今治城天守(同市通町3丁目)にある掛け軸「飴買い幽霊と赤ん坊図」。
19世紀中後期の日本画で、地元児童が見学に訪れるなど多くの市民に親しまれている。
母子の悲話は江戸中期に遡る。
或る寒い夜。
旭町の飴屋に白い着物姿の女が音もなく入ってきた。
女は一文銭を出し、飴を指さす。
店主の惣兵衛が飴を渡すと女は静かに出ていった。
それから6日間、女は毎晩同じ時間に現れては一文銭で飴を買っていった。
7日目の晩、女には一文銭がなかった。
悲しげな様子に惣兵衛が飴を多く渡すと、女は樒の葉を1枚置き喜んで帰った。
心配した惣兵衛が後を付けると女は明積寺(同市北鳥町3丁目)の墓場で消えた。
暗闇で耳を澄ましていると、聞こえてきたのは赤ん坊の泣き声。
惣兵衛は慌てて和尚を起こし、新しい墓を掘った。
すると、生後間もない男の赤ん坊が死んだ母親に抱かれ、泣きながら飴を舐めていた。
母親は出産間近の1週間前に埋葬され、三途の川の渡し賃だった六文銭はなかった。
和尚は赤ん坊を仏の申し子だと言って引き取り、乳母を付けて大切に育てた。
伝説には続きがある。
和尚の元で修行した男児は名僧、学信和尚(1722〜89年)になった。
学信がいた墓は明積寺の墓地にあったとされ、生誕地を示す碑が立つ。
飴屋は現在の今治国際ホテル(同市旭町2丁目)周辺にあったと言う。
学問に優れ、勇猛果敢だった学信。
罪人の情状酌量を求めて藩主に助命を願い出たり、干ばつ時に寝食を忘れて読経したりした。
「母が命賭けで伝えた生きなさいと言う願いを背負って懸命に生き、多くの人を救った学信和尚。
母の愛は死より強い」と語る山澤径法住職(45)。
「逆境でも夢を失わない事の大切さや、大勢に支えられて生きている有難みを教えてくれる」と話した。
寺では今も学信を慕って飴を供える人が絶えない。
愛媛新聞 愛媛の妖怪伝説から
我が子を抱く母親の顔立ちは恐ろしいが、眼差しは優しいらしい。
「ゲゲゲの鬼太郎」の誕生にも似てる。
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