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2024年03月27日

心と呼吸の結びつき:体と心のバランスを整える」

その名はヨハネ.png
1. 「心と呼吸:健康と幸福への道」
2. 「心と呼吸の秘密:穏やかな生活を手に入れる方法」
3. 「心と呼吸の結びつき:体と心のバランスを整える」


風が草原をなでるように、古い寺院の庭園に静かな静寂が漂っていた。青々と茂る木々の間に、心静かな修行僧たちが座していた。その中心に、老僧が座り、深い静寂の中で彼らに教えを授けていた。

「意と念と気…心が持つ力を理解するためには、これらを分類することが重要だ。」老僧の声がそよ風に乗って響く。

「意は心の動きの方向を示す。念はその動きが力を持ち、気はその動きが身体を流れる状態を表す。」老僧の言葉が修行僧たちの心に沁み入る。

「心をどう駆使するか…その秘訣は呼吸にある。心と呼吸は一体であり、心が静まれば呼吸も静まる。そして、呼吸をコントロールすることで心をコントロールするのだ。」老僧の指導が深く重みを持っていた。

修行僧たちはその教えを受け止め、静かに座りながら呼吸を整えていった。呼吸が整うにつれて心も静まり、気持ちが落ち着いていくのを感じた。

「呼吸は生命そのもの…その重要性を理解することが肝要だ。正しい呼吸によって体も心も健やかになり、明るい未来が開ける。」老僧の言葉が、彼らの心に深く染み入る。

その日以降、修行僧たちは呼吸を整えることにさらに意識を向け、心身の健康を求めて精進を重ねていった。そして、その努力の果てに、強くたくましい心身と明晰な精神を手に入れることができたのである。







意と念と気ところで、その「心」を、、そのはたらきの上から、つぎのように分類している。
意・念・気である。
意とは、意志、というように、心が一定の方向に向かって動いている状態をさす。
念とは、意の動きが集申し高まって、ひとつの力を持つに至った状態で、念
力、という名がこれをよく表現している。



気とは、念がある方向に向かって身体の申を流れていく状態である。ただし、この気」には、意識的につくり出されたものと、無意識的・生理的に、自然に身体の中を流れているものと、二種類ある。たとえば、「元気だ」というような言葉で表現されるものである。

そこで、見方によっては、気を集中したものが念なのだ、ということもできるであろう。もともと、心というひとつのものを分けて考えているのであるから、そこのところはどうともいえるわけである。



ここでは、便宜上このように分類して、「気」という場合は主として意識的につくり出されたものをいっていると考えていただきたい。

心をどのように使うのか
さて、それでは、その「心」をいったいどのように使うのであろうか?

心とは元来、この上なくとらえがたいものである。コロコロとつねに動いてとどまらぬところから、これを約めてご』ころ”ということになったのだといわれるくらい、それは把握しがたいものである。いったいどうやって、これを思うとおりに駆使するのか?



ひとつ、方法があるのである。
なにか?

心.
心と呼吸とは、非常に密接な関係がある。
心の状態がそのまま呼吸にあらわれ、呼吸の状態がそのまま心を映し出す。心が静まれば、呼吸も静まり、呼吸を静めれば心も静まる。

心と呼吸は一体なのだ。
そこI、呼吸をコントロールすることにより、心をコントロールするとい
う、高度のテクニックを使うのである。ここからスタートして、しだいに熟達し、ついには自分の思うように心を使うことができるようになるのである。

いや、それだけではない。一歩進んで、体(筋肉)をも、思うとおりに使いこなすことができるようになるのである。というのは、呼吸は心と一体であるが、

それだけではなく、体とも一体であるからだ。修行が進むと、今度は、呼吸と心が。体になって、心が描くイメージどおり、不随意筋をも動かすようになるのである。



呼吸

呼吸は。生き”である
いま、わたくしは、心と呼吸は一体であるといったが、呼吸は、心と一体であるだけではなく体とも一体なのである。

健康で心が安定していれば、呼吸もおだやかで安定している。

体が不調であると、呼吸もリズムが乱れて不安定となる。疲れたときや病気が重いとき、呼吸は浅く、荒くなる。

精神的な激しいショックを受けたときもおなじである。

また、心因性の病気を持つ人や、精神病者も、呼吸が荒く、正常ではない。
まさに、呼吸は、〃生き”なのでる。

そこで、心をコントワールする呼吸法は、まず、正しい呼吸のしかたからス
タートする。

というのは、悪い呼吸をしていたら、超能力どころではない。体も、心も、ま

た脳も、悪い影響を受けて、本来持っている力さえも、十分に発揮することができないのである。

いや、それだけではない、健康を害して病気になったり、ときには大切右生命まで失ってしまうおそれがあるのである。

その反対に、正しいよい呼吸を身につけると、体は強健になり、いつまでも
若々しく、心はつねに明るくさわやかに、脳もまた明敏なはたらきをするようになる。

それがウソではない証拠に、その反対の、よくない呼吸をしてみよう。どうなるか?

まず、最悪の呼吸のしかたである。
そわは、浅い弱々しい呼吸と、それにもまして、悪いのは、しばし息を止める呼吸である。

たとえば、心配ごとや不安に心が閉ざされると呼吸運動にほかならない。肺そのものは、決して自力で息を吸ったり吐いたりできないからである。



したがって、呼吸筋を十分にはたらかせずに呼吸している人は、十分な呼吸をしていないということになる。

だれだって、生体の維持に、呼吸がどれほど大切な役割を果たしているか、知らない人はないであろう。息が止まったら、即、死につながるのである。それほど大切な呼吸を、不十分なしかたでしているとしたら、一生を通じてどれほど不利益なことになるか、あなたは考えたことがあるだろうか?



これは、生きるということの最も基本的なあり方の見直しというべきものである。

呼吸運動の目的は、肺のガス交換だけではないのである。それは、血液循環に対しても重要な仕事を分担している。浅く弱い呼吸ばかりしていると、血液内の酸素にが不足するばかりでなく、炭酸ガスのFの体外への排出も不十分なことになる。

また、血液の流れも悪くなる。したがって、こういう呼吸をつづけてい
ると、体全体の生命力が低下してくる。当然、健康がおとろえ、病気に対する抵である。

抗力がなくなって、体は病気の温床となる。

人間の体は、約六十兆といわれる膨大な数の細胞で構成されている、その
六十兆の細胞は、すべて流れている血液によって養われ、生きているのである。

酸素をたっぶりふくんだ血液の流れる内臓にはガンも発生しないという。ガン細胞は酸素がきらいなのである。た

かが呼吸が浅いくらいと、軽視してはならないのだ。

さらに、いまいったように、呼吸は、全身の細胞に深い関係があるだけで
はなく、呼吸運動は、自律神経系、ホルモン系、あるいはリンパの流れ、各臓器間の状態にまで強い影響をあたえるのである。

それにはまず、強い呼吸筋による強くたくましい呼吸のしかたを体得しなければいけない。

それによって、強くたくましい心身、明るく聡明な脳を獲得するのに必がな第一の基礎ができあがるのである。


posted by gomabon at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 運命学

犀の角(さいのつの) 

千手観音  6.png
犀の角(さいのつの)  より抜粋

「孤独なる角」

草原の風が草の穂を揺らし、遠くには鳥の囀りが静かなる大地に響く。その中、ひとりの旅人が砂漠の彼方へと歩を進めていた。

彼の名は風の如く、さまざまな遍歴を経てこの大地を彷徨う者。彼の心は自由な鳥のように、とどまることを知らず、ただ独り歩むことを選んだ。

「すべての生命に暴力をふるわず、その苦しみを与えず、子を求めず。そして、朋友を得ることなかれ。」風は古い言葉を心に留めながら、砂漠の中を静かに進んでいく。

交わりを持てば、愛情が生じる。しかし、愛情は時に苦しみをもたらす。風はその真理を知りながら、ただ独り歩むことを選んだ。

「朋友や親友に憐れみをかければ、心がほだされ、自らの利益を失う。」風は自らに誓い、独り歩むことを決意する。

林の中で、縛られぬ鹿が自由を求めて走るように、風は独立を目指し、ただ独り歩む。

「仲間との遊戯や情愛も大切だ。しかし、別れの苦しみを恐れず、ただ独り歩むことこそが真の自由だ。」風はその境地を知り、決して迷わずに進む。

そして、賢明で協力的な同伴者を得れば、あらゆる困難に立ち向かい、喜びに満ち、安らぎを得て共に歩むことができるだろう。

風はこの大地を独り行く者として、その道を進む。寒さも暑さも、飢えも渇きも、風も太陽の熱も、虻も蛇も、それらすべてに立ち向かい、ただ独り歩む。





あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況(いわん)や朋友(ほうゆう)をや。犀(さい)の角のようにただ独り歩め。

交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め
朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め
子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍(たけのこ)が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め
林の中で、縛(しば)られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明(そうめい)な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め
仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。
われわれは実に朋友を得る幸を讃(ほ)め称える。自分より勝(すぐ)れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過(つみとが)のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

寒さと暑さと、飢えと渇(かつ)えと、風と太陽の熱と、虻(あぶ)と蛇と、──これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。
posted by gomabon at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 運命学

衝動と運命:ソンディ理論の解明

1. 「祖先の影響:運命をめぐる家族的な秘密」
2. 「選択の謎:無意識が導く個人の道」
3. 「衝動と運命:ソンディ理論の解明」


深遠な無意識の領域に身を委ね、ゾンデ″は驚くべき発見をなした。彼は、「家族的無意識」と名付けられた領域の中に、特別な抑圧意識を見出したのである。

その抑圧意識を一言で表すならば、「個人の内に封じ込められた祖先の欲求が、愛、友情、職業、疾患、そして死に至る無意識的な選択行動を通じて、個人の運命を規定する」というものである。

ソンディは述べる。「愛、友情、職業、疾患、死に至る選択の分析を基に、その根源は家族的な欲求にある」と。

言い換えれば、個々の運命は、愛情から死に至るまでのすべての選択が、その個人の心の奥深くに潜む祖先の抑圧された意識によって決定される、ということだ。

この考え方によれば、個人の運命を形作るこれらの選択行動は、意識的で理性的な考慮に基づく決定ではなく、むしろ衝動的な行動によって動かされる無意識のものであるという。そしてその衝動は、その個人の血縁関係に深く関連している、と。

しかしながら、運命を決定する要素が抑圧された祖先の欲求だけではないことも示される。それが全てではない。大きな要因ではあるが、それだけが全てではないのである。

なぜならば、密教占星術によれば、運命の「時期」までが予め定められているからだ。ソンディの理論では、「形式」の形成に関する説明はあるが、「時期」の決定については説明がない。それには他にも要因があるからである。その詳細についてはここでは触れないことにする。別の機会に譲る。それはかなり複雑な話題だからだ。

ソンディの理論は「平面彫成」(空間)に基づいているが、それに加えて「立体構成」(時間)の理論も存在する。後者は数学的な手法によって説かれるが、非常に難解なものである。これについてはまた別の機会に詳しく語ることにしよう。













近代心理学は、

(1)フロイトの個人的に抑圧された無意識の層、





(2)ユングの集合的(群衆)無意識の層、





の二つの道を歩んできた。



 これ対し、

〔3}ソンディは、その中間にある家族的無意識の層を発見したのである。



つまり、個人と群衆のあいだに「宗族」を発見したのだ。これは、当然、出ずべくして出でたものである。個人

にしても群衆にしても、だれひとりとして「家族」でなかったものはない。とすると、当然そこにひとつの無意識司が存在(または形成)されるはずである。

 では、その無意識層の中に、ゾンデ″はなにを発見したか?

