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2023年11月21日
龍
龍(竜)と聞いて知らない人はいませんよね。
私ならまず、マンガ日本昔ばなしのオープニングに出てくるのを思い出します。
オープニングでは、でんでん太鼓を持った子供を乗せて空を飛び回る姿が描かれていましたね。あれから受ける印象って、
「龍って優しい生き物なんだ。」
そう思ってしまいます。
でも龍ってどうでしょうか。
外見は、へびのような体に手足が生えています。そして手足には鋭い爪があり、はっきりいって怖い印象ではないかと思います。
ほかにキリンビールは、缶にキリンの絵が描かれています。あれ、とてもじゃないが実際のキリンとはかけ離れた姿をしています。しかし日本人がまだ実際のキリンを目にする前、伝え聞いた姿を絵にしたものがあれなんだそうですね。
けど龍は違います。
龍ってこの世には実在しません。しかし見た人は大勢いるようです。
マンガ家のたつき諒先生の作品、“私が見た未来”で彼女は2025年7月、日本に大災難が起こると書いています。2025年7月、日本とフィリピンの中間くらいの海で海面がボコンと盛り上がり、そのまま日本へ巨大津波となって押し寄せるのだとか。
その際、巨大な二頭の龍が、ボコンとなった場所へ向かう姿が見えたというんです。
今から30年近く前、私が自営業を始めて間もなく、大変お世話になった人がいます。お寺の住職です。
真言宗のお寺で、住職は若い頃、瀬戸内に修行へ行き、とある念仏を唱え続けたそうです。
修行ですから、山に一人、たぶん小さなお寺の中にひとり座り、同じ念仏を唱え続けたそうです。
ふすまも何も締め切られており、昼にもかかわらず真っ暗で、外は一切見えていませんでした。
仏教ですから精進料理を一日にわずかな量だけ食べ、修行ならではの過酷な毎日だったと聞きます。確か、ひと月近く行ったと聞きました。
本人も不思議だと言っていましたが、修行も終わりに近づいてくると、一切締め切って外の様子など見えない寺の外に、鹿がやって来るとそれが見えたのだとか。
念仏は、ワンフレーズ唱えるのに何秒かかると決まっているので、一日8時間、唱えると何千回、というのがわかるんだそうです。
そして、苦行を終えようとしていたある日、自分の胸から一頭の龍が飛び出すように現れ、そして額に入っていったのだといいます。
龍、、そんなのいないよね!っちゃあ、そうなんですが、そうでしょうか。
みんな知ってるし、けどほとんどの人が実際に見ていない。
不思議ですね。
2023年10月27日
嫌いなことば
私の仕事は朝8時30分から17時30分までです。だいたい、定刻プラス10〜15分くらいで帰宅の途に就けます。
まだコールセンターで仕事をしていた頃、しかも発信でモノを売っていたときは、11時から20時までの勤務が多く、帰宅したら21時というのがザラでした。
その点、帰宅したらまだ18時台というのは、たいへんありがたいと思います。
最近だと帰宅してから夜にはYoutube動画を見ていることが多いんですよ。
見るのはだいたい15分前後の動画が多いです。1時間超なんて、ゆっくり見る気にはなりません。
そのYoutube動画を見ていると、ときどき出てくることばが
「ネット民」とか「ネトラー」です。
これはYoutube動画を見に来る人たちを表現することばですね。
私がこのことばから受ける印象は、みな同じ顔をして同じ体形で、もしかしたら年齢層も似通っている。
そんな印象を受けてしまうんです。
ひとこと言いたい。
皆をひとくくりに呼ぶな!
