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八幡浜Diving
ダイビングを初めて40余年になります。ダイビングに関することは何でも紹介します。人生において役に立つことも紹介したいと思います。
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2024年08月11日

死をも超えた母の愛

 落語にもなった子育て幽霊の伝説が今治市に残る。
今治城天守(同市通町3丁目)にある掛け軸「飴買い幽霊と赤ん坊図」。
19世紀中後期の日本画で、地元児童が見学に訪れるなど多くの市民に親しまれている。
母子の悲話は江戸中期に遡る。
或る寒い夜。
旭町の飴屋に白い着物姿の女が音もなく入ってきた。
女は一文銭を出し、飴を指さす。
店主の惣兵衛が飴を渡すと女は静かに出ていった。
それから6日間、女は毎晩同じ時間に現れては一文銭で飴を買っていった。
7日目の晩、女には一文銭がなかった。
悲しげな様子に惣兵衛が飴を多く渡すと、女は樒の葉を1枚置き喜んで帰った。
心配した惣兵衛が後を付けると女は明積寺(同市北鳥町3丁目)の墓場で消えた。
暗闇で耳を澄ましていると、聞こえてきたのは赤ん坊の泣き声。
惣兵衛は慌てて和尚を起こし、新しい墓を掘った。
すると、生後間もない男の赤ん坊が死んだ母親に抱かれ、泣きながら飴を舐めていた。
母親は出産間近の1週間前に埋葬され、三途の川の渡し賃だった六文銭はなかった。
和尚は赤ん坊を仏の申し子だと言って引き取り、乳母を付けて大切に育てた。
伝説には続きがある。
和尚の元で修行した男児は名僧、学信和尚(1722〜89年)になった。
学信がいた墓は明積寺の墓地にあったとされ、生誕地を示す碑が立つ。
飴屋は現在の今治国際ホテル(同市旭町2丁目)周辺にあったと言う。
学問に優れ、勇猛果敢だった学信。
罪人の情状酌量を求めて藩主に助命を願い出たり、干ばつ時に寝食を忘れて読経したりした。
「母が命賭けで伝えた生きなさいと言う願いを背負って懸命に生き、多くの人を救った学信和尚。
母の愛は死より強い」と語る山澤径法住職(45)。
「逆境でも夢を失わない事の大切さや、大勢に支えられて生きている有難みを教えてくれる」と話した。
寺では今も学信を慕って飴を供える人が絶えない。
                                   愛媛新聞 愛媛の妖怪伝説から
我が子を抱く母親の顔立ちは恐ろしいが、眼差しは優しいらしい。
「ゲゲゲの鬼太郎」の誕生にも似てる。

2024年08月10日

津波避難 手順など確認

 南海トラフ地震などによる津波から身を守る手段を考えるワークキャンプが9日、八幡浜市であった。
愛媛大地域協働推進機構の大本敬久准教授を講師に川之石高校の生徒7人が市内中心部を巡り、避難の手順や課題を確認した。
市社会福祉協議会と市ボランティア協議会が主催した。
大津波警報が発表されたとの想定で、1時間以内に海抜9m 以上の場所に辿り着く事を目指し、同市中央の松蔭地区公民館を出発。
中心商店街や高台にある大法寺、八幡神社などを巡った。
道中、大本准教授は「海運で栄えた市内中心部は海抜が低い所が多い」と指摘。
能登半島地震での大規模火災などを例に「津波避難ビルもあるが、動けるなら高台の愛宕山に逃げた方が安全だ」と説明した。
▼ 避難所の案内や海抜を示す看板が少ない
▼ 避難道が狭い
▼ アーケードや看板などの落下の危険性がある----------などと意見を出し合った。
迅速に避難する為、複数のルートを把握しておく事や、日頃から靴やスリッパを手元に準備しておくと言った提言もあった。
大本准教授は「避難時には高校生も高台に誘導するなど周囲の人に声掛けをして欲しい」と呼び掛け。
                                        愛媛新聞 記事から
四国も最大20m 以上の大津波がくるらしい。

「ブラック霞が関」若手離れ

 只給与増だけでは打開は見込めず、仕事の魅力向上も急務だ。
「給与が上がっても、失う物が多い」。
第2次安倍政権以降に強まった官邸主導で、仕事の魅力が落ちているとの声も上がる。
省庁の意見が政策に反映され辛くなった上、内閣人事局が省庁幹部人事を一元的に握った事で、官僚の萎縮や忖度を招いているとの指摘もある。
「出世したくて官邸の言う事に只従う幹部もいる」。
年功序列の人事制度により、責任ある仕事を任されるまでの昇進スピードが遅いとの不満も根強い。
総務省幹部は「40、50代にならないと面白い仕事ができないのでは、若者に待って貰えない」と嘆く。
京大の嶋田博子教授(行政学)は「専門知識を生かして政策設計に関与でき、給与も高いシンクタンクなどが増えた」と人材流出の要因を分析。
「耳に痛い直言をする官僚ほど評価される例が積み上がれば、霞が関の活力も戻ってくる」と訴えた。
                                      愛媛新聞 記事から
全国知事会の地方創生・日本創造本部長を務める中村時広知事は8日、「地方創生・日本創造への提言」を政策に反映する様要請したらしい。
「トータルで考える事が大事だ。(国に)議論する組織がなく、責任を持って担当する人がいない」と指摘したらしい。

