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2015年09月07日

『マーケットの魔術師』3 〜エド・スィコータ2〜

エド・スィコータのトレードルールは
a)損切りは早く
b)利喰いはじっくり
c)ポジションは小さく
d)躊躇なくルールに従う
e)ルールを変えるべき時を知る

である。

一番最初に「損切り」がくるのは
トレーダーとして当然のことである。(笑)

ちなみに「損切り」については
他の回答の時にも言及している。

「良いトレードの要素とは
(1)に損切り、(2)に損切り、そして(3)に損切りだ。
もし、この三つの法則に従うなら、誰にでもチャンスはめぐってくる。」


つまり、エド・スィコータに言わせれば、
サラリーマンディーラーでくすぶっていた当時の自分には
永遠にチャンスはめぐってこない、
ということになる。

まさに、「お説ごもっとも」であった。
我ながらつまらないことで意地を張って、
かなり遠回りしてしまった。

さて、冒頭のトレードルールであるが、
このルールがすべてのトレーダーに当てはまるものではないし、
当てはめるべきものでもない。

なぜなら、選択した手法の考え方により
適切な場合もあるし、
逆にかえって不適切な場合もある。

例えば、b)の「利喰いはじっくり」であるが、
これは a)の「損切りは早く」とセットで
トレンドフォローの人にとっては当たり前のルールであるが、
これが当てはまらない取引もある。

それは裁定取引である。
歪んだ乖離が修正されたら、さっさと手仕舞うのが鉄則である。
サヤ取りもそれに近い。
勝率の高い短期取引も仕切りが早いようだ。
(例:『魔術師リンダ・ラリーの短期売買入門』の
 ローレンス・A・コナーズ)

トレンドフォローの場合は勝率が一般的に低いので
期待値を上げるために、
損切り幅より利喰い幅を多く取る必要が生じる。

ルールというものは、
そもそも「なぜ」そのルールが必要なのか、
理由を明確に認識しておかないと意味が無い。

案外この部分は見逃しやすい。
これを理解しておけば、
d)の「躊躇なくルールに従う」と
e)の「ルールを変えるべき時を知る」が、
矛盾する概念ではないということがわかる。

本書を初めて読んだ当時は、
その辺のことをまだ理解していなかったので、
ここでもまた、「おかしいじゃん!」と
反発していた記憶がある。

ルールに「完全性・普遍性」を求めていたので、
「変わるようなルールは意味が無い」
と考えている自分がいた。

実は「損切り」についても、
必ずしも絶対しなくてはいけないというものでもない。
ポジションサイズさえ過大なリスクを取っていなければ
裁定取引の場合、基本は損切りしないだろう。
「損が出ている」=「より儲けられるチャンス」なので
損切りどころかポジションの積み増しを行う場面である。

サヤ取りに関しても、
ポジションサイズ次第では、
損切りしなくても大丈夫な場面が結構ある。
ただし、裁定取引と違って「絶対」の保証が無いので、
常に損切りできる精神・習慣を持っていないと
破産する危険性があることだけは認識しておきたい。

c)の「ポジションは小さく」は、
相場で生き残る確率を高めるためには必須であるが、
刺激を求めることが最終目的の人には不要な項目だろう。(笑)


2015年09月06日

『マーケットの魔術師』2 〜エド・スィコータ〜

エド・スィコータ

本書を読むまではその存在すら知らなかった人物であるが、
『マーケットの魔術師』に出てくるWizardの中で
自分が一番感銘を受けた人である。

というよりも、
「自分の人生そのものを大きく変えた」
と言っても過言ではないだろう。

なぜか?
それは数ある彼の名言の中でも
とりわけ次の一言に愕然としたからだ。

『勝っても負けても、皆自分のほしいものを相場から手に入れる。』

正確に言うと
この言葉を聞いて(見て)愕然としたのではない。

最初は、「何を言ってるんだ、この人は!」
としか思えなかったのに
(というより反発していたのに)
読み進むうち、その真意を理解した(できた)時に
愕然としたのだ。