 かれは、「家族的無意識」と名づける無意識層の中に、特殊な抑圧意識を発見したのである。

 それは、ひと口でいうならば、

  「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病および死亡における無意識的選択行動とたって、個人○運命を決定する」

というのである。

 



 ソンディはこういう。

  「恋愛・友情・職業・疾病および死亡における選択の分析にもとづいて、選択の根源はこの家族的欲求」

 つまり、ひとの、恋愛、友情、職業、病気、死にかたまで、すべて、それらを決定するのは、そのひとのこころの深奥にひそんでいる祖先の抑圧された意識である、というのである。



 これは、個人の運命を形成するこれらの選択行動は、意識的・理性的な考慮の上に立つ決断にょって決定されるのではなく、(もちろん表面的にはそれがなされるが、実際には)選択行動は衝動行為であり、衝動的に選択する無意識的なものによって動かされるのだということである。(ここまではフロイトもほとんどおなじである。フロイトとちがうのは、その衝動が、その宗族−祖先−にふかい関連、かおるというのである)



 それはなにかというと、ひとの運命を決定するものが、抑圧された祖先の欲求ばかりではないということである。それがすべてではないということだ。それは非常に大きな要因ではある、が、そればかりではないということである。

 なぜかというと、密教占星術によれば、運命の「時期」まで決定されているからである。ソンディ理論によれば、「形式」の形成の説明はつくけれども、「時期」が決定される説明はつかない。それは先祖の抑圧意識のほかにも要因、かおるからである。それについてのわたくしの理論と意見はここでは述べない。べつな機会にゆずることにする。かなりに厖大な址となるからである。

ソンディ理論は「平面彬成」(空間)の理論であり、このほかに「立体構成」(時間)の理論かおる。汲フ理論は、ソンディのごとく、心理学的方法でなされるが、時間の理論は数学的方法でなされ、かなりに難解なものになる。これはまたべつな一冊の書物となるであろう。

 



タテの因縁とヨコの因縁



タテの因縁とヨコの因縁

人間の持つ因縁の大体を述べてきた。

あなたも、これらの因縁の中のいくつかを必ず持っているはずである、
では、これらの因縁ぱ、いったい、どこから生じたのであろうか?

 仏陀は、経典の中で、
「種の差別は業に由る」 とおっしやっておられる。

つまり、「業」によって、人それぞれちがう因縁を持って生まれるのである、とおっしやっているのである。
では、業は、因縁に対してどのようにはたらくのか?

基本的には「タテの因縁」と「ヨコの因縁」となってあらわれると説く。
タテの因縁とはなほか?

先祖から受けついだ系である。

ヨコの囚縁とはなにか? 自分が前生でなした業である。

このタテの因縁とヨコの因縁の交わるところが、自分である。
図示すると、つぎのようになる。

タテの因縁
(祖先から受けついだ業)
ヨコの囚縁
(自分の前生になした業)
交わるところ
(我である)

つまり、祖先の業と、自分の前生の業と、この二つの業によって生じたのが、自分の因縁である。言葉を替えていえば、自分は、祖先の因縁と自分の前生になした因縁と、この二つによって、この世に生まれ存在しているわけである。この二つの系続から成り立って
いるのが、自分という存在だ。

 どんな人でも、親−祖先なくしては存在しない。ということは、親、祖先から、さまざまなものを受けついでいるということである。顔かたち、性格、体質、その他もろもろのものを受けついでいる、これはどんな人も否むことは出来ない。
有名な儒教の大学者、安岡正篤先生は、その著書『大学』(経書の書名)の講義の中で、こうのべておられる。





脳障害の因縁

この因縁は、精神病の場合と、精神病でない頭部の障害、の二種に分けられる。
すなわち、精神病(ノイローゼ、脳梅毒など)と、頭部の怪我、または脳溢血、脳軟化
症等の病気で、程度の軽い因縁の人ぱ年中、頭痛、肩こり、不眠症などに悩まされる。
肉体障害の因縁をあわせ持つ人は、脳溢血から中気になったり、頭の負傷で手足がきか
なくなったりする。脳性小児マヒなどもこの因縁のあらわれである。

二重人格の因縁

前記の脳障害の因縁の系列に入る因縁に、この二重人格の因縁がある。
酒を呑むと、ガラリと人が変わってしまって、全く別人のようになってしまう。
酒乱はこの因縁である。表面意識がアルコールで麻庫すると、遺伝している潜在意識や深層意識が浮かび出て、別の性格が入れかわって出て来るのである。異常性格・同性愛などもこの因縁である。
この因縁は、家運衰退の因縁にも深い関連があり、二、三代前の縁者で、非常に不幸な、恵まれない死に方をした人か、あるいは、他人で、その家に非常な怨念を抱いて死んだ者
のいることが特徴である。

癌の因縁

胃ガン、子宮ガンなど、この因縁を持つ人ぱ必ず癌になる。

循環器系統障害の因縁

心臓、腎臓、肝臓等の循環器系に故障を起こす因縁である。



Causes of brain damage

This cause can be divided into two types: mental illness and non-psychotic head disorders.
That is, mental illness (neurose, cerebral syphilis, etc.), head injury, or cerebral hemorrhage, cerebral malacia.
People with mild illnesses suffer from headaches, stiff shoulders, insomnia, etc. all year round.
People who have a cause of physical disability may be sick from cerebral hemorrhage or have limbs due to head injury.
It disappears. Cerebral palsy is also a manifestation of this cause.
1

Fate of dual personality

This dual personality is one of the factors that fall into the series of causes of brain damage.
When you drink alcohol, the person changes completely and you become like a completely different person.
The drunkenness is the cause of this. When the surface consciousness is filled with alcohol, the inherited subconscious and deep consciousness emerge, and another personality is replaced. Abnormal personality and homosexuality are also factors in this.
This connection is also closely related to the cause of the decline in family luck, and it is a relative of a few generations ago who died very unfortunately and underprivileged, or someone else who had a great grudge against the house. Those who died hugging
It is characteristic that there is.

Fate of cancer

People with this cause, such as stomach cancer and uterine cancer, will definitely get cancer.

Causes of cardiovascular disorders
It is a cause of failure in the circulatory system such as the heart, kidneys, and liver.





 そういう記憶が、もしも突然あらわれて、われわれを。現実的に、われわれの深層意識の中にひそむ悪しき先祖(の記憶)が、われわれを動かしているのである。

 たとえば、非常に多くの人に見られる「中途挫折の因縁」というのがある。なにをやっても中途で挫折、失敗して、ものごとをなしとげることのできない因縁である。





 これは、男性の場合、主として職業の上にあらわれ、女性の場合、恋愛・結婚の上にあらわれる。



 程度の差はあるけれども、ほとんどの人が持っているので、心理学者も深い興味をいだき、心理学の上からいろいろと考察している。



 つねに中途挫折をくりかえす人を「運命神経症」と名づけたのは、フロイトである。

 

この運命神経症というのは、その人の無意識の意識の中に、不可抗力的なある力が存在していて、いつもものごとが中途で挫折し失敗するようにさせられてしまうというものである。

 フロイトは、この無意識の中にひそむ力を、「反復強迫」とよんだ。



 こういう人の小さいときからの生活をしらべてみると、いつも、ものごとが、もうちょっとというところでダメになり、失敗しているのである。



それは、この人の心の奥トト意識しない意識の中に、ものごとをこわして 失敗してしまう方向に持っていこうとする自己破壊の心がはたらいて、そ うさせてしまうというのが、フロイトの説なのである。



  これは、フロイトだけではない。他の心理学者たちもみとめており、たとえば、メニンジャーはこれを「自己破壊の傾向を持つ精神形態」とよんでいる。

 

 こういう自己破壊の心は、いったいどこから生ずるのであろうか?



