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2024年01月31日
足を組む
足を組むことってありますよね。
私は家でタバコを吸うときはキッチンにある換気扇の下で吸います。なぜだかそこには小さな脚立があり、私はその脚立に座ってタバコを吸うんです。
そのときについつい、足を組んでしまうのですが、足を組むときに自然と右足が上になっています。これ、良くないそうですね。
そんなときは左足を上に足を組みなおせばいいのでしょうが、最近そうしてません。
なぜ右を上にしては良くないのかというと、右足を上にして足を組むとか、靴を履くときに右足から履くとか、歩き出すときに右足を先に踏み出す人は高血圧症になりやすいんだそうです。
昔、何かで読みました。
これはただの迷信ではなく、医学的にきちんと証明されているようですね。
ただ私はその医学的なプロセスを知らないので、ここでは説明できません。
そしてつい、右足を上に足を組んだときは、左足を上に組みなおしていたのですが、
「まてよ??俺、すでに高血圧症やん。2002年にそう診断されて、毎朝薬を飲んでるやん。」
当時、寝酒は毎晩。それでもまだ30代だった私は自営業をしていたこともあり健康診断なんて受けたことがありませんでした。
しかし2002年に隣町の商業高校で情報教育アドバイザーの求人を出していることを知り、行くことになったんです。そしたら健康診断を受けて下さいと。
そして高血圧症だと診断されました。
あのときは
「えー?これから一生、血圧の薬を飲み続けなければならないの?」
と、厄介にさえ思っていたんです。
でも今ではその血圧の薬に生かされているんだと、すっかり薬頼りになってしまいました。
2024年01月30日
ふと考えてみました
今日も帰りのバスに乗ると、だいたい半分くらいの人たちがスマホをいじっていました。
(栃木弁:スマホをわすらっていました。北海道弁:スマホをちょしていました。)
もしこれを江戸時代の人がタイムスリップしてきて、スマホをいじっている人たちを見たら、いったいどう思うのでしょうか。
「多くの人たちが草履を小さくした鉄の板に見入って、指でこすっている。いったい何をしているのであろうか。しかもその鉄の板は光を放っている。」
こんな感じではないでしょうか。
さらにスマホを説明するとなると、もっと大変です。
スマホをいじっている人たち、ある人はゲームをしているかも知れませんし、LINEをしている人もいるかも知れません。調べ物をしている人がいるかも知れません。
まずゲームっていうのから説明しなければならないですね。蹴鞠(けまり)の末裔(まつえい)だと説明すれば通じるのでしょうか。
safariなどのブラウザで調べ物をしている場合、これは説明しやすいかも知れません。ただしインターネットは伏せておいた方が良いかも知れないですね。説明がもっと大変そうです。
LINEはどうでしょう?
グループLINEなどネットで集う、、というのを説明するのは、かなり大変だと思います。
その前に、写メの撮影はビックリするでしょう。動画なんて見せたらいったいどんな反応が返ってくるのでしょうか。
ただ、これを子供の頃の私、仮に昭和47年頃、1972年に見せられたら、そんなにビックリしなかっただろうと思うんです。
「へー、カッコいい!」
そう思ったかも知れません。
この違いは何でしょう。
きっと、あの頃はすでに黒電話ならありましたし、カラーテレビもありました。そしてトランシーバーもあったんです。すでに電波は活用されていたんです。
なら、スマホを見ても、
「電話とカラーテレビがくっついて、ちっちゃくなっちゃったー!」
と、割と容易に未来を受け入れられたんじゃないかと思います。
そう考えると、電話とテレビの発明ってすごいことだったんですね。
2024年01月29日
あやまち
左手が動かなくなって病院へ行ったあとは、もう酒なんて飲んじゃいけないんだと思いました。
その後、自分はもう間もなく死ぬんじゃないかと思って、家族に遺品整理の手間をかけさせないよう、自分の持ち物を捨て始めたんです。
1月12日のことでした。
奇しくも姉の誕生日です。
今日になってようやく回復しました。ですが、あの後も左手はいつも通りには動きませんでした。
寒いところへ行くと、手がかじかむというでしょう。寒くはないのですが、かじかんだように動かしづらかったのです。
脳の血管が詰まっていたんでしょうか?
今日は仕事が休みです。
雪かきをしたり、買い物へ行ったり、IHクッキングヒーターの掃除をしたあと、どうもすることがなくなって、頭に浮かぶのは
ウイスキー!
6時ごろから飲み始めてしまいました。
体調が回復したというのもあって、飲んでも良いんじゃないか?
