しかし、日本では空海(弘法大師)が先鞭をつけて広めた密教(仏教)の「唯識(ゆいしき)」という概念は、現代的に言えば、「この世はマトリックスのような仮想現実であり、そのプログラムのソースコードをマスターすれば、自分の目の前の世界を書き換えることができる」というものであるというのが私の考えだ、
仏教の修行の究極の目的は悟りを開くことだと言ってよいが、実は悟りを開くということは「自分が目の前で見ている『仮想現実=唯識』を『自分自身で完全にコントロール』できるようになる」ということなのだ。
もっと仏教的に言えば、「周りで起こることに左右されずに、常に自分の気持ちを平静かつ穏やかにいることができる」人が悟りを開いた人なのである。
空海が学んだ密教は、西遊記で有名な三蔵法師(玄奘)が天竺(インド)から持ち帰り翻訳したものがベースになっているが、その時代にインドではこの世がマトリックスであることを見抜いていたことには驚かされる。
「この世はマトリックス」という考えは、古代からの宗教哲学だけの話ではない。実は最新科学の宇宙論においても、ブラックホールなどの研究を通じて、この宇宙は「数字によって創造されたプログラム」あるいは、「宇宙は2次元平面から投影された3次元ホログラム」という考え方が、第一線の科学者によって真剣に議論されているのだ。
我々の目に見えるすべてのものが仮想現実だ
例えば、「眼で見る」、「耳で聞く」、「指で感じる」と言うが、厳密に科学的に言えばそのような現実の認識はすべて「脳が行っている」のだ。
眼球を経由して「見る」のは現実の姿ではない。まずカメラの原理で反転して入ってくる光子の情報を視覚細胞が、形と色を別々の刺激として受け取る。コンピュータで言えば「画素」にあたる膨大な情報を脳というコンピュータで映し出したものを我々は見ているのだ。
同じ背の高さの人物や線などが異なって見える「錯視」という現象はよく知られているが、そのようなことが起こるのも、我々が実は現実そのものを見ているのではなく、脳というコンピュータで情報処理・投影されたものを「見ている」に過ぎないからなのだ。つまり、人間が感じるすべてのものが、脳が創りだした「仮想現実」なのである。
このように考えると実は我々が認識している「現実」とはいったい何か?という重大な疑問が浮かぶ。
この事実を、科学的検証ではなく、純粋に頭の中の哲学的追求だけで見出した密教(仏教)の先見性には驚かされる。
この世はなぜ数式で説明できるのか?
科学界では、宇宙の森羅万象を方程式で解き明かす努力が日夜行われている。「宇宙のすべてを説明できる『神の方程式』」が実現可能かどうかは定かではないが、この世のほとんどすべてが数式または確率という数字で説明することができるのは紛れもない事実である。
物理法則のすべてや量子論、さらには自然が織りなす美しい造形、放物線、人間の美の感覚である黄金比に至るまで数字であらわすことが可能だ。
しかし、なぜ数字で表すことが可能なのだろうか?宇宙が数字で表せない原理で動く選択をする可能性の方が高かったのではないかと考えたことはないだろうか?
先進的な学者が現在注目しているのは、なぜ宇宙は数字で表すことができるのかということである。数式で表せるのは、コンピュータのように「プログラム」で動いているからではないかと考えるのは自然なことだ。
我々は、コンピュータゲームの中の「マリオ」のような存在かも知れない・・・
もちろん、これだけではこの世がマトリックスだと考える十分な証拠とは言えないが、さらに補完する科学的理論もある。
宇宙はホログラムなのか?
スティーブン・ホーキングが車いすに乗って、口を動かさずにコンピュータの合成音声で聴衆に語りかける姿を見たことがある読者も多いのではないだろうか?