  これは、そのほとんどが、その人の祖先か、あるいは、祖先の周辺の人たちが原因しているのである。

  

ジグモンドーフロイト、カールーユングにつづく世界的な心理学者、リポットーソンディは、この現象にふかい興味を持って、てってい的に追求

動によるものであるとして、深層心理学の分野に、「運命心理学」「衝動心理学」というあらたな部門をきりひらいた。



 かれは、ここにあらわれる深層意識を「家族的無意識」と名づけた。



 それまでの深層心理学は、おおづかみに分けて、フロイトの「個人的無ていた。





 ところが、ソンディの運命分析心理学は、この二つの層の中間にある



「家族的無意識」という無意識の第三番目の領域をきりひらいたのである。

 つまり、「個人」と「群衆」の間に、「家族」を発見したわけだ。これは

じつにユニークな、そして妥当な発見であった。

 結論として、ソンディは、つぎのようにいうのである。個人の無意識層の中に抑圧されている特殊な祖先の欲求が、子孫の

。恋愛・(結婚)・友情・職業・疾病・および死亡の型式”における無 

意識的選択行動となって、その運命を決定する。

 先きに、私は、無意識層にひそむ祖先の記憶がわれわれを動かす、といった。ソンディは、祖先の欲求という表現をしている。結局おなじことを

いっているわけだが、心理学者としてのソンディの立場からすれば、この表現のほうが、妥当であろう。



 だが、なんと! このソンディの理論によると、中途挫折の因縁どころか、職業、友人、恋人や結婚相手の選択、病気、死にかた(!)まで決定されてしまうのである。だれに? 。特殊な祖先”に、である。



 これだけのものを。特殊な祖先”に決定されてしまったのでは、自分の意志など、まるっきり無いも同然ではないか。



 われわれはこれら人生のキイーポイントになるものを、すべて自分の意志や知性によって決定していると考えている。



 しかし、じっさいはそうではなかったのである。自分の無意識層の中にひそむ。祖先の特殊な欲求”がわれわれの知らぬうちに、われわれを動かして、それを決定しいたのである。

 われわれは、。祖先の特殊な欲求”にふりまわされているのだ。どのようにふりまわされているのか。

 

じつは、この「運命分析心理学」の創始者、リポットーソンディ博士は、自分自身、この「特殊な祖先の欲求」にふりまわされかけた体験を持つのである。





If such a memory suddenly appears, we. Realistically

The evil ancestors (memories) hidden in our deep consciousness move us

I'm doing it.

For example, there is a "fate of halfway setback" that is seen in so many people.

To. No matter what I do, I get frustrated, fail, and get things done

It is a cause that cannot be done.

In the case of men, this mainly appears on the occupation, and in the case of women, love

Appears on love and marriage.

Although there are differences in degree, most people have it, so psychologists also

He is deeply interested and considers various things from the perspective of psychology.

It was Freud who named the person who constantly repeats frustration as "fate neurosis".

This fateful neurosis is force majeure in the unconscious consciousness of the person.

There is a certain power, so that things always fail in the middle

It is supposed to be made to.

Freud called this unconscious power hidden in "repetitive compulsion".

When looking at the life of such a person from a young age, it was always a thing

However, it has failed in a little while.

It breaks things in the unconscious consciousness of this person's heart.

The self-destructive mind that tries to take it in the direction of failure is working, that 46

Freud's theory is that it makes him sick.

This is not just Freud. Other psychologists are also aware of it

Speaking of which, Meninger calls this a "mental form with a tendency to self-destruct."

Where does this kind of self-destructive mind come from?

Most of this is the person's ancestors or people around the ancestors

It is caused by us.

Sigmund Freud, a global psychologist following Karlou Jung, Li

Potto Sondy has a keen interest in this phenomenon and pursues it

Assuming that it was due to movement, he opened new departments in the field of deep psychology, "fate psychology" and "impulsivity psychology".

He named the deep consciousness that appears here "family unconscious".

The deep psychology up to that point was divided into two parts, Freud's "personal absence.

However, Sondy's fate analysis psychology lies between these two layers.

It opened up the third area of ​​the unconscious, the "family unconscious."

In other words, I found a "family" between the "individual" and the "crowd." this is

It was a truly unique and reasonable discovery.

In conclusion, Sondy says as follows. The desire of a special ancestor, which is suppressed in the unconscious layer of the individual, is the desire of the descendants

.. Nothing in "types of love, (marriage), friendship, occupation, illness, and death"

It becomes a conscious choice action and determines its fate.

Earlier, I said that the memories of our ancestors hidden in the unconscious layer move us.

It was. Sondy describes it as the desire of his ancestors. After all, the same thing

That being said, from Sondy's point of view as a psychologist, this expression would be more appropriate.

But what! According to Sondy's theory, not only the cause of the frustration, but also the occupation, friends, choice of lover or marriage partner, illness, and death (!) Are decided. To whom? .. To a special ancestor.

Only this one. If it was decided to be a "special ancestor", it would be almost as if there was no intention of oneself.

We have all the key points of our lives

I think it is determined by aspiration and intellect.

However, that was not the case. Hide in your unconscious layer. "The special desires of our ancestors" moved us and decided it without our knowledge.

we,. It is being swayed by the special desires of its ancestors. How is it being swayed?

In fact, Dr. Lipotto Sondi, the founder of this "Fate Analysis Psychology",

I myself have the experience of being swayed by this "special ancestral desire".



フロイドをはじめとした精神分析学派は、遺伝子要素(先天的な素質)はあまり重視せず、親子関係や生まれてからの環境を重視し、人は環境にはたらきかけることによって、変わりうるという環境論に基づいています。

人は宿命から逃れられないのか?

人間、本来もって生まれた先天的なものと環境のもとで培った、後天的なものとの組み合わせだからです。

ソンディの「運命分析学」は、遺伝と環境を統合させた新しい学説といえます。

ソンディの運命分析理論の画期的なところは、運命を「人間の隠された生活プラン」と考えており、宿命としてあきらめてしまわず、人間は選択する意思をもつというところに存在意義をみとめている点です。


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2024 年 3 月 27 日 今日の運命

千手観音  6.png

2024 年 3 月 27 日

六白金星の日

新しい企画を持った人との接触あり。気が高ぶり争いが起りやすい。負けるは勝ち。怒ったら損、自己を誇るなかれ。心豊かにほのぼのと

破壊の週危の日

衝動的な行動には注意すべき日

危険なアクシデントに見舞われやすく、何かとトラブルに縁のある日です。勘違いや誤算、ちょっとした気の緩みから人とぶつかることも多く、何かにつけて空回りしてしまいます。些細なことからもトラブルに発展しやすいので、簡単なことでも十分に時間をかけて、気配りや気遣いを忘れずに行動しましょう。ビジネス面ではこの日の決断は大きな賭けとなりそうです。十分に検討を重ねたうえで、くれぐれも慎重に判断してください。専門知識を持った人への相談や関係各所への十分な根回しが必須です。

虚空蔵菩薩 無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩







虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。
真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の像容

1つの顔に2本の腕を持つ、菩薩形の像です。右手に剣、左手に如意宝珠を持っているのが一般的です。五仏宝冠を戴いた坐像として表現されます。
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2024年03月26日

如来の予言:七覚支法が地球を救う

如来の予言:七覚支法が地球を救う



彼は古い経典を手に取り、その叡智に魅了された。世界が危機に瀕している現代において、彼は阿含宗の教えが救済の道を示すと確信していた。

古代の阿含経には、如来の出現を予言する七覚支法が記されていた。それは念覚支から捨覚支までの七つの修行法からなり、真実の教法を体得し、執着を捨てることがその核心だった。

彼は思索にふけりながら、如来の出現が世界にとって必要不可欠であるという確信を深めていった。そして、阿含宗がお釈迦さまの教えを広めることで、その予言が具現化されつつあると感じた。

彼は世界を救う役割を果たすのは阿含宗であり、その努力こそが如来の出現に繋がると心に刻んだ。お釈迦さまの教えが今もなお現代に輝き続け、その導きが人々を真理の道へと導いていくことを信じた。







- お釈迦さまは「七宝経」で、如来が現れる際に七覚支法が出現することを説明しています。
- 七覚支法は念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、息覚支、定覚支、捨覚支の七つの修行法から成り立っています。
- 念覚支は念の力を強化し、空観を体得する修行。択法覚支は真実の教法を選び修行すること。
- 精進覚支は一心の努力精進によって教法を体得する修行。喜覚支は真実の教法を身につける喜びに住む修行。
- 息覚支は心身を軽快にする修行。定覚支は特殊な瞑想法を含む瞑想の修行。捨覚支は執着を捨てる修行。
- お釈迦さまは「阿含経」の中で七覚支法を説明し、それが如来の出現を予言していると考えています。
- 世界が危機的状態にあり、如来の出現が必要であるとし、それが阿含宗によって広まりつつあると主張しています。
- お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品が阿含宗によって広められ、世界を救う手段として存在すると述べています。
- 作者は「阿含経」を通じて、現代において如来が出現する予言であり、それを阿含宗が具現化していると解釈しています。
- 世界を救う役割を果たすのは阿含宗であり、お釈迦さまの成仏法を広める努力が如来の出現に繋がると認識しています。

In the Seven Treasure Sutras, Buddha explains that when the Tathagata appears, the Seven Awakenings will appear.
- The Shichigakushō method consists of seven training methods: Nen Gakusho, Shoho Gakusho, Shojin Gakusho, Kikakusho, Breath Gakusho, Jo Gakusho, and Sakugakusho.
- Nen Gakushu is a training that strengthens the power of Nen and masters the idea of space. Choho-kakushu means choosing the true teaching method and practicing it.
- Shojin Gakusho is a training that involves mastering the teaching method through single-minded effort and dedication. Kikakushi is a practice that dwells in the joy of acquiring the true teaching method.
- Breathing is a practice that lightens the mind and body. Jogakusho is a meditation practice that includes special meditation techniques. Sakukushi is the practice of abandoning attachment.
- Shakyamuni Buddha explained the Seven Kakusho in the Agon Sutra, and believes that it predicts the appearance of the Tathagata.
- He claims that the world is in a state of crisis and that the appearance of the Tathagata is necessary, and that this is being spread by the Agon sect.
- It states that Buddha's method of attaining Buddhahood, the Thirty-Seven Ways of the Seven Sciences, was spread by the Agon sect and exists as a means to save the world.
- The author interprets this as a prophecy that the Tathagata will appear in modern times through the Agon Sutra, and that the Agon sect is the embodiment of this prophecy.
- It is the Agon sect that plays the role of saving the world, and we recognize that efforts to spread the Buddha's method of attaining Buddhahood will lead to the emergence of the Tathagata.





七宝です。 如来・無所著・等正覚がこの世に出現する時には、この七覚支(法という) 宝がこの世 に出現するのです」

以上のように仏さまは説かれました。もろもろの比丘たちは仏さまの説法を承り、歓喜して修 行に励みました。

お釈迦さまは転輪王の七宝になぞらえて、 七覚支法は如来の七宝であるとおっしゃっているわ けです。「是の如く」とは、それと同じようにということです。如来・無所著・等正覚が世に出 現される時も同様に、七覚支法という七宝が出現するわけです。如来とは真如の世界から来られ たお方という意味で、仏さまのことです。無所著も仏さまの別名です。仏さまは一切のものに執著執着しないので、無所著というわけです。あらゆるものの執着から離れたお方ですから、 仏さまのことを無所著といいます。等正覚もやはり仏さまの別名ですが、比類のない最高の正し 悟りを得られたお方という意味です。 如来も無所著も等正覚も、仏さまのことです。

仏さまがこの世に出現される時には、転輪王が七つの宝を得られるように、七つの宝ともいう べき七つの法が世間に出現するのです。

それでは、仏陀の七宝である七覚支法とは、どういう法なのでしょうか?