そう思いました。
でも、好きなことをできない人生なんてどうなんでしょう?
さっき、たまたまYoutubeで“サントリー角瓶1974”の動画を見ました。
LINDMINATORさんのチャンネルより
このCMはよく憶えています。
子供ながらになんか、ナレーションが好きでした。
「サントリー角瓶1974」です。1974ですよ。
なんともう、あれから50年です。
ウイスキーのCMが好きで、やがてウイスキーに命を脅かされるとは思いませんでした。
もう酒は飲まない方が良いのでしょうが、私は酒(ウイスキー)が好きです。
きっとウイスキーを飲むために生まれてきたんです。
2024年01月26日
わからん
私はほとんど買い物はカードで支払います。
するとやはり、いつ何を買ったか、いくら請求が来るのか気になります。
そこでカードの利用明細照会をよく見るんですけど、商品名で記載されています。そうなると
「なんじゃ?」
っていうのが多いんです。
たとえば、
・チョウラクカ(ラ
これは金額でわかりました。昨年の暮れに買った、自動車のリアモニターです。けど「チョウラクカ(ラ」
という名前からは何だかわかりません。
他にも
・アッタアッタ(ラ
これもわかりません。
調べると、おやつに食べようと思って買ったハムでした。日本ハムの。
ハムならハムって書いてくれよ〜!
ちなみに「ラ)」というのは、どうやら楽天の「ラ」なので、それを手掛かりに調べれば良いようです。
AMAZON.CO.JPもわかりづらいです。品名は書いていません。AMAZONの購入履歴から買った日付と金額で、たいていわかるのですが、中には日付も金額も違うものがあるんです。
私は健康のためにと思い、黒酢を定期購入しています。しかし毎回、金額が違うんです。同じものが届いているのに。また、日付も当てになりません。請求の日付が前後します。
現にいま、最近届かないから家の買い置きが切れてしまっています。これじゃ定期購入とは言わん。
モヤモヤします。
2024年01月25日
雪
私の生い立ちなんて聞いても仕方ないんでしょうけど、、、、
私の生まれは面倒くさくて、北海道の病院で生まれています。
でも当時両親は岩手県に住んでいました。私の母が以前、看護師をしていて、私の生まれた病院で働いていました。そのためお産のとき、北海道へ行ったんじゃないかと思っています。
生まれは北海道で住所は岩手、、というようにちょっとややこしいんです。
その後、青森県に引っ越しました。青森県に住んでいたとき、私はまだ3歳だったんですね。家の前で小さなスコップを持ち一人で遊んでいたら、叔母が歩いてやってきたんです。
叔母は私に
「いくつになったの?」
と聞き、私は指を3本立てて三つといったのを憶えていますから、岩手にいたのは2歳か3歳のときまでです。
一度、岩手で大雪が降ったのを憶えています。家の前にドラム缶が倒れており、ドラム缶と積もった雪で母がバスを作ってくれました。私はバスの前面に小枝を押し付けて、
「ワイパー」
と言ったんです。
あのとき、雪は遊ぶものでした。
その後、東京へ引っ越して幼稚園に通うようになりました。
そうそう、私は明日から幼稚園に通うという前日に、
「ああ、自分の人生で朝から晩まで遊んでいられるのは今日で最後なんだ。」
そう考えたんです。
ということは老後はなく、死ぬまで働くという覚悟だったのでしょうか。(笑)
いや、早く死ねばそうなるかも知れません。
その後小学校へ入学し、東京の小学校ではひと冬に1〜2回、雪が積もったと思います。雪が積もると1・2時間目の授業を中止して校庭で遊びました。だから子供の頃、雪に対して悪い思い出はなかったんです。
なのになんじゃ〜!
今日も雪かきをしました。45分かかりました。
2007年から札幌市に住んでいます。
もし、雪かきと仕事、どっちがいい?