有名な宇宙論学者である彼が、「ブラックホールの周りを囲む『事象の地平面』」から物体がブラックホールの中心に向かって落ちる時には『情報』が失われる」という説を発表した時には世界が驚いた。
『情報』(物理学的意味の「情報」は理解しにくい概念だが、ここではデータと考えれば問題ない)は宇宙の中でどのような物理現象が起こっても消滅することはないと考えられていたからである。つまり物理法則を根底から覆しかねない理論であったのだ。
なお、『事象の地平面』も耳慣れない言葉だと思うが、「ここから先へ行くと、ブラックホールの重力が強くなりすぎて二度と戻れなくなりますよ」というブラックホールを包む殻のようなものだと考えていただきたい。
結論から言えば、大科学者のホーキングが誤っていて、「情報はブラックホールの中心部には落ちていかないが、『事象の地平面』に「保存」されるので残される」ということがわかった。
つまり、物理法則が根底から覆ることはなかったのだが、新たに驚愕の事実が判明したのである。
「ブラックホールを取り囲む2次元の『事象の地平面』に残された情報が、内部の3次元の物質を作り出している」=「『事象の地平面』に書きこまれた2次元のプログラムで、3次元の物質がホログラムのように投影されている」ということだ。
ブラックホールの内部がホログラムなのであれば、宇宙そのものもホログラムではないだろうか?と考える最先端の科学者が増えている。
我々は物に触れることはできない
我々の五感で感じる世界が実は「仮想現実」である、などという話はにわかには信じがたいが、たとえば、我々は実際には「物を触ることができない」という事実もあるのだ。
スマホを指でタッチするとき、カバンを持ち上げるとき、さらには恋人同士が抱擁したりキスをするときに間違いなく触っているではないかという反論が返ってくるだろう。
しかしながら、物質を構成する原子の構造を考えてみればすぐに理解できる。原子の構造は、原子核の周りを周回する電子の姿で描かれることが多いが、この図は正確ではない。誤っている部分はいくつかあるのだが、重要なのは原子核と電子の位置関係だ。
原子核の大きさを人差し指の上の砂糖粒ほどのサイズだとすると、電子の軌道はテニスコートほどの大きさになる。つまり、原子とはほとんど何もない空っぽの空間(暗黒物質などの「見えない素粒子」の話はここではスキップする)なのだ。
したがって、我々が触れていると感じているのは原子で構成される物質そのものではなく、原子核の周りを飛び回る電子によって引き起こされる「電磁気力」である。つまり我々の触っているという感覚は電磁気力の(プラスとマイナスそれぞれの間に働く)反発力なのだ。
このように考えていくと、我々がこれまで「現実」だと考えていたもの何一つとして「現実」ではなかったことがよくわかる。
マトリックスと大日如来
すでに述べたように、昔からこの事実に気がついていたのが密教(仏教)であるが、それを象徴するのが曼荼羅である。
曼荼羅の解釈には色々あるが、その中に「胎蔵界と金剛界の曼荼羅は、自分自身と宇宙が大日如来を通じて実は一体であることを示している」というものがある。
つまり、「自分自身が見たり感じたりするものが宇宙のすべてであり、それ以外のものは実は存在しない」という考えにつながるのだ。
例えば、コンピュータゲームの画面にすべてが映し出されているわけではない。ユーザーが見たい場面だけがコンピュータ画面上に映し出され、残りの画面は情報としてハードディスクの中に隠れている。
自分が見たときだけ「現実」になるというのは、素粒子の世界の「観測した時だけ実体として存在する」という原則を考えれば、自然なことなのかもしれない。
結局、この広大な宇宙も、実は「自分の頭の中の映像にしか過ぎない」ので、「自分の頭の中の映像を変えれば宇宙が変わる」というのが、唯識の概念の中核と言えるだろう。
認識を変えれば世界を支配できる?
このように考えていくと<精神=物質>という、非科学的にも思える現象は科学的に証明できるかもしれない。
この世が、もし2次元プログラムから投影された3次元ならば、それを理解し正しい認識をすれば帝王のように支配できる。
「自分を変えることが成功への最短コース」とはよく言われることだが、それをつき詰めれば唯識にたどり着く。自分の外の世界は簡単に変えることができないが、「自分の内側は、意思次第でどのようにも変えることができる」ということだ。
なお、密教に関わる部分は、膨大な資料が存在するので、この記事では語りきれないが、ユニークな密教セミナーがある。