私は、海馬それ自体の奥ふかくに、ごく古い記憶(深層記憶がたくわえられているものと信ず る。 それは、動物実験で、人間におこなわれた側頭葉表面の刺激(ペンフィールド博士の実験)と おなじ効果が得られることから、 それは、間違いないものと思われるのである。
すなわち、電極針を動物の頭のなかに入れて、海馬を刺激したとき、注意を集中する注意 集中反応 なにかを探索する探求反応が顕著にあらわれる。
これは何物かの記憶がよび起こされ、 "幻覚が起こったのだともいわれる」(脳のはたらき・島 敏樹宮松術著)のである。それはちょうど、 ペンフィールド博士の実験で側頭葉の表面に電 針をあてられた被験者が、なん年ものまえの出来事をそのまま想起してびっくりしている状態 そのものである。 そこで、この実験を動物ではなく、 なんらかの方法で生きている人間の海馬の 中心を刺激すれば、彼の前世、前々世の記憶がよみがえるのではないか?(教は特殊な方法で それをやるのである)
第一信号系と第二信号系
さてそこで、話は前にもどるのであるが、記憶のもとになる 「情報」に、二種類あることをさ きに述べた。
すなわち、意識された情報と、意識されない情報である。 これから、意識されない情報を第一情報"意識された情報を第二情報" とよぶことにする。 第一情報も第二情報も、ともに記憶 の で、この二つが記憶になるわけである。
ただし、第一情報と第二情報とでは、その記憶の場所がちがうのである。
第一情報は古い皮質の海馬の表面あたりに記憶される。これはどうしてかというと、海馬には 大脳辺縁系の中心で、本能行動、情動行動を支配する。 本龍行動というのはほとんど意識されな 行動である自律的なはたらきの領分であって、痛みや痒みなどの感覚にたいして、パッと無 意識のうちになされる動作のたぐいである。だから、情報も、無意識の情報はここに集まって、 それに対する反応も無意識のうちに対応されるように準備されるのだと考えればよい。
これに対して、第二情報は新しい皮質の側頭葉にたくわえられる。
脳の「解釈上の錯覚」について実験をくりかえしたウィリアム博士の実験により、側頭葉の全 領域が、ものの解釈をする部分であることがわかった。 この領域を刺激することにより現実のも の事の解釈のまちがいが生じ、この領域以外ではそういうことが見られぬことがあきらかになっ た。脳は、その一連の情報をまとめながら、過去の経験の記憶をひき出して適切な照合を行な 現在の経験を解釈して、状況に応じた適切な行動をおこさねばならない。この、記憶をひき 出し、現実を解釈する機能に側頭葉がもっとも重要な役わりをはたすわけで、ペンフィールド博 「解釈する質」とよんでいる。
一種の解釈であるのだ。 そこで第二情報は解釈する皮質である頭にされ、そこでに、多くくりかえされた記憶は旧古皮質の奥の海馬のほうに移っていってそこにたくわえられる ようである。ペンフィールド博士の実験でも、電気刺激をあたえた側頭葉表面の皮質を削除して も、そういう記憶はなくならなかったという報告があるから、上部(表面)の新皮質のほうに入 った記憶も次第に辺縁系のほうにしまいこまれてゆくのであろう。 それは、たとえば、タイプラ イターの練習などでもよくわかる。タイプの練習に際して、「上手になろうと思ったら、 キーボ ートは見ないほうがよい」といわれる。 最初、それにしたがって、「Aの字は? あれは下から 二段目の、一番左の端だったな。 小指で打つこと」などとアタマで考えながら打とうとす る。アタマというのは「新しい皮質」であるから意志的である。そして運動の皮質がはたらいて 小指を動かす。目は印字をよみ、その形を見て「たしかにAの字だ」 と判断する。 こういうこと
ん回もくりかえして練習していると、そのうちに、いちいちこんなことを考えなくても打 てるようになる。このことは、つまり、「新しい皮質」にたん回もん回もくり返して入れ たことは、だんだん「古い皮質」に入りこんでゆく。 そして 「本能的」にできるようになる、と いうことだ。自動車の運転などもそのよい例のひとつである。
