新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2019年05月01日
シンプルに考えれば良い
「もっとシンプルに考えればいい」
考えすぎた時, そのせいで余計上手く出来なくなることが有ります.
やるべき事は既に分かっているのなら、単純に出来ることをやればいいのに
考えすぎて複雑化されると、やらなければならない事が手につかなくなったり
一番肝心な根本が分からなくなってしまうのです。
複雑化というのは感情も入ってしまいます
感情が入ると人はそこに邪魔されてやり方を間違えたり
焦りが出てきて冷静な判断が出来なくなってしまいます。
もっと客観的に、もっと現実的に・・・
感情をおいて考えた具体的に見つめた方が正確です。
現実的に考えることが出来れば「出来ない」という事もなくなります
出来なかったら出来る為に策を考えるから次は出来るようになります。
今行っている事の目的を見つめるよりも, 本来の大きな目的の一部と考えたら
今の出来事はそんなに悩む大ごとでは有りません。
ただ経験の一部として吸収されるだけであり本来の目的の過程の一部なんです。
「失敗したらどうしよう」とか「こっちのやり方で大丈夫かな?」などと言う
今だけの感情に捕らわれないでください。
「失敗したらその分経験と学びになる」「この方でやってみて、ダメなら別のやり方を考えよう」
そうやっていれば少しずつ目標に近づいていきます。
やるべきか、それとも失敗を恐れて辞めるのか
「長い目で見つめたり」「シンプルな一言」でまとめてみて下さい。
やれる状態ならやればいいし、出来ない状況ならやらなければ良い。
もっと視野を広げてみると, けっこうどっちで有りなんです。
何故なら自分が本来の目的を諦めなければ, 後はそれまでの方法や経験が変わるだけの事だからです。
【このカテゴリーの最新記事】
2019年04月28日
行動と恐れのまとめ。
勇気をもって進んだ人しか成功しません
もともと成功された環境に生まれた人はそれを守るために学びます
学べる環境に居るから維持できるのです。
しかしそうではない人もいます
そうではな場合そこよりも上を目指すためには大きな勝負を仕掛けなければなりません
そのリスクを受け止めてクリアしなけれんば上を勝ち取ることは難しい
誰も助けてはくれないのです。
助ける側に何かメリットが有るのなら別です
何か同じレベルのものを渡せるのならウィンウィンの関係になりますが
そうでないのなら自分でやるしかありません。
難しい事をしようとしているのですから、恐いのは当然です
知らない事や見えない事程恐いものは有りません。
しかし現実は、自分が作り上げた幻想よりいがいとマシな方です
一番怖いのは自分から生まれた不安感や恐怖感です
そのせいで前に進めなくなったり
せっかく作り出したチャンスに乗らず諦める人はたくさんいます。
計画的に進めていたとしても完全ではありません、失敗することも有るし
そうなってもしょうがない、また別の方法も何個か考えておいた方が良いでしょう
もちろん成功する方向で進めますがそれだけしか無いのは危険です
ですからポートフォリオをくんでおいた方が自分の為になります
精神的に焦っていない方が、良い判断力に繋がわけです。
諦める事とは違います、より自分にとって都合の良い方向性を作り、
臨機応変に危険を回避するために必要な事です。
散々考えて、調べ上げて、準備して、チャンスに仕掛けをして
何かあったときの為のポートフォリオを組んで…
それでもまだ不足していると言えば不足しています。
しかし今じゃなければ手にできないチャンスも有ります。
全てを完璧に準備するのに何年かかるのか…
そもそも全て準備できる力があるならもっと別な事も出来るはずです
今、リスクを受け入れてでもそれしかチャンスが無いのならやるしかありません。
悩んでいたらその間に出来ることをやった方が効率が良い、
悩んでも、話し合いしても何の解決にもならない
「生み出す事」以外要らないのです。
後は勇気を出すだけです、勇気が無ければ前に進めません
暗闇の中は何も見えないから前に進むのは恐いかもしれませんが
勇気を出して一歩一歩進むんです。
一つクリアするごとに明かりがともされて現実が見えてくる
その数を増やしていけば気が付いたころには光でいっぱいの道が繋がっているだけで
恐いと思い込んでいた世界はそこにはありません
殆んどが自分の中にある恐怖感の幻想なんです。
2019年02月04日
向き不向きが有っても、答えが同じであればいい
人には向き不向きがあると言いますが
不向きは訓練次第で向いている事に変ると思うんです。
その事柄ではなく
その事の中で自分が一番やりやすい方法を見つけ
何度もやり続けているうちに自分のやり方が見えてくる
それが上手くいった時に「向いている」という評価を付けられるだけです。
初めから簡単に出来てしまう事は
向いている事のように感じるかもしれませんが
簡単な事の裏側には
その事に近い「関連性の有る事」をやってきたからこそコツをつかむのが早かっただけ
つまり
環境や経験に対して自分自身の努力が有るからこそ出来たのです。
そうなれば
苦手だと感じている事、向いていない事というのも努力次第で変えられるという事です。
ただ
それをするにはかなりの時間がかかってしまうので
効率的には得意な事を優先した方が早いのかもしれません。
もしも、向いていないと思うことが有って
どうしてもその事を出来るようになりたいのなら時間をかけてでも分析すれば良い。
もっと論理的に考えて
何が足りなくて何が必要なのか