決して、ひとくくりにはできないほど、皆それぞれ自分の人生を歩んできたろうし、今の生活だってあるだろうし、職業だってスキルだって年収だって違うでしょう。
しかもせっかく時間を割いて動画を見に来てくれる人たちを、
「一緒くたに呼ぶな!」
って、そういいたいんです。
きっと、それらのことばを使う、動画を作った側の人たちは共通して、見に来てくれる人たちより自分が上だと思っているんじゃないか?と感じてしまうんです。
まるで紙芝居を見に集まった子供たちを総称しているように。
だから嫌いなことば。
2023年10月20日
歌
歌っていろいろあります。いったい全部で何曲あるのでしょう?
たとえば各地の民謡やちょっとした地方独特の歌を含めると、何万曲、何百万曲?いえ、おそらくそれでも足りないんではないでしょうか。
それほど人は歌に憧れを持ち、同時に癒されてきたのでしょう。
小学校5年生のときでした。姉が当時の小さなラジカセで何度も同じ歌を聞いていました。
私もそれを聞いて、すごい歌だと思ったんです。
革命的な気がして、耳にも残りました。
その歌は吉田拓郎さんの「落陽」でした。1973年に発表された歌。
あの歌はすごいと今でも思っています。
歌が人の心を動かし、共感を得て流行るのなら、あの歌はすごいです。
1982年に武道館で開催された「王様たちのハイキング」というライブのビデオで、ライブもクライマックスになった頃、「落陽」の前奏が始まると、会場は一気に盛り上がります。
歌が始まり初めは観客の様子を見て吉田拓郎さんは、照れくさいんだか素直に受け入れがたいんだか、ニヤニヤ笑いをします。
しかし歌が進むにつれ、さらに会場が盛り上がってくるのを見た吉田拓郎さんは、それまで演奏していた手を休め、茫然としたように黙ってしまいました。
Youtube:telegib casterさんのチャンネルより
すごい歌。
あるんですね。
この歌にギターはどうでもいい。なくてもいい。
私が吉田拓郎さんを知ったのは、姉のラジカセから。1976年のこと。しかも一回聞いただけで耳に残ってしまいました。
名曲です。
2023年10月19日
通勤
コールセンターから転職した私です。
コールセンターに通っていたときは、バス通勤をしていました。
バス停では、きちんと並ばない人たちに毎朝、イライラしていました。
転職に際して、こだわったのは自動車通勤です。
朝、家を出る時間は自分で決められます。
毎朝、割込みをしてくる車もあります。多少、イラっとくることはあります。
でも私にとってはバス停に並ぶよりストレスは感じません。
先日書いた、ランボルギーニ。
毎朝、ランボルギーニの店を見て出勤。また帰宅時にもランボルギーニの店を眺めながら帰るのが、ちょっとした憩いになっています。
かつてのスーパーカーブーム。
1977年と記憶しています。あのとき、いちばん人気があったのはフェラーリだと思っています。
でも私はランボルギーニが好きでした。
毎朝・夕、それを見て通勤する時間が癒しになっています。
しかし、、、
ランボルギーニは昔、私が小学生のときから好きでした。だけど、私に買えるものだと思ったことは、一度もありませんでした。
私にとっては、永遠の憧れなんです。
2023年10月18日
妖気アンテナ
コールセンターで働いていた頃からそうでしたが、私は朝、ますタバコを吸ってから仕事をしたいんです。
コールセンターはあちらこちらにあるから、そのビルによって喫煙場所や利用にいくつか制約を受ける場合があるんです。
仕事をするブースと喫煙室が遠い、ブースは9階なのに喫煙室は外だとか、ビル全体で一度に数人しか喫煙室に入れないため行列ができるとか、電子タバコしか吸えない、土日祝日は喫煙室自体が使えないとか、ビル全体が禁煙とか。
もし仮に朝9時から受信が始まるとすれば、8時50分くらいから朝の全体周知が行われます。ブースと喫煙室とか近ければ、移動にさほど時間はかかりませんが、ブースが5階で喫煙室が1階で、さらにエレベーターが少なかったり、なかなか来なかったりすると、それなりに時間がかかっちゃいます。
またよくあるのが、全体周知が始まる前にPCを立ち上げとけ、、というもの。
特に受信のセンターは立ち上げるツールの数が無駄に多い傾向があるし、とあるデスクのPCは起動にやたら時間がかかるということもあります。
さらに私は全体周知が始まる直前の混雑が嫌いなので、8時30分くらいにはブースに入っていたいんですね。すると、ゆっくりタバコを吸うために私は8時にはビルに入っていたことがあったんです。
今もそうなんです。
私が仕事をしている就業継続支援B型事業所はビルではありません。2階建ての事務所です。朝8時30分始業ですが、8時には着いています。
でも一服したいから、事務所の近くに車を止めてゆっくりと一服してから出勤します。
そのとき、朝の情報番組が放送されています。一服しながらそれを見ているんですが、つい最近、聞くようになった気になる言葉。新しい言葉?
