2023年10月14日
脳
(昨夜この記事を書いたとき、酔っぱらっていたので一部修正しました。)
私の父は、根っからの商売人でした。生家が商店で、しかも時代に乗って繁盛した経験を持っていました。そんなこともあり、物を売ることに関して自信があったのだと思います。
その点、私はその後、商売人でありながらサラリーマンになった父に育てられたので直接、商売という世界を知りませんでした。
両親は晩年、事情があり長年暮らした北海道を離れ、東北で暮らしていました。私は当時、北海道の田舎町で暮らしていたのですけど、年に1〜2回、両親の住む東北へ行っていたんです。
商売人、、、これ、悪く言えば「口八丁」なのでしょう。でもそれが生業になるんだったら、それはそれで正当だと思います。
そんな父が亡くなったのは2018年の10月でした。そろそろ5年です。
いま人が亡くなる理由として病気が多いですね。病気といえばまず「癌」を思いつきます。癌にもいろいろありますけど、すい臓がんは進行が早いといいますね。3ケ月で亡くなったとか。
ところが父は癌でもなかったのに、入院からたった25日で亡くなってしまいました。
そりゃまぁ仕方のないことです。
その直前に私、お見舞いに行ったんです。娘と一緒に。
そしたら病院で父はうなりっぱなし。話をできる状態ではありませんでした。深夜、札幌市へ帰ってきた翌朝、亡くなったと。
とんぼ返りしてきたのに今度は葬儀でまた、東北です。
着いたら従弟がいてくれました。
もう亡骸となった父。だけど、亡くなる少し前に昔の商売の話をしてくれたのです。
私が小学生のとき、父がサラリーマンだった頃、家の壁にはいくつかの表彰状がありました。
父が全盛期で活躍した時代というのは電子計算機が行き渡り始めたとき。今では百均で売られている電卓は当時、机上を占有してしまう大きさで、一台何十万円もしていました。昭和40年代です。高度経済成長期だったんですね。
+
かつて両親の住む東北へ行ったある晩、父から昔の話。
電子計算機の黎明期、価格競争が激しく、代替わりも激しいことから不良在庫も出てきます。
それを父はさばいていたんです。何万台単位で。いわゆるバッタ屋さんと手を組んで。
話を聞くと、シャープ、東芝、カシオ計算機、、
いろんな有名企業の名前が出てきました。だったら、それら大手企業の沿革に父の名前が出てきても良いんじゃないか?とも思ったんですが、そうじゃないですよね、、、
青は藍より出いでて藍より青し
これは弟子が師を越えることのたとえとして使われる言葉ですね。父を超える、、、
でも私には無理です。
そんな父が亡くなったとき、
「またフェリーかぁ!」
一週間に4回、フェリーに揺られました。苫小牧発、八戸行きフェリー。
東北へ駆けつけ、見た父の遺体。
この中に偉業を成した脳がある。しかし、これから焼かれてしまう。
焼かれましたが、もったいないですね。
それら尊い人たちの経験と知識が詰まっている脳。だけど仕方がないんですね。
私の父は、根っからの商売人でした。生家が商店で、しかも時代に乗って繁盛した経験を持っていました。そんなこともあり、物を売ることに関して自信があったのだと思います。
その点、私はその後、商売人でありながらサラリーマンになった父に育てられたので直接、商売という世界を知りませんでした。
両親は晩年、事情があり長年暮らした北海道を離れ、東北で暮らしていました。私は当時、北海道の田舎町で暮らしていたのですけど、年に1〜2回、両親の住む東北へ行っていたんです。
商売人、、、これ、悪く言えば「口八丁」なのでしょう。でもそれが生業になるんだったら、それはそれで正当だと思います。
そんな父が亡くなったのは2018年の10月でした。そろそろ5年です。
いま人が亡くなる理由として病気が多いですね。病気といえばまず「癌」を思いつきます。癌にもいろいろありますけど、すい臓がんは進行が早いといいますね。3ケ月で亡くなったとか。
ところが父は癌でもなかったのに、入院からたった25日で亡くなってしまいました。
そりゃまぁ仕方のないことです。
その直前に私、お見舞いに行ったんです。娘と一緒に。
そしたら病院で父はうなりっぱなし。話をできる状態ではありませんでした。深夜、札幌市へ帰ってきた翌朝、亡くなったと。
とんぼ返りしてきたのに今度は葬儀でまた、東北です。
着いたら従弟がいてくれました。
もう亡骸となった父。だけど、亡くなる少し前に昔の商売の話をしてくれたのです。
私が小学生のとき、父がサラリーマンだった頃、家の壁にはいくつかの表彰状がありました。
父が全盛期で活躍した時代というのは電子計算機が行き渡り始めたとき。今では百均で売られている電卓は当時、机上を占有してしまう大きさで、一台何十万円もしていました。昭和40年代です。高度経済成長期だったんですね。
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かつて両親の住む東北へ行ったある晩、父から昔の話。
電子計算機の黎明期、価格競争が激しく、代替わりも激しいことから不良在庫も出てきます。
それを父はさばいていたんです。何万台単位で。いわゆるバッタ屋さんと手を組んで。
話を聞くと、シャープ、東芝、カシオ計算機、、
いろんな有名企業の名前が出てきました。だったら、それら大手企業の沿革に父の名前が出てきても良いんじゃないか?とも思ったんですが、そうじゃないですよね、、、
青は藍より出いでて藍より青し
これは弟子が師を越えることのたとえとして使われる言葉ですね。父を超える、、、
でも私には無理です。
そんな父が亡くなったとき、
「またフェリーかぁ!」
一週間に4回、フェリーに揺られました。苫小牧発、八戸行きフェリー。
東北へ駆けつけ、見た父の遺体。
この中に偉業を成した脳がある。しかし、これから焼かれてしまう。
焼かれましたが、もったいないですね。
それら尊い人たちの経験と知識が詰まっている脳。だけど仕方がないんですね。
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