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posted by fanblog

2019年05月05日

「選択」するなら「進むしかない」

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人生は選択しなければならない事の連続です

それは小さなことから、後の人生に左右する大きな事柄まで
選択無しの人生は有りません

また、自分で決める勇気がないからと言って他力本願になる人も
他人に自分の方向性を決めてもらう「それがどんな方向性になってもやってみよう」という選択をしているのです。
そんな重要な事を決めてくれる信頼のできるお相手「人脈」を決めているのも自分という訳になります。

しかしながら、せっかく一度しかない人生です
誰かに決めてもらうより自分で決めた方が良いのではないかと思います
何故ならやるのは自分であり、他人に変わってもらう事は出来ないからです。

「方向性」は無意識に自分でできるような内容を選んでいるはずです
ただ自分自身で決断する「勇気」が無くて他人にゆだねているのではないでしょうか?
つまりは、自分の中ではもう決まっていて
それに対して「ok」を出してもらう事によって自信を持って出来るという事にも考えられます。

ですので、もしも本当に嫌な事であれば、例え他人に決めてもらっても腑に落ちなかったり
何かと理由をつけてやらない方向に向けたいと思うはずです。

何故自分の目の前に「選択しなければならないこと」が有るのか?
何方かを選ぶという状況になること自体、自分自身に「欲」があるという事ではないでしょうか。
「欲」が無いのなら、何も考えず与えられた事をやり続けていれば良いので
選択する必要が無いのです。


つまり、迷ったり選ぶという事は今より「良い方向に進みたい」という欲がある為に生まれるのです。
無意識に自分が好む道や、自分が出来る事に向かっているからこそ道が見える、全く関係のない事柄「出来ない事や世界観が違う事」が自分の前に来ることは考えにくい事です。

出来ない事は選択肢に入らないとも言えます。

選択で悩んだ時、「何方に進もうか」を選ぶのならより学べる方向を…。
もしも、「進む」or「諦めようか」で迷っているとしたら「進む方向」を選択した方が良い気がします。

迷っているという事は「欲」があるからであり、変わりたいと思っているから迷うのです。それなら
進む方向を選ぶべきではないでしょうか?

先程も説明した通り、「出来る」から選択肢に有るのです。
止まってしまったり、同じことを繰り返したり過去に戻ったりという「劣化」を選ぶことは選択とは違います

進むしかないんです。

2019年05月02日

正解は人それぞれで違う


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分かって欲しい
そう思うのは自分本位かもしれません

どんなに親しい人だとしても一人一人は単体

無理に納得させようとすると戦いになります
その戦いに全く意味は無く無駄に時間を費やしお互い嫌な思いをするだけです。


自分がわかって欲しいのと同じくらい
お相手もわかって欲しいと思っています
だからぶつかる。

どんな人間も自分の考えがあります
ですから理解されなくても普通ですし、それで良い
理解できる人や応援してくれるだけが近くにいるはずです
敵というものを作る意味がありません。

人に共感を求める理由は、自分が自分自身を認めていないからです。
つまりは誰かに認めてもらわないと自信がないということかもしれません。

誰かに反対されて揺れるようなら本物のではない。
本物にするには一人でも自信を持てるような事でなくてはなりません。

自分も他人もそれぞれの考え方や環境があって
その中で一番ベストな道を歩んでいます。

ですから自分にとっての正解も、他人にとっての正解も
何方も正解です。

意見が違うからこそ新しい発見があります
自分はその中で、自分に合ったものを取り入れていけば良いだけです。

2019年05月01日

シンプルに考えれば良い

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「もっとシンプルに考えればいい」


考えすぎた時, そのせいで余計上手く出来なくなることが有ります.

やるべき事は既に分かっているのなら、単純に出来ることをやればいいのに

考えすぎて複雑化されると、やらなければならない事が手につかなくなったり

一番肝心な根本が分からなくなってしまうのです。


複雑化というのは感情も入ってしまいます

感情が入ると人はそこに邪魔されてやり方を間違えたり

焦りが出てきて冷静な判断が出来なくなってしまいます。

もっと客観的に、もっと現実的に・・・

感情をおいて考えた具体的に見つめた方が正確です。

現実的に考えることが出来れば「出来ない」という事もなくなります

出来なかったら出来る為に策を考えるから次は出来るようになります。


今行っている事の目的を見つめるよりも, 本来の大きな目的の一部と考えたら

今の出来事はそんなに悩む大ごとでは有りません。

ただ経験の一部として吸収されるだけであり本来の目的の過程の一部なんです。

「失敗したらどうしよう」とか「こっちのやり方で大丈夫かな?」などと言う

今だけの感情に捕らわれないでください。

「失敗したらその分経験と学びになる」「この方でやってみて、ダメなら別のやり方を考えよう」

そうやっていれば少しずつ目標に近づいていきます。


やるべきか、それとも失敗を恐れて辞めるのか

「長い目で見つめたり」「シンプルな一言」でまとめてみて下さい。

やれる状態ならやればいいし、出来ない状況ならやらなければ良い。

もっと視野を広げてみると, けっこうどっちで有りなんです。

何故なら自分が本来の目的を諦めなければ, 後はそれまでの方法や経験が変わるだけの事だからです。

2018年11月14日

時々思う嘘

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この世は嘘で成り立っているように思う

そう時々感じる

本物だと誰もが思っている事も
実は、嘘が本物に変わった可能性があるから・・・

また真実が、嘘だと言われ続ければ
例え本当の事でも「嘘」だとされてしまうケースもある。

そこで、何方にしても変わらないのなら

基本的に突き通せる嘘はついていいように思う
「突き通す覚悟があるのなら・・・」

その嘘のおかげで救われる人もいるかもしれない

また、嘘が本当に成ることも有るから
悪い事ではない

そもそも、嘘が悪いと誰が決めたのだろう?

自分をだますことが出来る嘘は相手にとって真実に見えるし
嘘だったことを自分も本当だと思いこんで
最後までそれを真実として突き通せば

それはいずれ本物「真実」になるのではないだろうか?

嘘が嘘じゃいけないという事を教え込んだ裏には何が有るのだろう?

全ての事が見破られないようにと作られた
それこそが「嘘」という真実なのかもしれない。


そう考えると、何が真実で何が嘘なんて分かったものでは無いし
嘘も真実も同じように感じる。
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MegArt
マレーシアに4年半住んでます。美容と健康に役立つ情報や旅行先のお勧めスポット等をかいてます。普段は絵描きやってます。宜しくお願いします。
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