自分ならどのやり方が一番効率が良いのか
出来る理由は何か
出来る人との違いは何か
それをいかに早く埋める方法は何か
何が自分にとって難しいと感じるのか
どのやり方で失敗したのか
どのやり方で上手くいったのか
全てには理由があります
それを見つければいい。
出来る人のやり方を真似しても完全に同じようにはなれない。
それはその人の「経験と努力」と
「感覚」で成り立っている場合があるからです。
まるごと同じにはいきません。
何故ならその人自体が変化しているからです
その事柄に、臨機応変に対応しているからです。
今日はそのやり方にする理由が有っても
明日はやり方を変えるかもしれない
同じ内容で利益や損失が出たとしても
その人はそれを計算済みだったり
メンタル力も考え方も自分とは全く違う。
ですから、人は別の人のコピーが出来ないんです。
それよりもそういった考え方もあるんだ、
こんなやり方もあるんだ、というように
参考程度で自分の引き出しにしまって
自分のオリジナルのやり方を極める材料にした方がよっぽど上手くいくはずです。
向いていない事は
自分次第で向いている事に変える
分野ではなく中身のやり方をオリジナルにする。
やり方や方法が別の経路でも
結果的にたどり着く答えが同じであればいい
出来ることとは自分自身が出来るように作れば良いんです。
2019年01月29日
ブログとは
ブログが書けない恐怖
2年前から作成していたブログ
それまでの私は,人に何かを伝えたりするのも苦手な性格でした。
人前で何か話さなければならなくなったときは
緊張で手が震えたり顔が真っ赤になってしまうほどです。
しかし二年前,ブログというものに触れ
文章にすることが自分の感情を表す事の出来る
最高の手段だと知ったのです。
特に、あがり症の私にとって
間接的に、思ったことを伝えることのできるブログは
無くてはならないツールとなりました。
ブログは
読みたい人、その内容がその方にとって必要であれば読めばいいし
必要でないのなら読まなくて良い
つまり、人の迷惑にもならない一番効率のいいツールのように思うのです。
何処にいても、何をしていても
そこが海外だとしてもすぐに書けて、配信できる。
しかも年齢も人種も問わない世界中の方に
自分の考えを知ってもらえるのだから
もうメリットしかないと私は感じています。
過去ブログを読んでみると
初期の文章を見るとホワホワし過ぎて恥ずかしいほどですが
それでも毎日書くようにしていました。
ブログは、1日休むとそれが3日、1週間、一ヶ月と
どんどん書けなくなってしまう事を知っていたからです。
特に、初めに難しい文章を書いたりして自分のハードルを上げた場合
次回もまた難しい内容を書かなければならくなる
ブログのネタは見て頂く方の目線に合わせるようになる
そうすると、自分が今伝えたいことや自分が今感じている事が
書けなくなってしまうんです。
これでは、思ったことを口にできない
話をするのが苦手だった時と同じです。
つまり
人にどう思われるか気にして
肝心な自分の考えを述べることが出来ないという事です。
ブログはそういうものが無いのがメリットなのに
自らそこに陥ってしまっては意味が無い
自由でいい、上手く伝えようとしなくてもいい
ただ自分の考えを書く
それがブログの良さだと思うのです。
しかし最近私は
毎日の仕事に追われ、まともな内容が浮かばなくなっていました。
これでは見てくれている方に申し訳ない
もっと価値の有る内容を提供しなければ・・・
焦りの気持ちでいっぱいなのに
価値の低下は避けたい・・・
そう思えば思うほど、よりブログを書くことが出来ない
完全に悪循環に陥っていました。
ブログを中断してから感じた事は
思考能力の低下
発想能力の低下
言葉が思いつかない。
恐ろしく頭が悪くなってしまっている自分に気が付いたのです。
そうしてこの恐怖を今日改めて文章することにしました。
何事も続けなければ衰えていく
脳も使わなければ、悪くなる
頭が悪くなる恐怖程恐いものは無い・・・
ブログが無ければそれすら気が付くことが出来なかったかもしれません
これからもブログとともに
生きていこうと実感しています。
#ブログ
#マレーシア
#デザイン
#アート
2018年12月31日
一分の思考一分の行動
一分の行動がその先を握っている
毎日が同じように過ぎていくように見えるけれど
実はそれは錯覚に過ぎない。
一日の行動で何を変えられたのだろうか
常に自問自答しなければならない。
何を考えて
どんな目的に向かって
何をしたのか
何も考えないのは消費と劣化につながり
遊びばかりしているのは麻薬に過ぎない。
1日,一時間,一分
その間
自分は自分の目的に必要な事を
生み出すことができているだろうか
わかりやすく言えば
もしも来月貴方は死にますと宣告されたら
その一分が貴重だろう
短い時間のな中に凝縮し
やるべきことを自分でよく考えるだろう。
時間制限があると人は集中出来る
だらだらと生きていれば
何も変わらなどころか衰えてしまう。
その一分は本当に貴重なのだ。
人は考える頭があり行動出来る体がある。
考えて行動することが出来れば
本当は何でも出来る
すぐに出来ないと言うのはただサボっているだけ
出来ると知ったのにやらずにはいられないはずだ。
もしも人のことばかり気にしたり
自分のことを後回し日しているのなら
それをするより
自分のことを気にした方がいい。
時間をさいてでも自分にメリットがあるのなら別だが
大抵のことは意味がないことが多い
貴重な時間がもったいない
その一分で何をするのかもっと真剣に考えなければならない。