「いまこの映像がニュースになっています。」
なんか変だと思いませんか?
意味は十分に伝わってくるのですが、なんか変。
確かにいま、ニュースで放送している映像だから、そうに違いないのですけど、あたかもその映像がバズっているとでも言いたげな物言いです。もったいぶっているようにも聞こえてきます。
少し前だったら、
「ではその映像をご覧ください。」
って、このくらいで良かったと思うのですけど。
私、おかしな日本語を聞くと、妖気アンテナがビビビッと立つんです。
2023年10月14日
脳
(昨夜この記事を書いたとき、酔っぱらっていたので一部修正しました。)
私の父は、根っからの商売人でした。生家が商店で、しかも時代に乗って繁盛した経験を持っていました。そんなこともあり、物を売ることに関して自信があったのだと思います。
その点、私はその後、商売人でありながらサラリーマンになった父に育てられたので直接、商売という世界を知りませんでした。
両親は晩年、事情があり長年暮らした北海道を離れ、東北で暮らしていました。私は当時、北海道の田舎町で暮らしていたのですけど、年に1〜2回、両親の住む東北へ行っていたんです。
商売人、、、これ、悪く言えば「口八丁」なのでしょう。でもそれが生業になるんだったら、それはそれで正当だと思います。
そんな父が亡くなったのは2018年の10月でした。そろそろ5年です。
いま人が亡くなる理由として病気が多いですね。病気といえばまず「癌」を思いつきます。癌にもいろいろありますけど、すい臓がんは進行が早いといいますね。3ケ月で亡くなったとか。
ところが父は癌でもなかったのに、入院からたった25日で亡くなってしまいました。
そりゃまぁ仕方のないことです。
その直前に私、お見舞いに行ったんです。娘と一緒に。
そしたら病院で父はうなりっぱなし。話をできる状態ではありませんでした。深夜、札幌市へ帰ってきた翌朝、亡くなったと。
とんぼ返りしてきたのに今度は葬儀でまた、東北です。
着いたら従弟がいてくれました。
もう亡骸となった父。だけど、亡くなる少し前に昔の商売の話をしてくれたのです。
私が小学生のとき、父がサラリーマンだった頃、家の壁にはいくつかの表彰状がありました。
父が全盛期で活躍した時代というのは電子計算機が行き渡り始めたとき。今では百均で売られている電卓は当時、机上を占有してしまう大きさで、一台何十万円もしていました。昭和40年代です。高度経済成長期だったんですね。
+
かつて両親の住む東北へ行ったある晩、父から昔の話。
電子計算機の黎明期、価格競争が激しく、代替わりも激しいことから不良在庫も出てきます。
それを父はさばいていたんです。何万台単位で。いわゆるバッタ屋さんと手を組んで。
話を聞くと、シャープ、東芝、カシオ計算機、、
いろんな有名企業の名前が出てきました。だったら、それら大手企業の沿革に父の名前が出てきても良いんじゃないか?とも思ったんですが、そうじゃないですよね、、、
青は藍より出いでて藍より青し
これは弟子が師を越えることのたとえとして使われる言葉ですね。父を超える、、、
でも私には無理です。
そんな父が亡くなったとき、
「またフェリーかぁ!」
一週間に4回、フェリーに揺られました。苫小牧発、八戸行きフェリー。
東北へ駆けつけ、見た父の遺体。
この中に偉業を成した脳がある。しかし、これから焼かれてしまう。
焼かれましたが、もったいないですね。
それら尊い人たちの経験と知識が詰まっている脳。だけど仕方がないんですね。
私の父は、根っからの商売人でした。生家が商店で、しかも時代に乗って繁盛した経験を持っていました。そんなこともあり、物を売ることに関して自信があったのだと思います。
