2020年04月27日
コロナ後の世界
世界が一変した。
やっと世の中のことが分かりかけてきて、これから楽しんでいこうと思っていた矢先に出鼻をくじかれた。
今の会社も時差通勤、時短勤務、テレワークと何とか導入していっている。それでも100%テレワークということはありえない。良くて半分くらいだろう。
筆者は出社時刻が10時からとなったので朝の通勤ラッシュを避けることができている。9時の時でも、けっこう人が少なくなったなと感じてはいたが、10時だと格段に減っている。
名古屋と言えば地下街だが、名駅、栄ともにシャッターが下りた店が多く人通りもほとんどなくなっている。
夜帰る時、ものすごく寂しく感じる。
昔は都会の喧騒というものをどちらかというとマイナスなイメージで捉えていたのだが、人間の社会、経済の
あり方を理解するようになって、とても大切なものだと思い始めていたタイミングにこれだ。
ホントやらかしてくれたよね、コロナのやつ。
しかし社会は常に変化していくもの。それに抗っていても仕方のないこと。
変わりゆく世の中でいかに生きていくか、自分の道は自分で切り拓いていかねばならない。
ハッキリ言って、もう元の状態には戻らない。戻ればラッキーくらいに思っていないと生き残れない。それくらいの覚悟はしている。
身動きが取れない状況になりつつあるが、それでもやる人はやっている。
今までランチを提供していた居酒屋が休業する一方で、昼開けてなかった居酒屋がランチを始めて客寄せをしている。
会社の同僚から聞いた話では、子どもの習い事の塾(レゴブロックを使ったプログラミングというものがあるらしい)がオンライン授業を始めたり。この2ヶ月月謝を払っていなかったそうだ。
生き残るためにできることをする。やる人はどんな状況になろうとやる。今まで意識していなかったことだけど、みんな生きるためにがんばっているのだ。主体的に生きているのだ。
身近でも既に変化は起きている。筆者の会社も生き残りをかけて模索している。自分もできることはなんでもする。
経済ってこんなにも大事だったんだね。
株の世界にどっぷり入ってきたのは割と最近のことで、昔は先物オンリーだったから考え方がちょっと違ってた。
株は基本「買い」。いくら空売りができようと、圧倒的に買いの場だ。いかに「上がる」ものに乗るか、いかに「上げる」かの世界である。
一方で先物は非常にニュートラルで、純粋に上と下がフラットな関係である。まあそれでもどうしても買い志向は強いけどね。
そういう世界で育つと、別にチャートが下に向いていようが関係ない、「売りで取ればいいんでしょ」くらいにしか受け止めていなかった。
しかし実体経済は違う。下じゃあダメなんだよね。下向きだと多くの人間の暮らしを賄えない。上を向いてこそたくさんの人を養える。
経済を無視した国家運営は成り立たない。国家が入れ替わる、最悪国家(中央政府)が無くなることは歴史が証明している。
正解が無い状況での舵取りは難しい。そんな時は皆に委ねたら良い。国民の知恵に任せれば、誰かが何かをやってくれる。その中にきっと一つくらいはうまくいくことがある。後はそれを真似して皆でやれば良い。国はそんな人たちが自由に迅速に行動に移せることができる環境を用意することに専念すればいい。
コロナ後はどんな世界になるのだろう?
1年前に見た映画が脳裏に浮かんだ。『天気の子』だ。
ネタバレになるので詳細は控えるが、そこにはあることをきっかけに雨が降り続くことになった世界が生じた。
雨が降り続くことを受け入れ、それを前提として日々生活していく。成す術が無いのなら現実に合わせて生きていくしかない。そして生きていける。
環境に適応して生きていくことができるのは決してすべての人ではないが、実はそれは今も同じこと。今の環境に適応できず無くなっている人、自ら死を選ぶ人も世の中には存在している。それを忘れてはいけない。
やっと世の中のことが分かりかけてきて、これから楽しんでいこうと思っていた矢先に出鼻をくじかれた。
今の会社も時差通勤、時短勤務、テレワークと何とか導入していっている。それでも100%テレワークということはありえない。良くて半分くらいだろう。
筆者は出社時刻が10時からとなったので朝の通勤ラッシュを避けることができている。9時の時でも、けっこう人が少なくなったなと感じてはいたが、10時だと格段に減っている。
名古屋と言えば地下街だが、名駅、栄ともにシャッターが下りた店が多く人通りもほとんどなくなっている。
夜帰る時、ものすごく寂しく感じる。
昔は都会の喧騒というものをどちらかというとマイナスなイメージで捉えていたのだが、人間の社会、経済の
あり方を理解するようになって、とても大切なものだと思い始めていたタイミングにこれだ。
ホントやらかしてくれたよね、コロナのやつ。
しかし社会は常に変化していくもの。それに抗っていても仕方のないこと。
変わりゆく世の中でいかに生きていくか、自分の道は自分で切り拓いていかねばならない。
ハッキリ言って、もう元の状態には戻らない。戻ればラッキーくらいに思っていないと生き残れない。それくらいの覚悟はしている。
身動きが取れない状況になりつつあるが、それでもやる人はやっている。
今までランチを提供していた居酒屋が休業する一方で、昼開けてなかった居酒屋がランチを始めて客寄せをしている。
会社の同僚から聞いた話では、子どもの習い事の塾(レゴブロックを使ったプログラミングというものがあるらしい)がオンライン授業を始めたり。この2ヶ月月謝を払っていなかったそうだ。
生き残るためにできることをする。やる人はどんな状況になろうとやる。今まで意識していなかったことだけど、みんな生きるためにがんばっているのだ。主体的に生きているのだ。
身近でも既に変化は起きている。筆者の会社も生き残りをかけて模索している。自分もできることはなんでもする。
経済ってこんなにも大事だったんだね。
株の世界にどっぷり入ってきたのは割と最近のことで、昔は先物オンリーだったから考え方がちょっと違ってた。
株は基本「買い」。いくら空売りができようと、圧倒的に買いの場だ。いかに「上がる」ものに乗るか、いかに「上げる」かの世界である。
一方で先物は非常にニュートラルで、純粋に上と下がフラットな関係である。まあそれでもどうしても買い志向は強いけどね。
そういう世界で育つと、別にチャートが下に向いていようが関係ない、「売りで取ればいいんでしょ」くらいにしか受け止めていなかった。
しかし実体経済は違う。下じゃあダメなんだよね。下向きだと多くの人間の暮らしを賄えない。上を向いてこそたくさんの人を養える。
経済を無視した国家運営は成り立たない。国家が入れ替わる、最悪国家(中央政府)が無くなることは歴史が証明している。
正解が無い状況での舵取りは難しい。そんな時は皆に委ねたら良い。国民の知恵に任せれば、誰かが何かをやってくれる。その中にきっと一つくらいはうまくいくことがある。後はそれを真似して皆でやれば良い。国はそんな人たちが自由に迅速に行動に移せることができる環境を用意することに専念すればいい。
コロナ後はどんな世界になるのだろう?
1年前に見た映画が脳裏に浮かんだ。『天気の子』だ。
ネタバレになるので詳細は控えるが、そこにはあることをきっかけに雨が降り続くことになった世界が生じた。
雨が降り続くことを受け入れ、それを前提として日々生活していく。成す術が無いのなら現実に合わせて生きていくしかない。そして生きていける。
環境に適応して生きていくことができるのは決してすべての人ではないが、実はそれは今も同じこと。今の環境に適応できず無くなっている人、自ら死を選ぶ人も世の中には存在している。それを忘れてはいけない。
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