後楽園ホールで行われた「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」にお招きいただきました。
亡き鶴田選手は、ミュウヘンオリンピック出場を看板に、1972年旗揚げ直後の全日本プロレスに「プロレスに就職します。」と、中央大学卒業の学士レスラーらしい名文句と共に、明るく入団大エースジャイアント馬場の後継者として、期待と注目を一身に背負い、初代三冠ヘビー級王者、AWA世界王者、インタータッグ王者などの王座に輝き、マット界に金字塔を打ち立てました。
《4大スープレックス》《ヘソで投げるバックドロップ》《跳躍力バツグンのドロップキック》《ジャンピング・ニーアタック》などを得意技として、全盛期には、196cm、127`の体格を誇り「完全無欠のエース」「怪物」と謳われました。
そんな鶴田さんは、残念ながらB型肝炎に倒れ、1999年に引退、2000年5月13日49歳の若さで急逝されました。
プロレス少年であった私は、デビュー前、日大講堂や後楽園ホールで入団挨拶をする鶴田さんと話したり、ジャイアント馬場のパートナーに大抜擢された凱旋試合1973年10月9日東京・蔵前国技館におけるアメリカの師匠ザ・ファンクスとのインタータッグ選手権試合を観戦したりと、長年のファンでした。
今日・・熱闘終了後、天龍源一郎氏をはじめ、往年のライバルがリング上に揃い、故人へメッセージを送りました。そして、追悼10カウントゴング。私は青山斎場で献花したあの日を思い出し落涙しましたが、直後に鳴り響いた懐かしの入場テーマ曲「Jのテーマ」に合わせて会場中は「ツルタオー」のスーパーコール
やっぱりジャンボには明るさが似合います(^^) 合掌
shinichi?