その点、私はその後、商売人でありながらサラリーマンになった父に育てられたので直接、商売という世界を知りませんでした。
両親は晩年、事情があり長年暮らした北海道を離れ、東北で暮らしていました。私は当時、北海道の田舎町で暮らしていたのですけど、年に1〜2回、両親の住む東北へ行っていたんです。
商売人、、、これ、悪く言えば「口八丁」なのでしょう。でもそれが生業になるんだったら、それはそれで正当だと思います。
そんな父が亡くなったのは2018年の10月でした。そろそろ5年です。
いま人が亡くなる理由として病気が多いですね。病気といえばまず「癌」を思いつきます。癌にもいろいろありますけど、すい臓がんは進行が早いといいますね。3ケ月で亡くなったとか。
ところが父は癌でもなかったのに、入院からたった25日で亡くなってしまいました。
そりゃまぁ仕方のないことです。
その直前に私、お見舞いに行ったんです。娘と一緒に。
そしたら病院で父はうなりっぱなし。話をできる状態ではありませんでした。深夜、札幌市へ帰ってきた翌朝、亡くなったと。
とんぼ返りしてきたのに今度は葬儀でまた、東北です。
着いたら従弟がいてくれました。
もう亡骸となった父。だけど、亡くなる少し前に昔の商売の話をしてくれたのです。
私が小学生のとき、父がサラリーマンだった頃、家の壁にはいくつかの表彰状がありました。
父が全盛期で活躍した時代というのは電子計算機が行き渡り始めたとき。今では百均で売られている電卓は当時、机上を占有してしまう大きさで、一台何十万円もしていました。昭和40年代です。高度経済成長期だったんですね。
+
かつて両親の住む東北へ行ったある晩、父から昔の話。
電子計算機の黎明期、価格競争が激しく、代替わりも激しいことから不良在庫も出てきます。
それを父はさばいていたんです。何万台単位で。いわゆるバッタ屋さんと手を組んで。
話を聞くと、シャープ、東芝、カシオ計算機、、
いろんな有名企業の名前が出てきました。だったら、それら大手企業の沿革に父の名前が出てきても良いんじゃないか?とも思ったんですが、そうじゃないですよね、、、
青は藍より出いでて藍より青し
これは弟子が師を越えることのたとえとして使われる言葉ですね。父を超える、、、
でも私には無理です。
そんな父が亡くなったとき、
「またフェリーかぁ!」
一週間に4回、フェリーに揺られました。苫小牧発、八戸行きフェリー。
東北へ駆けつけ、見た父の遺体。
この中に偉業を成した脳がある。しかし、これから焼かれてしまう。
焼かれましたが、もったいないですね。
それら尊い人たちの経験と知識が詰まっている脳。だけど仕方がないんですね。
2023年08月30日
バカ親のプチ自慢
ちょっと私に天変地異がありました。
いま、札幌市の隣り町で、江別市というところで仕事をしています。
江別市の地理を覚えなくてはならないため、夜はGoogle Mapのストリートビューと闘っています。
江別市には娘が住んでいます。
2019年に結婚し、昨年2022年に家を新築したんです。
呼ばれて見に行ってきました。
中に入ると、新築独特の匂いがあり、私の人生には縁のなかったものだと、あきらめの念が浮かんでくることはありますが、それでも
「よくやった!娘よ。」
って、感情があるのは親ならではなのでしょう。
そして江別市のストリートビューをいろいろ見ているうち、娘の家が出てきたんです。
あまり自己主張はしない娘ですが、それでも家にこだわった点は聞くことができました。
・洗濯乾燥機
・アイロボット
・食洗器
これらは、三種の神器であるって。
娘の部屋にはウォークインクローゼットもありました。