この第一情報、第二情報を、脳の重要なはたらきである「条件反射」の理論に基づき、脳の第 一信号系、第二信号系として発表したのが、ロシアの有名な生理学者I・P・パブロフである。 つまり、第一信号系とは、第一情報のことで、意識されない情報を主にした、感覚器官からの そのままの情報である。だから、これは動物でも人間でもおなじである。
それがそのままのかたちで記憶されてゆく感覚そのままの旅の情報で、
れるものもあるが、多くは意識されないまま送りこまれる。 それに対する反応もまた無意識のま 反射的に送り出されることが多い。まぶしいという感覚にただちにクシャミが反応するという などその典型的なものである。 そしてそのとき、まぶしくてクシャミをしたという経験(情報) は、そのまま記憶になる。
これに対し、第二信号系は、人間にしかない。なぜかというと、この信号系はコトバによって 成り立つものだからである。 第二信号系は、感覚器官からの情報をいったん意識を通してコトバ でひとつのかたちにまとめた情報である。ナマの情報ではない。そういうかたちにして記憶領域 におくりこんだり、論理的判断、思考をする機能である。
人間の知的進歩は、コトバの発見によるこの第二信号系の発達によるもので、 これあるがため に、人間は、外部のあらゆる雑然たる情報を、自分の内部で、論理的、系列的、抽象的におきか えたり、積み重ねたり、他にそれをつたえたりすることができるようになったわけである。
しかし、もちろん、こういったからといって、この二つのものは、おのおのべつべつに動いて いるのではなく、この両者がそれぞれ独立しているというのは、相対的な意味においてであっ で、第二信号系はコトバ、第一信号系は感覚として、両者は結局第二信号系にみちびかれる完全 にひとつのものとして一緒に活動しているのである。そこで今までのところを総括すると、こう
いうことになる。
刺激(経験)―知覚情報 1意識されない情報第一信号系旧古皮質の大脳辺縁系 意識された情報第二信号系新皮質の側頭葉
海馬(記憶)
密教は第三の信号系を持つ
さて、今までは、もっぱら、「大」の面を考えてきたわけであるが、今度は入ったものをも とにしておこなわれる「出る」のほうを考えてみなければならない。
われわれがひとつの出来事に直面して、 それに対し、判断したり、計画を立てたり、行動をお こしたりするのがアウトプットであるが、それはどのようにしておこなわれるか?
今までにうけ入れてあるすべての情報、できるだけして、それをもとに、判 断 決定 行動の材料にするわけである。だから、このいちばん重要なことは、その材料が豊 富であることである。判断はそれが貧弱なほどあやまりをおかしやすいし、豊富なほど正しい判 断をする率が高い。ちょうど、むずかしい局面に直面した棋士が、過去に記憶(経験したすべ
定石や変化を思い浮かべて、それをもとに、もっとも有利で正確な手を打とうとするのと同 じことで、そういう場合、力の弱い者ほど経験(記憶)が少ないということである。この場合、 経験というのは、長年たくさん数を打っているというだけのことではなく、どれだけ定石やそ の変化が頭に入っていて、必要に応じてそれがきれるかということである。
いせつなことは、できるだけくのをき
信号系の記憶を可能なかぎりひき出す、 つまり思い出すという作業である。 ところがこの作 の難点は、第一信号系の再生である。 第二信号系のコトバによる記憶は比較的 (比較的であ 容易であるが、第一信号系の記憶は非常にひき出しにくい。というのは、第二信号系の記憶 は、一応、コトバによって整理されたり統合されたりしているから、それに対するテーマが決定 すれば、それに関連して系統的に、論理的に出してくる可能性がつよい。 中山正和教授によれ ば、それは「線の記憶」 カンの構造・中山正和)であって、連絡しているからである。 これに対 し、第一信号系の記憶は点の記憶で、脈絡なしに断続的に入ってきたものであるから、つながり がない。 しかし、情報源としては第一信号系の方が圧倒的に多いし、また、昼だけではなく、質 的にも非常に役に立つ場合が少なくないのである。