そして、自分が本当にしたかったこと(当時)を
その時初めて認識したのである。

本書では例として
・上げ相場の初めをいつも捉えて大儲けしながら、必ず吹き飛ばすトレーダー
・よく効く注射を避け続けるガン患者
の二人の人物が挙げられている。

当時自分はサラリーマンディーラーだったが、
なかなか自分の手法が見つからず
うだつの上がらない状態が続いていた。
正直言って「ダメダメトレーダー」だったのである。
特に「損切り」が嫌で嫌でしょうがなく
なかなか損切りできずに損の上塗りをしていた。

そんな自分が
『勝っても負けても、皆自分のほしいものを相場から手に入れ』ている、
ということは、
自分は「損したい」と思っているってこと!?
そんなわきゃない!
俺は儲けたいの!!


この言葉を理解するには、
ある現象が起きたがために、逆に生じなかった現象を認識する必要がある。
あるいは、違う現象が起きた場合に、生じる現象を。

(個別の)「損切り」をすれば
(全体としての)「利益」に近づいていく。
少なくとも「生き残る」という意味では確実である。

その「損切り」をしない、できない。
なぜか?

損切りをすると、あることを認めなくてはいけないのである。
何を?

「自分(の予想)が間違っていた」ということを!

そうなのだ。
損切りをすれば、自分が間違っていたということを
公に認めることになる。

会社の上司や同僚に
「◯◯、また間違ってる!バカじゃないの!」
と言われたくない!、思われたくない!
「俺は常に正しいんだ!」

損切りさえしなければ
この相場はまだ終わっていないから
俺は間違ったことにはならない。

「損切りさえしなければ」

そうだったのだ。
やっとわかった。
自分は稼ぎたいわけじゃない。
儲けたいわけじゃない。
「正しいと認められたい」のだ。
それが自分のしたかったことなのだ!

このことを認識してから
自分の考え(潜在意識)の修正を始めた。
「予想屋として正しい」ことを欲するのか?
「トレーダーとして正しい」ことを欲するのか?

言わずもがなである。
予想屋に興味なんてない!

(顕在)意識と潜在意識を一致させることにより
ようやく自分も「ダメダメトレーダー」から
脱皮するきっかけをつかむことができた。

それ以来、この言葉は常に自分の胸にある。

2015年09月05日

長大線(補足)

長大線について若干補足が必要なことに気づいた。

一つは
「長大線が出た場合
目先出尽くし感があるので
急速に反対方向に戻ることが多く」
と書いた。

「目先出尽くし感」が生じるのはあくまでも
トレンドの「最終局面」で長大線が出た時だと
一般的に言われている。
※『魔術師リンダ・ラリーの短期売買入門』にも
 「クライマックスパターン」として紹介されている

長い保合・往来相場期から抜け出た時の
長大線は、押し(戻り)も入れずに
そのまま突っ走って行くことが多い、
と感覚的には思われる。


もう一つは、
こちらの方が重要だが、
トレンドの最終局面で長大線が出た時に
目先出尽くし感から「反転」した相場は
チャートを見れば、それこそ数多く見つかるけれども、
トレンドの最終局面の長大線だからといって
必ずしも反転しているわけではないことを、
過去チャートの実例を調べて
統計的に検証されてはいないことである。

つまり、反転する場合の統計的確率も知らないのに、
「たまたま」反転したチャートを目にして
(それがたとえ何十パターンであっても)
「反転している」と思い込んでいるのだ。

なぜなら、このパターンのチャートを探す時
人は無意識のうちに
「実際に反転している」チャートパターンを
取捨選択しながら探しているからである。

もし、そのままトレンドが継続した場合
おそらく長大線は他の同方向のロウソク足にまぎれて
目立たなくなってしまい
多分、長大線と認識されずに見逃される公算が高い。

また、それまでの値動きから考えて
確かにその時は長大線だったにもかかわらず、
その後それと同程度以上の長さのロウソク足が続いた場合
もはやその線は長大線とは認識されないであろう。