そう聞かれたら、雪かきと答えるでしょう。仕事に比べると時間が短いから。でも実際は仕事が終わってから雪かきをします。
いつからか私は雪かきにかかった時間を記録するようになりました。
見ると今月、妻と私とで雪かきにかかった時間を合計すると3時間です。この3時間が長いと思うか短いと思うか、お任せします。
雪が積もれば仕事中、帰宅したら雪かきをしなければならないと、それが頭から離れません。
子供の頃は悪い思い出がなかった雪が、今はただ、恨めしい存在です。
2024年01月23日
断捨離
先日左手が動かなくなり、深夜に病院へ行ってMRI検査し、脳に動脈瘤が見つかりました。
こうなるといつ死ぬかわからないって思ってしまいました。
いつ死んでもおかしくないと考えたら、自分の持ち物をすべて捨てたくなるんですね。
たとえば買ってからまだ一度も使っていなかったものとか、かれこれもう10年は使っていないものがあると、
「あ、いらない。」
って、思ってしまいました。
いままで使わなかったのだから、使う前に自分が死んでしまうだろうと考えました。今もそうですよ。
もしいま私が死んだら、私の持ち物ってゴミですから。家族が処分しなければなりません。その手間が申し訳ないって思えちゃったんです。
仕事のある日は夜に帰ってくると部屋が寒いです。暖房を入れてもしばらく暖まりません。だからちょっと片付ける気になりません。このまま春が来たら、一気に持ち物を処分したいところです。
今は寒いからという、言い訳になっちゃいますけど。
でも実際に今朝、小さな市の指定ゴミ袋にふたつ、使わなかったものを詰め込んでゴミステーションに入れがてら、出勤しました。
今日捨てたものは、IQOSの箱や、iPhoneの箱、何枚か残っていたDVD-Rなどです。もう使うことなんてないんですよ。今まで使わなかったのだから。使うんだったらまた買えばいい。そう思って捨てました。
そういうものじゃないですか。
これから時間があれば、どんどん捨てていこうと思うようになりました。
2024年01月21日
シフト
7か月ぶりのコールセンターです。コールセンターがイヤになって転職したはずなのに、戻ってみると意外といいものですね。マイペースで生活できるところが良いです。
だいたいのコールセンターは休日を自分で選ぶことができます。たとえば火曜日、土曜日というように曜日で休みを希望できるところが多いと思います。
私が12月に辞めたところは、基本が事業所の休みイコール休日でした。就業規則によると休みは一か月に9日とありました。それだとほぼ週休二日と変わらないようですが、月曜日から土曜日までの6連勤が月に2回はありました。
イヤだったのは月曜から土曜日まで6日間働いて、日曜日が休み。そして月曜日からまた仕事というサイクルでした。
休日だって土日祝に休むより、働くメリットもあると思います。土日祝に働けば休みは平日になるから、たとえば区役所に行くとか用事が足せるんです。
また土日祝は交通機関も空いていますしね。土日祝が休みだったら、病院に行くのだって土曜日の午前中に限られてしまいます。そしたら調剤薬局が休みだったとか。不便だったこともあります。
あとは職場の雰囲気としてどうなのか。良いのか悪いのか。これは実際に働いてみなければわかりません。
研修も終盤になってきました。今週から二日働いて休み、、そんな生活が戻ってきます。
2024年01月20日
今日は休日
防寒対策しました。というか、まだ注文しただけです。
できれば脱衣所を灯油でと思っていましたが、灯油だと少し前から着火して、あらかじめ暖めておかなくてはならないですね。
その点、人を感知すれば瞬時に暖まるのがセラミックファンヒーターの特長なのでしょう。人がいれば人がいるときだけ暖かい。私、間違えていました。
なので、どちらもセラミックファンヒーターにして、脱衣所の分は23日の火曜日、トイレのは24日の水曜日に到着の予定です。
若いときは寒さに耐えられたんですけどね。やはり年を取るとダメですね。
私が中学生だったとき、北海道は今よりももっと寒い日が多かったと思います。冬になると朝、学校へ行くときにマイナス20℃なんて、珍しくなかったと思います。革の手袋をはめて通学していました。
・・・
さて、気持ちが晴れてきたのでウイスキーの水割りを飲んでいます。
動脈瘤のこと、クヨクヨししてても始まりませんね。何か起こったら、起こったときに起こったことに対してするだけ。
二十歳の時に寝酒を始めて、気付けばざっと40年近く飲み続けてきたんです。その間に体は蝕まれてきたのでしょうが、その分、好きなことをしてきたわけだから、良しです。
また、いたら心配するであろう両親も、すでにもう他界しているんだから良いんです。あとはいつか、私があの世で再会するんです。^^
先日は左手が動かなくなって、今はもう普通に動いてはいるんですが、まだしっくり来ていない感じです。きっと握力がグンと下がっています。