ことに、なにか新しい事物を創造するという場合にそのことがいえる。 創造には飛躍が必要で あるが、飛躍とは論理や論理的思考の積み重ねだけでは得られないもので、論理や説明をはなれ たところから生ずることが多い。ただし、論理をはなれたといっても全くはなれてしまうのでは なく、ひとつの主要目的はたえず追いつづけながら、一方でそれに関連するなにかのすべてを模 してゆくということであり、それがどこかで交接触した刹那、ひらめきが飛んで、それがつ まり、ひとつの創造か、創造の種子が芽生えたということなのだ。これは、記憶再生の場におき かえていうと、第二信号系が絶えず第一信号系の記憶をまさぐりつつ、からみ合いつつ創造を目ざして進んでゆくすがただということである。
よく、直感とかインスピレーションとかいうけれども、それはよくしらべてみると、第一信号 系の情報記憶とむすびついて生じたことが多いのである。 第一信号系は、脈絡がなく、意識され ていないから気がつかないだけのことなのだ。もっとも、このことは、あえて創造に関すること だけにかぎらず、すべての発想に際してあてはめられることといわねばならない。
ところで、この発想の作業は、考えてみると、すべての記憶を思い出そうという意志が、第二 信号系とむすんで、第一信号系の記憶、ならびに全脳にわたる記憶の領域を、その表面から深部 にいたるまで掘りおこそうというのである。それは新皮質である側頭葉の表面から次第に内部 におよんで間脳、帯状回の中間皮質から、 旧古皮質の中心、海馬にいたるまでの全領域にわたっ ての作業ではないか。まことに気の遠くなるようなこの作業が、 それではいったい通常どのよう にしてなされているのかというと、それはまったくその人の脳の自動的な機能にまかせておくよ りほかないのである。
ということは、それがうまくゆくかどうかの決定は、そのときそのときの運次第か、または、 そういう作業が先天的にすぐれているか、おとっているかという、つまり「素質」の問題になっ てしまい、最後はその人間の頭がよいか悪いかというところに帰着してしまうということではな いか。おそらくは最終的には運と素質だということになるのだろうが、しかし、まるでツルギの わたりのようなこ とができて、第一を自由自在にコントロール
第二信号系がコトバを使って第一信号系を自由に構築するごとく、ある力をつかって、一 号系、第二信号系の記憶を、海のふかい奥から発掘してきて、自由に構築することができた としたら、その力に属するあたらしい系は、いったいなんと呼ばれるべきであろうか? それは まさしく「第三の信号系」と呼ばれるべきものではなかろうか?
だが、ひとは、そんなことは不可能だというであろう。
が、宗教はそれをやるのである。それをやる”ある力を持っているのである。すなわち、密 教は「第三の信号系」を持つ。
頭のよいことが、 ぜったいに「素質」だけによるもので、ほかになんのなすべき方法がな いというのであったら、求聞持法の出る幕はない。しかし密教は求聞持法を持つ。頭のよいのは 「質」だけではなく、この技法によって訓練すれば、それは得られるということである。
その技法の原理を知るためには、もうひとつの記憶のメカニズムを知ることが必要である。 そ れを説こう。
I believe that very old memories (deep memories) are stored deep within the hippocampus itself. Since the same effect as the experiment) can be obtained, it seems to be unmistakable.
In other words, when the hippocampus is stimulated by inserting an electrode needle into the animal's head, attention focusing attention Concentration response Exploratory response to search for something appears prominently.
