2024年07月31日
仕事で辛い時は戦死した叔父を偲ぶ
祖父の弟はフュリピンのレイテ島のビリヤバというところで22歳で戦死した。
分家の親類は特攻隊員で太平洋上空で戦死した。
二人の遺骨はない。
Youtube動画で戦争で生き残った人たちの多くが、
これから自分が死ぬのだと思うと恐怖と強い不安感があり、
なるべく一人にならないように、死をかんがえないようにしたといっていた。
誰もこれから人生が花の青年期に死にたくはなかった。
しかし、彼らの死は無駄ではない。
なぜなら、私を始め多くの日本国民が幸福に生きていると思う。
戦後に負けたが天皇陛下と国民の勤勉性、明治から積み重ねた科学技術、日本文化によって
戦後、ものの20年程度で復興をしてその後15年で高度経済成長を成しとげた。
その理由は土木工事による公共インフラによるところが大きい。
高速道路をはじめ交通インフラが日本国中に張り巡らされ、
各地方で必要な物資が往来し、それに伴ってお金も行き来し
個人消費と企業利益は温存し、租特税や消費税によって、税収が保持されている。
私や国民が幸福なのは戦死者のおかげであり
彼らの死は無駄な死ではない。
私は国の発展に役立つ公共事業の計画や設計を行ってきてそれが誇りだ。
特に高速道路事業や圏央道の建設に携わったことは世の中の発展に役立ったと思う。
もちろん仕事は激務の連続だった。
しかし、戦死した方々に対して少しははなむけができたと思う。
インフラ技術者は今のことだけでなく、自分が死んだ後の我が国の国民の幸福や発展を見通して
社会のために国のために働く気持ちは、75年前の戦死した兵隊さんと同じ気持ちだ。