お祝いにたとえば、観葉植物を贈ろうかと考えましたが、それは微妙。迷惑かも知れません。
私の家には娘が生まれてからのビデオテープがあります。まだ生まれたばかりで素っ裸です。
次はビデオ以外で、娘の首が座りだしてからオッフェンバック、「天国と地獄」のメロディーに合わせた歌を私たち夫婦で歌いながら、だっこした娘へ頬ずりをしたものでした。
その替え歌の歌詞は
「ポンポンポンポン〇〇たんポポポン ポンポンポンポン うにゅにゅにゅにゅにゅ、」
という、冷静にはワケのわからないもの。
そんな娘が、いまではGoogleストリートビューに記録されている家に住むようになった。
まったく親バカですが、そう思うんです。
2023年08月27日
北海道化
感じるんですが、長い年月をかけて標準語が北海道弁化してきたと。
まず、昨日FBの動画を見ていて、あれ?と思ったことがあります。
「こっちの消しゴムの方が消えるよ。」
どこの人が撮影した動画かわかりません。だけど北海道である可能性は低いでしょう。いまやテレビでもたまに聞くようになったと思っています。
ではこの発言のどこが北海道弁なのか。
この
「こっちの消しゴムの方が消えるよ。」
というのは、実はちょっとおかしな言い方です。
消しゴムが消えるのは当たり前で、消してもらえなくては困るのです。またこの言い方では消しゴム自体が消えてしまうと受け取れなくもありません。しかしこれに「よく」を付けるとおかしくなくなります。
「こっちの消しゴムの方がよく消えるよ。」
逆を言えば、この「よく」という副詞を省略したのがこの言い方です。
私が宇都宮市へ行ったときも北海道へ来たときも、方言ってイヤだなと思いました。そのくせ、一年も経てばすっかり馴染んでいるんですけども。
で私が北海道へ来たときに聞いた北海道弁の中でも、この副詞を省略する言い方がイヤで仕方ありませんでした。
この洗剤落ちるとか、このネジ硬いとか。
でもどうでしょう。いつの間にか標準語になってきてませんか?
他にもあります。
「したら」
北海道弁でも特にきらいでしたね。
別れ際に
「したらね〜。」
とか
「したっけね〜。」
なんて。
「したら」はもともと
「そしたら」
だと思います。
「私、帰ろうと思ったんですよ。したら止められて、、」
これもいつの間にかテレビで当たり前に聞くようになってしまいました。
「よく」の省略も「したら」も、いずれも元の言葉の短縮形です。
青森弁は、寒くなると口の動きが悪くなるから訛ったものだと聞いたことがあります。
北海道も寒いから省略形の言葉が使われるようになったのでしょうか。
そして、これもいつの間にか、北海道で北海道弁を聞くことがなくなってきました。
2023年08月25日
反則金
私が初めて速度違反で赤キップを切られたのは19歳の5月でした。
4月に彼女と別れ、心のどこかで空しいと感じていたのでしょう。
あの日も午後7時を過ぎ、終業の準備をしていたとき、外に一枚のポストイットが貼ってあるのを見つけたんです。
ポストイットには、
「帰ってるから」
と。
彼女との別れは決して素直に受け入れられたわけでなく、まだお互いに想いを残してのものでした。
しかし彼女は高校卒業を控えていました。
地元に就職する道も模索した時期もありました。けど、彼女が地方へ出ていくことを望むまで、何か目に見えない力が働いていた気がします。実際にはだいたい想像もつきましたが。
出発の日、私は駅まで彼女を送りに行き、まるでイルカさん(伊勢正三さん)の“なごり雪”さながらの別れをしたんですね。雪まで降っちゃった。もう4月だったのに。
そんな中、
「帰ってるから」
いったい誰がどこに帰っているのだろう?