これは、念覚支択法覚支・精進覚支・喜覚支・息(軽安・猗)覚支・定覚支・捨覚支の七 つからなる修行法です。

七覚支法の詳しい説明は、拙著「輪廻する葦」(平河出版社)で説明しておりますが(二八四 三二四頁参照)、念のために簡単に説明すると、

1念覚支......念の力を強化し、その力によって空観を体得する行

2択法覚支..世の中にたくさんある宗教・信仰・哲学の中から、真実の教法を選ぶ修行

3精定...一心の努力精進によって、自分が選んだ教法を体得する修行

4喜覚覚支・・・・真実の教法を身につける喜びに住する修行

5息覚支・・・・ 心身を軽快にする修行

6定進覚... 「滅尽定」「四禅定」を含む、特殊な瞑想法

7捨覚支・・・・(執著)する心を捨てる修行 ものごとにとらわれて執着

転輪王という偉大な王さまが出現される時には、 輪宝をはじめとした七つの宝が世の中に出て、 転輪王はそれを得て世界を統一し、立派な世の中を建設します。 同様に、如来が出現される時に は七つの法、七覚支法が現われ、如来はその法をもって世の中を救うのだ、とお釈迦さまはおっ しゃっているのです。

わたくしは、このお経は一種の予言であると思います。 このお経を目にした時、これは予言経 だなと直感しました。

どのような予言でしょうか?

現代に、まさに如来が出現するという予言です。わたくしたちが生きている、今この時代に如 来が現われるぞ、という予言であるとわたくしは思うのです。

なぜ、そういうことがいえるのでしょうか?

わたくしは、二つの理由を挙げることができます。

まず第一に、今この時代に如来が現われなければ、この世界は絶滅するということです。もし も今、如来が出現されなかったならば、この世界は壊滅します。 エントロピーの法則というもの がありますが、この法則に照らし合わせても、地球の壊滅は遠くない将来であるといわざるを得 ません。 どうしても今、如来が出現されなければならないのです。

第二の理由は、現在、わたくしたちの手によって、七覚支法が世に出ているからです。 今まで の日本は仏教国とはいいながら、七覚支法など目にしたこともなければ、聞いたこともなかった 人がほとんどでした。 「阿含経」の中にすでに説かれているものの、その「阿含経」自体が小乗 経典とけなされて、まったく顧みられなかったために、七覚支法をはじめとしたお釈迦さまの成 仏法・七科三十七道品のすべてが、だれにも修行されることなく、埋もれたままになっていたの です。

ところが阿含宗が登場して、 七科三十七道品の存在が世の中に広まってきました。七覚支法も わたくしが「輪廻する』を書いて、初めて世に出たといっても過言ではありません。 諸君がお

釈迦さまの成仏法・七科三十七道品の存在を知ったのは、わたくしの本を読んでからか、あるい は阿含宗に入行してからのはずです。

しかし、それは諸君だけではありません。 在家であるあなた方だけではないのです。 非常に著 名な大乗仏教の僧侶や学僧でさえも、わたくしの著書を読んでお釈迦さまの成仏法七科三十七 道品の存在を初めて知った、という人がほとんどです。

阿含宗が登場するまでは、「阿含経」を学んだことのない学者や学僧が大半を占めていました。 彼らの多くは大乗経典の研究者だったのです。大きな書店の宗教書のコーナーに行っても、「阿 「含経」の解説書など、皆無に等しい状態でした。もっとも、「阿含経」の研究書を出版しても、 だれも買わなかったと思いますが。

ところがわたくしが阿含宗を立て、「阿含経」を世の中に広め出してからは、大きな書店の宗 教書のコーナーに、「阿含経」に関する書籍が次々と並ぶようになったわけです。

世界を救う如来の出現

中阿含経・七宝
そこでいえるのは、七覚支法という成仏法は阿含宗が登場して初めて、世の中に出現したとい うことです。それまでも存在はしていましたが、広く世間に知られていませんでした。しかし、 阿含宗の登場によって「阿含経」も、そこに説かれる七覚支法も、世間の知るところとなったの

前述のように、

「如来が出現される時には、七覚支法が世間に現われる」

お釈迦さまは『七宝経』で説かれておりました。阿含宗によって七覚支法が世間に知られる

ようになったのは、決して偶然とは思えません。

それが如来なのです。

今、この世は危機的状態の中にあり、その危機を救うためには、どうしても仏陀が出現されな ければなりません。 如来が現われなければならないのです。そうでなければ、この世界は壊滅す るとわたくしは思います。

しかしながら、この世界がそう簡単に壊滅するとは思えません。 とすると、なにかが出現し、 だれかが現われて、この世界を破滅から救うということになるでしょう。だれがこの世を救うの でしょうか?

それでは、その如来とはだれでしょうか?

その如来とは、阿含宗なのだとわたくしは思います。 如来とは、 わたくしであり、あなた方な のです。お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品を広めているわたくしや諸君が、この世を救う如 来である、とわたくしは考えています。 成仏法を世に出す努力をする人たち、その人たちがすな わち如来なのです。お釈迦さまの成仏法を世に出すということは、お釈迦さまを世に出すことに ほかなりません。さらに、お釈迦さまを世に出すということは、自分自身が如来となることでは ありませんか。

自分自身が如来となり、お釈迦さまの成仏法をこの世に広めることによって、世界は壊滅から 救われる。わたくしはこのお経を、そのような予言経であると解釈しております。

『七宝経』は短いお経でありますが、内容はじつに意味深長です。 わたくしたちは一生懸命に努 力して、この予言を現実のものにしなければいけません。お釈迦さまの成仏法を身につけ、成仏 法を世に出していくのです。その功徳によってわたくしたちも成仏し、名実ともに如来になるの です。お釈迦さまは、

「おまえたちすべてが如来になりなさい。その時、世界は救われるのだ」

というお気持ちを込めて、このお経をお説きになられたのだとわたくしは感じます。

このように大切なことが説かれている「阿含経」が、日本では千数百年以上も顧みられること もなく埋もれていました。そのことを考えますと、心の底からつくづく嘆息せざるを得ません。 しかしながら、考えようによると、これまでの世界は「阿含経」をさほど必要とすることのな い、比較的によい時代であったのかもしれません。昔は、人間の力で地球を破壊することなど、 とうてい不可能でした。ところが今は違います。 地球を何回も破壊して、それでもまだ余りある ほどの核を人類は保有しています。そのような破滅に瀕した地球を救うためにこそ、「阿含経」 は温存されてきたのかもしれません。非常時のために、大切にしまわれてきたとも考えられます。 それをわたくしたちが発見して、世界を救うために世に出しつつあるのです。これ以上の梵行は ありません。

わたくしたちは手を握り合って、この活動を宗教運動というような小さな枠内だけではなく、 大きな大きな社会運動にまで盛り上げていき、この地球の壊滅を救うように努力しなければいけ 中阿含経・七宝

ません。その時期がまさに今、到来したのです。

孤独のあった森林(ジェータヴァナ) の別訳 小部経典 南方上座部の聖典・バーリ五部の一つで、 十五分からなる。 パーリ五部の他の四部「長部経』 中部経典 部経典」 「増支部経典」は、それぞれ漢訳」「中阿含経」「阿含経」 「増一阿含経』にほぼ対応するが、『小部経典」 に含まれるお経のいくつかは単として漢訳され、「小阿含経」というものはされなかった。『小部経典」の集成が他の四部 に比べて遅れたためと考えられるが、このことと経典の内容の新古とは別問題とされる。単として訳された「小部経典』所 収の経典には、「法句経」「法句経」「義経」 などがあるが、いずれもお釈迦さまの口の説法を知るための重要な経典と して、学問的にも重要視される

人のバラモンのうち、いちばん若いバラモンであるアンニャー・コンダンニャだけが、シッダッダ太子が必 出され、仏陀となられることを予言した。また彼は、シャダッタ太子の出家に随行した、いわゆる五比丘の一人で、仏弟子 として最初にを得た人物でもある

*4エントロピーの法則 熱力学第二法則。「物質とエネルギーは一方向のみに変化する。 すなわち使用可能なものから使用不 可能なものへ、あるいは利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた秩序化されたものから無秩序なものへ変化す る」こと。Jリフキン著の『エントロピーの法則』(祥伝社)によって、一般によく知られるようになった





It's Shippo. When the Tathagata, Mushosho, and Toshogi Awakening appear in this world, this treasure of the Seven Awakenings (Dharma) will appear in this world.

The Buddha preached as above. The various bhikkhus listened to the Buddha's sermons, rejoiced, and devoted themselves to their training.

The Buddha compares it to the seven treasures of the wheel-turning king, and says that the Seven Awakenings are the seven treasures of the Tathagata. “As is” means in the same way. Similarly, when the Tathagata, Mushosho, and Toshogaku appear in the world, the Seven Treasures known as the Seven Awakenings will also appear. Tathagata means a person who came from the world of Shinnyo, and is a Buddha. Mushosho is also another name for Buddha. Since the Buddha is not attached to anything, he is said to have no place. The Buddha is said to be free from all attachments because he is free from all attachments. Tosei Awakening is also another name for Buddha, but it means someone who has achieved the unparalleled highest level of righteous enlightenment. The Tathagata, Mushosho, and Toshogaku are all Buddhas.

When the Buddha appears in this world, just as the wheel-turning king obtains the seven treasures, the seven dharma, also known as the seven treasures, will appear in the world.

So, what kind of Dharma is the Buddha's Seven Treasures, the Seven Gakushu Dharma?

This is a method of training that consists of seven parts: Gakusho Gakusho, Shojin Gakusho, Ki Gakusho, Breathing Gakusho, Jyo Gakusho, and Saku Gakusho.

A detailed explanation of Shichikakushoho is given in my book "Reincarnating Reeds" (Hirakawa Publishing) (see pages 284 and 324), but just in case, I will briefly explain it.