上記のような注意点を考慮した上で
自分の売買ルールを確立する必要がある。

2015年09月04日

タイムフレーム(時間枠)

甘さついでにもう一つ。

どうも自分は時間枠の取り方が下手である。
見ているチャートの時間枠は当然認識しているのだが
そのチャートから出た結論を実行に移す際に
実際に取る「ポジションの時間枠」が
適正でないような気がする。

日足チャートを見て方向性を決めたからといって
必ずしも日足の時間枠でポジショニングする必要はない。
特に最近の高ボラティリティ相場で
その辺りが曖昧なままやっている感がある。

自分のルールをまずきちんと決めないと
適切な評価ができない。

長大線

EUR/NZD(ユーロ/NZドル)の買いポジションで
実は気になっていたことがもう一つあった。
それは長大線の出現である。

今回のどんちゃん騒ぎで、
NZドルは売りの方向に
ユーロと日本円は買いの方向に
長大線が出現していた。
(ユーロと日本円の間には出ていない)

長大線が出た場合
目先出尽くし感があるので
急速に反対方向に戻ることが多く、
実際そうなっている。

その後、どうなるか?である。
上と下にカンヌキがかかった状態になるので
保合状態になる可能性が高いと感覚的に思っていた。

強い時は強いし、弱い時は弱いので
長大線が出ようと突き進む時は突き進むし
反転する時もあっさり反転する。
それでも、往来になる方が多いような気がする。

ここで注意が必要なのは
保合・往来の可能性が「高いか低いか」ではなく、
保合・往来の可能性が高いと考えておきながら
「ポジショニングしている」ことである。

今、エントリーする必要性があったのか?
その根拠は?
と問われれば・・・。

そういうことである。
この辺の意識が甘いのだよ、キミは!

まだまだだね。

EUR/NZD 日足 売り(決済)

昨日チャートを見ながら頭を整理していたら、
自分の思い続けていたアイデア(複数)が
何となく全体的なまとまりになってきた感が出てきた。

これまでは、
それぞれのアイデアが単独で機能するものと思って
取り組んできたけれども、
どうも一つの大きなアイデアの中の一部分を
切り取って見ていたのではないか?
と思えてきた。

そう考えると、
このEUR/NZD(ユーロ/NZドル)の買いというポジションは
非常に中途半端に見える。

「迷ったら仕舞え!」が鉄則だが
損切りのオーダーは入れてあるので
そのまま泳がせておくことにした。

その結果、
ちゃんと罰を与えられたようで、
しっかりとユーロは独歩安を演じてくれました!

ストップの位置までは来てないけれど
このチャートで買う理由はないので
ちょっと戻したところで手仕舞った。

1.74644で約定。
△0.02418(△1.365%)

天気予報

先ほどから雨が降り出した。

雨が降ること自体は別に珍しくもなく
よくある日常的な出来事である。
しかし、今日はちょっとした騒動になっている。

住んでいる地方によって天気は違う。
ここ東海地方は、
しばらく梅雨のような長雨が続いており、
昨日の天気予報で、
ようやく「快晴」が訪れるとお天気キャスターが言っていた。

長らく布団が干せなかったうちのカミさんも
朝からバタバタと動き回って布団を干したり
子どものシーツを洗ったりとフル回転していた。

ところがである。
干したはいいが、どうも雲行きが怪しい。
お日様がスッポリ雲に覆われ
ジメッとした風が吹き込んでくる。

買い物に出かけようとしていたカミさんは
気になって外出できないので
前倒しで先に昼ごはんを食べることにした。

11時のニュースの中で天気予報があった。
現在の天気図では、
東海地方には雲が全く無い。
これからの予報も「晴れ」。
これから晴れるのか?
何とか持つのかな?