昔、若いときにギターを弾いていました。主にヘヴィメタルを。バンドもありました。
それが結婚を機にピタッと弾かなくなってしまいました。けど、もしまだ弾いていたとして、これから左手に何か障害が起きて自由に動かなくなることがあれば、それはショックですね。
でも好きだな〜、ウイスキーが。
子供の頃は、まさかこうなるとは思いもしませんでした。
今日はせっかくの休日。
あと、なぜいま飲み始めたのかというと実は、死んだらもうウイスキーを飲めないことに気付いたからです。
死ななきゃ治らないですね。(笑)
2024年01月18日
子供の声
私がまだ小さな頃、家族で青森から東京へ越したのが確か昭和44年でした。西暦だと1969年です。
当時はまだ今とはだいぶ時代が違っていて、町には砂利道が多く、トイレは汲み取り式。東京都でしたが周囲は田んぼだらけで、住所は東京都葛飾区水元飯塚612番地という、大変シンプルなものでした。
もちろん、とうの昔に地番変更がなされ、いまそんな住所は存在しません。
住んでた家は長屋でした。隣の家と屋根と外壁がつながっていたのです。外壁はトタン板だったと思います。私はそこで幼稚園に入園し、小学校1年生を終えるまで住んでいました。
当時はまだ近所付き合いがあったんですね。
通りを折れた袋小路に長屋が2軒と一軒家が2軒建っていて、私は他の家へ遊びに行ったし、他の家の子も私の家へ遊びに来ていました。
そこからまた引っ越したあと数年が経った頃、何かの用事で母に連れられ一度、再びその長屋へ行くことになったんです。
あのときまだ長屋は存在していました。そして住んでいた頃のまま、ご近所さんたちもいて、母が立ち話をしたんです。もちろん世間話程度だったでしょう。けど、その中で私たちがいなくなって寂しいとご近所さんは言っていました。
子供の声が聞こえるとつい、私たちがまだいるかのように思ってしまったと言っていました。
「だって子供の声って、みな同じでしょう。」
って。
確かにそうですよね。
今日もバスに乗っていると、小さな子供の声が聞こえてきました。泣いていてもかわいい声です。そしてあのとき、ご近所さんが言っていた通りに子供ってみな同じ声ですよね。
子供の声がみな同じって、
あれはご近所さんの何気ない言葉だったかも知れません。だけど間違いないことだし、なぜかわかりませんがずっと、私の中に残り続けている言葉なんです。
2024年01月06日
追悼
スマホを見ると、通知メッセージがあることって多いですね。
今朝、メッセージを見てドキッとしました。
「大木誠」さんとあったからです。
読んでみると、大木誠さんを追悼する記事でした。もちろん投稿者は大木さんではありません。
なのになぜ、大木誠さんの名前で投稿してきたのか。(びっくりするぢゃないか、もー!)
私の青春時代に忘れられない歌が二曲あります。
・シャイニンオン 君が哀しい
・レイニーブルー
大木誠さんは、レイニーブルーの作詞者です。レイニーブルーは徳永英明さんが歌った歌で「知る人ぞ知る」ですね。名曲です。
不思議なのは、レイニーブルーの作曲者が話題になることはなく、作詞者である大木誠さんだけ、話題になります。それだけ、歌詞が素晴らしいということでしょうか。
大木さん、ここ札幌へよく来ていたらしいですね。
ある日、札幌駅近くのホテルから、たぶんススキノへ夕食を食べに行ったのでしょう。札幌駅からススキノは歩いてもいける距離です。
途中、大通公園があります。その大通公園でひとりの青年が、ギターを弾きながらレイニーブルーを歌っていたというんです。通りかかった大木さんは、千円札を差し入れ、
「それ、私が作った歌なんです。」
そういったのだそうです。
以来、大木さんと青年の交流が始まった・・・
というのを、5年くらい前にテレビで見ました。
そのギターを弾いていた映像がFBにあるというから、もちろん見ました。同時に、大木さんもFBにアカウントがあるということです。
私すかさず、友達リクエストしました。
FBで大木さんと友達になるには、なにかエピソードを書くという条件がありました。でもクリアできました。
それほど頻繁にメッセージのやりとりをしたわけではありませんでした。しかし、意外とセンスが似通ったところがあるのかな〜?って思ったこともあったんです。たとえばやり取りしたこの画像。
今では思い出になってしまいました。
コールセンターに勤めていると、雇用契約の問題上、多くは、あちらこちらのビルへと旅することになります。ちょうどその年でした。見晴らしの良い休憩室があるビルで働いていたんです。
見晴らしの良いその下は、駅前通りです。
私は昼休みにその休憩室の窓際に座り、
「ああ、きっと大木さんはこの駅前通りを歩いてススキノへ向かったに違いない。」
と、そう思いながら見ていたんですね。
そしたら突然の訃報。
今まで窓の下に見ていた景色が、まるで違う印象に変わってしまいました。
何回も何回も、何回も聞いたレイニーブルーです。
大木さんのことは絶対に忘れません。