1. Nen Gakusho...The process of strengthening the power of Nen and using that power to gain a sense of space.

Two-choice teaching method...The practice of choosing the true teaching method from among the many religions, beliefs, and philosophies in the world.

3 Seisei...Training to master the teaching method of your choice through single-minded effort and dedication.

4 Kikaku Kakusho: Training to dwell in the joy of acquiring the true teaching method

5 breathing exercises...Training to lighten the mind and body

6 Determined Awakening...Special meditation methods including "extinction" and "four jhanas"

7. Sakukakusho...The practice of letting go of the mind of being obsessed with things and being attached to them.

When a great king called the wheel-turning king appears, seven treasures, including the wheel-treasure, will appear in the world, and the wheel-turning king will use them to unify the world and build a fine world. In the same way, the Buddha said that when the Tathagata appears, the seven dharma, the seven enlightenment laws, will appear, and the Tathagata will save the world with these dharma.

I think this sutra is a kind of prophecy. When I saw this sutra, I had an intuition that it was a prophetic sutra.

What kind of prophecy?

This is a prophecy that the Tathagata will appear in our modern times. I believe that this is a prophecy that the Tathagata will appear in this era in which we live.

Why is this true?

I can give two reasons.

First of all, if the Tathagata does not appear in this era, this world will become extinct. If the Tathagata did not appear now, this world would be destroyed. There is a law of entropy, and even in light of this law, it must be said that the destruction of the earth is in the not-too-distant future. The Tathagata must appear now.

The second reason is that Shichikakusho is now being released into the world through our own hands. Up until now, Japan has been known as a Buddhist country, but most people had never seen or even heard of the Shichikakusho. Although it was already explained in the ``Agon Sutra'', the ``Agon Sutra'' itself was dismissed as a Hinayana sutra and was completely ignored, so the Buddha's attainment of Buddhism, including the Shichikakusho, was explained. All of the 17 Ways had remained buried, with no one practicing them.

However, with the advent of the Agon sect, the existence of the 37 sects of the Seven Schools spread throughout the world. It is no exaggeration to say that he first appeared in the world after I wrote ``Reincarnation.''

He must have learned about the existence of Shakyamuni Buddha's method of attaining Buddhahood, the Seven Courses and Thirty-Seven Ways, after reading my book, or perhaps after he entered the Agon sect.

But it's not just you guys. It's not just you who are laypeople. Even among the very famous Mahayana Buddhist monks and scholars, most of them learned for the first time about the existence of Shakyamuni Buddha's Seven Courses of Buddhahood after reading my book.

Before the advent of the Agon sect, most of the people were scholars and learned monks who had never studied the Agon Sutra. Many of them were researchers of the Mahayana scriptures. Even when I went to the religious book section of a large bookstore, I found that there were almost no explanatory books on the ``A ``Sutra.'' However, even if I published a research book on the Agon Sutra, I don't think anyone would buy it.

However, after I established the Agon sect and began to spread the ``Agon Sutra'' throughout the world, books related to the ``Agon Sutra'' began to be lined up one after another in the religious books section of large bookstores.

Appearance of Tathagata who saves the world
Nakaagon Sutra/Cloisonné

What we can say is that the method of attaining Buddhahood called Shichikakushoho did not appear in the world until after the appearance of the Agon sect. Although it had existed until then, it was not widely known to the public. However, with the emergence of the Agon sect, both the Agon Sutra and the Shichikakusho taught there became known to the public.

As aforementioned,

“When the Tathagata appears, the Seven Awakenings will appear in the world.”

Buddha preached in the Seven Treasure Sutras. Shichikakusho became known to the world through the Agon sect.

I don't think it's a coincidence that this happened.

That is the Tathagata.

The world is currently in a state of crisis, and in order to save it from this crisis, the Buddha must appear. The Tathagata must appear. Otherwise, I believe this world will be destroyed.

However, I don't think this world will be destroyed so easily. If so, something will appear, someone will appear and save this world from destruction. Who will save this world?

So who is this Tathagata?

I believe that the Tathagata is of the Agon sect. The Tathagata is me and you. I believe that I and all of you who are spreading the Buddha's method of attaining Buddhahood, the Seven Courses and Thirty-Seven Ways, are the Tathagata who will save this world. Those who strive to bring the Dharma of attaining Buddhahood to the world are the Tathagata. Bringing the Buddha's method of attaining Buddhahood to the world is nothing less than bringing the Buddha into the world. Moreover, by bringing the Buddha into the world, isn't he also becoming the Tathagata himself?

The world can be saved from destruction by becoming the Tathagata and spreading the Buddha's method of attaining Buddhahood to this world. I interpret this sutra as such a prophetic sutra.

Although the ``Shippo Sutra'' is a short sutra, its content is deeply meaningful. We must work hard to make this prophecy a reality. We must acquire the Buddha's method of attaining Buddhahood and bring it out into the world. Through these merits, we too can attain Buddhahood and become Tathagata in both name and reality. The Buddha is

"All of you should become the Tathagata. Then the world will be saved."

I feel that He preached this sutra with these feelings in mind.

The Agon Sutra, which teaches such important things, remained buried in Japan without being looked at for over a thousand years. When I think about this, I can't help but sigh from the bottom of my heart. However, if you think about it, the world up until now may have been in a relatively good era, where the ``Agon Sutra'' was not so necessary. In the past, it would have been impossible for humans to destroy the Earth. But now it's different. Even though we have destroyed the Earth many times, humanity still has as many cores as hers. The Agon Sutra may have been preserved precisely in order to save the earth from such a catastrophe. It is also thought that it was carefully stored away in case of an emergency. We have discovered this and are bringing it into the world to save the world. There is no greater Brahma practice than this for him.

We must join hands and make this movement not only within the small framework of a religious movement, but also a large social movement, and strive to save this earth from destruction. - Tsune NakaAgon ・Shippo

not. That time has now arrived.

Another translation of The Lonely Forest (Jetavana) Small Sutra This is one of the five parts of Bari, the southern Theravada scripture, and consists of 15 minutes. The other four parts of the five Pali parts, ``Nagabe Sutra,'' Chubu Sutra, Bu Sutra, and ``Maso Branch Sutra,'' roughly correspond to the Chinese translation, ``Naka Agon Sutra,'' ``Agon Sutra,'' and ``Masuichi Agon Sutra,'' respectively. Some of the sutras included in the ``Shobe Sutra'' were simply translated into Chinese, and the ``Sho Agon Sutra'' was not translated. This is thought to be because the collection of the ``Small Sutras'' was delayed compared to the other four parts, but this is a different matter from whether the contents of the sutras were new or ancient. The sutras included in the ``Kobe Sutra'', which have been translated as simple translations, include the ``Dharmakaya Sutra'', the ``Dharmakaya Sutra'', and the ``Yoshitsune'', all of which are important sutras for understanding the Buddha's oral sermons. and is considered academically important.

Among the human Brahmins, only Anya Kondanya, the youngest Brahmana, prophesied that Prince Siddadda would emerge and become a Buddha. He was also one of the so-called Five Bhikkhus who accompanied Prince Shadatta to his ordination, and was the first person to become a disciple of the Buddha.

*4 Law of entropy Second law of thermodynamics. “Matter and energy change in only one direction: from usable to unusable, or from usable to unusable, or from ordered to disordered. "to change." It became well known to the general public due to ``The Law of Entropy'' (Shodensha) written by J. Rifkin.





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2024年03月25日

"仏陀とクンダリニー:修行の違いと気道の秘密





1. "仏陀の修行法とクンダリニー・ヨーガ:異なる道の一致"
2. "仏陀とクンダリニー・ヨーガ:気道の秘密を解き明かす"
3. "仏教とヨーガの融合:内なる力の探求"



「当然だが、道教の気道法は、仏陀のそれと同一ではない。」彼は静かに語った。"仏陀の気道法を受け継ぎ、それを発展させたのが道教の独自性だ。原点は仏陀にある。そして、それは同時にクンダリニー・ヨーガにも関わる。"

"仏陀の成仏法を探るのは至難の業。阿含経に僅かに散見されるだけで、ほぼ不可能だろう。しかし、阿含経に記された仏陀の修行法とクンダリニー・ヨーガや道教の修行法を対照し、実践を重ねることで、何かが浮かび上がってくる。経験を積み、修練を積み重ねると、突如として洞察が訪れる。"

"私は三十歳で仏道に志し、四十年の歳月をかけて仏陀の成仏法をほぼ復元し、体得したと確信する。その瞬間、悟りを得た。この法こそが、地球を救う究極の救世主の法であると信じる。"

"そして、仏陀の気道法は、クンダリニー・ヨーガの不足を補うものだ。" 彼は続けた。"クンダリニー・ヨーガの気道は三つある。"

"上深秘の呼吸法。スシュムナー管、ピンガラ、イダーの気道だ。中心となるのはスシュムナー管。クンダリニーが目覚めると、そのエネルギーは爆発的にスシュムナー管を上昇する。同時に、ピンガラとイダーの気道も上昇し、エネルギー調節をする。"

"ピンガラは太陽の気道、イダーは月の気道とされる。間違ってピンガラを通ると、修行者は焼け死ぬ危険がある。仏陀はこのエネルギー放射を行うことで、クンダリニー・ヨーガの完成者であることを示した。"

"そして、修行が順調に進むと、クンダリニーはサハスラーラ・チャクラに到達し、修行が完成する。しかし、ここまで到達できる修行者は稀だ。" 彼は考え込んだ。"尾骨から延髄への経路は明瞭だが、延髄から先の経路は不明だ。"

"仏陀がクンダリニー・ヨーガを禁じた理由は、過激で不安定、不確実だからだ。仏陀は完璧な成仏法を授けたのだ。" 彼は静かに語り終えた。







もちろん、道教の気道の法が、すべて仏陀の気道の法そのままだというのではない。
仏陀の気道の法を受けついで、さらに道教独特のものに発展させていったということである。原型が仏陀にあり、仏陀にさかのぼることが出来るというのである。そしてそれはまた、同時に、クンダリニー・ヨーガにも関わってくるということになる。
仏陀の成仏法の修行法を、いま、如実に知ることは至難の業である。それはごく、わずかに、阿含経の中に散在するに過ぎず、不可能に近いといっていいであろう。
しかし、クンダリニー・ヨーガと道教の修行法を、阿含経の中にある仏陀の修行法わざアーガマと対照しつつ実践を重ねていくと、おのずから男罪と浮かんでくるものがあるのであ
る。そしてさらに体験を重ね、錬磨し、修行を積んでいくと、突然、閃めきとともにかたちをあらわしてくるものがある。
わたくしは、三十にして仏道に志し、以来、ひとすじに仏陀の成仏法を求めつづけて四十年、ようやくこれをほぼ復原し、体得したと確信するに至った。そしてその瞬間、さとったのである。この法こそがいままさに壊滅せんとする地球を救済する、究極の救世主の法であったということを。