This is a memory of something, and it is said that "a hallucination occurred" (Brain Function, Toshiki Shima, Miyamatsujutsu). It is just like Dr. Penfield's experiment in which a subject who had an electronic needle applied to the surface of his temporal lobe was in a startled state recalling the events of many years ago. Therefore, if this experiment were to stimulate the center of the hippocampus of a living human being, rather than an animal, wouldn't it be possible to revive the memories of his previous life and the life before before? i will do that)
First signal system and second signal system
Now, going back to the previous topic, he mentioned that there are two types of "information" that form the basis of memory.
That is, conscious information and unconscious information. From now on, the unconscious information will be called the first information, and the conscious information will be called the second information. Both the first information and the second information are memories, so these two become memories.
However, the first information and the second information are stored in different places.
Primary information is stored around the surface of the hippocampus in the old cortex. This is because the hippocampus is the center of the limbic system and controls instinctive and emotional behavior. The main dragon action is the area of autonomous action, which is almost unconscious action, and it is the kind of action that is performed unconsciously in response to sensations such as pain and itching. Therefore, it can be considered that information and unconscious information are gathered here, and the reaction to it is prepared so that it can be handled unconsciously.
In contrast, secondary information is stored in the temporal lobe of the new cortex.
Dr. William's repeated experiments on the "interpretive illusion" of the brain have shown that all regions of the temporal lobe are responsible for interpretation. He found that by stimulating this realm, he would misinterpret his interpretation of reality, and that he could not see it outside of this realm. While assembling this series of information, the brain must draw out memories of past experiences, perform appropriate collation, interpret present experiences, and act appropriately according to the situation. The temporal lobe plays the most important role in this function of extracting memories and interpreting reality.
It is a kind of interpretation. There the secondary information is brought to the interpretive cortex, the head, where the much-repeated memory seems to be transferred to the hippocampus deep in the paleocortex and stored there. In Dr. Penfield's experiment, there is a report that he did not lose such memories even after removing the cortex on the surface of the temporal lobe that was given electrical stimulation, so he entered the upper (surface) neocortex. This memory will gradually be stored away in the limbic system. This can be seen, for example, in Typla's iter practice. When practicing typing, it is said, ``If you want to improve, you shouldn't look at the keyboard.'' At first, according to that, he tries to hit it while thinking, "What is the letter A? It's on the leftmost side of the second row from the bottom. Hit it with your pinky finger." The head is volitional because it is the "new cortex". And the motor cortex works to move the little finger. The eye reads the print, looks at the shape, and judges that it is indeed the letter A. Such a thing
If you practice over and over again, you will soon be able to hit the ball without thinking about it. This means that he enters the "new cortex" time and time again and gradually enters the "old cortex". And then, he says, it becomes "instinctual." Driving a car is one of the good examples.
It was the famous Russian physiologist I who published the first and second information as the first and second signal systems of the brain based on the theory of "conditioned reflexes", which is an important function of the brain. ・It is P. Pavlov. In other words, the first signal system is the first information, which is his unaltered information from his sensory organs, mainly unconscious information. So this is the same for both animals and humans.
It is the information of the trip as it is the sensation that is remembered as it is,
Some are sent unconsciously, but many are sent unconsciously. The reaction to it is also often unconsciously sent out reflexively. He is a typical example of this, as he immediately responds to sneezing when he feels bright light. And at that time, the experience (information) of sneezing because of the bright light becomes a memory.
In contrast, the second signal system is unique to humans. The reason is that this signal system consists of words. The second signal system is the information that once put together the information from the sensory organs into one form in words through consciousness. It's not raw information. In this way, it is a function to put things into the memory area, to make logical judgments, and to think.
The intellectual progress of human beings is due to the development of this second signal system through the discovery of Kotoba. It has become possible to abstractly replace, stack, and convey it to others.
