1. 「心と呼吸:健康と幸福への道」
2. 「心と呼吸の秘密:穏やかな生活を手に入れる方法」
3. 「心と呼吸の結びつき:体と心のバランスを整える」
風が草原をなでるように、古い寺院の庭園に静かな静寂が漂っていた。青々と茂る木々の間に、心静かな修行僧たちが座していた。その中心に、老僧が座り、深い静寂の中で彼らに教えを授けていた。
「意と念と気…心が持つ力を理解するためには、これらを分類することが重要だ。」老僧の声がそよ風に乗って響く。
「意は心の動きの方向を示す。念はその動きが力を持ち、気はその動きが身体を流れる状態を表す。」老僧の言葉が修行僧たちの心に沁み入る。
「心をどう駆使するか…その秘訣は呼吸にある。心と呼吸は一体であり、心が静まれば呼吸も静まる。そして、呼吸をコントロールすることで心をコントロールするのだ。」老僧の指導が深く重みを持っていた。
修行僧たちはその教えを受け止め、静かに座りながら呼吸を整えていった。呼吸が整うにつれて心も静まり、気持ちが落ち着いていくのを感じた。
「呼吸は生命そのもの…その重要性を理解することが肝要だ。正しい呼吸によって体も心も健やかになり、明るい未来が開ける。」老僧の言葉が、彼らの心に深く染み入る。
その日以降、修行僧たちは呼吸を整えることにさらに意識を向け、心身の健康を求めて精進を重ねていった。そして、その努力の果てに、強くたくましい心身と明晰な精神を手に入れることができたのである。
意と念と気ところで、その「心」を、、そのはたらきの上から、つぎのように分類している。
意・念・気である。
意とは、意志、というように、心が一定の方向に向かって動いている状態をさす。
念とは、意の動きが集申し高まって、ひとつの力を持つに至った状態で、念
力、という名がこれをよく表現している。
気とは、念がある方向に向かって身体の申を流れていく状態である。ただし、この気」には、意識的につくり出されたものと、無意識的・生理的に、自然に身体の中を流れているものと、二種類ある。たとえば、「元気だ」というような言葉で表現されるものである。
そこで、見方によっては、気を集中したものが念なのだ、ということもできるであろう。もともと、心というひとつのものを分けて考えているのであるから、そこのところはどうともいえるわけである。
ここでは、便宜上このように分類して、「気」という場合は主として意識的につくり出されたものをいっていると考えていただきたい。
心をどのように使うのか
さて、それでは、その「心」をいったいどのように使うのであろうか?
心とは元来、この上なくとらえがたいものである。コロコロとつねに動いてとどまらぬところから、これを約めてご』ころ”ということになったのだといわれるくらい、それは把握しがたいものである。いったいどうやって、これを思うとおりに駆使するのか?
ひとつ、方法があるのである。
なにか?
心.
心と呼吸とは、非常に密接な関係がある。
心の状態がそのまま呼吸にあらわれ、呼吸の状態がそのまま心を映し出す。心が静まれば、呼吸も静まり、呼吸を静めれば心も静まる。
心と呼吸は一体なのだ。
そこI、呼吸をコントロールすることにより、心をコントロールするとい
う、高度のテクニックを使うのである。ここからスタートして、しだいに熟達し、ついには自分の思うように心を使うことができるようになるのである。
いや、それだけではない。一歩進んで、体(筋肉)をも、思うとおりに使いこなすことができるようになるのである。というのは、呼吸は心と一体であるが、
それだけではなく、体とも一体であるからだ。修行が進むと、今度は、呼吸と心が。体になって、心が描くイメージどおり、不随意筋をも動かすようになるのである。
呼吸
呼吸は。生き”である
いま、わたくしは、心と呼吸は一体であるといったが、呼吸は、心と一体であるだけではなく体とも一体なのである。
健康で心が安定していれば、呼吸もおだやかで安定している。
体が不調であると、呼吸もリズムが乱れて不安定となる。疲れたときや病気が重いとき、呼吸は浅く、荒くなる。
精神的な激しいショックを受けたときもおなじである。
また、心因性の病気を持つ人や、精神病者も、呼吸が荒く、正常ではない。
まさに、呼吸は、〃生き”なのでる。
そこで、心をコントワールする呼吸法は、まず、正しい呼吸のしかたからス
タートする。
というのは、悪い呼吸をしていたら、超能力どころではない。体も、心も、ま
た脳も、悪い影響を受けて、本来持っている力さえも、十分に発揮することができないのである。
いや、それだけではない、健康を害して病気になったり、ときには大切右生命まで失ってしまうおそれがあるのである。
その反対に、正しいよい呼吸を身につけると、体は強健になり、いつまでも
若々しく、心はつねに明るくさわやかに、脳もまた明敏なはたらきをするようになる。
それがウソではない証拠に、その反対の、よくない呼吸をしてみよう。どうなるか?
まず、最悪の呼吸のしかたである。
そわは、浅い弱々しい呼吸と、それにもまして、悪いのは、しばし息を止める呼吸である。
たとえば、心配ごとや不安に心が閉ざされると呼吸運動にほかならない。肺そのものは、決して自力で息を吸ったり吐いたりできないからである。
したがって、呼吸筋を十分にはたらかせずに呼吸している人は、十分な呼吸をしていないということになる。
だれだって、生体の維持に、呼吸がどれほど大切な役割を果たしているか、知らない人はないであろう。息が止まったら、即、死につながるのである。それほど大切な呼吸を、不十分なしかたでしているとしたら、一生を通じてどれほど不利益なことになるか、あなたは考えたことがあるだろうか?
これは、生きるということの最も基本的なあり方の見直しというべきものである。
呼吸運動の目的は、肺のガス交換だけではないのである。それは、血液循環に対しても重要な仕事を分担している。浅く弱い呼吸ばかりしていると、血液内の酸素にが不足するばかりでなく、炭酸ガスのFの体外への排出も不十分なことになる。
また、血液の流れも悪くなる。したがって、こういう呼吸をつづけてい
ると、体全体の生命力が低下してくる。当然、健康がおとろえ、病気に対する抵である。
抗力がなくなって、体は病気の温床となる。
人間の体は、約六十兆といわれる膨大な数の細胞で構成されている、その
六十兆の細胞は、すべて流れている血液によって養われ、生きているのである。
酸素をたっぶりふくんだ血液の流れる内臓にはガンも発生しないという。ガン細胞は酸素がきらいなのである。た
かが呼吸が浅いくらいと、軽視してはならないのだ。
さらに、いまいったように、呼吸は、全身の細胞に深い関係があるだけで
はなく、呼吸運動は、自律神経系、ホルモン系、あるいはリンパの流れ、各臓器間の状態にまで強い影響をあたえるのである。
それにはまず、強い呼吸筋による強くたくましい呼吸のしかたを体得しなければいけない。
それによって、強くたくましい心身、明るく聡明な脳を獲得するのに必がな第一の基礎ができあがるのである。
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