完璧な仏陀の気道法


ところで、わたくしは、前の節で、仏陀の気道の法は、クンダリニー・ヨーガの気道法の不十分な部分を補足したものであるとのべた。
それはどういうことか?
クンダリニー・ヨーガの気道は三本ある。



上深秘の呼吸法」


一つはスシュムナー管、他の二つは、ピンガラ、イダーの気道である。
中心となる気道はスシュムナー管である。これは、さきにものべたように、尾武骨から始まって、延髄に至っている。
特殊な意念の力でクンダリニーが目ざめると、そのエネルギーは爆発的な勢いで、スシュムナー管を延髄まで上昇する。同時に、クンダリニーは、ピンガラ、イダーの気道を上昇し、クンダリニーのエネルギー調節その他補助的なはたらきをする。
脊髄の右側にあるピンガラは、太陽の気道と呼ばれ、熱を統御する気道とされる。
左側のイダーは、月の気道と呼ばれ、冷気の流れを統御する。もし誤ってピンガラを通ってクンダリニーが目ざめると、外から全くコントロールのきかないすさまじい体内熱のために、修行者は、最悪の場合、文字通り真っ黒になって焼け死んでしまうことがあるという。
クンダリニー』の著者、ゴーピ・クリシュナは、この過ちのためにかれ自身、危うく死をまぬがれた体験を記している。
わたくしが、仏陀を、クンダリニー・ヨーガの完成者であると断定するのは、こ 点からである。
さきにあげたミラクルの池の伝説や、雑阿含経に説かれる仏陀の奇蹟- 上半身から火を出し、下半身から水を出すという奇蹟は、このピンガラとイダーを使ってのエネルギー放射なのである。この奇蹟は、クンダリニー・ヨーガ完成者独特のものなのだ。
さて、クンダリニーが目ざめ、スムーズにエネルギーが気道を上下するうちに、修行が順調に進むと、クンダリニーはサハスラーラ・チャクラに到達し、ここで修行が完成する。(ただし、ここまで到達できる修行者は、古今、稀である)このように、クンダリニーは、尾祇骨から延髄にまで到達し、それからさらに上昇して、究極的には頭頂のサハスラーラ・チャクラにまで到達することになっているのだが、延髄からさきの、サハスラーラに至る経路がどのようになっているのか、明瞭
ではないのである。尾武骨から延髄までは、脊柱が通っていて、いうならば一本道であるから、はっきりしている。しかし、延髄からさき、サハスラーラに至るルートは、一体どういう気


わたくしは、さきに、仏陀が弟子たちにクンダリニー・ヨーガを用いさせなかったのは、過激すぎるからだといったけれども、それはそれだけではなかったのである。
クンダリニー・ヨーガのチャクラ開発法は、不安定であり、不確実だったのである。
仏陀は完璧な成仏法を作製して、弟子たちに教えたのである





Of course, not all Taoist airway laws are the same as Buddha's airway laws.
It was said that he accepted the Buddhist airway law and developed it into something unique to Taoism.
Is. The prototype is in the Buddha, and it can be traced back to the Buddha. and
It also involves Kundalini Yoga at the same time.
It is extremely difficult to know the practice of the Buddhahood Buddhahood. That's very
It is only scattered in Agama, and it can be said that it is almost impossible.
However, the practice of Kundalini yoga and Taoism is the practice of the Buddha in Agama.
Move
Argama

If you practice it in contrast to it, there are things that naturally come to mind as male sins.
To. And as I gained more experience, refined, and practiced, suddenly with a flash of light.
There is something that shows the shape.
I aspired to Buddhism at the age of thirty, and since then I have continued to seek the Buddhahood method of Buddhahood.
Forty years later, I was finally able to recover from this and be convinced that I had mastered it.
And at that moment, I took it. This law is the earth that is about to be destroyed
That it was the ultimate savior's law to save.

The perfect Buddha airway

By the way, in the previous section, the law of the Buddha's airway is Kundalini Yoga.
He said that it supplemented the inadequate part of the law.
What does that mean?
There are three airways in Kundalini Yoga.





Top secret breathing method "

The

Let's go

One is the Sushmuner tube and the other two are the Pingala and Eider airways.
The central airway is the Sschmuner's canal. This is the tail bone, as I mentioned earlier.
It starts from and reaches the medulla oblongata.
When Kundalini awakens with the power of a special idea, the energy is explosive.
Ascend the Sschmuner's canal to the medulla oblongata. At the same time, Kundalini is Pingala, Ida's
Ascends the airways and acts as a kundalini energy regulator and other ancillary function.
The pingala on the right side of the spinal cord is called the airway of the sun and is the airway that controls heat.
The ider on the left, called the lunar airway, controls the flow of cold air. If you accidentally pingara
When Kundalini wakes up, he has a tremendous body that is completely out of control from the outside.
In the worst case, the practitioner will literally turn black and burn to death because of the internal heat.
It is said that there is.
Gopi Krishna, the author of Kundalini, is in danger of himself because of this mistake.
It describes the experience of being able to survive the death.
It is this that I conclude that the Buddha is the perfector of Kundalini Yoga.

From the point.
The legend of the miracle pond mentioned earlier and the miracle of the Buddha explained by Samsung-the upper body?
The miracle of putting out fire and water from the lower half of the body is done using this Pingara and Ida.
It is energy radiation. This miracle is unique to the Kundalini Yoga completer
is.
Now, as Kundalini awakens and the energy moves up and down the airway smoothly, Osamu
When the line goes smoothly, the Kundalini reaches the Sahaslara chakra, where the training begins.
Complete. (However, practitioners who can reach this point are rare in ancient times.)
Thus, the kundalini reaches from the caudal bone to the medulla oblongata and then rises further.
And finally, it's supposed to reach the top of the Sahaslara chakra.
However, it is clear what the route from the medulla oblongata to Sahaslara is.
It is not.
The spinal column runs from the tail bone to the medulla oblongata, so it's a straight road.
I'm sorry. However, what is the route from the medulla oblongata to Sahaslara?

I did not let the Buddha use Kundalini Yoga earlier for his disciples.
It's because it's too radical, but it wasn't the only thing.
The Kundalini Yoga chakra development method was unstable and uncertain.
The Buddha created the perfect Buddhahood method and taught it to his disciples.
Buddha's practice is still going on





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Send Japanese Buddhism

ニルヴァーナを智慧と慈悲をめざす。

"Nirvana aims for wisdom and compassion."

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脳内の明星が開く扉!求聞持法で感じる奇跡の瞬観 

「明星の秘密解明!求聞持法で身につける驚きの力」





1. 弘法大師空海の求聞持法では、結願の日、天気晴朗にして宝剣が現れ、明星が口に入り悉地成就の相を現すと伝えられている。
2. 求聞持聡明法の口伝は秘伝であり、修行者はこれを目標に努力するが、失望することが自然であると述べられている。
3. 明星は実際の天体ではなく、修行者の脳内に現れる閃光であり、それが明星の秘密であると説明されている。
4. 修行者が特殊なトレーニングを通じて大脳の視床下部を刺激すると、眼前に光が浮かび上がり、それが明星となる。
5. 明星の見え方は個人の努力や工夫に依存し、成功する修行者だけがその秘密を理解できると述べられている。
6. 求聞持法の口伝は間違っていなかったが、その秘密は修行者の努力によって解明されるべきであり、導師は直接には教えないことが強調されている。
7. 文中では作者が自らの修行体験を通じて、求聞持聡明法の秘密を理解し、それを技術として編成したことが述べられている。
8. 修行者は生化学と生理学に基づいた正しい指導のもとで訓練を積むことで、必ず効果を得られる技術としている。
9. 最後に、このような技術は本来秘伝として伝えられるべきだが、作者はこれを広く伝えるべきだと示唆している。











されるのである。弘法大師空海の場合は、結願の日、天気晴朗にして、 宝剣、

いずれからともなく忽然と座の前に落ち、明星飛んで口に入って悉地成就の相を現じたと伝えられる。

以上が、求聞持聡明法成就に関する口伝であり、秘伝なのである。したが って、修行者はこれを目標に必死に修行を重ねる。 そして失望する。当 然なのだ。なぜならば、この秘伝が間違っているのだ。 ケ こういう伝や秘伝を頼りにいくら修行しても、気の毒だが求聞持法は成 就しない。まるっきり違うのだ。どう違うのか?

明星とは、現実の明星ではないのである。 はるか彼方の空間にきらめく明 星ではないのだ。それは、なんと! 修行者自身の脳の内部にまたたく閃光 なのだ。 受

私の体験を語ろう。

夜明け

「ああっ!」

私は三度目の必死の修行に入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニン

グのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、 それに、古代ヨ ガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘伝から私が創案した特殊な印契 とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、 微妙な変化を起こしつつあることが感じられていた。 チャクラの開発も順調 にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれの 感覚であった。かるい失神、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その 刹那、

私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流が流れる感覚が走った。

落雷かと感じ、瞼の裏を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明! という考えがチラリと脳裡をよぎった。 と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリと明かりがともったのだ。そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、 しずか にしずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる一〇〇日前、 山にこもって凝っと見つめたあのときの明星 暁けの明星のように、それ はつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

明星とは現実の明星ではなかったのである。

大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、目の前に光が見えるようになる のである。その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を 記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色にな って、しずかに眼の奥でまたたく。 それはちょうど明星そっくりに見えるの である。

これが明星なのだ!