However, of course, this does not mean that these two things are moving independently of each other. The signal system is the word, the first signal system is the sensation, and the two are ultimately guided by the second signal system and act together as a complete one. So to summarize what has happened so far:
I will say.
Stimulus (experience) - Perceptual information 1 Unconscious information First signal system Limbic system of paleocortex Conscious information Second signal system Neocortex Temporal lobe
hippocampus (memory)
Esoteric Buddhism has a third signal system
So far, I have been thinking only about the "big" aspect, but now I have to think about the "outgoing" side, in which he disregards what has entered.
When we are confronted with an event, we make decisions, make plans, and take action in response to it, which is output. How is that done?
Based on all the information that has been received so far, as much as possible, it is used as material for judgment, decision, and action. So the most important thing is that the material is abundant. The poorer the judgment, the easier it is to make mistakes, and the richer the judgment, the higher the rate of correct judgment. Just like a shogi player who faced a difficult situation,
It is the same as trying to make the most advantageous and accurate move based on the formulas and changes that come to mind. Experience, in this case, is not just a matter of years of hitting a lot of numbers, but how well you know the formulas and their variations, and how you can cut them when necessary.
Obscene things should be avoided as much as possible.
This is the task of drawing out as much memory as possible of the signal system, that is, recalling it. However, the difficulty of this work is the reproduction of the first signal system. It is relatively easy to memorize the words of the second signal system, but it is very difficult to recall the memories of the first signal system. Because it is organized and integrated, once the theme is decided, there is a strong possibility that it will come out systematically and logically in relation to it. "Kang's structure, Masakazu Nakayama), and we are in contact. On the other hand, the memory of the first signal system is the memory of points, and since it comes in intermittently without any context, there is no connection. However, the first signal system is by far the most common source of information, and in many cases it is very useful not only during the daytime but also qualitatively.
This is especially true when it comes to creating something new. Creativity requires a leap, and he has it, but a leap cannot be obtained only by the accumulation of logic and logical thinking, and often arises from somewhere beyond logic and explanation. However, even if I say that I have left the logic, I do not have to leave it completely. At the moment of contact, an epiphany flew, and that is to say, a creation, or a seed of creation, sprouted. In other words, this means that the second signal system constantly gropes the memory of the first signal system, intertwining with each other and moving forward toward creation.
We often talk about intuition or inspiration, but if you look closely, it is often caused by the information memory of the first signal system. The first signal system has no context, and it's just that he doesn't notice it because he's not conscious. However, it must be said that this is not limited to matters related to creation, but is applied to all ideas.
By the way, if you think about it, the work of this idea is that the will to recall all memories is connected with the second signal system, and the memory of the first signal system and the memory area that extends over the whole brain from the surface. It is about digging to the depths. Isn't this the work that extends from the surface of the temporal lobe, which is the neocortex, to the interior, from the middle cortex of the diencephalon and cingulate gyrus to the center of the paleocortex and the hippocampus? As to how this truly mind-boggling task is usually done, it is left entirely to the automatic functioning of the person's brain.
In other words, the decision as to whether or not it will be successful depends on luck at the time, or whether the task is innately good or bad, in other words, it is a matter of "disposition." In the end, it all boils down to whether the person is smart or bad. In the end, it probably comes down to luck and talent, but he's like Tsurugi's, and he's able to control the first one at will.
Just as the second signal system freely constructs the first signal system using words, it uses a certain power to excavate the memories of the first and second signal systems from the deep depths of the sea and freely construct them. If so, what should the new system belonging to that force be called? Shouldn't it just be called the "third signal system"?
But one would say it is impossible.
But religion does it. It has a certain power to do it. In other words, esoteric Buddhism has a "third signal system."
If being smart is always due to "talent" alone and there is no other way to do it, there is no way to ask questions. However, esoteric Buddhism has the Gumonjiho. It's not just "quality" that's smart, it's what you get when you train with this technique.
In order to know the principle of the technique, it is necessary to know another mechanism of memory. Let me tell y
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