もしかしたら誰か子供のメモかも知れません。
しかし万が一でも彼女だったら、、、
そう考えてしまったんですね。
そこで私は仕事を終えて車を飛ばしました。
心当たりがあったんです。
彼女の実家はすぐには行くことのできないところにありました。でも隣町の友人宅にいるのかも知れない。
車を出してから10分くらい後、暗い中から出てきたのは警察官。
「ピー!」と笛を吹かれ脇道に誘導されます。
窓を開けると警察官は暗い中、
「ん?その声は〇〇〇〇か?」
いや、決して私は警察から目を付けられるような札付きの悪ではありませんでした。
しかし町が小さいから、、。または私の声って特徴的なんでしょうか。
そして一発免停。
罰金はいくらだったか憶えていません。でも超過速度 × 1000円という目安はあるようですね。
そして秋になり、私が普段通りに走っているつもりでいると、またも左から警察官が
「ピー!」
って。
あのときは確か15キロオーバーだったと思うのですが、切られたキップは赤キップ。
「え?!」
っと思いました。
免停になったあと、1年以内に起こした違反は、違反の程度にかかわらずみな赤キップなんですね。当時は知りませんでした。
もう一つ知ったのは、青キップで払うのは「反則金」。赤キップで払うのが「罰金」ということ。
あと、罰金のときは裁判所に呼ばれますね。
しかし世間であまり「反則金」と聞かない気がします。法に反して課せられるのは何でも「罰金」といっていないでしょうか。
私が最後に検挙されたのは17年前だったと思います。速度超過でした。あれ以来、心機一転。
今ならパトカーが後ろに付いても、ひやひやすることはないと思います。
秋に15キロオーバーで検挙されたとき、警察官と同時に目にしたのは、警察のレーダーでした。
警察官はいいます。レーダーが目に留まらないくらい注意力が散漫なときほど、事故を起こしやすいんだと。
また、10キロオーバーまでは検挙しないといいますね。
法定速度60km/hの道なら10キロオーバーはわかるけど、40km/h制限の街中でも10キロオーバーは同じようです。そしてなぜか警察官は速度超過違反の取り締まりが“ネズミ捕り”と言われるのを拒みます。警察官によっては怒りだします。
なぜなんでしょ?
トムとジェリーのトムだってやるじゃないか!
警察官はそんなにトムが嫌いなのか??
私はどっちかというと、トムの方が好きなのに。
2023年08月23日
「〇〇かったです。」
細かいことといえばそうなんですが、私は
「〇〇かったです。」
という言い方が嫌いです。
たとえば
「多かったです。」
「眠たかったです。」
これら、なんか子供っぽい気がして。
思い出すのは、小さい子供に遠足どうだった?と聞いたとき、
「楽しかったです。」
これと同じ気がするんです。
昔、小学校の授業中に先生から名指しで返答を求められたとき、
「考え中です。」
って答える子、いませんでしたか?
考え中ですって言葉は変です。せっかくいうなら
「いま考えています。」
とか、
「まだ考えているところです。」
そんな言い方がふさわしいだろうと思っていました。
どちらも共通して、意味は通じるけど日本語としてはちょっと変!と感じてしまいます。
ならば
「多かったです。」
は
「多いと感じました。」
とか
「多くの利用者でした。」
こっちの方が聞いていて、しっくりきます。
どちらも文字数としては長くなってしまいますが、こっちの方が好きですね。