或る特殊なトレーニングにより、この部位 大脳の視床下部のあたり)への 刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目を或る角度に向けると、目 開いていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

この光が見えるようになると、大脳の記憶の座が自由にあやつれるように なるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力が出てくる。す なわち、求聞持聡明法の成就である。

これが、求聞持法、明星の秘密である。 大空を一〇〇年ながめて空中の明 星を見つめていてもムダだ。 明星はわが大脳の奥にあるのだから。

このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてつかんだ秘密である。 私以外にこれを知る者はついになかった。 求聞持法の秘密を私はついにつか んだ。私はそれを誇りに思う。

私は先に、求聞持聡明法の口伝は間違っていると言った。しかし、この口

伝は決して間違っていたのではなかったのである。修行が成就すればたしか

同じことである。

に明星は眼前に現われるのである。ただし、それが頭の深奥に現われるのだ ということは、修行者自身が心血を注ぐ努力、工夫をしてつかまねばならぬ 秘密なのである。その秘密が解けない修行者は、失格なのだ。つまり、天才 にはなれないのだ。

密教の秘伝とか、口伝というものは、つねにこのような表現で真実を現わ (あるいは隠しているのである。その隠されたナゾ解きが、密教の「修 行」というものなのである。 法を成就した導師は、決してそれを素直に表現 して教えようとはしない。 それは決して意地悪や不親切なのではないのであ る。ストレートに密教の秘密の技術を出してしまったのでは、その秘密技術 を弟子は身につけることができないのである。それを身につける力が生じな いからである。

禅宗には、「公案」がある。一つの公案のナゾ解き (悟り)に何年も、時 には何十年も心血を注ぐ。 ナゾを解くことはもちろん大切でありそれが目的 だが、ナゾを解く過程の努力が、その修行者に力をつけるのである。それとそれにしても、明星が眼前を「遊現する」とはなんという巧みな比喩であ ろうか。空海の場合には、「明星が飛んで口の中に入った」という。法が成 就して、その秘密を身を以て体験した者には、「なあんだ」といおうか、「な るほど」といおうか、拍子抜けするような感じであるが、真剣になって、虚 空はるかにまたたく金星をなんとか目の前に遊曵させようと必死になり、時 には口の中に飛びこませようと大きな口をあけて待った無数の修行者を考え ると、おかしくもあり、気の毒でもあるという思いである。私はこれをもと にして、私の「求聞持聡明法」を編成した。これは、今までの「法」などと いうアイマイなものではない。生化学と生理学をもとにした「技術」であり、 システムである。正しい指導のもとに訓練を積めば、必ず、だれでも効果を 得られる技術である。

本来ならば、こういうことは、私の「大極秘伝」として、ごく限られた者 だけに、ひそかに伝えてゆくべきものなのだろう。



It will be done. In the case of Kobo Daishi Kukai, on the day of his wish, the weather was clear, the treasured sword,

It is said that out of nowhere, it suddenly fell in front of the throne, flew into the morning star, and entered its mouth, manifesting the aspect of complete fulfillment.

The above is an oral tradition and a secret regarding the fulfillment of the Law of Gumonji and Sage. Therefore, practitioners train desperately to achieve this goal. And disappointed. Of course. Because this secret is wrong. I feel sorry for him, but no matter how much he practices by relying on these traditions and secrets, he will never be able to achieve the practice of gimonjiho. It's completely different. What's the difference?

The morning star is not an actual morning star. It is not a bright star twinkling in a faraway space. It's amazing! It's a flash of light that flashes inside the brain of the practitioner himself. Receiving

Let me tell you about my experience.

dawn

“Ah!”

I was on my third desperate training.

It was almost the 100th day, the 100th training in my legal system.

It was at the time of I trained using the nine types of inmei of Gyomonjiho passed down in the Shingon sect, special breathing techniques passed down in ancient yoga, and special inji and poses that I created from the secrets of ancient yoga. It was felt that subtle changes were occurring in his body, cerebral cortex and brain spinal cord. Chakra development was also progressing smoothly. My six senses knew that the time was ripe.

It felt like I was dozing off. But it wasn't sleepy. It was a feeling of numbness. It was similar to faint fainting and dizziness. It was a moment of forgetfulness. That moment,

I was screaming in pain. I felt a current flowing through a corner of my brain.

It felt like lightning, and purple electricity ran behind my eyelids. The next moment, my field of vision went black, as if a flash had been fired right in front of my eyes. A thought flashed through my mind: I'm going blind! That was then. A light suddenly lit up deep inside my head. Then, it began to beat again and again, in the same rhythm as my heartbeat. It twinkled with a cold, yellowish whiteness, just like the dawn star that I had gazed upon while holed up in the mountains 100 days before I began this practice.

I patted my knee as hard as I could.

"I see! This was the morning star!"

I looked up and screamed. I finally discovered the secret of the star!

The morning star was not a real morning star.

If you stimulate a certain part of your brain in a certain way, you will be able to see light in front of your eyes. The light appears to be of various shapes, colors, and sizes, but when you turn your attention to the seat of memory and calm down, it turns into a cold, slightly yellowish silver color, and quietly shines again in the back of your eyes. Taku. It looks exactly like a morning star.

This is the star!

Through some special training, stimulation of this part of the brain (around the hypothalamus) causes light to appear in the eyes. If you turn your eyes at a certain angle, whether your eyes are open or closed, you will see a flash of light floating in your eyes.

When he becomes able to see this light, he not only becomes able to freely manipulate the memory seat of his cerebrum, but also a variety of powers that can only be considered miraculous emerge. In other words, it is the fulfillment of the law of wisdom.

This is the secret of Gumonjiho and Myojo. There is no point in staring at the sky for 100 years, staring at the morning star in the sky. Because the morning star is deep within my cerebrum.

This is the first secret I have discovered in the 5,000 year history of Esoteric Buddhism. In the end, no one else knew this except me. I finally grasped the secret of Gumonjiho. I'm proud of it.

I said earlier that the oral tradition of Gumon Jisomeiho is wrong. But this mouth

The legend was never wrong. It is true if the training is successful

It's the same thing.

The morning star will appear before your eyes. However, the fact that he appears in the depths of one's mind is a secret that the practitioner must put his whole heart and soul into and use his ingenuity to grasp. A practitioner who cannot solve the secret is disqualified. In other words, he can't be a genius.

The secrets and oral traditions of Esoteric Buddhism always reveal (or hide) the truth using expressions like this. Unraveling the hidden mysteries is what is called ``training'' in Esoteric Buddhism. Fulfilling the Dharma. A master who has done this will never try to express it honestly and teach it. This is not because he is mean or unkind.If he just gives out the secret techniques of esoteric Buddhism straight away, he will never try to teach them by expressing them honestly. Disciples cannot acquire it because they do not have the strength to acquire it.

In Zen Buddhism, there are ``koans.'' People spend years, even decades, pouring their heart and soul into solving the mystery (enlightenment) of a single koan. Solving the riddles is of course important and the goal, but the effort in the process of solving the riddles gives the practitioner strength. By the way, what a clever metaphor it is to say that the morning star ``appears'' before our eyes. In Kukai's case, ``Myojo flew into his mouth.'' For those who have experienced the Dharma's fulfillment and its secrets firsthand, they may say, ``Wow!'' or ``I see!'', but when they become serious, they realize that the sky is far away. When I think of the countless practitioners who desperately tried to get the twinkling Venus to float in front of them, sometimes with their mouths wide open in hopes of letting it fly into their mouths, it was both strange and pitiful. I also believe that there is. Based on this, I organized my ``Gumonjisōmeiho.'' This is not what he calls the ``law'' of the past. It is a "technology" and a system based on biochemistry and physiology. It is a technique that anyone can benefit from if trained with the right guidance.

Normally, this should be my ``big secret'' and should be passed on to only a very limited number of people.
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脳内の明星が開く扉!求聞持法で感じる奇跡の瞬観 

「明星の秘密解明!求聞持法で身につける驚きの力」





1. 弘法大師空海の求聞持法では、結願の日、天気晴朗にして宝剣が現れ、明星が口に入り悉地成就の相を現すと伝えられている。
2. 求聞持聡明法の口伝は秘伝であり、修行者はこれを目標に努力するが、失望することが自然であると述べられている。
3. 明星は実際の天体ではなく、修行者の脳内に現れる閃光であり、それが明星の秘密であると説明されている。
4. 修行者が特殊なトレーニングを通じて大脳の視床下部を刺激すると、眼前に光が浮かび上がり、それが明星となる。
5. 明星の見え方は個人の努力や工夫に依存し、成功する修行者だけがその秘密を理解できると述べられている。
6. 求聞持法の口伝は間違っていなかったが、その秘密は修行者の努力によって解明されるべきであり、導師は直接には教えないことが強調されている。
7. 文中では作者が自らの修行体験を通じて、求聞持聡明法の秘密を理解し、それを技術として編成したことが述べられている。
8. 修行者は生化学と生理学に基づいた正しい指導のもとで訓練を積むことで、必ず効果を得られる技術としている。
9. 最後に、このような技術は本来秘伝として伝えられるべきだが、作者はこれを広く伝えるべきだと示唆している。











されるのである。弘法大師空海の場合は、結願の日、天気晴朗にして、 宝剣、

いずれからともなく忽然と座の前に落ち、明星飛んで口に入って悉地成就の相を現じたと伝えられる。

以上が、求聞持聡明法成就に関する口伝であり、秘伝なのである。したが って、修行者はこれを目標に必死に修行を重ねる。 そして失望する。当 然なのだ。なぜならば、この秘伝が間違っているのだ。 ケ こういう伝や秘伝を頼りにいくら修行しても、気の毒だが求聞持法は成 就しない。まるっきり違うのだ。どう違うのか?

明星とは、現実の明星ではないのである。 はるか彼方の空間にきらめく明 星ではないのだ。それは、なんと! 修行者自身の脳の内部にまたたく閃光 なのだ。 受

私の体験を語ろう。

夜明け

「ああっ!」

私は三度目の必死の修行に入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニン

グのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、 それに、古代ヨ ガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘伝から私が創案した特殊な印契 とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、 微妙な変化を起こしつつあることが感じられていた。 チャクラの開発も順調 にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれの 感覚であった。かるい失神、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その 刹那、

私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流が流れる感覚が走った。

落雷かと感じ、瞼の裏を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明! という考えがチラリと脳裡をよぎった。 と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリと明かりがともったのだ。そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、 しずか にしずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる一〇〇日前、 山にこもって凝っと見つめたあのときの明星 暁けの明星のように、それ はつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

明星とは現実の明星ではなかったのである。

大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、目の前に光が見えるようになる のである。その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を 記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色にな って、しずかに眼の奥でまたたく。 それはちょうど明星そっくりに見えるの である。

これが明星なのだ!

