体の仏像を結びつけた児島大輔さん(45)は、大阪市立美術館につとめる学芸員です。
奈良文化財研究所から2014年に大阪市立美術館の学芸員となり、この秋初めて展覧会の企画を任されました。少年時代から奈良の寺々を巡っていたという児島さんがテーマに選んだのは、奈良時代の元号のひとつである「天平」。展覧会の目玉のひとつとして、2像の再会が企画されました。
「隣に並べてみたい」
再会を果たした2体の仏像について児島さんは「残っていることが奇跡に近いといえる脱活乾漆の仏像」だと語ります。
その類似性を指摘した先行研究を踏まえ、「2像をそれぞれに拝見したり写真で見比べたりしていた」と言う児島さん。
「ふっくらとしたかわいらしさから威厳を備えた厳しい表情への過渡期、奈良時代中期頃の作風をよくあらわしている。脱活乾漆が可能とする柔らかな表現がうかがえます」
展覧会を企画するにあたって児島さんの中に生まれたのは「隣に並べてみたい」という思いでした。
「バラバラのものをつなぐことができるのが展覧会を開催する醍醐味の一つでもあると思います。そうした意味で、両像を同時に鑑賞できる機会を提供したいと考えました。これまでのほかの展覧会でも実現できていなかったことですので、ご出品いただくお寺にも両像にとっても意味のあることと考えました」
「間違いない」決定打となった「耳の形」
顔の表情が似ているだけでは、奈良時代の仏像だとは分かっても、同一の仏師や工房の制作であるとは言い切れません。
「決定打」とされたのは、耳の形でした。目元や口元と比較して、より複雑な構造で作者の癖が出やすいとされる耳の形は、作品の帰属を突き止める上で重要視されるのです。
一般的な仏像の耳は、耳輪の内側の線が下降して耳たぶを形成します(青色の点線)。これに対して2像の耳の形は、耳輪の内側の輪郭線が耳の中ほどで鼻の方へ向かっています(赤色の点線)。
この特徴は奈良時代の仏像では他に例をみず、2像がかなり近しい関係にあることが示唆されます。表情の類似性に加えて耳の形が決定打となり、さらに法量(サイズ)が近しいことから、両像が同じ場所で造られ、しかも三尊を形成していたのではないかという推測が導かれました。
児島さんは「展示室に並べてみて、これは間違いないと確信した」といいます。
「両像は同一工房の作というだけでなく、同じお寺に安置されていたのだろうという思いを強くしました」
ひっそりと再会を果たす
両像が造られた8世紀当時、本格的な脱活乾漆像は簡単につくることができなかったことから、どちらも奈良の都で制作されたものと推定されます。
金蔵寺に伝わる記録によると、阿弥陀如来坐像は宥光という僧が1842年に同寺に寄贈したもののようです。この宥光が神呪寺(兵庫県)と摂津国分寺(大阪府)の住職を兼ねていたことから、そっくりな2像はこのどちらかの寺に伝来していた可能性が高いとされています。
かつて一具を成していた可能性のある大阪の地で、両像はひっそりと再会を果たしたことになるのです。
取材を終えて
目立つ部分ではないからこそ作者の個性が出る耳や指の形。これらに注目して絵画作品を鑑定する方法は「モレッリ法」と呼ばれるそうです。
仏像の耳を巡っては、こんな逸話が有名です。
仏師・快慶の耳の形の特色を明らかにしたのは、東京芸術大名誉教授の水野敬三郎さん。その共通性に気がついたのは、夜ごとお酒を飲みながら撮りためた快慶作品を眺めていた時だったといいます。このひらめきが耳の形による判定方法の確立につながり、再会を果たした2像の類似性も明らかになったのです。
児島さんへの取材を通して、つぶさに観察を続ける研究者や学芸員といったプロたちの熱い思いの一端を知ることができました。