言語で子育て

 多言語教育は家庭の事情による所も大きいだろう。
それに、語学は何歳からでも始められる。
母語をしっかり学んで、母語で論理的思考を身に付けさえすれば、他の言語の文法も理解できる様になる事は間違いない。
何方が正解と言う話ではないのだ。
唯、思い込みや経験で考えを狭めてしまわない様気を付けたいものだ。
様々な理由から多言語で育てられた人は、これから世界で益々増えるだろう。
面白い世の中になりそうだ。
 木田 綾子  新居浜高専准教授
                                     愛媛新聞 四季録から
軽度認知障害( MCI )を起こし易い薬剤があるらしい。

メディアの危機に警鐘

 専修大教授の山田健太はメディアやジャーナリズムを弱体化させている物として「政治家」「市民」「メディア自身」の三つを挙げる。
「市民」に関しては、2000年代以降、メディアの報道を「自己都合で意図的に情報を隠蔽する」ものとして否定的に捉え始めたと分析。
「メディア自身」に関しては、ネット上の「アクセス数」が絶対視される時代にあって、ユーザーの反応が何よりも優先され、ジャーナリズムの理論や原則が軽視される風潮が報道機関の内部にもある事を指摘。
ジャーナリストの青木理は「警察腐敗 内部告発者は何故逮捕されたのか」(「世界」8月号)で、鹿児島県警で相次ぐ不祥事を詳しく報じ、「貴重な情報提供者や内部告発者からの信頼」を失いつつあると大手メディアの危機を強く訴えた。
青木は、元幹部が鹿児島県内の大手メディアには情報を提供しようとしなかった事を重大視し、「警察の不正に関心を持たず、積極的に取材もしてくれない」と認識されてしまっていると嘆く。
社会学者の花田達朗は新たなジャーナリズムの形を考えた。
朝日新聞の元記者らが高知で立ち上げ、地域からの地道なニュース発信に取り組むサイト「 News Kochi 」を紹介し、全国各地に散らばる「ヤメ記者」の活躍と連携に期待した。
花田によると、米国ではリーマン・ショックの頃に多くの報道機関が潰れ、権力監視の空白地帯が生まれて汚職の増加が目立つ様になった。
その危機感から非営利のニュースサイトが多く立ち上がったと言い、米国と日本の状況は「何処か似ている」と述べる。
1人で本を作る「一人版元」が増えている点にも言及し、言論や出版の自由を実践する新たなアフターが「この国のジャーナリズムの景観を作り、地平を広げていくのではないか」と結んだ。
                                     愛媛新聞 焦点/争点から
言葉を真摯に受け止め、次なる一歩を踏み出す勇気を持つべきらしい。

2024年08月09日

不祥事 離党で「禊」

 不祥事が発覚した自民党議員が議員辞職ではなく、離党で「禊」を済ませる例が後を絶たない。
専門家は、バッジを着けたまま雲隠れを続けるのは「歳費目的だ」と批判する。
党に対してではなく国民に向けて責任を果たして欲しいと強く求めた。
高崎経済大の増田正教授(政治学)は離党を「不祥事を起こした議員を早々に切り離したい党と、反省している姿勢を見せたい議員との利害が一致した有触れた解決法」と一刀両断。
問題を起こしても辞職しなければ歳費に加え、月額100万円の調査研究広報滞在費も受け取れる。
且つて自民党で政務調査会調査役を務めた政治評論家の田村重信氏は「自身の行動が不適切だと判断して離党したのに歳費を受け取るのは可笑しい。受け取らない為に議員辞職するべきだ」と話す。
こうした議員には「何故政治家に成るのか」と言う覚悟がなく、議員の仕事を金稼ぎの手段としか考えていないと言う共通点があると指摘。
広瀬氏と堀井氏を念頭に「女性で弁護士だから」「五輪に出たから」と言う理由で擁立した党側にも問題があると批判した。
                                        愛媛新聞 記事から
自民党議員は殆ど金稼ぎの手段としか考えていないと思う。
だから不祥事を起こした議員は辞職させる仕組みに変えるべきだ。
自民党議員と自民党は問題がある。
消滅させた方が良い。

模擬原爆が愛媛に落ちた日

 愛媛は世界を変えたこの核兵器使用と、深い繋がりを持っている。
太平洋戦争末期の1945年7〜8月、原爆投下を成功させる為の実戦訓練として県内に4発の模擬原爆が投下され、60人以上が死傷した。
南瓜の様な姿から「パンプキン」と呼ばれた1万ポンド(約4.5t )高性能爆弾。
18都道府県に計49発落され、核物質は搭載していないものの「巨大爆風爆弾」とも呼ばれた凄まじい威力で千数百人を殺傷したとされる。
パンプキン爆弾は、原爆投下の為に米軍が編成した専門部隊の訓練用に作られた。
「原爆投下部隊」(2013年)などによると、1945年7月20日から8月14日までの計6日間、特別に改造された「エノラゲイ」などの B 29が各1発搭載してマリアナ諸島テニアン島から出撃。
1日最大10発のハイペースで日本に投下した。
                                     愛媛新聞 戦後79年から
何故愛媛は、4発も投下されたのか。
広島に近かった事が背景にあるらしい。