或る特殊なトレーニングにより、この部位 大脳の視床下部のあたり)への 刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目を或る角度に向けると、目 開いていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

この光が見えるようになると、大脳の記憶の座が自由にあやつれるように なるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力が出てくる。す なわち、求聞持聡明法の成就である。

これが、求聞持法、明星の秘密である。 大空を一〇〇年ながめて空中の明 星を見つめていてもムダだ。 明星はわが大脳の奥にあるのだから。

このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてつかんだ秘密である。 私以外にこれを知る者はついになかった。 求聞持法の秘密を私はついにつか んだ。私はそれを誇りに思う。

私は先に、求聞持聡明法の口伝は間違っていると言った。しかし、この口

伝は決して間違っていたのではなかったのである。修行が成就すればたしか

同じことである。

に明星は眼前に現われるのである。ただし、それが頭の深奥に現われるのだ ということは、修行者自身が心血を注ぐ努力、工夫をしてつかまねばならぬ 秘密なのである。その秘密が解けない修行者は、失格なのだ。つまり、天才 にはなれないのだ。

密教の秘伝とか、口伝というものは、つねにこのような表現で真実を現わ (あるいは隠しているのである。その隠されたナゾ解きが、密教の「修 行」というものなのである。 法を成就した導師は、決してそれを素直に表現 して教えようとはしない。 それは決して意地悪や不親切なのではないのであ る。ストレートに密教の秘密の技術を出してしまったのでは、その秘密技術 を弟子は身につけることができないのである。それを身につける力が生じな いからである。

禅宗には、「公案」がある。一つの公案のナゾ解き (悟り)に何年も、時 には何十年も心血を注ぐ。 ナゾを解くことはもちろん大切でありそれが目的 だが、ナゾを解く過程の努力が、その修行者に力をつけるのである。それとそれにしても、明星が眼前を「遊現する」とはなんという巧みな比喩であ ろうか。空海の場合には、「明星が飛んで口の中に入った」という。法が成 就して、その秘密を身を以て体験した者には、「なあんだ」といおうか、「な るほど」といおうか、拍子抜けするような感じであるが、真剣になって、虚 空はるかにまたたく金星をなんとか目の前に遊曵させようと必死になり、時 には口の中に飛びこませようと大きな口をあけて待った無数の修行者を考え ると、おかしくもあり、気の毒でもあるという思いである。私はこれをもと にして、私の「求聞持聡明法」を編成した。これは、今までの「法」などと いうアイマイなものではない。生化学と生理学をもとにした「技術」であり、 システムである。正しい指導のもとに訓練を積めば、必ず、だれでも効果を 得られる技術である。

本来ならば、こういうことは、私の「大極秘伝」として、ごく限られた者 だけに、ひそかに伝えてゆくべきものなのだろう。



It will be done. In the case of Kobo Daishi Kukai, on the day of his wish, the weather was clear, the treasured sword,

It is said that out of nowhere, it suddenly fell in front of the throne, flew into the morning star, and entered its mouth, manifesting the aspect of complete fulfillment.

The above is an oral tradition and a secret regarding the fulfillment of the Law of Gumonji and Sage. Therefore, practitioners train desperately to achieve this goal. And disappointed. Of course. Because this secret is wrong. I feel sorry for him, but no matter how much he practices by relying on these traditions and secrets, he will never be able to achieve the practice of gimonjiho. It's completely different. What's the difference?

The morning star is not an actual morning star. It is not a bright star twinkling in a faraway space. It's amazing! It's a flash of light that flashes inside the brain of the practitioner himself. Receiving

Let me tell you about my experience.

dawn

“Ah!”

I was on my third desperate training.

It was almost the 100th day, the 100th training in my legal system.

It was at the time of I trained using the nine types of inmei of Gyomonjiho passed down in the Shingon sect, special breathing techniques passed down in ancient yoga, and special inji and poses that I created from the secrets of ancient yoga. It was felt that subtle changes were occurring in his body, cerebral cortex and brain spinal cord. Chakra development was also progressing smoothly. My six senses knew that the time was ripe.

It felt like I was dozing off. But it wasn't sleepy. It was a feeling of numbness. It was similar to faint fainting and dizziness. It was a moment of forgetfulness. That moment,

I was screaming in pain. I felt a current flowing through a corner of my brain.

It felt like lightning, and purple electricity ran behind my eyelids. The next moment, my field of vision went black, as if a flash had been fired right in front of my eyes. A thought flashed through my mind: I'm going blind! That was then. A light suddenly lit up deep inside my head. Then, it began to beat again and again, in the same rhythm as my heartbeat. It twinkled with a cold, yellowish whiteness, just like the dawn star that I had gazed upon while holed up in the mountains 100 days before I began this practice.

I patted my knee as hard as I could.

"I see! This was the morning star!"

I looked up and screamed. I finally discovered the secret of the star!

The morning star was not a real morning star.

If you stimulate a certain part of your brain in a certain way, you will be able to see light in front of your eyes. The light appears to be of various shapes, colors, and sizes, but when you turn your attention to the seat of memory and calm down, it turns into a cold, slightly yellowish silver color, and quietly shines again in the back of your eyes. Taku. It looks exactly like a morning star.

This is the star!

Through some special training, stimulation of this part of the brain (around the hypothalamus) causes light to appear in the eyes. If you turn your eyes at a certain angle, whether your eyes are open or closed, you will see a flash of light floating in your eyes.

When he becomes able to see this light, he not only becomes able to freely manipulate the memory seat of his cerebrum, but also a variety of powers that can only be considered miraculous emerge. In other words, it is the fulfillment of the law of wisdom.

This is the secret of Gumonjiho and Myojo. There is no point in staring at the sky for 100 years, staring at the morning star in the sky. Because the morning star is deep within my cerebrum.

This is the first secret I have discovered in the 5,000 year history of Esoteric Buddhism. In the end, no one else knew this except me. I finally grasped the secret of Gumonjiho. I'm proud of it.

I said earlier that the oral tradition of Gumon Jisomeiho is wrong. But this mouth

The legend was never wrong. It is true if the training is successful

It's the same thing.

The morning star will appear before your eyes. However, the fact that he appears in the depths of one's mind is a secret that the practitioner must put his whole heart and soul into and use his ingenuity to grasp. A practitioner who cannot solve the secret is disqualified. In other words, he can't be a genius.

The secrets and oral traditions of Esoteric Buddhism always reveal (or hide) the truth using expressions like this. Unraveling the hidden mysteries is what is called ``training'' in Esoteric Buddhism. Fulfilling the Dharma. A master who has done this will never try to express it honestly and teach it. This is not because he is mean or unkind.If he just gives out the secret techniques of esoteric Buddhism straight away, he will never try to teach them by expressing them honestly. Disciples cannot acquire it because they do not have the strength to acquire it.

In Zen Buddhism, there are ``koans.'' People spend years, even decades, pouring their heart and soul into solving the mystery (enlightenment) of a single koan. Solving the riddles is of course important and the goal, but the effort in the process of solving the riddles gives the practitioner strength. By the way, what a clever metaphor it is to say that the morning star ``appears'' before our eyes. In Kukai's case, ``Myojo flew into his mouth.'' For those who have experienced the Dharma's fulfillment and its secrets firsthand, they may say, ``Wow!'' or ``I see!'', but when they become serious, they realize that the sky is far away. When I think of the countless practitioners who desperately tried to get the twinkling Venus to float in front of them, sometimes with their mouths wide open in hopes of letting it fly into their mouths, it was both strange and pitiful. I also believe that there is. Based on this, I organized my ``Gumonjisōmeiho.'' This is not what he calls the ``law'' of the past. It is a "technology" and a system based on biochemistry and physiology. It is a technique that anyone can benefit from if trained with the right guidance.

Normally, this should be my ``big secret'' and should be passed on to only a very limited number of people.
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今日の運命

2024 年 3 月 25 日

四緑木星の日

縁談、商談の来訪者あり。言動をつつしみ話を進めると良い。いつも良い日、皆良い人。こんな心境を養いたい。

破壊の週衰の日


どんな状況でも冷静に対応したい日

精神的に不安定で、特に健康面で不安定な日です。病気や怪我に十分な注意が必要です。さらにメンタルの不安定さから、甘言に騙される心配があります。メンタルの不安定さから安易な選択をしてしまいがちなので、商談や交渉事、契約は避けた方が無難です。どんなにうまい話であってもこの日に決断するのは避けましょう。この日は心身を整える日だと理解して、一人でリラックスして過ごす時間を確保することが災難回避のカギです。

 



 

千手観音




千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩




千手観音(せんじゅかんのん)とは?




別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

 

観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。



ご利益




災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。



千手観音(せんじゅかんのん)の像容




十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持ち、多種多様な徳を表しています。


 

 

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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 "Kongokai" expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai

 

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2024年03月23日

今日の運命

阿弥陀如来  5.png


2024 年 3 月 23 日



二黒土星の日

仕事の事、旅行の事、病人の事、などが出やすい日。こみいった事が多い。いそがしい割に成果は少ない。 短慮は禁物。いやな仕事も進んで引き受ける位の気持ちが大切。

破壊の週業の日

不調でも諦めずにやりぬく日

仕事運については比較的良いのですが、それ以外については、何かとうまくいかなかったり、良くない状況へと陥りやすい日です。決して物事が成就しない日ではなく、本来は吉日とされています。しかし、業とは前世を表すことから、過去の因果が巡ってくる日でもあります。過去の行いによっては、以降の破壊の週に大変な脅威が待っているかもしれません。この日を正念場だと捉え自らを浄化する気持ちで諦めずにやりぬくことが大切です。この日の不調は前世からの宿命が巡ってきているためであり、決して他人に責任転嫁することの無いようにしましょう。自らに課せられている課題だと言い聞かせて努力することが大切です。






阿弥陀如来 命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く



阿弥陀如来



命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く










阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。



阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。



特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。



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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 "Kongokai" expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai



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posted by gomabon at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 家電