自分が先にお昼を食べ終わり、
再度空が気になったカミさんが外を見ると
子どもの枕が落ちていた。
拾って干すように指示されたので、
はたいて元に戻していたら
ポツポツっと、降ってきた。

「キターッ!」ということで
大急ぎで布団と洗濯物を二人で取り込んだ。
お隣さんも布団を干していたので
カミさんが言いに行ったが留守のようだ。
仕方ない。早くやむことを祈ろう。

------------------------------------------------------------------

さて、この一連の出来事。
自分にとっては特に意味もなく
「天気予報ハズレちゃったね」の話で終わるのだが、
カミさんにとってはそうではない。
自分の仕事に密接に絡んでくるだけに真剣だ。
「嘘ついたらイカンわ!」

「嘘」?
嘘ってどういうこと?
僕達だまされたの?
お天気キャスターは雨が降るの知ってて
わざと「晴れ」って言ってたの?

もちろん、そんなことはない。
カミさんだって、本心からそう思っているわけでもない。
天気予報が100%当たるわけではないことは承知している。

ただ、自分の期待と違った結果になったので
心情的には「だまされた」という思いに
強く支配されているのだろう。

今日はまだいい方である。
天気に敏感なカミさんはちゃんと対応していたので。
目的は達成できなかったけれども
お隣さんのように布団が台無しになったわけではない。

もしこれが、干しっ放しで外出していた日には・・・
想像するだけでもオソロシイ。

話が長くなってしまったが
結局何が言いたいかというと
100%確実ではないことに対しては、
それを信じる信じない、
それに対してどのように対応するかは
すべてその人が「選択」して決めることであり、
その結果については当然「自己責任」ということである。
相場と一緒である。

「曇」が「雨」ならまだしも、
「快晴」で雨に降られるというのは
ギャップが大きいので反発が大きくなるのは仕方ないが
それが現実なのであるから受け入れるしかない。

天気予報の精度が上がれば上がるほど
ハズした時の反感は大きくなる。
(かと言って、毎日「曇」の予報では意味を成さない(笑))
偶然性に左右される要素がある限り
100%の予報というものは不可能なのであるから、
その辺は受け手が理解して行動すべきことであろう。
でも、人間って人のせいにしたがる生き物だからねえ〜。

相場の予想も一緒である。
人為的に動かせることができる代物なので
100%確実な科学というものではありえない。
確率統計、期待値の世界であり、
やり方次第で結果が変わってくる。

ということで、この相場予報も当然ハズレることがあります。
(「当たることもあります」か!?(笑))
すべては「自己責任」でお願いします。
m(_ _)m


今また晴れ間が出てきて、
カミさんが洗濯物を干し直した。
布団ももう一度干そうかと思案しているようだが
さすがに今回は諦めたようだ。


2015年09月03日

『逆説の日本史』シリーズ

封印された「倭」の謎 (逆説の日本史)



↑ は『逆説の日本史1』

小学館、1993年刊行開始
井沢元彦著
1,550円〜1,600円+消費税

サラリーマンディーラー時代に出会った歴史書。
当時住んでいた場所に新しく区役所ができたので
併設の図書館を覗いて暇つぶしに見ていたら、
「逆説」という言葉に惹かれて手に取った。

序論の中の「信長と安土」を読み始めたら止まらなくなり
そのまま借りて家に帰って完読した。

元々歴史は好きな方であったが、
どちらかというと世界史の方が好きで
日本史はあまり好きではなかった。

日本史は材料が多すぎ
ゴチャゴチャして覚えにくかったからだと思う。
今と違って、学生時代は「暗記」主体だったので。(笑)

「日本史ってこんなに面白いんだ!面白かったんだ!!」
というのが読後の正直な感想である。

今までの歴史書といえば、
単なる固有名詞の組合せの説明書にしか
感じられなかったが、
著者の手に掛かると
良質の推理小説のごとき名文に変身してしまう!
※実際著者は歴史ミステリーも執筆している

入手した材料を元に論理的思考を積み重ね
整合性の取れた結論を紡ぎだす。

著者本人も言及しているが
本書で採用されている(通説ではない)見解は
必ずしもすべてが著者の「発見」というわけではない。
それをもって、
「このシリーズは意味がない」という人もいるようだが、
自分はそうは思わない。

それぞれの時代の人物や出来事に対する(新しい)解釈を
時代の流れに矛盾しないよう、
古代から現代まで整合性の取れた一本の筋を通して組み合わせる。
さながら、日本史の立体クロスワードパズルともいえる
この作業を完成することは、
これからの日本と日本人にとって
非常に意味のある大きな仕事だと思う。

※「逆説」という語句の使用法に文句をつける人もいるが
 それならいっそ「真説」に変更してもいいんじゃないかと
 個人的には思っている

著者は、日本の歴史学の三大欠陥として次の三項目を挙げている。
1.日本史の呪術的側面の無視ないし軽視
2.滑稽ともいうべき史料至上主義
3.権威主義

「なぜそうなったのか?」という
「理由」の根拠を明らかにしない(できない)まま
出来事の羅列に終始している今の歴史教育に
果たして意味があるのだろうか?
歴史の教訓として
将来の「見本」・「反省」材料として使えるのだろうか?

これらの欠陥がある限り
日本人は歴史の真実に永遠に辿りつけないかもしれない。
今の歴史教育ですら、
皇国史観に基づいた戦前の日本の歴史教育や
今でも一部の国で実施されている愛国的な歴史教育と
本質的には大差のないような気がする。

ちなみに、著者自身も言及しているが
特に古代においては、
今後の発掘などで新しい史料の発見などがあると、
解釈がガラッと変わる可能性もある。

あくまでも、現時点で手に入る材料で検証した
現時点での最善の解釈ということである。
常に真贋の最終的判断は自分で行うべきであり、
自己責任という意味では、相場の世界と一緒である。


当初図書館から借りて読み始めた本シリーズも
新刊からは新書で購入をするようになり、
結局しまいには1巻から買い揃えた。

15巻までは購入既読済みだったが
仕事が忙しくここしばらく読んでなかったら
今はもう21巻まで出ているようだ。

また買って読もう。
でも、途中からだと流れがわかりにくいので
また1巻から読みなおすとしよう。

ちなみに、『逆説の世界史』シリーズも
昨年から刊行が開始されたそうだ。
今から楽しみだ!

↓ は『逆説の日本史21』

逆説の日本史 21 幕末年代史編4 高杉晋作と維新回天の謎




2015年09月02日

『マーケットの魔術師』


『マーケットの魔術師』(MARKET WIZARDS)
1992年初版発行
ジャック・D・シュワッガー著
日興証券開発運用部訳
2,800円+消費税

サラリーマンディーラー時代に出会った良書。
手元にあるのは日本経済新聞社発行の古いものだが、
今はパンローリング社から復刻版が発行されている。

相場をやるなら一度は読んでおきたい本である。
「MARKET WIZARD」(マーケットの魔術師)と呼ばれる
凄腕トレーダー(ディーラー)達から
著者がインタビューして聞き出した内容が載せてある。

具体的な手法を解説したものではないが
勝つトレーダーの思考法がわかるので
非常に参考になる。

トレーダーによって手法はまったく違うが
根底にある「考え方」に共通点を見出すことができ
それがこの本の一番の収穫である。

通常の本は一度読んだらそれっきりのことが多いが
この本は読めば読むほど味が出てくる。

というよりも、
当初は理解または共感できなかった内容が
再度読んだ時に「そういうことか!」と
わかった瞬間に、自分の成長を実感できる。

日本語版が発行されてから既に20年以上経ち
市場環境も大きく変化しているにも関わらず、
本書の内容が少しも時代遅れに感じないのは
本当にスゴイ事だと思う。




ソニー損保

今日ソニー損保から封書が届いた。
何かあったかな?と思いながら開けてみると
500円分の図書カードが入っていた!

そういえば、
以前自動車保険の見積りをした時に
比較サイトだけでなく
ソニー損保単独の見積りキャンペーンも経由してたっけ。

ありがたい。
お礼にURLを載せておこう。
とは言っても、現在はキャンペーンはしていない様子。
http://www.sonysonpo.co.jp/

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